| エクアドル コトパクシ峰 登頂 |
野口 いづみ 著・写真
![]() |
|
エクアドルというと、妙な顔をされる読者もいるが、エクアドルこそ、知る人ぞ知る、短期間で5000m、6000m峰の登れる、高峰の世界的メッカなのである。 |
![]() |
8月10日:夜、ヒューストン経由で21時間半の長旅の末、首都キトー着。 キトーは標高2800m、世界一高い首都で、11日は高所順応を兼ねて市内観光。 旧市街は世界遺産に指定されており、遠くから眺めると赤煉瓦の屋根と白壁が綺麗に見えるが、市街に入ると細い路地は排気ガスと交通渋滞で大混雑。 独立記念日とのことで、期待したのだが、パレードなどの催物らしいものはまったく見られず、がっかりした。 午後は25km位離れた赤道へ行った。 エクアドルというのは、赤道という意味だそうな。記念碑から真っすぐな線が100m位黄色いペンキで引かれていた。赤いペンキはなかったのだろうか。 |
|
8月11日:近郊のピチンチャ山(Pichincha)へハイキング。といっても、車を降りたところが標高4000m、山頂は4781mで、クマさんは自己最高峰といって喜んでいた。 8月12日:コトパクシ山麓の3800mの山小屋に移動。キトーから150km、3時間。ちなみにコトパクシは距離的にも東京と富士山の関係に似て、キトーから白く雪を戴いた山容を眺めることができる。両裾を引いたパラメトリックな姿は富士に似ており、邦人の間ではエクアドル富士と呼ばれているとの由。世界最高の活火山でもある。市場のある町を出てから2時間近く、車はめったに通らないんじゃないかという田舎道を前後左右に揺さぶられ続けた。カムチャッカで改造された軍用トラックに乗せられて氷河の上を行った記憶が蘇る。昼頃3800mの小屋に到着。何もない荒れた平原の真っ只中で、正面にコトパクシ山が、さえぎられずに、思う存分、裾を広げている。風が強く、寒かった。明日からの登山が心配された。山小屋は立派な建物で、1階の食堂はホテルのようだ。一休み後、高所順応のために4600mの4合目の駐車場まで車で行く。アタック基地となる5合目4800mのホセリバス小屋往復し、17:00、3800mの小屋に戻った。夕食はスパゲテイーでシェフが挨拶に登場した。 |
![]() |
|
8月13日:9時、3800mの山小屋を出発して、ホセリバス小屋に入る。厚着をし過ぎてきて、気分が悪くなり、ゆっくり歩いてもらう。午後2時10分、高所順応に1時間ほど登る。なけなしの体力を消耗しては大変と、”ウナ オーラ(1時間)!”と限定する。午後3時40分小屋に戻る。 私達のガイドになるウルフさんがポスターを示しながらルートの概略を熱心に説明してくれた。 4時半頃夕食。もう一人のガイドのエドワルドが同じテーブルについた。 8月14日:午前1時20分、ヘッドランプをつけて小屋出発。他の人達は12時から1時頃に出発してしまい、最後の隊だった。2日前までは風が強くて登れなかったそうだが、この日は微風。絶好の登山日和。さすが、晴れ女と晴れ男二人をトリプルで同伴してきた甲斐があるというものだ。砂礫の単調な登りだ。
|
|
2時45分、氷河取り付きに到着。 |
![]() |
| 氷河回廊を通り過ぎて,やれやれと振り返る |
|
3時出発。氷河上に出るまで、凍った泥まみれの狭い急登が標高差で7,80m続いた。アイゼンを効かせながら、登りやすそうな場所を選んで登った。”出だしからエライこっちゃ”と思った。上に出たときは息があえいでいた。 しばらくはゆるい雪の斜面をトラバース気味に辿って行った。 ルートは一層、急登になった。それでも、1呼吸1歩から、悪くても2呼吸1歩でこなせた。道脇で座りこんでいる2人組がいた。"Good
luck!"と声をかけられる。ここで諦めて下山するパーテイーだろう。 |
![]() |
東の地平線がほのかに赤らんで来ていた。 左上方に、その部分だけ氷がはげている、この山に特徴的な黒い岩が見えていた。 黒い岩は最初はほとんど頭上にあったが、次第に左脇に落ちてくるようだった。 その位置関係を顔を上げるたびに確かめて、稼いだ高度を実感することができた。 |
| コトパクシが地球に影を投じていた 右上に見える双耳峰は、Iliniza イリニッサ。 南峰 5305m (5263m)雪のある峰 : 北峰 5160m |
|
5時半を回ると明るみが増した。夜明け前の冷え込みは予想通りだ。顔に吹きつける風が冷たいが、風速はさほどはない。 |
