私たちはアイドル?バングラ
買い物は楽しい
マサルのビジネス
映画出演!
カリー三昧
スリランカという国
北インドに帰ってきた
フンザで命の洗濯
私たちはアイドル?バングラ
前回のミャンマーについてのコラムを書いていたのは、実はバングラ滞在2日目だった。ミャンマー、よかったなあ、という思いはあったのだが、筆、いやキーボードが進まない。なぜかというとバングラデシュの印象が強烈過ぎてミャンマーが霞んでしまったのである。たった2日対2週間なのに。ほんとにほんとに、強烈な国です、ここは。ミャンマーまでが、穏やかな東南アジア、私たちと同じ文化圏の国だったのだが、ここからは違う。まず顔が違う。インド系の鼻の高い、色黒の人達。私は東南アジア系の顔立ちらしく、ミャンマーまでは、現地人と間違われたりして、溶け込むのは難しくなかった。けれどもここからは、私たちはどこから見ても外国人。そしてどこにでもいた中国人さえもここでは見かけない。
バングラにいったことのある女の子が「人の目がつらかったので3日で出た。とにかくすごいんです」と言っていた。一体どうすごいのか、私は見てみたくてわくわくしていた。そして、女の子の一人旅はここでは辛いかもしれない、と納得した。例えばこんな感じなのである。
私たちが歩いていると、「ハロー」とあちこちで声がかかる。(人懐っこい人たちだなあ。)
時々、立ち止まってこっちをじーと見つめる人もいる。(外国人が珍しい国だからね。)
歩いていると、しょっちゅう握手を求められる。(いやー、フレンドリーだなあ。)
立ち止まると、5,6人はすぐに集まってきて2mぐらい離れたところでじーっと見ている。(なにがおもしろいんだろ?)
立ち止まってガイドブックを見ていると、3、4人が一緒にガイドブックを覗き込む。(好奇心のある人たちだなあ。)
ときどき日本語使いがいて(日本に出稼ぎに行った人が多いので)「ニホンジンデスカ?」と話し掛けてくる。それも何年もいたらしく日本語ぺらぺらだったりする(こんなところで日本とつながりがあるのね。)
彼と話していると、なんだなんだと人が集まってきて私の周りは4重の人垣が出来てしまった。そしてみんな腕を組んでじーっと見つめている。(どっひゃー、なんだこれは!)
バングラに行くと芸能人の気持ちがわかると聞いていたが、何となく分かった。どこに行っても、遠巻きにしてじとーっと見つめられると。でもみんな悪意がないみたいなので、それ程不快感はない。インド人のようにぼろうとしたり、騙そうとする人も今のところほとんどお目にかかっていない。多だ単に外国人が珍しいので、こうなってしまうらしい。あるバングラ人が言っていた。「こんなに人が集まってくるのも、みんな興味があるからなんだ」。彼はこうやって言い訳していたので、バングラ人もこういうことをするのは少々失礼なことだと自覚はしているが好奇心には勝てないらしい。
それから女の子にとっては、かなり不快なことがもう一つ。痴漢である。ここはイスラムの国。道行く人たちはほとんど男ばかり。東南アジアでみかけた女性パワーはここでは姿を消す。イスラム圏では痴漢が多いと聞いていたので警戒はしていたのだが、1日目にして何回も遭ってしまった。すごい人ごみの中を歩いていたとき、後ろからお尻をきゅっとつねられた。キッとして後ろを振り向くと、無邪気(そう)な笑顔が4つ。どいつか分からないし、怒る気も失せた。また、痴漢ではないが、握手をしたとき、相手の人差し指が私の手のひらをこちょこちょとくすぐったことがあった。ダンナはそんなことされなかったと言っていたので、これもセクハラなのか。
