2001/08/29 会社の送別会
2001/08/31 オールナイト
2001/09/04-07 実家へ帰る
2001/09/12 二度目の再会
2001/09/15 サバティーニ
2001/09/16 バーベキュー
2001/09/20-21 引越し
2001/09/30 実家出発・車引渡し
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会社生活もあと2日。 今日は、事務所の皆さんに送別会をしていただきました。 |
店を出たらみんながたむろってる。
も、もしかして・・・
「いちおう女の子だからどうしようかと思ったけど、やっぱりこれをやっとかないと」
という言い訳(?)をされながらひっぱりだされて、
恒例の胴上げをされました。生まれて初めて!
もしものために、ズボンをはいて行っててよかったー。
それにしても、意外なほど高く上がって、
意外なほど 気持ち良かった。
東京事務所の女子社員の皆さん、
自分の送別会の時は、必ずズボンをはいていって、胴上げをされるべし。
会社最後の日は金曜日だった。オジさまたち(若い人達もいたけど)とかるーく飲んでから、渋谷へ繰り出した。
時間はすでに終電間際。事務所の女子社員4人で、オールナイトだ!!と意気込んで。
まずは、私のリクエストでドンキホーテへ。
ここは商品が多くて、安売りで有名なチェーン店なんだけど、今までいったことがなかったので東京最後の思い出に、と思いまして。
あれ、東京以外にもあるのかな?ま、いいや。
中に入ってみると、とにかく物が多くて雑然としていて何がどこにあるのやら。
在庫管理はどうするんだろうねえ、棚卸なんてできないんじゃない、とついつい仕事にからめてしまったりして仕事熱心な4人なのでした。
次にブラックライト(だっけ?)で幻想的な雰囲気のするボーリング場へ。
結局1時間ぐらい待たされて、夜中過ぎてるのになんでこんなに混んでいるんだ〜。
眠らない町は新宿だけじゃなかったのね。
2ゲーム終わってから、喫茶店に入り座るとまぶたがくっつきそうになった。
そうだ、私って睡眠不足には弱いんだった、と気づく。
つきあってくれたみんなはとっても元気そうなのに、私だけが電池切れとは情けない。
それにしても平和な日本だから真夜中にうろついても大丈夫なんだよね〜、
海外じゃこうはいかないね、なんて思っていたら、朝のニュースで新宿のビル火災を伝えていた。
別の意味だけど、日本も危険はありますね。
辞めたら、昼寝したり、本読んだりとのんびりしたりしようと思っていたのに、なんだか知らないけど忙しい。
こんなはずじゃなかったのに。
さて、私達は社宅に住んでいて退職してからすぐに(きびし〜)出なければいけません。
引越しは9/21に決定し、 荷物は私の実家(静岡県函南町)に置かせてもらうことにしました。
今回の帰省は、夫が帰ってこなくて「実家に帰らせてもらいます!」というのじゃなくて、
(でも、実際ちっとも帰ってこない。送別会で忙しいんだって言ってるけど・・・)
実家に私達の荷物を置くスペースを確保しに行ったのであります。
ホームヘルパー講習会の助手!?
さあ、片付けるぞと意気込んでいったら、いきなり翌日のホームヘルパー講習会の助手を頼まれた。
私の両親はNPOの介護に関わる活動をしていて、そこの主催する講習会なのである。
(一応、介護福祉士の資格を持っていたし、自分のためにもなるぞ、と父にいわれて。)
通信教育で勉強したので実務はほとんどやったことなくて不安だったのだが。
講習生は19歳の茶髪くんから70歳ぐらいのおばあさんまで、ほんとにいろいろ。
43人のうち男性も10人近くいて、男性も積極的に関わるようになってきたんだなあと感心した。
途中、病人が出てアクシデントがあったりして一日が終わり、慣れないことをしたのでぐったり疲れました。はい。
でも講師の先生は、特別養護老人ホームで働いている方と、現役ホームヘルパーをしている方で、
その方たちと会えたのは一つの収穫でした。
てきぱきとしていて、ユーモアがある、というのがこういう介護の仕事をしている方々に共通の性格のような気がします。
もちろん、そうじゃない方もたくさんいますけど、続けられるのはそういう人たちなのかなあ、と。
家で5S!
さて、3日目にして本来の目的である作業にやっと入れました。
実家には地下室がありまして、そこには古い本やら、訳のわからないがらくたやらが詰まっています。
今回はこれを整理して、捨てて、私達の荷物を入れるスペースを無理やり作ってしまおうというのです。
私達の荷物は、引越の業者に見積もってもらったところ、
2トンロング車ということでそんなに多い方ではないのですが、
やはりそれなりのスペースが必要になります。
ダンボール山積みの前でしばらく途方にくれていましたが、気合を入れて作業開始です。
親の荷物ばかりかと思っていたら、私の荷物(アルバムとか剣道の防具)も発見。
それから、学校で使ったノート類や、小さな頃から書き溜めた絵など、懐かしいものも出てきます。
こんなところで感傷にひたっている場合ではない、気を取りなおしてどんどん廃棄していきます。
結果
不要品 ダンボール10箱を廃棄!!
