美味すぎる!中国
キルギスの女性
中央アジアの国々
窮屈なイラン
イランにはまった?
美味すぎる!中国
だんなが中国出張から帰ってくるたび「メシがうまかったー」 と言っていたのだが、中国に行ったことの無い私は無関心に「ふーん、よかったね」と返事を返すだけだった。ところが、ある予感があった。それは、パキスタンのラワールピンディーでラグメン(皿うどんに肉野菜いためをからめる)を食べたときである。麺好きの私はあまりのうまさに驚いた。もしや、このクオリティがすべての料理に当てはまるのなら・・・・それはめくるめく食の楽園なのではないか?
予想は当った。何を食べても美味すぎる、毎食何を食べようかと楽しみでしょうがない毎日がやってきたのである。ラグメンは麺のうまさはどこも外れはなく、具はさらにパワーアップしている。「牛肉面」もいけた。あっさりしたスープに、これまた手打ちのそうめんとラーメンの中間ぐらいの麺。どちらも注文してから麺を作るので、出来たてのほやほやを食べられる。もうそれだけで幸せである。その他にも羊の炊き込みご飯なんかもワイルドな遊牧民風料理だけど、うまい。町を歩けば、ケバブの煙が誘い、ハミウリ(夕張メロンの味わい)にかぶりつき、お茶しているおじいさんたちにお茶をごちそうになる。夜は屋台をひやかす。鉄の胃袋が3つぐらいあったらいいのにと思う。
中国を旅してきた人によれば、ここ新疆自治区は中国の中でも食べ物がおいしい所の一つなのだそうだ。しかし、注意しなければいけないのは辛さ。辛い料理は味覚が分からなくなるぐらい辛いので胃をやられないように気をつけないといけない。
さて、私たちの中国の滞在はたったの1週間足らず。ビザが50ドルもしたのにもったいないが、しょうがない。しかし、この調子で食べ続けていたらぶくぶく太っていきそうなので、これぐらいの期間で丁度良かったかもしれない。それにしても、ラーメンが食べたいとか納豆が食べたいとか日本食への思いが募っていたのだが、中国にいる間はそんなことも忘れてしまいそうである。
![]() 鶏肉と卵のおでん風? |
![]() 屋台で麺を打つおじさん |
(2002/9/7)
キルギスの女性
キルギスタンにはあまり英語をしゃべれる人がいないのだが(首都ビシュケクを除く)、コチコールという町の観光局に勤める女性、アイーダさんは英語がとても達者だった。今年はアフガニスタンの影響で、(キルギスタンとアフガニスタンは距離的に近いので観光客が敬遠する、と彼女は言っていた)観光客が激減し、暇だからといって気軽にオフィスを閉め、町を案内してくれた。そんなことしてていいのかとも思ったが、隣のツアー会社のおばちゃんたちは、最近兄弟の誰かが亡くなったため毎日お昼にモスクにお祈りをするため2〜3時間もオフィスを閉めてしまうのだから30分や一時間ぐらいどうってことないのだろう。
町を案内してもらうと言っても、バザール近くのほんの一画で繁華街は終わってしまうほど小さいからすぐだ。歩きながら、ソ連から独立する前とした後とどう変わったか、などの質問をしてみた。(このあたりはたるの日記に書いてあります)独立したからといって、内情はなかなか大変なようだ。特に中高年の場合、人生設計が180度狂ってしまう。医療費も最近、有料になったという。ある女性が妊娠し、お金が無くて病院へ行けず、家で産んだために亡くなってしまった、という話もあるらしい。
アイーダさんは、ビシュケクの大学を卒業し、ビシュケクで働いていたのだが、お母さんが病気になったのでコチコールに戻ってきたらしい。家にはお父さんと男の兄弟しかおらず、「キルギスの男性はなんにもしないの。料理、洗濯、掃除、全部女性がするのよ。家にかえったら寝転がって、メシ!って言うだけ。家には必ず女性が必要なの」という訳で、戻ってこなければいけなくなったという。
