黒部最奥探検記:源流を求めて
「よーし出発だ!」朝の天気図では、明日から3日間は晴れ続きとなりそうだ。いつもながらにそれは即座の決断だった。秋雨前線のいたずらで1週間登山がままならなかったが、じっと待ち続けていたのだ。リュックのパッキングはとうに済ませてある。その日の夕方、私は高山行きの高速バスの車中にいた。めざすは黒部源流域。雲上の楽園、別天地と呼ばれる雲の平である。バスに乗る前、昼食に京都のなじみの蕎麦屋に立ち寄ってしまった。これには我ながら苦笑する。たかが3,4日蕎麦が食えないだけではないか。しかし、みそぎ蕎麦、のつもりでもいた。それだけ、今回の計画には力が入っているわけだ。さて、高山市内に前泊した次の朝、好天の前兆である深い朝霧が
高山盆地に低くたれこめていた。朝一番の高原バスは平湯を経由して新穂高温泉へ向かう。バスはつづら折れの高原をしだいにあえぎながら登っていく。高度を上げるにつれ、しだいに視界が開けてきた。朝霧の谷底から抜け出た瞬間、眼前に乗鞍の雄姿が目に飛び込んだ。振り返ると高山の町は深い霧の谷底に消えていた。雲上の別天地に近づきつつある。そんな確かな手ごたえを感じた。
去年は全くみじめな敗退であった。なにしろ新穂高温泉から1日歩いた双六岳のキャンプ場でまる2日間、雨で停滞、日程が押し迫って無念の敗退となったのだ。新穂高からの長い林道を歩きながら、去年の惨めな記憶をたどりつつ歩いていく。ずぶぬれになって歩いた林道は、今回ばかりは秋の澄み切った空気が迎えてくれた。秩父沢の清冽な沢水で喉を潤し、しだいに傾斜の増す道をひときわゆっくり、しかし着実に高度を稼ぐ。りんどうの花が真っ盛り。山はすっかり秋なのだ。ほどなく傾斜が緩むと、鏡平の池沼群はすぐだ。最初に現れた紺碧色の池のほとりに腰かけて大休止。眼前に鋭い切っ先を天に刺す槍ケ岳を望む絶好の景観である。ここから道はふたたび急な登りとなる。一登りで弓折岳分岐にひょっこり出る。おにぎり休憩である。ふと耳を澄ますと「クークー」と何かが鳴いている。ふりかえると、雷鳥の親子のお出ましだ。雷鳥はなぜだかあまり人を恐れない。だれも食おうと捕まえないからだろう。記念に写真をとって出発。稜線歩きとなって、少し余裕が生まれる。右手に槍から伸びる西鎌尾根、さらに後方に視線をのばせば槍から穂高連峰にかけての主稜線がくっきりとしたスカイラインをなしている。これ以上の好天はありえない。双六岳まで着いたところで14時30分。朝9時に新穂高を出たから、わずか5時間だ。去年は疲れきった体で双六キャンプ場に着いたような気がするが、キャンプ泊だったあのときと小屋泊まりの今回とは荷物の量が格段に違う。まだ体力があるので、そのまま歩いて三俣山荘まで行くことにする。しかし最後のこの歩きがけっこうこたえた。日が傾いて気温が急激に落ちたのに加え、道が山陰に入って体感温度がぐっと落ちたのである。一枚着込んで、最後のふんばりで山荘にたどりついた。17時前であった。小屋の食事はよくも悪くもないが、喉に流し込んだ生ビールが「五臓六腑にしみわたるわい!」と私に言わしめた。生中1杯1000円也!食事が終わって小屋前から眺めた茜色に染まる槍、穂高の印象は忘れられない。すでに気温は5度。寒さでかじかんだ手でシャッターを切った。夢中だった。小屋番の白髪のおやじがつぶやいた。「こんないい夕暮れは久し振りじゃぞう。」その晩は薪ストーブに火が入れられた。わずか10人ほどの登山者は、ストーブに身を寄せ合って暖をとった。そして、それぞれ熱を体に蓄積させては、ひとりずつ布団の中にもぐりこんで行く。興奮で寝つかれぬ私はウィスキーをひっかけて、小屋の外に出た。ちょうど槍の肩に満月に少し満たない月が出て、あくまでも冴えざえと光を放っている。しかし、それは寒い月であった。