不急品は箱に詰めなおして整理した。
地下室の2分の1のスペース確保!!
目標達成 100%!!
ちょっと5S風にしてみました(内輪ネタですみません)。
工作の作品は一度廃棄に回したのですが、母が「これは我が家の宝物だったのよね・・・」なんて言い出したので、
かさ張るものはデジカメで撮って廃棄し、絵などはダンボールに詰められて地下室に戻ったのでした。
二度目の再会
朝、家事をしていたら電話がかかってきた。
まこさんだった。
彼女とは、去年の12月あるコンサートで隣の席になり、 少し会話を交わし、
メールアドレスを交換し その縁で時々メールのやり取りをしていた。
心理学関係のお仕事をされているので、 いろいろな本を紹介してもらったりして
私自身そのおかげで新しい世界が開けた恩人なのです。
だからまだ一度しか会ったことがないのにもかかわらず、
出発前に是非会っておきたかった。 お互いに会わなくちゃいけない、と思っていたようである。
昨日のテロは怖かったですねーなどという話から入って、 話は尽きなかった。
お互いに人生のステージにおいて「決心して実行する」という時期にいた。
彼女は子供もいるし親の介護もあるにもかかわらず大学院に行く、 私は旅に出る。
決心する前はいろいろな障害があって実現しそうにないと思うんだけど、
ある時ふっと決心してしまうと、障害はどこかにいってしまうのである。
もちろんそういうもろもろのことは無くなることはないのだけれど、 なんとかなるぞ、という気になるのである。
そう、どうして旅に出るのと聞かれたって、 登山家にどうして山に登るのかと聞くのと同じで明確には答えられない。
だけど、私たち夫婦に関して言えば、
二人の人間がそれぞれの事情での障害がありながらも
それぞれに決心したということは何か意味があるのではないかと思う。
どちらか一方が仕事がおもしろくてやめたくない、とか 子供が欲しいからやめとこう、
とか少しでも納得できなかったら実現しなかったのだから。
まこさんとお話しして励まされたし、気持ちがすっきりした。
本当にありがとうございました。
帰ってきたら3度目の再開をしましょうね。
蝶の舌
夕方会社に制服を返しに行き、 そのまま後輩の女の子たちと映画を見に行った。
タイトルは「蝶の舌」。
時期は第二次世界大戦直前のスペインで田舎の少年の目を通して さまざまなできごとが起こっていく。
ほのぼのしていたのにラスト近くに突然雰囲気がおかしくなって、 ラストは・・・・。
人間というものは、命がかかって究極の選択をしなければいけなくなったら 何をするかわからない。
しょうがないと納得するのか(したくないけど)。考えさせられました。
そういえば、まこさんに本を紹介してもらっていたのでした。
「夜と霧」フランクル著
アウシュビッツ収容所の話らしいのだが、 これも人間は究極状態の時どうするかという、
偶然にも映画のテーマとも少し重なる。
読んでみなくちゃ。
2001/09/13
ハーモニカをもらったよ。
こんなに小さいの。
でも音はすごくいい。
だんなの先輩にご馳走になった。
場所は銀座のサバティーニ。 高級イタリア料理店である。
料理はもちろんおいしかった!! しかし値段もすごかった!!
その詳細はたるの日記を参照してもらうとして、
私はその先輩には、私たちの結婚式以来初めてお会いしたのだが、
現在アメリカ駐在をされている。しかもNY!
いろんな話題になったがその中で印象的だったのは仕事について。
アメリカは転職することによってステップアップしていく社会である。
これは良く知られている事実。
私達は会社に10年勤めたわけだが、アメリカで10年同じ会社にいたとなると、
履歴としてはイメージがよくないんだそうである。
なぜかというと、その人は仕事に対する野心が無くて、
ステップアップすることなくその会社に留まり続けた、とみなされるからである。
日本で短い期間しか勤めなかったら協調性のないやつ、と思われるのがおちですよね。
まあ、社会的背景は随分違うのでどちらがいいかわかりませんけど。
その分アメリカは競争が激しいのでガッツが無いと厳しいみたいです。
それから、ここからが重要なんですが、 仕事以外のこと、
例えば留学とかボランティアとか旅行とかも評価の対象になるらしい。
ということは私達みたいに、世界旅行をするということも評価の対象になるってこと?
いや、それはいいすぎか?