コチコールとビシュケクは車でわずか3時間の距離なのだが、生活レベル、物資の豊富さ、雰囲気、人種構成などすべてがまるで同じ国ではないかのようにかけ離れている。彼女は本当は戻りたくなかったのだけれど、仕方なかったという様子だった。「日本の男性もなんにもしないの(うちのダンナのこと!)」というと、彼女は「そうなの、お互い大変ねえ」という感じで頷いていた。
こんな話をした後に町を見回すと、「伝統的な」キルギス帽を被ったおじさんたちをさっきまで「いい感じ」と思っていたのに、急に、この人たちも家に帰ったら偉そうにして奥さんたちを煩わせているのかと思うと冷めた気分になってしまった。まあ、そんな人ばかりではないのかもしれないけれど、「伝統的な」ものを色濃く残している場所では、新しい世代とはこういう摩擦が起こっているのだろう。
それでもアイーダさんは結婚への夢は失わず、「結婚したらワインを買って二人で乾杯したいの」と言っていた。また、彼女は少し前にスイスに旅行に行ったらしいのだが、スイスが大好きになってしまい、スイスで働くために現在ドイツ語を勉強中なのだという。英語があれだけうまいのだから、ドイツ語もきっとすぐ上達するんじゃないかと思う。夢に向かって一生懸命努力しているアイーダさんの姿を見て、彼女なら叶うはず、と思った。
(2002/9/15)
中央アジアの国々
中国の西域の町、カシュガルに入ったのが9月4日だった。その後、キルギスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタンとつなぎ、10月2日にイランに入ったため、シルクロードを辿る旅はちょうど1ヶ月で終わった。カシュガルに着いたときは、活気のあるバザール、遊牧民の独特の雰囲気などを感じて中央アジアの旅がとても楽しみだった。今終わってみると、見所といわれるところは意外とつまらなかったなあと思う。というより、最大の見所として期待していたウズベキスタンが期待はずれだったからかもしれない。
キルギスタンはこの中では一番印象がいい。この国は自然が売り物だ。私たちが行ったソン・キョル湖、もっと大きいイシク・クル湖、そして山。私たちは自然が好きなので、ちょっとお金はかかったがソン・キョル湖は大満足だった。なにより警官、国境の役人に煩わされることがなかったのが良かったのかもしれない。
ウズベキスタンは見所いっぱいで期待していたのだが、まず首都タシケントの警官によって一気に印象が悪くなった。パスポートチェックはまだしも、旅行者の現金をちょろまかすとは腐敗ぶりもはなはだしい。噂には聞いていたが、現金を見せろといわれて見せた結果、別の警官が旅行者の注意を引く間にお金を抜き取られた旅行者に実際に2人も会ってしまった。二人とも欧米人で、100ドル抜き取られ、後で気がついたのだが、ちゃんと取り返しに行っているのもすごいけど。
バスに乗れば検問だらけ。ある旅行者は、夜中の検問でパスポートを渡したら、賄賂を払わないと返さないと言われたらしい。まったく、この国は旅行者が集まると、必ずどんなトラブルに会ったかという話に花が咲くのだ。