もう寝ようか。(続く)
黒部最奥探検記:源流を求めて(2)
2日目の朝。案の定、快晴であった。明け方トイレに立ったとき、足元にしのびよる寒気で想像はついていたのだ。山小屋らしからぬクラシック音楽の重低音を聞きながら、食堂で早い朝食が供される。なんといっても、朝の5時半だ。箸の進まぬねぼけまなこの女性登山者もいれば、朝からやる気まんまん、味噌汁をかきこむ若者もいる。食堂の窓が明るさを増し、朝日がその光の第一矢を我々に放った。斜光を背中に集めると、しだいに体がぽかぽかしてきた。やはり太陽は偉大だ。元気をもらって小屋を出発する。朝食が済むやいなや、めいめいの行き先目指して靴紐を結ぶ登山者を横目に、私は小屋前のテラスでのんびりとコーヒーなど沸かす。食後のデザートはブランデー・ケーキ。またたくまに小屋はがらんどうとなった。年老いた髭づらの小屋主は、ひとしきり登山者を忙しく見送っていたが、私のほうを一瞥すると、小屋の中に入っていった。小屋に朝の静寂が戻った。私はのんびりと出発する。今日は高天原までの5時間半の登山、いや、漫歩という感じだ。昨日の半分の行程だから、何もあせることはない。放射冷却で凍てついた黒部川源流への斜面を、霜柱をしゃりしゃりと踏み崩しながら降りていく。このあたりは氷点下だったらしい。ときどき現れる木道の上には解けかけた霜がおりており、うっかりするとつるりと滑ってしまう。しかし、黒部の支流を飛び石伝いに渡ろうとして突然足が外れてあやうく流れにさらわれそうになった。滑った理由が一瞬わからなかったが、近寄ってみると、黒光りしていた岩は実は表面が厚さ1センチほどに凍っていたのだ。足をのせるとつるつるである。下界はまだ30度近いというのに、黒部は霜柱と氷の世界なのである。あなどるなかれ、初秋の黒部。源流にはそこが源流であることを示す標柱が建っていたが、あまりに立派すぎて素朴な源流にそぐわない。ともかく、ここが黒部川最奥の地。早春には雪解け水を集めて奔流と成し、黒部八千八谷と呼ばれる急峻の地形を、さかまく怒涛となって一気に流れ下る黒部川がその産声をあげる地点である。源流から川下を見下ろすと、顕著なV字谷の延長上に、黒部五郎岳がその名の通り黒々とした山肌を見せている。立派な山腹を持つこの山にも、いつか登らねばならぬ。対岸の急斜面を登る前に、両手をあわせたおわんの中に黒部の清冽な水をすくいとる。一瞬で凍りつきそうな水を口に含むとほのかに甘い。まさに甘露のしずくとはこのことで、もう一口すくおうとするが、いかんせん手がしびれるほど冷たい。2口飲むのもやっとのことで、とても顔を洗うところまでいかない。バンビの洗面所を思い出したことはいうまでもない。急斜面をジグザグに登りつめると、しだいに源流のざわめきはささやきに変わり、祖父岳が眼前に現れる頃には、黒部川は見た目にか細い一筋の光となって完全にその音を消した。源流よさようなら。また会う日まで。ふりかえると三俣山荘の小屋の向こうに、朝日を受けて黒いシルエットを見せる槍ケ岳が穂高につながる稜線を従え、三俣蓮華岳の右後方にはそれまで見えなかった笠ケ岳が、誠に見事なバランスで富士のような笠姿を見せていた。祖父岳を西側にまいて雲の平へ続く静かな道。いっこうに登山者に出会うことも鳴く、ハイマツの林を縫って歩いていくと、