まったく油断大敵。でもまあ今のところ私はバングラ滞在を楽しんでいる。
![]() 日本語使いのおじさんと話しているとアッというまに囲まれてしまった! |
(2002/6/13)船の中で。
買い物は楽しい
長期旅行をしていると、買い物ができないのがつらい。ものが増えれば、それだけ荷物が重くなるだけ。自分にしっかりはね返ってくるので、アー欲しいなあと思っても荷物になるから我慢我慢と自分に言い聞かせてきた。南米では買い物といえば、全般的に物価が高かったこともあるが、石鹸、シャンプー、クッキー、そして自炊するときの食材ぐらいしか買い物する楽しみが無かった。あとは先々で会う友達にお土産を買ったり。
ところがアジアに来てから、各国の女性の服装がとてもかわいい。郷にいれば郷に従え、ということでついつい欲しくなってしまう。私の服は、半袖Tシャツ3枚、長袖1枚、長ズボン2枚、半ズボン1枚なのだが、この8ヶ月着続けたものばかり。いいかげんくたびれてきている。
さて、インドネシアは「サロン」という一枚布をスカートのように巻く。私は迷った挙句、サロンを一枚購入した。これはシーツにもなるので、今まで使っていたシーツは送り返して、巻きスカート兼シーツとなって活躍している。だから荷物が増えたことにはならない。
ミャンマーでは「ロンジー」という筒状になった巻きスカートを男女ともはいていた。これも欲しかったのだが、私にはサロンがある、と言い聞かせる。
そしてインドで「パンジャービ・ドレス」という大物を買ってしまった。これは長めの上着と、下がダボダボのズボン、そしてスカーフという3点セットでインド女性はサリーかこのパンジャービ・ドレスのどちらかを着ている。どの人もカラフルで、まるでステージ衣装のよう。そんな女性たちを見ていると欲しい熱が高まってくるのはしょうがない。せっかくインドで着るんだから派手目のにしようと思っていたのだが、だんなに「としがいもなく派手なのはやめたほうがいいんちゃう」と言われ、少々ムッとしたが、地味ながらも気に入ったデザインのものがあったのでそれにした。それにしても10ドルなんて高価なものを買ってしまったので、なぜか恩に着せられただんなのズボンを洗濯するはめになってしまった。
それでも買い物は楽しい!!
![]() パンジャービ・ドレスは涼しくて楽。 |
(2002/6/27)
カルカッタのサダルストリートのいつもの店でラッシーを飲んでいると、笛の音がして「コンニチハー、ニホンジン?」と声をかけられた。またか、とうんざりする。ここサダルストリートはバックパッカーが集まる安宿街なので、当然、日本人もたくさん来る。歩いていると、しょっちゅう怪しげな日本語で声をかけられる。だいたいこういう所で声をかけてくる人は「旅行者をくいものにしてる=良くない人」という図式が頭にあるので、無視したり、そっけなく追い払ったりしてしまう。この時も、そっけなく「そう」と答えた。「ボク、マサルね。フエ買わない?」と脇に抱えた笛のなかから一本とりだしてピロロローと吹いてくれる。マサルというのは本名ではなくて、インド名が似ている日本の名前を名乗っているらしい。竹でできた縦笛なのにまるでサックスのようないい音がする。私は民族音楽に詳しくないのでわからないのだが、インドで笛といえばヘビ使いが吹いているぐらいしか思い浮かばない。有名な民族楽器とも思えない。インドで笛なんて、誰が買うのだろう?
