夫唱婦随・婦唱夫随の山登り

第T部 計画を立てる

私たち夫婦は色々なテーマを持って山に登ります。私の思い入れの強いテーマもあれば、妻の思い入れの強いテーマもあります。
テーマ毎に私の言い分と妻の言い分を併記してありますので、どちらの言い分に理があるかは読者にご判断をお願いいたします。
思い入れの強さに応じて、私が計画を立てたり妻が計画を立てたりします。夫唱婦随夫唱婦随の山登りと名付けた所以はここにあります。
(私たちの計画の立て方についてより詳しく知りたいはこちらへどうぞ)

このホームページでは、

「結婚記念日を山頂で祝う」

「単身赴任を活用して登る」

「富士山を眺めに登る」

「山域にこだわって登る」

「インターネットを活用して登る」

の五つのテーマをご紹介します。
 

第T部 目次

〈いつ登るか〉

  • 初詣を兼ねて登る(家族の健康と一年間の安全登山を祈願する)
  • 誕生日を山頂で祝う(誕生日には本人が登りたい山を最優先)
  • 結婚記念日を山頂で祝う(この日だけはけんかせず、仲良く登り仲良く下りてくる)

〈誰と登るか〉

  • 単身赴任を活用して登る(大阪への単身赴任は関西の山に登る絶好のチャンス)
  • 長男夫婦と登る(たまには長男夫婦と一緒に)
  • 次男と登る(次男の車に乗せてもらい思いきり遠方の山へ)
  • 故人を偲んで妻と登る(お墓参りの代わりに、亡くなった両親との思い出の山へ)

〈どの山に登るか〉

  • 山域にこだわって登る(中央線沿線の山に強くなりたい)
  • 信仰の山、霊山に登る(六根清浄、懺悔懺悔と唱えながら登りたい)
  • 標高やスケールにこだわって登る(時には三千メートル級の山にも挑戦)
  • 三山巡り、五山巡り(三山、五山の呼称は名山の証)

〈なにを目当てに登るか〉

  • 富士山を眺めに登る(四方八方から富士山を眺める)
  • 花を訪ねて登る(花の盛りに出会えるよう、事前に情報を怠りなく収集する)
  • 体力測定を兼ねて登る(歳をとっても登れるよう、体力の衰えを定期的にチェック)
  • 名所旧跡巡りを兼ねて登る(名所旧跡への立寄りもぬかりなく)
  • 西国三十三所巡りを兼ねて登る(お寺巡りと山登りのバランスをとるのが難しい)
  • 四国八十八所巡りを兼ねて登る(お遍路さんに変身して四国の山へ)
  • 温泉巡りを兼ねて登る(山から下りたら温泉へ直行)
  • 美味いもの巡りを兼ねて登る(泊まりがけで山に出かけると、なぜか食い意地がはる)

〈どのように登るか〉

  • インターネットを活用して登る(山の最新情報やイベント情報はインターネットで)
  • 登山大会に参加して登る(自分たちの脚力レベル知るチャンス)
  • 登山ツアーに参加して登る(交通不便な山はツアーで登ろう)
  • 登山教室に入って登る(最低限の岩場技術は身につけたい)
  • 山小屋の混雑を避けて登る(安眠確保が成功の鍵)
  • マンションを借りて登る(マンションを借りて、山三昧の夢を実現する)

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〈第T部 計画を立てる〉
山に登り始めた頃はどの山に登っても楽しい。あちらの山こちらの山と夢中になって登る時期が暫く続くが、それと同時にマンネリ化が始まる。
マンネリ化が進行するとけっこう厄介で、ある日を境にして山に登る意欲が低下し、最悪の場合には気持ちも足も山から遠のいてしまう。これは私だけでなく誰にも起こりうる共通のパターンのような気がする。理由は色々あろうが、山から受ける感動が段々と薄れていくことが最大の要因であろう。最初のうちは道を間違えは
しないかと緊張して歩くから、山を歩く事自体が楽しいし、乱れ咲く花も山頂からの展望もみな新鮮であるから、また登ろうということになる。しかし、然るべき所には道標が立っていて、道を間違えるようなことはめったにないとわかってしまえば、山を歩くだけでは満足できなくなる。乱れ咲く花も山頂からの展望も同様で、慣れ
てしまえばよほどのことでない限り感動を生まなくなる。必然的に、より高い山、より難しい山、より遠くの山へと気持ちが自然に動いていく。
深田百名山が受入れられてきた最大の理由は、多くの登山者に共通するこのような心理を前提として、登りたい山あるいは登るべき山についてのゆるやかな指針
を提示したことにあると思う。高い山や難しい山、あるいは遠くの山に登る場合は、ガイドブックもたくさんあるから、計画を立てる際に悩まずにすむ。三千メートル級の山ともなれば、計画に少々の難点があっても、そのスケールの大きさで皆包み込んでくれるのだ。しかし、低い山の場合にはそうはいかない。山そのものの魅力
が大きくないから、計画が平凡だと、山登りが単調になって直ぐに飽きてしまう。山から足が遠のくのはこのような時である。言い換えれば、低い山に登る時にこそ
計画を練り上げる必要があるわけだ。白状をすると、私も若い頃は熱心に山へ通ったが、仕事が忙しくなると同時に自然と足が遠のいてしまった。足が遠のいた理由は仕事が忙しくなっただけではない、山の魅力だけに頼って計画を練ることを怠ったから、気付かないうちにマンネリ化が始まっていたのだと思う。