ホシガラスだけがあわただしく飛び回っている。冬の訪れを前に、えさとなるハイマツの球果を集めているのだ。少しして眼前に大きな山体が突然姿を現した。左右に大きな裾野をひいて、はっきり赤みを帯びた山腹を持つこの山こそ、薬師岳である。昭和38年、愛知大学山岳部のパーティー13人は、厳冬の薬師に書かんな若い生命を賭して挑んだが、折からの吹雪で方向を見失い、カベッケ沢へと通じる東南稜へと誤って進入し、そのまま消息を絶った。結果、13人全員が凍死。最後の遺体が見つかったのは、遭難から10ヶ月後。再び迫り来る冬の一歩手前であったという。黒部最奥の地は、かくも厳しい気象条件なのである。それにひきかえ、初秋とはいえ今日という日の朗らかなこと。雲の平をすぐ目の前にして、あまりにも気持の良い陽の光だったから、木道で裸になって、初秋の静寂を満喫した。いんいんとした静けさ。そういってわかってもらえるだろうか?山でほんとうに静かなときは、いんいんという音がかえって聞こえるのである。雲上の別天地、雲の平に名残りおしくも別れを告げて、雲の平山荘まで木道を行く。分岐でちょっとした小山にとりついて高天原峠への急な坂道を、木の根を踏み、はしごを伝って高度を下げる。峠の分岐から一下りで沢に出る。やがて、今日の目的地である高天原山荘に午後1時に到着した。(続く)
黒部最奥探検記:源流を求めて(3)
小屋泊まりの手続きをして、缶ビールとつまみ片手に温泉までひとっぱしり。15分ほど歩いたところに硫黄臭ただよう河原があった。全部で4箇所も湯船がある。ぬるい湯には誰もいなかった。「ねむりの湯」という名がついているが、実際にはぬるま湯に近く、温水プールよりも寒い。しばらくつかっていたが、とてもビールに手が伸びるような気分ではない。それでも、湯の注ぐパイプ近くに体を寄せると少しは温かい。10分であがると、秋のそよ風が肌を刺すほどに冷たい。湯冷めせずうちに記念写真をとって、そそくさと着替えて少し離れた熱い湯に移動する。さて、ここ高天原温泉は秘湯中の秘湯の名に恥じないところ。これ秘湯と呼ばずして、いづくに秘湯あろうぞ。
日本の秘湯ここに極まる、といって過言ではない。たとえば朝日岳の裾野の蓮華温泉、八ヶ岳山麓の本沢温泉、立山のみくりがいけ温泉、白馬の白馬鑓温泉など、北アルプス山域に関してはいくつも秘湯が思いつくし、現に私はこれまでそういった温泉に足を運んだが、野趣に加えて、遥けきかなたに思い抱くその遠隔性ということでいえば高天原にかなわない。長旅に倦み疲れた体を沈めるのにふさわしい温泉ということでは、この高天原のほかには、わずかに黒部の仙人温泉、阿曽原温泉という僅かな例をみるのみである。なにしろ、この黒部源流域一帯はアルプス、いや日本でいちばんの奥地といってもよい秘境である。これだけ文明が発達した現代にあって、いずれの登山口から歩き出しても、高天原にたどりつくのに1日半からまる2日を要することが、如実に示している。それも健脚の足で。さらに、たどりついた以上、少なくとも同じ距離を戻らねばならぬことは言うまでもない。これに過酷な気象条件が困難さを増している。3000メートル級の高度、日本海型の気象条件。これらは日本の山岳中、もっとも激しい環境をつくりだしている。ご存知だろうか。エベレスト登山のベテランが、あっけなく北アルプスで遭難してしまうのである。ある外人アルピニストは言った、「日本の山は世界でもっとも困難である」と。黒部の山にはかつて山賊がい