早くどこか行ってくれないかなあと思いながら「いらないよ」と言うと、彼はなかなか達者な日本語で語りだした。「マサルのフエ、イイモノなのに、最近売れないねー」「へえ、どうして?」「旅行者、スクナイネ。インドとパキスタンでモンダイアッタデショ」。そうなのだ、雨季という季節柄、そしてカシミール地方の問題が相まって、旅行者が極端に少ないらしい。どこの宿もガラガラなのだ。「ビジネス、スゴクムズカシイヨ」と悲しそうな顔をしてため息をついている。この辺りから、私達も追い払おうという気もなくなった。日本語上手だね、日本にいたことあるの?なんて話をしていると、「日本のホリデー、イツカラダッケ?」と聞く。「ああ、大学生の夏休みは7月からだよ、来月になったら日本人一杯来るよ、それまでがんばれ」と励ます。だけど、心の中では全然来ないだろうな、と思う。カシミール地方のことは日本でも大々的に報道されているようだし、そんな問題のある国に来ようという旅行者は少ないだろうから。たとえインド行きを計画していても、今回は別のところに振り替えようか、という人が大部分なのではないだろうか。
値段を聞いてみると、高いものでも100ルピーだという。でも言い値だから実際買うとなるともっと値切れるはず。100ルピーと言えば2ドル、日本円なら240円ぐらいで日本人からすれば安い買い物だ。インドの物価からすれば、カレー一食分が20〜30ルピーぐらいだから、4〜5食分ぐらい。でも笛は売れても一日に1本か2本がせいぜいだろう。いや、むしろ売れない日の方が多いかもしれない。笛の原料の竹はいいものを使っているらしいし、チューニングもしっかりしているらしい。確かに竹の笛であれ程いい音が出るとは驚きだ。「ビジネス、スゴクムズカシイヨ」という言葉が実感を伴なってくる。彼とは、「ごめんね、笛は今回は買えない。でもビジネスがんばってね」と言って別れた。マサルはちょっと寂しそうに笑って、どこかに去って行った。
「ハッパどう?」なんてささやいてくる、本当に怪しい日本語使いもいるが、マサルをはじめとして、チャイ屋のおじさん、サリー屋のおじさんなど、彼らは生活のために日本語を習い、私たちに話し掛けてきているんだなあ、と当たり前のことながら、改めて思った。日本語使い=悪い人という先入観も、偏見だったな、と反省。そして、マサルと話してから、道端にささやかな店を出してビジネスをしている人達に目がいくようになった。マンゴーを10個ぐらい並べて売っているおじいさん。他にもマンゴー売りはたくさんいるし、マンゴー1個の値段なんてタカがしれている。こういう人たちの生活というのは1ルピーでも貴重なんだろうな、と思う。道端で飲むチャイが2ルピー、これでも彼らにとっては贅沢なものなのかもしれないと思うと、1日に3杯も4杯も飲むのに少し後ろめたい気もする。私たちはものすごく経済的には豊かな国から来ているのだ。
でも、マサル、それだけ日本語しゃべれるんだったら、もう少し違うビジネスを考えた方がいいと思うよ。
(2002/6/29)
後日、インドを長期旅行した友人から、マサル君が笛しか売らないのは「カースト」のせいではないか、との指摘をいただきました。
「最近は随分変わったみたい だけど、太鼓しか売る(演奏する?)ことができないカーストとかいるようですよ」とのことです。いまさら確かめることはできませんが、もしかしたらそうかもしれませんね。それにしても「音楽」にしか関われないカーストなんて・・・。