そんなウズベキスタンだが、すごく有名な観光地が3箇所ある。青い都サマルカンド、城壁に囲まれたヒヴァ、古い街並みの残るブハラだ。写真を見るとすごく綺麗。実際見ても、すごく綺麗、だけど綺麗すぎる。倉敷の美観地区とか、どこかのテーマパークのようで、古く見せかけた新しい建物ばかり。現地の人は美観地区から締め出され、居るのは土産物屋ばかり。入場料を払ってモスクなどに入っても中に土産物屋が並んでいるんじゃ、興醒めだ。でもこの国は、サラリーマン旅行者に人気らしく(ビザが簡単に取得できるようになったから)、久し振りに普通の日本人(?)に会って話ができた。みんな苦労して休みを取って来てるんだよね。今はこんなことしてるけど、私たちも休みを取るのは大変だったよね、なんてちょっと勤めていた頃のことを思い出した。
そして、最後のトルクメニスタン。この国は、まったく期待していなかっただけに意外な素顔が興味深かった。メルヴの崩れかけた遺跡もいい味をだしていたし、どこかのお姫様のようなベールをつけた女性を見かけたりした。そして、独裁者ニヤゾフ大統領のこれでもか、これでもかという露出狂ぶりはもう笑うしかないという感じ。この国の政治はどうなっているのか、国民はどう思っているのか、疑問が次から次へと沸いてきてしまう。トルコに留学している学生がぽつりと漏らしていた。「みんなリーダーを好きではないのだが、好きなふりをしなければいけないんだ」。この国は将来どうなるのだろう、大統領は生涯権力にしがみつくのか、それともクーデターが起こるのか。何にしろ、国民の生命を脅かさない方法でよい方向に変わっていって欲しいと思った。
番外編
【たべもの】
基本的に「プロフ(羊とにんじんのピラフ)」「ラグメン(スープ入り麺)」「シャシュリク(ケバブ)」の3種類しかないと思ったほうがよいでしょう。まだ他にもあるのですが、私たちはこの3種類を毎日毎日食べていました。全般的に味は思ったより良かったのですが1ヶ月続くといいかげん飽きます。中央アジアの人たちはマトンを好んで食べるようで、地下鉄に乗って体が密着すると「このひと実は羊じゃないの?」というぐらい羊臭い人がいます。私たちもそろそろ臭い出すころかもしれません。意外だったのはイスラム国家のくせにビールはどこでも安価に手に入り、堂々と飲めたことでした。これには満足です。
【トイレ】
中国のトイレはドアが無くて汚いことで有名ですが、中央アジアも同レベルとは恐れ入りました。中国はカシュガルしか知らないので一概にはいえませんが、カシュガルの公衆トイレは、隙間だらけだけどカーテンで仕切ってあったりしてまだましでした。中央アジアの公衆トイレはドアという概念がまったく無い。中に入るとしゃがんでいる人とばっちり目が合います(通路に向かってしゃがんでいるので)。面食らって躊躇していると、隣が空いてるよ、と目で合図されました。隣とのしきりは腰より低い壁のみ。個人宅は結構きれいにしていますが、公衆トイレはどこに足を置いたら無事に用を足せるのか・・・と一瞬悩みます。男性の方もドアは無く、タバコを吸いながら用を足している人が多いそうです。まあ、日本人も公衆浴場に入るときはみんな裸になるんだし、トイレも同じと思えば・・・と自分を納得させながら使っていました。
【ファッション】
中央アジアには、傍目には笑っちゃうようなファッションがあります。
一つは眉毛。眉毛の濃いのが美しいらしく、みな黒々とした眉毛を眉墨で書き、しかも左右繋げているんです。その結果、まるで漫画のような顔になっているおばちゃんも多いです。眉墨で書かなくても繋がって生えている人も多いです。
2つめは金歯。しかも前歯。ニカッと笑うと上下ずらりと金歯が光り、かなりゴージャスです。これは男性・女性に拘わらず見られます。推測ですが、昔から遊牧民は財産を装飾品としてすべて身に付ける習慣があったので、金歯は彼らの財産の一部なのではないでしょうか。金歯が多いほど金持ちということですね。
