:大江、原田
3:00起床---3:45出発-----4:15一の倉沢駐車場出発------6:15中央稜取り付く---12:00登攀終了休憩後下降開始----途中テールリッギから、事故者の搬出に協力------18:30一の倉沢駐車場到着
前日が睡眠時間3時間、そして今日も3時間弱しか寝ないでの、登攀である。奥又白に行くのであれば、必要だと思い、トライした。
テールリッジの途中、昨夜、南稜テラスにてビバークした菊地.青木.宮崎さんと会う。疲れているかなと思ったら、何のその、皆の顔が輝いていた。
変形チムニーは、全体的にチムニーぽい所が、多かった。又、ビレーポイントが中央稜より広く、気が楽だった。
12時に土合本部と交信。この時、ダイレクトカンテで、事故者ありとの情報をキャッチ。まさか、この時、我々が、関与することになろうとは、夢にも思わなかった。
6ルンゼ懸垂下降中、1回ザイルを最後まで完全に引かなかったので、末端が、10M上の僅かな、クラックに落ちていき、なんとそれが、我々の前に落ちてきた。登り返して、回収。ちゃんと最後まで、引けるだけ引かないと、ダメだと判った。最後は、自然に落ちて来ると思ったのが、甘かった。途中、もう1回、ザイルが回収できなくなりそうだったが、うまく引き抜けた。
最後のダイレクトカンテの懸垂下降は、高度感たっぷりの垂直の壁であった。
途中のテールリッジからが、大変であった。何と、事故者がお尻をつきながら、懸垂で確保されながら降りていた。総勢4名。聞くと、11時に事故を起こし、まだ救助が着てないとのこと。
携帯・無線機等で、警備隊に救助要請をしていないとのこと。伝令が降りたとのことだが、ついたかどうかわからないとのことだ。携帯は持っていたが、使えないと思っていたとのこと。テールリッジを下っていたので、電波状況が悪いので、無線機でG山想土合本部から警備隊に救助要請を出してもらう。16時である。このまま、そんな方法で下ろしていたら、明日の朝になる。本部からは、伝令からの連絡で5名警備隊が既に向かったと情報を得る。その時、電波状況が回復、事故者の連れの携帯が鳴り、所属会の会長が救助要請を出したとの連絡を受ける。とにかく少しでも、下に下ろそうということで、手伝う。
(後で、わかったことだが、4名のうちの2名は、たまたま取り付きで、待っていたら、11時に落ちてきたので、救助していたそうである。この人達がかわいそうであった。
なぜ、他の人達に連絡を頼まなかったかが、不思議であった。事故発生から6時間後に、馬場警備隊長他2名の方が来て下さり、我々も協力しながら、一の倉の駐車場に着いたのは18:30であった。
救助隊は、実にすごい。レスキューハーネスで背負いながら、歩く速さより、早く下ろしていく。エイト環で確保していても、すごい早さである。ソリも無茶苦茶早い。しかも、ある道具だけでやる。
事故を知られたくない気持ちもわかるが、起こしてしまった以上、仕方ない。ただ、結局は、夕方に警備隊に出動を要請したり、他の救助者に、危険や何がしかの迷惑をかけてしまうことになることだけは、判ってほしい。最大に不幸だったのは11時から救助していた若者二人だったろう。
昨年3月の谷川滝沢リッジ遭難救助の際に、稜線から警備隊指導センターと5時間に渡り、最大6ポイントと交信していたが、稜線から直接、交信できないところを、指導センターが実に、信じられないくらいに、さばいていた。すごい人だと思っていた。なんと、一の倉沢の出合で、携帯電話のつながるところまで、車で、乗せてくれた警備隊の方が、まさにこの人だった。当時の話をすると、この方も、複雑すぎて、パニックになりそうなくらい
大変だったそうである。まさか、ここで会えるとは。

取り付き地点から烏帽子岩を見上げた。これがルートだ。 |

6ルンゼへの最初の懸垂下降、大江
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後日、この山岳会の会長から手紙を頂き、判ったのであるが、落ちた人は実は被害者みたいなもので、そして、この遭難には複雑な事情が、裏にあった。
事故の救助を手伝っていて何か、変だなと感じていたがこの手紙を読んでよく理解できた。
30M落下して、足首の骨折で済んで、不幸中の幸いだったと思う。
90.2001.8.2--6
「前穂高 奥又白」
:(だんだん 減って)門馬.本間原田
8/2 沢渡へ
21時に、本八幡駅前を出発しようとしたところ、宮崎君が<発疹ができて、いけなさそうだ>と、心配深げの顔で、現れた。救急病院に皆で行き、治療を受ける。原因不明。医者の判断
で、やはり宮崎君が行くのは中止となった。3人となった。やはり、厳しい。元は、7人くらいのはずであった。
行くしかない。いざ出発。しかし、信じられないことに、首都高の箱崎の合流で、パンク。
パンク修理していると、パトロール車が来て、車線を規制し、私に代わって何と修理してくれた。
そんなわけで、沢渡に着いたのは、予定より、かなり遅れて、3時半であった。軽く、飲んで横になったのは、4時半で、夜が開けてきていた。
8/3 奥又白の池へ
7時に起きて、バスに乗り、上高地を歩き始めたのは、9時前であった。荷物が重い。中畠新道は、沢から尾根筋に上がった途端、やはり急であった。
途中、蝶・常念の方で、雷がなり、こちらに来ないか、気が気では、なかった。
宝の木が早く見えてこないかと、待ち遠しかった。15時過ぎ、やっと、、そこまで、たどり着くと、目の前に、ディープグリーン-オブ-ブルーの小さな池が、現れた。これだけでも、来た甲斐があった。
キャンプサイトのすぐ奥の沢を1分ほど下ると、水が滴り落ちてきていた。その水は、今まで飲んだ、どの水より、おいしかった。まさに、奥又白の水であった。
門馬さんが持ってきたそうめんの味も、また、格別であった。

