あいのコラム  西・中央アフリカ


ラクダツアー(モロッコ)
ウエルカム・トゥー・モロッコ(モロッコ)
常套手段(セネガル)
個人的な質問(セネガル)
カンカン・ボーイズ(マリ)
マラリア対策
本が欲しい!
中央アフリカ突破(赤道ギニア)

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 ラクダツアー

初めて見たサハラ砂漠は美しかった!赤くてさらさらと指の間からこぼれ落ちる砂。訳の分からないうちに連れて来られてしまった砂漠の中のホテルの目の前には、巨大な砂丘がそびえ立っている。これがサハラ砂漠かあ。とうとうこんなところまで来てしまったんだなあと感慨にふける。サハラ砂漠って日本人にとっては地の果てというようなイメージがあるものね。

フェズからの夜行バスは、さながらバックパッカーバスの様相で、最終まで乗っていたのはバックパッカーのみ。まだ薄暗い明け方にバスを降ろされ、待ち受けていたホテルの客引きに半ば強引に連れて行かれてしまった。他のバックパッカー達は先に車に乗り込んでいってしまったので、どこにいったかと思っていたら結局同じホテルに連れて行かれていた。メルズーガにはたくさんホテルがあるはずなのに、競争はないのだろうか。
そんな感じでこの強引なホテルはちょっとやだなあ、と思っていたのだが、ラクダツアーを主催しているというので、ちょっと話を聞いて見たら、ノマド(遊牧民の家) を訪ね、すばらしい砂丘を通ってキャンプ地に行って1泊、翌朝戻ってくるというものだった。1泊ツアーでもラクダに乗る長さによって値段がかなり違う。 なんだか、だんなはやたら張り切っていて、一番長いのにしよう、という。夜行明けなので疲れているから、と翌日の朝10時出発のツアーをお願いすることにした。バスで一緒だった日本人の女の子も一緒だ。彼女は2週間の休暇で来ていて強行軍なのでお疲れのようだった。最初は、感じ悪いと思っていたホテルだがスタッフは非常にいい人ばかりで、この旅でかなり上位にランクできるほど気に入ってしまった。

ツアーは結局日本人4人、スペイン人2人、オーストラリア人1人というメンバーになった。

さて、ラクダというと優雅な動物というイメージが昔からあった。月の砂漠をしずしずと進むラクダ。きっと大人しくて忍耐強いヤツなんだろうな、と思っていた。ところが、現実は大違い。
まず鳴き声はというと、「ぐおーーー」とか「がおーーー」とか、まるで猛獣のような声を出す。ものすごく大きいげっぷのような音でもある。ホテルの横にラクダをつないで置く場所があって、「さあ仕事だぞ」とラクダ使いがつれていこうとした途端「がおーーーー!」である。「もうちょっと休ませてえな、わし以外にもいっぱいいるやんか。なんでわしやねん」と不平を言っているとしか思えない。ラクダツアーのお客が乗るときも同様。ラクダは座らされて、ラクダ使いが足を踏みつけて立ち上がらないようにした上で、客がラクダにまたがる。このときに「ぐおーー!」とかならず吼えるやつがいるのだ。幸い私のラクダは吼えなかったが、前のラクダの横腹に噛み付いて、ラクダ使いにお仕置きされていた。
ラクダたちは下あごの奥歯の辺りにロープを結わえ付けられ、それが前のラクダに結び付けられている。 そのロープを口が開かないように上あごも含めて結ばれてしまったのだ。かわいそうだけど、凶暴なあんたが悪い。

そして乗り心地は、早足の馬に乗ってるぐらいと言えばいいのか。とにかくあまり宜しくない。とても揺れる、特に下り坂だ。ほんのちょっとの下りでも、ガックンガックン揺れる。こっちは必死でつかまっていないと落ちそうになる。ラクダも転ぶことがあって、その下敷きにならないように気をつけないといけない、という話を他の日本人の女の子から聞いたときは、そういうこともあるだろうなあと納得。そしてお尻のところにこぶ(1こぶラクダです)が当って痛いのだ。これは個体差があって、痛くない人もいた。