て、川には巨大な岩魚が群れ泳ぎ、カッパがそれを喰らい、人間にいたずらをした。そんな伝説も残っている。この秘境の温泉をいつまでも大事に後世に伝えていきたい。さて、そんなことを思ってかんがいにふけりながら、私は先客登山者2人に混じって、熱めの湯船で彼らと山岳遍歴を披露しあっていた。舞鶴からきたという初老の男性は、もう何ヶ月も家を留守にしてるという。長年連れ添った老夫人を残して、ひとりワゴンで日本の名山を巡る旅の最中だという。東北の山をひととおり済ませて、この山域に入ったという。聞けば百名山完登まであと3座。このあと、薬師岳、笠ヶ岳、加賀の白山で目標達成という。「そのあと200名山ですか。」「いやいや、もうそんな体力はないですわ。」「このあとの予定は?」「しばらく、このあたりの山小屋でのんびり過ごしながら、山を巡ります。」その答に、単なるピーク・ハンターとは違う、何か熟成した山の楽しみ方を感じ取った。」奥黒部の山は、それぐらい心にゆとりを持つ者でなければ受け入れてくれないのかもしれない。私はそれを実践した。その後4時間も湯につかったり出たりをくりかえした。ほてっては湯船を出て、冷えてはまた湯船に戻る。あいまにアルミ缶をプシュー。琥珀色の液体はもうぬるまっていたけれど最高に旨い!ささやかなつまみが、小宴を引き立てたことはいうまでもない。やがて先客は2人とも立ち去り、私だけが秋の静寂の中にとり残された。気がつけば、午後5時。あっというまに日も傾いて、深い谷あいの温泉は、またたくまに山影の底に沈んだ。ひるまの心地よい陽光を含んだそよ風は、今となっては、水晶岳から吹き降ろす肌を刺す冷たい風にとってかわられた。湯上りの体をふるえながら拭いて、小屋への道を戻った。小屋では心づくしの山家料理がもてなしてくれた。ガス釜で炊いたふっくらしたごはん、具だくさんのけんちん汁、揚げたてあつあつの自家製コロッケに山菜のてんぷら、冷奴など、すべてが手作りの美しい味。ほの暗いランプの灯火で、いやがおうにも食欲は倍加する。あまりの疲労に食欲減退の中高年女性が、横からそっと私におかずの皿を差し出した。「あのう、もしよろしければ・・・。せっかくの手作りでもったいないので。」礼を言って、そのままそっくりいただいた。山小屋の食後は、一日中歩きづめの緊張から解放される、わずかなくつろぎのひととき。ランプのうす明かりのもとで、すっかり打ち解けた登山者どうしがしんみりと語り合い、時に高らかな笑い声が小屋の外にもれる。秋の夜長の山談義は、その日いつ終わるともなく続いたのであった。(続く)
黒部最奥探検記:源流を求めて(4)
窓から射し入る光で目が覚めた。手元をさぐってヘッド・ライトで時計を見ると、午前2時半だ。小屋番から1番A,Bという寝床を割り当てられていたが、山小屋ではこうして細かく寝床が区分されている。ちなみに平日は泊り客が少ないので、1人につきA,Bとぜいたくに2箇所あてがわれるが、繁忙期は布団1枚に2人。つまりアルファベットは1つしかもらえない。1番A,Bは小屋の端なので、窓のすぐ下。それで窓からこうこうと照る月明かりに目が覚めたのだ。トイレに降りたついでに、小屋の外に出てみる。放射冷却のせいで、底冷えがする。月があまりにも明るいので、それはそれで美しいのだが、満天の星が月光で邪魔される。ぜいたくな話だ。それでも、意外にも冬の星座オリオンを見つけたときは思わず叫んだ。季節はめぐる。黒部の山奥に、やがて冬がやってくるのだ。寒さで息が白んで、3分と立っていられない。そそくさと小屋に戻り、布団をかぶった。午前5時。まだあたりは薄暗いが、そんなところも夏山とは違う。