これが、奥又白の神秘の池 |
8/4 《前穂北壁Aフェース》
3時起床、5時前出発。奥又白沢をつめ、30M程雪渓をトラバースし、C沢に入る。
すぐ、右に 明日行く予定のW峰へのルートがあった。チョックストーンを超えると、又雪渓があったが、右のシェルンドを登り、進み、平らな部分に上がり、左にトラバースし、B沢を詰め、取り付き地点に8時に、たどり着く。
3級のルートだったので、それほど難しい個所もなく、昼に前穂頂上に着いた。
これからが大変であった。メールでも調べていたが、かなり判りづらいことは、知っていた。
3本槍を過ぎたすぐ先のコルを降りる、とガイドに書いてあるが、これが違っていた。
3本槍を過ぎたすぐ先のコルは、降りられるような状況では、なかったので、明神尾根を進み、先まで降りて行き、沢を確認したが、どうも違う。このころ、雨の中であった。門馬さんが戻ろうと言い出し、再度先ほどのコルに戻ると、なんと、そのコルの上、20Mくらいのところに、シュリンゲが、あった。前穂から下山しながらでは、影になり、見えないし、明神へのコルというと、判らなくなるくらい、複雑だ。
そのルート、A沢のシュルントを5分程、下降する。
そこに、右に行くルートがあったが、多分違うと判断して、支点もあったので、1ピッチ50M、懸垂で降りる。降りると、ハーケン1本の支点が、あったが、下の様子がわからないので、苦労して、尾根を降りていき、ハイ松を支点に懸垂で下りた。降りたら、先ほどのところから、懸垂もう1ピッチで、雪渓など切れているようなことはなく、しかも安全なルートであったことが、わかった。残念。闇の中、奥又白のキャンプサイトに着いたのは、20時前だった。

C沢の取り付き |

前穂頂上にて、左より、原田.門馬.本間 。
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右から、X、W、V、U、T峰
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奥又白谷にて原田、門馬。一番左が前穂岳北壁
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8/5 《北条信ルート-成城大ルート---甲南ルート》
朝4時起床、6時出発。8時取り付き。
前日、下降には、てこづったが、登りは快調だったので、多少の油断があったのかもしれない。
甲南ルートを行く予定であった。1ピッチ目、草付きのルートがあり、ザイルはいらなさそうであった。そこで、これは違うと思い、3M程、上のルートに取り付いた。途中で、間違えたことに気づく。どう見ても、3級ではない。月稜会ルートだ。何とか、1ピッチ目、甲南ルートに戻る。2
ピッチ目を刻んだ時、どう見てもこの先、斜めに上がれそうになかった。
そこで、上に上がるルートが甲南だと、思い、直上気味に進む。これが又、間違いだった。4級ルートのリードは、したことがないので、かなり、しびれた。足を置いた石が3度、谷底に真下に、落ちていった。何回も残置のハーケンを叩き込んだ。ハングを越す時は、行かないと帰れないんだと、言い聞かせて、進んだ。ただ、どんな時にも、慌てないこと、確信ができるまで、進まないこと、と決めていたので、時間はかかったが、安全に登った。勿論、自分が落ちたら、後の2人も危ないことは、判っていた。
途中、本間さんの目にごみが刺さり、片目での登攀となった。片目でも泣き言を言わない。たいしたものである。門馬さんも、フリーで上れないところは、人工で登ってきた。
結局、何やかんやで、信じられないことに、稜線に着いた時は、18時前であった。
W峰を懸垂でおり、X峰を過ぎたところで、5-6のコルを見て、あそこまでは行けるが、そのの奥又白沢への下降ルートが、どうなっているのか、わからないので、X峰直下で、ビヴァークに決定した。本間さんは、完全に片目であった。この時、20時前であった。
3人ともレスキューシートと、ホッカロンを持っていたので、ツエルトの中では、そんなに寒くはなかった。私は8割方、寝ていた。水がほとんどなかったが、北鎌尾根の時に比べれば、何の問題もなかった。

登攀中の門馬
ここが甲南ルートの取り付きだった
X峰のビヴァーク地点にて
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成城大ルートリード中の原田
前穂頂上にて原田、門馬、本間
常念と蝶ヶ岳の間から昇る朝日
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8/6 《奥又白へ、そして帰京》
朝、5時前にビヴァークポイントを出発、奥又白に戻ったのは、8時であった。本間さんの目には、いっぱいの目ヤニが出ており、今日は、両目で見えるようになっていた、。
到着後、水を飲み、乾杯し、食事を済ませ、10:45下山開始。
途中、徳沢園の診療所で、本間さんが目を見てもらう。既に、刺さったごみは、取れているとのこと。一安心である。治療費は、山岳会に入っていたので、なんと、ただであった。
16:30上高地のバスターミナルを後にし、乗鞍高原温泉で入浴後、宴会をして、仮眠後、東
京に戻ったのは、8/7の午前3時前であった。

徳沢園にて氷壁の宿。この後ろに診療所があった。
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