3月の部屋 「山スキーの人W:GPSって便利だね」
107:2002.3.1-3
西吾妻山スキー」
本間、菊池、関根、上野、青木、星、池田、梅澤、原田

天元台に行こうとの話で、西吾妻にスキーで登ることを計画した。
3/1
天元台スキー場を偵察。雪が信じられない位、少ない。宿は本間さんの実家をお願いした。
3/2 
天元台スキー場よりいよいよ上り始めるが、視界が悪い。噂に聞いていたとおり、迷いやすいところだ。やっとのこと、池ちゃんのGPSで頂上の小屋を発見。休憩後、滑走開始。
しかし、大ポカをやってしまった、暗い小屋の中でコンパスを合わせていたので、南北が逆になっていたことに気付かなかった。途中、上野さんが南に向かっているよと言い、やっと間違いに気付く。登り返し1時間で何とか正規のルートに戻り、滑走。若女平先のやせ尾根は、なかなかのものだった。
降りるのに時間を要しそうなので、私と本間さんが車を取りに急ぐ。下山口に菊池さんが待っていた。車を取り戻ると、真っ暗だった。帰り、滝沢さんが泊まっている宿に顔を出したら、風呂とビールを頂いた。全員!!!その夜、本間邸と米沢の夜はなかな終わらなかった。
追伸、本間さんのお父さんは、帰郷後、疲れで寝込まれたそうである。






108:2002.3.9-10
阿弥陀南稜」
関根、門馬、上野、梅澤、原田
行ってみたいと思っていたバリエーションコースではあった。バリエーションコースのリードは初めてである。かなり緊張した。いぼいのしし型のハーケンも買った。
3/9
東京を早朝発ち、船山十字路を詰め、広河原より立場山の稜線に取り付くが雪がない。大丈夫かと心配になる。夕方何とかP2前に到着。先行の上野さんと梅ちゃんが稜線脇に天とサイトをほぼ完成させてくれていた。
3/10
早朝アタック、冷たい風が身にしみる。風は強い。最初から、核心。確保してから登りだす。途中、木に支点を工作し確保。スタンディングアックスビレー・アンザイレン等いろいろ駆使し、無事終了。御小屋尾根を降り、途中で左に入り車に戻り、温泉に入りほっとする。
60を超えた関根さん、ガッツです。



109:2002.3.22-24
火打山スキー」
星、田畑、栃木敬子、池田、梅澤、簗場、原田
妙高火打は、行くのであれば山スキーと決めていました。
杉の原スキー場−三田原山、そして1泊目の黒沢池まで何とかたどり着いた翌日、出だしはそれほどでもなかったが昼前、2000mポイント付近で、ガスと強風で撤退と決断した。皆も納得していたと感じた。(前日、天気図をつけていなかったので、まさか三つ玉低気圧が出現しているとは思っていなかった。)
ここからテント場に戻るのに、こんなことになるとは夢にも思わなかった。
なるべく高度を下げずに天狗の庭を通過しようと、すけべ心が働き、角度にして2度くらいのずれが、致命的になった。滑り出して100mくらい進んだところでやや左の壁に入り、下を確認するために止まる(10m以上の高さ)。その途端、10数m先から自分の方にクラックが進んでくるのが見えた。
やってしまった!!!やってしまった!!!!と何度も心の中で叫ぶ。その途端、下に流された。10m以上流されたが幸運なことに、5センチの表層雪崩だったので、ほぼ立ったままで埋もれることはなかった。皆は、私が一瞬で消えたので探したそうである。ここが、失敗のポイントであった。
ここから先、高谷地へ向けてコースを取ったが、稜線の左に入ってしまったのでいくらコンパスでコースをとっても、修正できなくなっていた。
途中、大斜面をトラバースするとき、親切雪崩が心配で、一人づつ進んだりもした。この辺で間違いに気付き、稜線方向に上り返しをした。しばらくすると一瞬、切り立った100mくらいのがけが目前に突然現れた。
今まできた方向に戻りながら高度を稼ぎ、稜線に戻ろうと試みたが、10mくらいの雪壁に阻まれた。
戻る側に深さ100m以上の谷を発見、そこをトラバースするには、雪崩の危険を考えると、行けないと判断し、とりあえず、偵察に出る。
戻れない、先には進めない。参った!!!!
皆のところに戻りながら、なんと言おうか考えた。お前、何をやってたんだと自分を罵る。むなしい。
と、そのとき、雪壁の上部の雪庇の数m後ろに、数本の木を発見。
これだ!!!!
10m上の雪庇を抜いて、稜線に出る決意を固めた。皆に説明し、シュリンゲで確保用ロープを作る。
皆は安全なところに下がってもらい、私はスコップで上部の雪庇を下から崩しだす。スコップを叩き込むたび、頭に雪の塊がドスンと落ちてくる。田端さんがキャーと叫ぶのが聞こえる。雪は硬い、雪庇全体が落ちてくることはないと、確信を持てた。
このとき、田畑さんや簗場さんが、<私達帰れるのですか>とか<ここで死ぬんですか>等、話していたそうである。
とにかく、雪庇抜きは成功し、ルートを確保した。梅ちゃんと二人で先行して登り、梅ちゃんに他の人を上げてもらう。雪庇の下には、雪崩に備え、一人づつしか待機しないようにした。この間、猛烈な風であった。稜線に出た途端、その風に飛ばされそうになりながら、コンパス・GPSでテント場まで何回かくだり、そして登る。しばらくしてヘッドランプが必要になる。行きに通った黒沢山の鞍部を登り、テントサイトに最後の滑走に入る頃には、全くの夕闇である。
滑走していても、下りか上りかもわからないくらいだ。ただ朝方登った地形なので、緩やかな斜面でクレパスもないことは理解していたが、怖い。先頭の私が見えると、皆斜面を理解できるので、ゆっくり滑走した。
平原に下りて、コンパスだけではテントサイトを発見できなかった。そこいら中に偵察を出すが、発見できない。多分半径100m以内のどこかだ。20時を回っている。何回も、強風で皆飛ばされているので、消耗している。
田畑さんはシールを、簗場さんはヘッドランプを飛ばされ、全員、何回も猛烈な風に飛ばされる。
雪洞を彫ろうと、決心していた。その時、朝出発時座標を入力していたGPSで探しに行っていた池ちゃんが、「テント発見」と叫んでいる声が聞こえると、誰かが言う。ほんとか!!!
皆で行くと,風で完全に平らになった二張りのテントを発見した。何とか修復し,その夜は反省した。しかし、
盛り上がってしまった。田畑さんのおばけの話で。
次の日は無事にスキー場に戻る予定であったが、スキー場へのトラバースポイントから思いのほか,時間を要した。なお,スキー場が閉鎖されており、下に下りるまでドキッとした。

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