ごそごそと起きだしてくる登山者の気配で目が覚める。今日は早立ちして沢沿いの道、ひとつの峠を越えて折立まで下山する長丁場なので、弁当を頼んでおいた。弁当をもって5時半に小屋を出る。しだいに東の空が白み始め、水晶岳の黒い山体が美しいシルエットを成している。吐く息は白く、草原も一面の霜で白一色である。霜柱を踏んで、高天原峠へ向かう道を行く。峠で弁当のおにぎりをほおばる。今日1日のロング・コースを思って、ついでにアミノ・バイタルも摂取する。しかも2包!ゆるやかな上下降を繰り返しながら、樹林帯の道を行く。黒部川の支沢をいくつか越える。つい先週の豪雨で沢ごとに鉄砲水が出たとかで、巨岩巨木が沢沿いになぎ倒され、凄惨な光景が広がっていた。急下降が始まって沢の轟音が近づくと、やっと黒部本流に出た。昨日の朝は源流を見て、今こうして上廊下といわれる核心部を通るわけだ。昨日のちょろちょろがこうして奔流となって、その成長ぶりには感慨深いものがある。思わずスメタナの交響曲「モルダウ」を思い出し、そのメロディをくちずさんだ。黒部の水量はけして多くはないが、それでも支沢の水を集めてところどころに瀞や淵を形成している。沢沿いに赤ペンキで示された矢印をたどって道なき川の道を一人歩いて薬師沢小屋へ向かう。7時をすぎて、ようやく黒部川にも高くなった朝日が差し込んできた。ふと前を見れば、この日はじめて出会う登山者がこちらにむかって歩いてきた。2人ともなかなかすれ違う場所までたどりつかないのは、このあたりがちょっとしたへつりであって、さらに高巻きの道もあるので、お互いなかなか歩が進まないのである。ようやくすれ違って挨拶をかわした。彼は薬師沢小屋を今朝発ってきたのだろう。悪場の緊張がとけてふと川面に目をやれば、そこには岩魚の群れ泳ぐ姿が見えた。岩陰にまわりこんで、しばし魚たちを観察する。突然、その1匹がやにわに水面を破ったかと思うと、身を翻して水底深くへと姿を消した。あまりにも一瞬の出来事であった。また別の岩魚が水面をジャンプした。よいやく合点がいった!これがライズと呼ばれる彼らの生態である。岩魚は早朝やたそがれ時、羽虫が水面付近を飛び回るころ、これを狙って水面に飛び出して、さかん捕食するのである。このような魚の活性の高い時間に毛ばりをうまく操って彼らを釣るのである。また、このあたりは伊藤正一氏の著「黒部の山賊」に登場するカッパが出没する場所である。カベッケ沢という名がついている。これは「カッパが化ける」が訛ったものだという。黒部第一の神秘の場所は、おそらくこのあたりかもしれない。黒部川が左に屈曲して、いよいよ石づたいに飛んで移動する河原飽きたころ、前方に赤い吊り橋が見えた。その対岸に薬師沢小屋はあった。小屋前でコーヒーを沸かして小休止。小屋の中をのぞいてみると、いまは登山者が出発してすっかりがらんとなった小屋に人影がなく、奥のほうで掃除の音がする。小屋の壁には、尺をはるかに越えた岩魚の魚拓がすすけて黄ばんでいる。ここは登山者のみならず、岩魚釣りの宿でもある。コーヒーをすすっていると、ひょっこり登山者が降りてきた。早朝に折立から登ってきた若い男性である。雲の平や高天原へ行くといって、さかんにその方面の情報を所望された。なにしろ私がたどってきた道である。得意がって、黒部の主をきどって、状況をつぶさに説明する自分に我ながら苦笑した。しかし、ともかく、山ヤ同士は、この情報交換を最上の喜びとして、また尊重するのだ。さて、小屋から太郎平まで、この山行で最後の登りとなる。(続く)
黒部最奥探険記:源流を求めて(5)