バナーラスでガンガー沿いにぶらぶらと歩いているときだった。「映画にでてもらえませんか?」と勧誘された。とにかく暑くて日差しもジリジリ照りつける真昼間。だんなをみると、暑くてそんなのやってられない、という顔をしている。「1時間30分だけ、ギャラなし」ということだったのだが、いったいどういうことをさせられるのか聞いてみると、ただ音楽にあわせて手拍子を打つだけという。それならいいか、おもしろそう!と思い私だけ引き受けることにした。 他にも既に勧誘された日本人の男性が一人いたので安心だ。ガンガーの対岸に渡って(不浄の地で何にもないところ)、2シーンほど撮る。どうやら映画というよりも、歌のプロモーションビデオといった感じだ。小学校低学年ぐらいの男の子が5人旗を持ってガンガーの中を走ったり、黄色い腰巻を巻いたたくましい男性ダンサーがダンスを踊ったりといったシーンだ。ちゃんと演技指導者もいて、何度もリハーサルや撮りなおしなどをしている。
その間、私たちは暇なので、いろいろと旅の話などをしていた。守さんは、私と同い年。10年会社に勤めてから辞めて旅に出たという。「アジアに来て初めて同い年の人に会いました。南米では旅人の平均年齢が高くて同い年の人も多かったんですけどね」というと、守さんは「初めて同い年の人に会いました」と言っていた。アジアは物価も安いし、日本からも近いので若い人が多い。南米の平均年齢が30歳ぐらいで、アジアでは25歳ぐらいだろうか。聞いた話ではアフリカは27歳ぐらいらしい。彼は2ヶ月ぐらいインドを旅しているのだが、その間に今回を含めて3回映画出演したらしい。1度などは、あの有名な「踊るマハラジャ」の主役の男の人(名前忘れました)の主演する映画に出たらしい。今年はインド・日本友好50周年にあたり、この映画は日本でも公開されるらしい。ストーリーは主役の男性が日本人の幼い女の子を拾い育てるというもの。女の子が日本人家庭に遊びに行き、会食をしているシーンに出ているということ。
もう一つは日本人観光客の役で、浜辺でハッシッシを買って吸うという、あまり嬉しくない役。私たちもアメリカ映画などによく出てくる、バカな日本人の役をさせられるんじゃないかとちょっと心配になってくる。
1時間ほど待って、やっと私たちの番が廻ってきた。黄色いシャツと長いネックレスをかけ、額には赤い印を入れる。船に乗せられ、ヒンズーのお坊さんの格好をした体格のいいおじさんを真ん中にして、私、守さんは前列に、その他のダンサーたちも歌に合わせて踊る。踊るといっても手を上にあげて左右にリズムをとりながら揺れているだけ。そしてコーラスを「ヘイ、ラム」と入れる。色々聞いてみると「ラーマーヤナ物語」にちなんだ有名な歌らしい。「ラム」というのは物語の主役の「ラーマ」のことでインドの発音では「ラム」になるらしい。
このシーンに、いったい日本人が出る意味があるのだろうか?いや全然ない。むしろインド人が出たほうが自然だ。理解に苦しみながらも、とりあえず音楽に合わせて踊る、踊る。真ん中のおじさんはしろうとさんみたいなのだが、完璧主義者らしく、口パクになるところで口の動きを間違えたといってはやり直し、監督から表情が堅いと言われてはやり直し。後ろにいるダンサー達も疲れてきて、踊りは適当にやってるし、時々座って休んだりしている。灼熱の太陽のさらされながら、私はいったい何をしているんだろう?でもここはインドだ。しかもガンガーの流れの中でインド音楽に合わせて踊るなんてそうそうできることじゃない、半ばやけくそになって、とりあえず踊る、踊る。
1時間ほど撮ってやっと船は岸辺にとまった。「フィニッシュか?」と聞くと、「ノー」という。とりあえずお昼ご飯(もちろんカレーとチャパティ)を貰って、なんだか暑くて食欲ないですよねえ、と言いながら守さんとカレーを頬張る。ふと気が付くともう2時半だ。かれこれ3時間近く拘束されている。スタッフを見るとまだまだ撮影が始まる気配はない。そこで、「約束は1時間半のはずだ。友達と約束があるので抜けたい」というと、そうか、という感じで開放してくれた。スタッフにも名前を覚えてもらったので、ちょっと悪いかなとは思ったけど、この調子だと夕方までかかりそうだったので、抜けて正解だったと思う。多分というより絶対、この映像は日本では放映されないと思うので少し残念だが、なかなかおもしろい経験をさせてもらった。でも次回は勧誘されても、きっと断ると思う。