でも、そうやっていろんな道草を食ったことが評価されるとしたらうれしいじゃないですか。
少なくとも日本にいたらできないことをするわけだから。
日本でもそういう評価をしてくれるようになったらいいなあと思う。
やっぱり、自分に都合の良いように考えすぎかな??
第?回目送別会は公園でバーベキュー。
着火剤がなく、隣の人に火のついた炭をもらいに行く人(さすが営業!)
子供と遊ぶ人(面倒見がいいね!)、
あいかわらず酔っ払っている人(どこでも一緒だね!)、
いつもと違う顔、どこでもマイペースな人とさまざまで面白い。
人には恵まれたなあ、と思う。
うちは荷物が少ないからなんとかなると甘く考えていた。
実際引越し屋さんに見積もりしてもらっても少なめですね、と言われたし。
でも、引越しはそんなに甘いものじゃなかった。
何が大変て、掃除が大変だったのだ。
うちは社宅である。
管理人さんと引越しの手続きをしているときに言われた。
台所の床の白いビニールタイル(というのか?)を真っ白になるまで磨いてください、
風呂のアルミのサンを磨いてください、網戸を洗ってください、
障子を張り替えてください、 ベランダをきれいに洗ってください、、、などなど。
家賃は安かったけど、その代償がこれか。。。という感じである。
でもその時はそんなに大変だとは思っていなかった。
とにかくものを片付けないと床などどうにもならないので、
昼間はひたすら荷物の箱詰め。(大西さんありがとう!!)
夜は友達を拉致して(?)掃除、掃除、掃除・・・。(かよちゃんありがとう!)
一番大変だったのは台所のコンロの周りと台所の床であった。
後で楽なようにと透明フィルムを貼っていたら、 (3層ぐらいになっていて汚れたらはがしていけるやつ)
それがびたっとくっついていてはがれない!
汗水たらしてはがしてから、こびりついた粘着テープの後を金タワシで ひたすらこすり取る。
これだけで2時間以上かかってしまった。
みなさん、後で楽なようにといろいろ貼っておくのはいいですが、 気をつけてくださいね。
ぜんぜん楽じゃない場合もありますので。
かよちゃんには、デッキブラシ+マジックリンで夜中の2時まで床磨きをしてもらった。
ほんとにお疲れ様でした。 一人じゃ泣きそうになってたと思う。 だんなも帰ってこないし。
翌日の引越しは、5人来てあっという間、
多分20分もかからなかったんじゃないかと思うんだけど運び出してしまった。
その後窓を磨いたり、ベランダを洗ったりして昼近くまで掃除をして、
やっと函南の私の実家に向かったのでした。
今回は荷解きはしなくてすんだので良かったけど、 ほんとに引越しって大変です。
私がその疲れで風邪を引いてしまうぐらいなんですから。
今日で私の両親とはしばらくお別れとなる。
父からは「いろいろな国に行くだろうが、
それぞれの国の波動を感じてきなさい。
そしてその中から導き出される何かをみつけられるか、
見つけられないかはわからないが、 感じてきなさい」との言葉をもらった。
これから未知の国、人、自然に出会う中で何か見つかるだろうか。
不安もたくさんあるが、反面とてもわくわくしている。
母からは「宇宙、地球、自然、人間、生き物 〜 考えてきてください」というメッセージをもらった。
母には反対もされたけど、最後は背中を押してくれるメッセージをありがとう、という気持ちです。
そして、安全面、健康面でとても心配されているのも痛いほど感じた。
気をつけていってきます、それしか言えません。
車の引渡し
朝8時に家を出て、4年間乗った愛車をたるの元同僚に渡しに行った。
その方は中国の人で、手料理のお昼をご馳走になった。(男性です)
メニューは水餃子と春雨のサラダ、などなど盛りだくさん。
水餃子はもちろん皮から手作り。わたし達も包むのを手伝った。
たるは「日本には男子厨房にはいらずということわざがあって、僕もそうやって育てられたので、
僕は台所仕事はしないんですよ」というアホなことを言っていた。
あんたは100年前の人間か!!!
いやーでもうらやましいほどまめな方でした。
料理はできるし、普段は奥さんが料理をしていて後片付けはいつもだんなさんの役割なんだそうである。
自分のことは自分でできるようにしないと、とおっしゃっていた。うん、そうです。
それにすごく細かいところまで気を使ってもてなしてくださいました。
ありがとうございました。
同じように働いていたら、それなりに家事を分担するべきだと思うんだけど、うちの場合はちーっともやりません。
人選を間違えたか。わたしが甘いのか。
今おじゃましている友人宅も、夫婦二人で楽しそうに料理をしている姿を見るにつけてため息が出てしまう。
ああ、ぐちになってしまいました。
こうして満腹のお腹と、車との別れという一抹の寂しさを抱えて帰ったのでした。
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