岐阜県の新穂高温泉から富山県の折立に抜けるこの縦走ルートは、槍・穂高連峰を間近に眺めながら稜線を歩く、パノラミックなコースとして人気がある。しかも変化に富んでいる。途中いくつか横切る沢には、おいしいアルプスの名水がふんだんに湧き出ているし、雷鳥のほほえましい親子が疲れた体を癒してくれる。また、源流の地を踏むことはちょっとした感動と感慨を生むし、雲の平周辺の「庭園」と呼ばれる高原一帯は、まさに雲上の別天地と呼ぶにふさわしい静寂と平和に満ちあふれている。そろそろ足がくたびれたころ、そこにはちょうど高天原の秘湯が待っているし、小屋での食事は奥黒部の山の幸。これだけ変化に富んだ縦走コースは、他の山の単調な縦走ルートとは、あきらかに一線を画している。雲の平、高天原。こうした地名は、まさに文字通りの意味を持っているのだ。さて、そういった特選コースもいよいよ終盤にさしかかった。薬師沢小屋をあとにした私は、ゆるやかな登りの木道の道を、一歩一歩かみしめ味わうようにゆっくり登っていった。
しだいに密な樹林が疎になって、池塘や湿地が点在する平らな空間に出た。切れた樹林帯から左に薬師岳のボリュームのある山体が、昨日までとは違ってかなり間近に感じられる。背後を振り返ると黒部の谷越しに水晶岳が、こんどは遠く逆光を受けた黒い山肌を見せている。木道という安心感からよそ見歩きが増えて、一度ならず足を踏み外して木道から落ちそうになる。見るなら歩くな、
歩くなら見るな!太郎平へのゆるやかな道は、その90パーセントがよく整備された木道だが、途中いくつか沢を越えて、最後の木橋を渡ると急登が始まる。急とはいっても比較の問題である。たいしたことはない。一定のリズムで足を運び上げていくと、どんどん高度が増して、あっというまに太郎平の小屋である。小屋前には信じられないくらいの登山者があふれかえっていた。今日から3連休なので、その初日に折立から続々と上がってきたのだ。登山者小屋の背後に薬師岳の長大な稜線が延びている。その支尾根である東南稜はカッパの住む異界、カベッケ沢の方向にその尾っぽをだらんと伸ばし、その先端は黒部川に消えている。愛知大学の遭難は、この東南稜に迷い込んだ結果である。ここからが折立に向けてほとんど下る一方である。騒然とする小屋前のベンチで、大休止を兼ねた食事である。冷たくなった朝の弁当の残り半分と、コッヘルで沸かしたお湯を即席トムヤンクン・スープに注いで昼食とした。隣りに登山者がやってきて、「相席」を所望された。この混雑ぶりがわかっていただけただろう。2人の相席登山者は、小屋で買ったカレーライスとラーメンを私の眼前に置いて腰かけた。カレーのスパイシーな香りとラーメンの醤油のにおいがからまって、私の鼻腔を刺激する。下界の味がなつかしかった。「下山したら何食べようか・・・?」おやおや、生ビール片手にうろちょろする登山者もいる。さながら、山中の皆様食堂といった趣である。いよいよ山旅のしめくくりだ。来し方、高天原や雲の平を慈しみ懐かしんで下山の人となる。小屋から向かう方角を見ると大きな人造ダムが横たわっている。有峰湖である。木道のゆるやかな下りはしだいに傾斜を増して高度を下げるが、尾根が長大なため、見た目にはゆるやかでだまされてしまう。下界から上がってくる登山者がおびただしく、すれ違うたびに「こんにちは!」とやられるので参ってしまう。向こうはこちら1人に声をかけるだけで済むが、こちらは大勢が相手である。山の挨拶のありかたは、一考せねばならぬ問題であろう。そうはいっても、あどけない純真な子供の挨拶には、それ相応の対応をせねば気がとがめる。