昼ご飯はノマドの粗末なテントで頂く。これもノマドの人たちにとっては貴重な現金収入なんだろう。小学校低学年ぐらいの女の子が、ポケットの上から触ってきて、入っているものをくれとねだられたのには閉口した。細い指に力を込めて握って離そうとしないのだ。ちょっと薄気味悪いぐらいだった。でも彼らにしたら、ものすごい金持ちに見える旅行者なんだから、ちょっとくらい何かくれてもいいんじゃない、と思っているんだろう。イスラムには喜捨の習慣があるし、豊かな者は貧しい者に施さなくちゃいけないのだ。街角で物乞いにお金をやっている人もよくみかける。でも私にはできなかった。こんな癖を身につけてしまって、この子達はどんな大人になっていくのだろうか。

昼ご飯休憩は2時間以上たっぷりとあった。ラクダ使いは、ラクダに何かの穀物の餌をやった後(こりもせず、餌の取り合いをぐおーー、がおーーとやっていた)、そのままにほっておいたら、ラクダたちは遠ーくへテクテクと歩いていき見えなくなってしまった。どうするんだろう、呼んだら戻ってくるのだろうかと思っていたら、なんてことない、ラクダ使いもテクテク歩いてラクダたちを回収に行った。6頭がてんでばらばらになっていたはずなのに、まとめてつれて帰ってきた時はみんなから、おおーさすが!と声があがっていた。

さて、このツアーの一つの目玉は砂漠の夕日を見ることである。説明の時も、展望ポイントがあって・・・という話があったはずだ。日本人の一人が「夕日に間に合うのか?」という質問をすると「多分。インシャラー(神の御心のままに)」。そして思い出したように「もう出た方がいいね」という。言い出さないといつまでも休んでいたんじゃないだろうか、と思われる。そうして彼はラクダを回収に行き、おもむろに出発したのであった。

ラクダでてくてく歩いていると、日がどんどん沈んでいく。他のラクダツアーの人たちは、展望ポイントらしきものに登っている人もいれば、まだラクダに乗ってどこかを目指している人たちもいる。私たちのグループはというと、夕日が砂丘の向こうに隠れた後に、「ここだ」とラクダから下ろされ砂丘をちょっと登った。しかし時既に遅し。日は既に落ちていた。ラクダ使いは「朝日の方がいいよ」なんて暢気に言っている。まあ、こうなると予想していたけど、あまりにも予想どおりだったので笑ってしまった。それにしても、サハラの人は急がない。彼ら自身の時間軸で動いていて、相手が客だろうがなんだろうか一向にお構いなしなのだ。そして便利な言葉「インシャラー」で、はい、おしまい。私は結構、このペースが好きなんだけどね。せっかちな人はあまり合わないかもしれない。

さて、キャンプ地には布のテントを張ってあった。雨が降らないから布でいいのだ。砂の上に直に毛布を敷きつめ、寝床となる。夜は結構冷えて0度近くまで下がったのではないだろうか。そして雲一つない空には、凄い数の星。天の川がくっきりと見え、人工衛星がすごいスピードで動いていく。あんなに明るい人口衛星を見たのは初めてだった。寒いから長い間外に居られなかったのが残念。

翌朝は、朝日を見るため早起き。まず日本人の女の子二人が起き出して外に出て行った。二人とも短期旅行なので精力的だ。明るくなり始めてから日が昇るまでかなり時間がかかることをいやというほど知っている私たちは、もうちょっとしてから起き出した。しかし朝日は大したこと無かった。砂丘の向こうから顔を出した時は、すでに朝日の弱々しさは失っていた。ラクダ使いさん、期待はずれだよ。

そこから1時間ほどでホテルに戻った。ラクダの歩くのはとっても遅い。合計したら、私たちは4時間ぐらい乗っていたのだが、実はホテルの周りをうろうろしているだけなんだろうなあ、とうっすらとは思っていたけど、ここで確信した。まあ、ラクダは乗り心地悪いからそれぐらいでも十分なのだけれど。そしてついた途端、町まで送迎する車がすぐ出るから、と大急ぎで車に飛び乗ったのだった。