![]() これが衣装です。 |
![]() 男性ダンサー、演技指導中。 |
(2001/6/30)
バングラデシュ・インドのカリー文化圏に入って1ヶ月が過ぎた。
来る前は、「いくらカレーばかりといっても、世界中どこにでもある中華という逃げ道があるさ」と気軽に考えていた。
ところが、バングラデシュではツーリストがいないため、そういう逃げ道がほとんどなかった。一度だけ高そうな中華レストランに行ったが、思っていたものとは全く違う代物がでてきてがっかり。値段とつりあうようなものじゃなかったのでそれ以来、中華は諦めざるを得なかった。
そしてインド。ツーリストの格段に多いインドは、カリー以外のレストランもある程度はある。バナーラスでは豚しょうが焼き定食にありつけたし(他にもハンバーグとかあったのに、いつもできないと言われた)、プリーではオムライスやおじやがおいしかった。しかしこういう贅沢は、バックパッカーたるもの、毎日してはいけない!ということで、一日一食はカリーが盛り込まれることになる。
なにしろカリーは安いのだ。カリー定食を北インドでは「ターリー」、南インドでは「ミール」というのだが、何種類かのカリーとカリー風味の野菜、ライスがついて12〜20ルピー(30〜50円)しかも、おかわり自由。だけど、すべてのおかずがとってもとってもスパイシー。もうすこし、日本の煮物みたいなマイルドなものがないかなあ、などと考えてしまう。インド人て3食、こんなにスパイシーなもの食べてるなんて信じられない!と内心感心するやら、呆れるやら。なにしろカリーを食べるのにはパワーがいる。かなりお腹が空いていて、お腹の調子もよい時じゃないと、カリーパワーに負けそうになる。私も実際、ずっと押され気味だった。つまり、あんまりお腹の調子がよくなかったのだ。
しかし、1ヶ月が過ぎようとするころ、私の味覚に異変が生じた。カリーが食べたい、スパイシーなものを最低一日一回は食べないと気が済まないようになってきたのだ。自分でも信じられないのだが、今日などは「うまい!」とおかわりまでしてしまった。
ちなみにここ3日間の食事はこんな感じ。
3日前=(朝)チャイ・サモサ(ポテトカリー入り揚げ物)、(昼)チャイ・サモサ(バス移動中のため)、(夜)ミール
2日前=(朝)紅茶・バナナ、(昼)ミール、(夜)ミール
1日前=(朝)紅茶・バナナ、(昼)ミール、(夜)ミール
うーん、カリーとバナナしか食べてない。しかし、カリーはオクラやジャガイモ、キャベツなど野菜たっぷりのベジタブル・カレー。バナナは栄養のバランスのとれた食品のはず。しかも採れたてだし。
そういえば、もう2つほど私たちの食生活に異変が生じた。まず、お酒をほとんど飲まなくなったこと。夕食は必ずビールという習慣を頑なに守り続けていたのだが、バングラデシュからこっち、ビールを置いていない店が圧倒的多数なのだ。そして食後はお腹一杯なので、わざわざバーに行ってビールという気分ではない。そういうことで自然に飲まなくなってしまった。
そしてもう一つはベジタリアンになったこと。主義としてそうなったわけではなく、インドにいると自然とベジタリアンになってしまうのだ。レストランも半分以上はベジタリアンの店なのではないだろうか。店の看板に「ベジタリアン」または「ノン・ベジ」と書いてあるのですぐわかる。これは肉が高いからという理由だけではなく、宗教上食べない人も多いのだそうだ。肉や魚ばかり食べていた日本や南米の日々が嘘のよう。人間、肉や魚を食べなくても生きていけるのだ。でも日本に帰ったらやっぱり食べたくなるのだろうけど。
と言っている間にスリランカに来た。ここももちろんカリー文化圏、しかも激辛。ヒーヒー言いながら食べるとくちびるが真っ赤にはれてしまう。胃がいつまでも熱い。これにはさすがに二人ともまいってしまって、1日一回が限度のようだ。
ちなみに今一番食べたいもの
(たる)北習志野・大勝軒のラーメン