| 稜線の右側を辿る道は氷河の断面になっていた。 つららのように氷柱が立ち並ぶ、輝く回廊のようだった。 右手にはコトパクシが富士山の様な影を地球に投じていた。 再び稜線に立つと風が冷たかった。フリースのリングマフラーを頚にかぶった。 行く手に大きな斜面が見えた。そこを斜に人々の列が登っている様が眺められたが、静止しているかのごとく動かなかった。 |
![]() |
| 頂上が近づくと,下山者とすれ違うようになった. 左は遠くからもはっきりみえる,北面の特徴である黒い岩ヤナサッチャ |
|
6時半頃に大斜面の下に出た。ここは西向きの斜面で、まだ未明の薄明かりの中だ。これが最後の、30〜40度といわれる壁なのであった。 斜面は登っても登っても、まだまだあるようだった。 耐えに耐えて、耐えあきた頃に、眼前の壁が取り払われたように明るくなってきた。
|
![]() |
頂上はドーム状で、結構、広かった。右手、南側には、丸いお釜が黒い口を深く、ダイナミックあけていたが、硫黄臭さや噴煙はなく、活火山のようにはみえなかった。 |
| 急斜面を少し登ったところで,クマさんとすれ違う.急斜面なので 足が短くみえる.本当はもっと長い |
| お釜の光景に感激して、差し当たってはまだ喘いでる姿を1枚、マルシアルに撮ってもらう。本当はもうちょっと休んでからの方が格好良い写真が撮れるんだけどなあ・・・。 写真を撮りおえた時だった。突然、両手の指先に激烈な痛みが走った。 |
![]() |
| 頂上のお釜.周囲800m.雲海からチンボラソが頭を出している 右奥に見えるのが、Chimborazo (6310m) チンボラソ エクアドルの最高峰。 中央左寄りに見えるのが、Tungurahua (5087m) タングラフー(トゥングラウア)で、 この山は、目下噴火の真っ最中で、噴煙がたなびいている。 |
|
7時50分、下山開始。8時、大斜面をあと少しで登りきる、藤田・佐藤パーテイーに会う。良かった、全員登頂だ!。 空は晴れ渡り、空気は澄み切っていた。足下は白い雪原がゆるやかなカーブを持っていくつかのピークを連ね、眼前には広大な荒野が広がっていた。 11時前、藤田・佐藤組のガイドのエドワルドが小屋に戻ってきた。 |
![]() |
| 頂上にて万歳.この後に腕に痛みが走る.一息入れてから写真はとるべし |
|
この日の登頂者は30人弱だろうか。ルートは明瞭で危険なところはなく、私はずっと両手ストックで行ってしまった。ヘルメットはマルシアルが不要といったので小屋に置いていった。ホセリバス小屋までは観光客が登って来ていたが、日本人には3日間会わなかった。 2時頃、4600mの駐車場を出発。今度は、すぐ国道のような広い道路に出た。 8月15日;オタバロというインデイオの市場へ遠出。片道3時間。
8月16日;自分たちだけで市内観光をした。 完 |
![]() |
| ツアーメンバーのねぼけぐまさんからのコメント (そう言うかどうかわかりませんが・・・) コトパクシでは、ちょうどマッターホルンのときと同じ感覚で登ることが出来ました。 不思議とまったく疲れを感じませんでした。 マラソンランナーが“ランニング・ハイ”というものを感じるという話を聞いたことがありますが、それがどんなものだかは知りもしませんが、もしかしたらそのときの僕は“クライミング・ハイ”というものを感じていたのかも知れません。 “へいへいへい、そらいけ〜!”って感じね。 一緒に行ったメンバーの皆さんが、たいへんな目をして登っているのを見るにつけ、自分自身すこぶる快調だったのが正直意外でした。ですから、取り立てて“がんばった”ということはありませんでした。 不謹慎にも渡航前からハイキング気分でいたのでしたが、それがただそのまま済んでしまったというのが本当のところなのです。 迂闊にも「楽勝だった」「あっけなかった」と人前で口にしてしまって怒らせたり顰蹙を買ってしまったのはまずかったですが、僕のガイドはあれがベストな登り方なんだと断言してましたし、現地で暮らす彼らにしてみればそれがあたりまえのことでもあるわけなのでして、やっぱり僕の登ったペースというものがもっとも体力の消耗をしない楽な登り方だったのだろうと思っています。 下手にガイドが歩調を緩めてくれてたなんてこともありませんでしたから。 その意味で、マッターホルンとコトパクシの2回は、ほんとに僕と息のぴったり合った、ベストのガイドに当たったんだなあと思ったりなんかしているわけでもあるのです。 メンヒとユングフラウのときはたいへんでした。ガイドは頭が悪かったし・・・・。 ねぼけぐま 記 |