ありがたいことに急な下りにさしかかった。すると登山者は一様に息を切らし、うなだれた格好で登ってくるため、挨拶の手間が省ける。右手に薬師岳のスカイラインを見ながら、惰性にまかせてどんどん下る。バスの時刻を気にしながら疲れた足を何度か休ませた。高度がさがり、気温があがってきた。樹林帯に入って汗ばむようになった。それでも調子よく歩いて折立に14時すぎには到着した。すでにバスがとまっていた。下界の鉄のカタマリを久し振りに目にしたときの気持ちは、バンビでひさびさにアラキンにおりたときの感慨に例えられようか!?ともかく、無事、下界の人となった。ふりかえると、アルプスの山々が手を振ってにっこり笑って見送ってくれた・・・と結びたいところだが、残念ながら樹林に隠れて何も見えなかった。黒部の山は、やはり、最奥の秘境だったのである。
黒部最奥探険記:源流を求めて(エピローグ)
折立からのバスにゆられながら、今回の山旅をふりかえってみた。山から降りて、最初の交通機関に身を任せると、いつもほっとするのが正直なところである。たとえ乱雑な下界であっても。そういう意味で、人間は社会的存在である。と同時に、もう少し自然界に身をとどめたかった、という名残惜しさもある。つまり、原始的存在への回帰願望がある。下界にたえず縛りつけられた状態は耐えがたい。かといって、山を永遠の住処とする勇気もない。下界と山を一定の周期で往復することが、もっとも自然な生き方ではないか。私はいつも、自らの居場所から脱したいという遠心力で満ちあふれている。抜け出ようという力こそが最大の行動エネルギーではないか。最近ますますそう考えるようになった。それにしても、今回は充実の山旅であった。しかし、それはあっというまであった。本来、3泊4日の行程を天候判断によって、わずか2泊で抜けてしまったというところにもその原因はあろう。しかし、それだけではない。客観的時間と主観的時間ということがよく比較される。たとえば、同じ60分でも、長いと感じる場合もあるし、その逆にあっというまの時もある。その時間をdぽう過ごしたかという充実度に加えて、そこには個人差もある。私の考えるところでは、山の時間は下界の時間よりも短い。短く感じる。それだけ凝縮している、ということになる。たとえば、夏山の美しさはその充実性にある。ほんのわずかな時期にいっせいに咲く草花たち。その限られた時間こそ、山の時間である。今回の山旅は充実していた。しかし、あまりにあっというまの印象がある。そういう点では少し寂しい。よく思い出に残る旅は、条件の悪い旅であるといわれる。実際、それはそう思う。長雨にたたられた山旅のみじめさは本当によく記憶に残り、またほろ苦くも懐かしい。そういう旅には、一種の無駄がある。動くに動けぬ時間、食糧、金銭の浪費(といって言い過ぎならば空費!)。長雨で停滞したテントの1日の長さよ。昨年は雨の中をただもくもくと高天原を目指し、天候に勝てず、最後は引き返した。今年は、あっけないほどの順調さで同じ場所を駆け抜けてしまった。勝利の、栄光の、嬉しさの極みに、悲しさがあった。そんなことをぼんやり考えていたら、ダムの湖岸沿いの断崖をさきほどまで縫うようにジグザグを繰り返していたバスは、いつのまにか小さな集落に入り、やがて地鉄(富山地方鉄道)の有峰口駅に着いた。すぐ連絡する立山からの電車に乗った。黄金色に色づいた水田地帯を抜けて、電車は富山に滑り込んだ。駅前のうらぶれた居酒屋で、今回の山旅の無事を祝って乾杯した。ひとり酒が身にしみた。(終)