(あい)北習志野・大勝軒のもりそば。冷たい牛乳をがぶ飲みしたい。
(2002/7/17)
ハードなインドの合間にちょっと休憩みたいな気持ちでスリランカにやってきた。期間は2週間半。国土は北海道を一回り小さくしたぐらいなので、ひととおり見るには十分な期間だ。
まずは、首都コロンボに宿をとり、町を散策することにした。第一印象は「きれい」。オレンジ色のチョッキを着た掃除の人があちらこちらにいて箒で掃いている。なにしろ、いたるところゴミだらけ、糞尿の臭いだらけのインドから来たのだ。インド人と同じ顔をしているのに、スリランカ人は清潔好きだなあと関心した。
そして、服装の違い。インドでは女性はサリーまたはパンジャービドレスばかり、スカートをはいている人は子供か大人では5%未満という感じだったのに、ここではくるぶしまでのロングスカートなのだが、ほとんどがスカート、中にはGパンという人までいる。意外と進んだ国なのかも(進んだという言い方はおかしいかもしれないけど)と思った。
私たちが道を歩いていると「ハロー」と声をかけてくる人も多いが、ニコッと笑顔をかわすぐらいでしつこく付き纏って来る人がいないのも、あっさりしていて、インドじゃないんだ、と思わせるに十分だった。顔はインド系だけど、雰囲気は東南アジアに戻ってきたような感じ。なんだかミャンマーみたいだね、などとダンナと会話を交わす。スリランカは仏教徒が多い国。私は信仰心薄い日本人だけど、同じ仏教国と思うとなんとなく安心感がある。スリランカ人も日本が仏教国と知っていて「仏教徒か?」と聞いてくる。日本に居ると宗教について考えもしないのに、こういう時はちゃっかりと「Yes」なんて言ってしまう。なんともご都合主義の仏教徒なのだ。
散歩をしていると まったく人通りのないオフィス街に出た。日曜日だったから人気が無かったのだが、その奥が大統領官邸になっているらしく、目に付くのはライフルを構え、迷彩服を着た兵士と土嚢を積んだバリケード。バリケードの中から、銃口がこちらを向いている。そうだ、ここは内戦をしていた国なんだ、といやでも思い出させてくれる。シンハラ人が7割(仏教徒)、タミール人が2割(ヒンドゥー教徒)を占め両者の間で内戦が長い間続いているのだ。それが、ついこの前の年末に停戦協定が締結され、いまのところゲリラの活動は沈静化しているらしい。
さて、こういうことを書くとスリランカってすごく物騒な国じゃないかと思われるかもしれないが、観光地となっているところは戦争なんてどこでやっているの、というぐらいのどかなところだ。戦闘がこういうところでは行われていないから人々は普通に暮らしている。内戦の悲惨さを感じたのは、中米のニカラグアだった。内戦が終わって10年以上もたっているのに首都マナグアはその傷跡もまだなまなましく残っていて、何よりも人々が精神的に荒んでいる印象を受けていたのだが、スリランカはそういうものが感じられない。緑豊かな、人々も穏やかなのんびりとした雰囲気がある。ただ、非常に由緒があり仏教徒の心のよりどころとなっている「菩提樹」と「仏歯寺」は過去にもテロの対象となったこともあって警戒が厳重だった。私たちも入る前にボディーチェックとカバンの中身チェックをされた。 それ以外の場所は、スリランカ人、外国人観光客が共に多く、平和な光景だった。また、欧米人の団体ツアーをたくさん見かけた。治安問題に人一倍敏感な欧米人がこれだけ来ているのだから、安全なのかなあとも思う。
いろんなスリランカ人と話していて、「戦争は終わったと思う?」と聞くと「わからない」「終わったとは思えない」という返事が返ってくる。どうやら、あくまでもこれは「停戦」であって「終戦」ではないという認識のようだ。兵士の姿からもそれがわかる。 スリランカ人に対しては穏やかな印象をもっていただけに、なぜ内戦にまで発展しなければいけないのか不思議に思う。しかもこんなに狭い国土の中で。この戦争のために軍事費が約6割を占め、多大な犠牲を払っているのだ。 このまま「停戦」が「終戦」になって欲しいものだ。