大阪への単身赴任がきっかけとなって、再開と言ってはいささか大袈裟だが、また繁々と山に出かけるようになった。
15年ぶりの関西での生活が若い頃歩き回った山の記憶を呼び覚ましてくれたので、自然ともう一度登ってみようという気持ちになった。
関西の山は標高でこそ見劣りするものの、長い歴史に育まれているだけに名所旧跡には事欠かない。標高の物足りなさを補って余りあるものを持っている。歴史
の香り豊かな関西の山でなかったら、今ほど繁々とは山に出かけなかったように思う。
妻と一緒に登るようになったこともマンネリ化の打破に役立った。子供達が小さい間は、妻は子供の世話で精一杯で、私は仕事に追われて家庭の事を顧みる余裕もなかった。妻とゆっくり話すこともなかったように思う。子供達が成長した今となって漸く夫婦の対話の時間が持てるようになったが、妻は地域社会にすっかり溶け込んでいるし、こちらは相も変らぬ仕事人間だから直ぐに対話が復活するわけでもない。ところが、単身赴任をしている私の身の回りの世話がてら、月に一度は妻
が大阪にやって来るようになった。さして広くもない部屋の整理や洗濯などは直ぐに済んでしまうので、妻はその後することがない。テレビを見ても仕方がないし、
黙って睨めっこをしているわけにもいかない。そこで、「山にでも行こうか」ということになった。そうして関西の山を一緒に歩いている中に、自然と夫婦の対話が復活したのである。山が夫婦の対話の媒介をしてくれたわけで、ありがたいと言わねばなるまい。

妻が登りたいと言う山は私の食指が動くような山ではないのだが、渋々ついていくと、これがけっこう面白いのである。まさに、「百の頂きに百の喜びあり」である。
自分の価値基準には相当の自信を持っていただけに、これは私には新たな発見であり驚きでもあった。それ以来、妻の登りたい山に一緒に登るのも悪くないと思うようになった。妻と登るのが面白いのだから、長男夫婦や次男と登るとまた違った面白さに出会えるのではないかと思い、目下仕掛けを工夫している最中である。
40年近く前に、突然父が富士山に登ろうと言い出した。最近まで、富士山に登ろうと言い出した理由が分からなかったのだが、当時の父と同じような年齢に達してみて、なんとなく想像がつくようになった。私が長男夫婦や次男と一緒に山に登りたいと思っている理由とほぼ同じであろうと推測している。元気な頃の自分を子供達の記憶に残しておきたいのだ。

山行計画を立てることは、真白な画布を前にして構想を練ることに似ている。若い時ならば気に入った絵が描けなければもう一度描きなおせばよいが、我々の年
齢になると時間が多くは残っていない。いきおい、計画には慎重にならざるを得ない。年齢を重ねるに従って、体力は否応無しに衰えるが、知力はむしろ増える。
若い時には見えなかった人の心の動きなどが見えてくるようになるし、歴史や宗教など興味や関心の対象も広がる。これを活かさない手はない。興味や関心の湧
く事柄を山に結び付けて計画を立てるようにすれば、一見平凡な山であっても魅力的な山に変身させることは十分可能である。この年になって漸く、計画を立てる際のコツのようなものがわかってきた。原理原則と言い換えても良い。それは、「いつ、誰と、どの山に、なにを目当てに、どのように」登るかにこだわることである。
「山登り以外の趣味や関心事を重ね合わせて、兼ねて登る」ことと言ってもよい。「そんなことは分かりきっている」とのお叱りの声が聞こえてきそうだが、本当にそう
だろうか。深田百名山を例にとって考えてみよう。自分なりの価値基準で登りたい山を選んでみたら、深田百名山と一致したということであれば話は別だが、皆が
深田百名山に登るから私も登るというのでは余りに芸がない。自分の価値基準を持って登るのと他人の価値基準に従って登るのとでは、結果として同じ山に登る
ことになっても、雲泥の差があると言いたいのである。

理屈はこれくらいにして、我々夫婦の計画の立て方についてご紹介しよう。我々は色々なテーマを持って山に登るが、私の思い入れが強いテーマもあれば妻の思い入れの強いテーマもある。テーマ毎に私の言い分と妻の言い分とを併記してあるので、どちらの言い分に理があるかは読者に判断してもらいたい。思い入れの強さに応じて、私が計画を立てたり妻が計画を立てたりする。「夫唱婦随・婦唱夫随の山登り」と名付けた所以はここにある。