服装は男性は西洋風にズボンとシャツ、女性は一応イスラム教徒は頭にスカーフを巻き、ネグリジェのような腰のくびれの無い服を着ている人が多いです。ロシア系の女性はかなりお色気ムンムンスタイルです。
【握手】
中央アジアの男性は握手が大好き。人と会うと必ず握手をします。
これはある旅行者が見た話。2台の車が軽い接触事故を起こしてしまい、路肩に車を止めました。それぞれ運転手が出てきて、まず握手をしてから、喧喧囂囂と言い合いを始めたというのです。条件反射なのかもしれません。
(2002/10/3)
窮屈なイラン
イランが「旅行者天国」なんて誰が言ったのか。イスラム圏でありながらゆるかだった中央アジアから、イランに入って面食らった。初めての町がイランで一番の聖地マシュハドだったからなのかもしれない。道行く女性は真っ黒なチャドルをすっぽり被って影のよう。若いか、年取っているか、痩せてるか太っているか後ろから見ると全然わからない。なんなの、この世界は、と思った。
ガイドブックを読むと、女性は服装に注意すること、と書いてある。「スカーフで髪を隠し、長袖で腰まで覆う上着を着なければいけない」とある。今の時期昼間はまだまだ暑いのだが仕方がない、とインドで買ったスカーフを巻き、ダンナの長袖のシャツを着て(だぶだぶだし、腰まで隠れる)、長ズボンをはいて町を歩いていた。ところが、警察に連行されてしまったのだ。彼が言うには「女は膝丈までの長い上着を着なければいけない、本当はチャドルを着るのが望ましいんだ。パスポートを出せ!」と怒った調子で言ってくる。しかも、私に直接言うのではなくて、男であるダンナに言うのだ。私たちは昨日イランに来たばかりだということ、髪も、肌も出していないし、上着も腰まで隠れていることを説明したが、彼は聞く耳をもたない。パスポートは宿に預けていると嘘をつき、なんとか釈放してもらったものの、私は怒りが収まらない。チャドルを見慣れたイラン人にとっては、私の格好はあまり良くないかもしれない。でもイスラム教徒でもない、外国人をつかまえてそういう言い方はないんじゃないの?恐らく彼は厳格なイスラム教徒で、イスラム教がこの世界のすべて、他の価値観はまったく認められない人種なのだろう。「郷に入っては郷に従え」とは言うけれど、この世界は私にとってはものすごく異質で、受け入れ難いものが多すぎる。女性だから余計にそう思うのだろうけど。
マシュハドで泊まった宿はイラン人だらけで外国人は私たちだけだった。よく観察していると、女性は部屋に居ても、部屋から出る時も必ずスカーフを巻いている。子供でさえも!仕方が無い・・・と私も部屋から数歩の共同トイレ、シャワーに行く時でさえ、長袖、スカーフを着用するように気をつけた。これがめんどくさいのだ。男性はそのままの格好でいいのに、なんで女だけがこんなに窮屈な思いをしないといけないのか。イランの女性はよく我慢しているなあ、と心底感心した。イランの女性はこの状況をどう思っているのだろうか。政教一致しているイランでは、女性がたとえ不満に思っていても訴え出る場所がないのかもしれない。イスラム教のことは良く知らないが、アンフェアな宗教だと思う。確か、女性は男性を誘惑するから、 女性が肌を隠さなければいけないという理由だったように記憶している。誘惑される男性の弱さは棚上げして女性のせいにするなんて、なんて男性中心の世界なんだろう!
さて、そんな事件があったからというのでもないが、余計な摩擦なく旅をしたいので薄手のコートを購入した。スカーフも黒いのを買って、真っ黒に変身した。これで大丈夫かな?
![]() 聖地見学は必ずチャドル着用。 |
![]() 真っ黒になりました。 |
(2002/10/6)
イランにはまった?