(2002/7/29)
まったく、今日は北インドに帰ってきたと実感してしまった。
夕食にあまりおいしくない割に高いターリー(カレー定食) を食べて、南インドのミールが懐かしいね、やっぱり北インドは食事がイマイチだなあなんていいながら、食後のチャイをひっかけようと道をぶらぶら歩いていた。
ふと、10歳ぐらいの男の子が火の番をしているチャイ屋を見つけたのでそこで飲むことにした。いくら安いチャイでもまずは値段を確かめる。ちょっと恥しいけどこれが重要。ここはインドだ、飲んでしまってから吹っかけられても文句は言えないのだ。だいたいこのあたりでは1杯2ルピー(5.6円)が相場らしいのだが、いくら?と聞くと男の子は英語が分からないらしく、大人を呼んできて「2ルピーだよ」と言ってもらう。「じゃあ、2杯ね」と注文して椅子に腰掛ける。
この町はアウランガバードといって、インドの一級観光地「エローラ」と「アジャンタ」の観光の起点となるところである。だから世界各国の観光客がわんさか押し寄せていて、外国人もそんなにめずらしくないだろうと思っていたのに、店の大人たちがなんだか物珍しげに寄ってきて、国はどこか?とか名前は?とか聞いてくる。チャイも運ばれてきて、外国人だから特別なのか、ソーサーまでついてきたのには笑ってしまった。そのうち、店のおじさんが「クッキーはいらないか?」と言ってきたので、「夕食を済ませたばかりだからいらないよ」と断った。にもかかわらず、お皿に4枚ほどクッキーを入れてきて「うまいから食べろ」という。何度もいらないと断ったのに、目の前で2つに割ってみせて半分づつ食べろというので、そこまでされたら、と半分ずつ頂くことにした。多少強引だなあとは思ったのだが、相手もニコニコしていて外国人が珍しいからサービスしちゃう、というような雰囲気をかもし出していたので、もしかしてサービスしてくれたのかなあ、とダンナにいうと「もしそうだったら、びっくりするわ」と今までの経験に基づいた現実的なご意見。でも、私はひょっとしたらひょっとして・・・と甘い期待を抱いていた。
さて、おいしいチャイも飲み終わったし、2ルピー×2杯=4ルピー、クッキーが1ルピーぐらいだろうから、5ルピー渡した。この時もまだクッキーはサービスだから1ルピー返してくれるかも、なんて甘い考えでいた。ところが・・・「10.5ルピー」とおっちゃんは言った。なぬ?なんでそんな金額になるんだ?彼が言うにはチャイは1杯4ルピーだという。この、ちっちゃいちっちゃいエスプレッソカップサイズのハーフが2ルピー、フルまで入れたら4ルピーだという。そしてクッキーは1枚1.5ルピーだ。今まで、このカップに半分なんて少量のチャイに出会ったことないし、それは明らかにウソだ。なぜそんな苦しい言い訳してまでぼるんだ、と怒りがふつふつと湧いてくる。「一杯2ルピーとさっき聞いた。だから4ルピーとクッキー1枚で5.5ルピーだ」と二人で何度も言う。相手もおっちゃん、にいちゃん、そして英語の分からないはずの子供まででてきて1杯4ルピーだと言いつのる。「うそをついている」とこっちが言うと「うそじゃない」と平然と言い切る。しばらく言い合いを続けていたのだが、最初に2ルピーと聞いていたのが幸いして、それを押し通して結局5.5ルピーをおっちゃんの手に押し込んでその店を去った。なんだか無性に腹がたった。甘いことを考えていただけに、裏切られたショックが怒りに変わったようだ。
私がプンプンしているとダンナは「インドやからしょうがないわ」と悟りきったようなことを言う。しかし、私は知っている。彼は一昨日、トイレで0.5ルピー高めにおばちゃんが請求してきたので、けっこうもよおしていたにもかかわらず、「けっ」と捨て台詞をはいてトイレに入らなかった。
しかし、冷静に考えてみると5円や10円で言い合いになるなんて大人気ない、とは思う。でも、ここはインドなのだ。しかもずるいことを言ってたったの5円をぼってこようとするインド人に甘い顔をしてはいけないのだ。私たちは、豊かな国から来ているからちょっとぐらい高めに払うことになってもしょうがないこともある。実際、リキシャやタクシーには頑張って値切ってもやっぱり地元の人よりは余分に払っているんだろうなあ、と思っている。でも、これはそういうことではなくて最低限のルールは守りましょう、ということなのだ。最初に値段を交渉したら、払うときになってぐずぐず言わないで欲しいということなのだ。南インドは人がいい、北インドは人が悪いなんて、北インドは不名誉なイメージが固定しているけど、まったくこういうことしてる一部の人がいるから、やっぱりね、と思ってしまうのだ。
それにしても今までチャイを何十杯と飲んできたが、ぼられたのは初めてだ。こんな大人に囲まれたあの少年の行く末が心配だ。やっぱりずるいインド人になってしまうのだろうか。
(2002/8/5)
北パキスタンは、素晴らしいところだった。
フンザの谷と呼ばれる氷河から流れ出る冷たい水を集めた川沿いの渓谷は、旅人達の中でも評判のいいところである。
「風の谷のナウシカ」の舞台のモデルになったところという噂もあり、日本人の間では「風の谷」なんて呼ばれることもある。でも風は強くはない。パキスタンは北と南では民族がまったく違う。南はインド人と同じ顔なのに対して、北は白人のような栗色の髪、白い肌、緑・青・とび色の目の人たちなのだ。北の玄関口ともいうべきギルギットに着いてそんな人々ばかりなのに驚いた。パキスタンは多民族国家とは聞いていたが、やっと実感できた。
さて、ギルギットには日本人女性ケイコさんの経営する宿「ニュー・ツーリスト・コテージ」がある。まずはここで情報集め(?)のため「風の谷のナウシカ 」全7巻を読む。何回読んでも感動してしまう名作だ。たくさんの日本語の本たちに後ろ髪を引かれながらフンザに出発した。
フンザは「7 sisiters」という7つの山(ラカポシ、ディラン、レディーフィンガー、ウルタルT、U、フンザピーク、後一つわからない)に囲まれ、渓谷を見下ろす小高い丘の中腹にある小さな村だった。標高は2500mなので夏でも涼しい。宿のテラスは見晴らしがいいのでここに座ってお茶を飲んだり、ご飯を食べたりするだけで幸せな気分になる。夜もテラスで食事をする。ランプの明かりだけでは何を食べているのかまったく分からないのだが、おいしいご飯に感激しながら(オーナーのコショーサンは元コックさん)上を見ると満天の星。天の川もくっきり見える。あれがさそり座、山の端にあるのが南斗六星なんていいながら星を眺める。うーん、幸せ。村を歩くと、いい感じのおじいちゃんが散歩をしているのに出会う。ニコッと笑って挨拶をするのも楽しい。
私たちはここで2本トレッキングをした。ろくに運動もしていない体に、トレッキングは少々ハードだったが(標高も高かったし)行ってみると、お花畑を通ったり、放牧の牛やヤギに出会ったり、そして氷河、巨大な山(7000m級)。久し振りに自然に浸って謙虚になれた。ところが、私たちがひいひい言って登ったトレッキングルートは地元の人たちの生活道だった。焚木を取ったり、家畜を放牧したりするために毎日この道を通っているという。しかも私たちの半分から3分の1の時間で歩くらしい。こうやって大自然の中で暮らす人たちは精神的な成長が早いらしい。途中で会った青年はどうみても30歳以上なのに、19歳だという。すでに顔には深いしわが刻まれている。話しをしても(彼は英語が話せた)落ち着いたものいいは19歳とはとうてい思えない。そしてとても優しい。ここでは見返りを求めない親切にたくさん出会った。
この10ヶ月、いろいろな場所を旅してきて、いい場所もたくさんあったのだが、もう一度絶対に来たいと思えるところは少ない。フンザはそいういう場所の1つになった。
(2002/9/7)