出国した途端に戻りたくなる国というが時々ある。その国にいる間は嫌な思いも結構な頻度でするにもかかわらず、次の国に入ったその日から戻りたくなってしまうのだ。私にとって、それはインドであり、意外なことにイランであった。どちらも濃い国である。
イランでは、前回のコラムに書いたように、いきなり最初の町でカルチャーショックを受け、宗教の厳しさや人権についていろいろと考えさせられた。それに、若者達にはすれ違いざまに「チーニー(中国人)!」とか「チャン・チュン・チョン(東洋人蔑視の言葉)」など、馬鹿にしたような口調で言われることが多かった。こんなこと言われたのは南米以来。南米では覚悟していただけに、案外言われなかったなあ、と思っていたのだが、まさかイランでこんなこと言われると予想してなかっただけに、すごく嫌な感じがした。自分達もアジア人じゃないのか、と思うのだが、彼らはそういう意識が無いらしい。
しかしこれはあくまでも若者世代の一部だけ。それ以外の人たちの親切なことといったら、今まで訪れた国の範囲で言わせて貰うと間違いなく「世界一」だ。例えば、銀行に両替しに行ったら、本店でしか出来ないと言う。そして紙に地図を書いて、道のこちら側を歩くと結婚準備のための店があって結婚前のカップルを見ることができる、とか、こんどはこちら側を歩くと絨毯屋がたくさんある、とか、最後には本店の前には闇両替屋がいるよ、レートもいいよと教えてくれた(銀行員がそんなことを言っていいのか?)。
バスの中で行き先を聞いたら、降りるときに私たちの分も払ってくれたり。近くの場所を尋ねると、たいていそこまで連れて行ってくれるし。タクシーの運ちゃんと片言のペルシャ語を話しただけで機嫌がよくなってしまって、降りるときにお金をなかなか受け取ってもらえなかったり。若者の一部を除いたら、性善説を信じられそうになるぐらいイラン人はいい人が多かった。
日本語使いが多いのもイランの特徴だ。10年ぐらい前に日本に出稼ぎに来ていた人が多く、どの町でも1,2人は日本語を喋る人に会った。ただし、大分言葉を忘れてしまっているようだったけれど。「トルコの日本語使いは要注意だが、イランの日本語使いはおおむね信頼してもよい」とガイドブックに書いてあったが、その通りだった。「日本はいい国」とみんな言ってくれたけれど、本当かなあ。嫌な思いをしたこともあるはず。私たちがどの国に行っても「ここはいい国」を連発するのと一緒なんじゃないか?・・・とちょっと疑ったりもしたけど、それでも良いと言われると悪い気はしない。
残念なのは、食事がいまいちだったこと。私は食いしん坊なので恥ずかしながら、料理の美味しい国=好きな国という法則が当てはまってしまうのだが、イランは外食産業が発達していないのか、レストランのメニューは少ないし、味もいまいちだし、ちゃんとしたものを食べようとすると結構高くつく。だから基本的にはサンドイッチ(具はソーセージ、ポテト、トマト、ピクルス)とザムザムコーラ、2日に1回ぐらい夕食にご飯(パラパラだけど)とチキンやシチューを食べるといった、寂しい食生活を送っていた。
しかし、ここに救いの神が。なんと、洋生菓子がめちゃくちゃおいしいのだ。街中にはケーキ屋さんがたくさんあり、必ずあるのが山盛りのシュークリーム。ショートケーキ系のケーキも種類が豊富。生クリームは甘すぎず日本人の好みにぴったり、しかも100g=20円ぐらいと安い(量り売りなのだ)。朝食にシュークリーム、午後のお茶にシュークリーム、夕食後のデザートにシュークリーム。一日3回食べても飽きなかった。この味を覚えてからは貧弱な食生活もそんなに苦にならなくなってしまった。ビールよりもおいしいデザートの方が数倍うれしいし。
最後に付けたしのようになってしまうけど、観光資源も素晴らしいものだった。ウズベキスタンの青タイルのモスクと同レベルか上回るレベルの美しいモスクがたくさんあり、現在も人々の熱烈な信仰に支えられている、といった光景は印象深いものだった。また、現地人の20倍という外国人料金で嫌な思いをしたがペルセポリスのレリーフは鮮明で驚いた(全部がオリジナルとは思えないけど)。そして、すごすぎて溜息しか出なかった宝石博物館。ちょっと古いけどルパン3世の世界。
15日間という駆け足だったけれども、印象深い国。また行ってみたい国。これって、「はまった」という状態なのかなあ。
ケーキはどれも美味しい! |
(2002/10/19)