最後まで、ラクダ使いのルーズさに振り回されたツアーだったけど、結構楽しかったな。特にラクダウォッチングがむちゃおもしろかった。

(2003/1/8)



 ウェルカム・トゥー・モロッコ

「ウェルカム・トゥー・モロッコ」このせりふを何度聞いたことだろう。土産やの兄ちゃんから、通りすがりのおじさんから、ホテルのおじさんから。
モロッコは久し振りにリラックスして人々のやさしさに触れることのできた国だった。

「モロッコ」というと旅行者の間では、人がうざい、すごくうっとおしいというイメージが定着している。スペインからモロッコに向かう船に乗りながら、快適だったヨーロッパはもう終わり。上陸したらまたバトルの日々が始まるんだーと少し憂鬱だった。特に上陸地のタンジェという町は少し前まで人が悪いと悪評高かった町だ。

ところがそんな力みも肩透かしをくってしまった。どこにいるの?うざいモロッコ人というぐらい、どこをみまわしてもそんな人は居ない。たまーに居るがほんとに少ない。どうやら観光国として、政府が、無許可で外国人と歩いているモロッコ人を罰するというような取締りをしたため、そう言う人は極端に減ってしまったようだ。その結果、とってもフレンドリーで付き纏わない人たちという本来のモロッコ人の姿(私はそう信じてるんだけど)に戻ってしまったらしい。

モロッコでの日本語普及率はものすごく高い(といっても挨拶ぐらいだけど)。フェズとかマラケシュなどの一級観光地では、特にそうだ。日本語使いは要注意という頭がこちらにはあるので「コンニチハー」とくるとうわっ、きたっと身構えるのだが、その一瞬後に「サヨナラー」と言ってあっという間に去っていく。ただ単に知っている日本語が使いたかったとか、挨拶してみたかった、という人が圧倒的に多い。それが結構いい笑顔だったりするから、こっちもふっと心が和む。

イスラムの国は、旅人をもてなす心が厚いから居心地がいい。イランも親切な人が多かったのだが、おばかな若者達に人種差別発言をいやというほど言われたけど、モロッコではほとんどそういうことがなかったのもよかった。ご飯がおいしいのもよかった。モロッコはスパイスをたくさん使う、食生活豊かな国だった。ジュラバというトンガリ帽子つきの長いコートも独特の雰囲気。もうもうと煙の立つ夕暮れ時のマラケシュのフナ広場はすごく好き!、フェズの迷路、赤い砂とラクダ達のいたサハラ砂漠。前評判の悪かったモロッコだが行ってみないとわからないことってあるなあ、と思った。そして困ったことに、また訪れたい国が一つ増えてしまった。

(2003/1/21)



 常套手段

セネガルに入って最初の街、サンルイを散策していた時だった。土産物屋台街があったので引き寄せられるように行ってみた。太鼓(ジャンベというアフリカ太鼓)や木彫りの彫刻が所狭しと並んでいる。私は、ジャンベが欲しいなあ・・と思っていたので値段を聞いたりしていたら、一人の土産物屋の兄ちゃんが
「僕は日本に友達がいるんだ、東京だ」と言う。こんなのはみんな言うことなので聞き流す。
「その友達は、こんど日本に来てくれって言ってくれてるんだ」。ふーん、そう。「まあ、座って座って。アドレスを書くからさ」。まあ、いいか暇だしちょっと話でもするか(と思ったのが向こうの思う壺)。

突然「プレゼントをあげる」と言って売り物の木彫りの像をだんなに、子安貝のペンダントを私にくれる。ただでこんなのくれるはずがない、と経験上知ってるから、いらない、いらないと固辞するが、彼は強引に私たちに渡す。
「なんであげるかというと理由があるんだ。明日、子供が生まれて1週間目のセレモニーがあるんだ。僕の初めての子供なんだよ!」と嬉しそうに言う。おー、それはめでたいね、おめでとう!
「ほら、あなたと僕の肌の色が違うだろう?(彼は黒人なのでもちろん違う)子供が生まれたら、違う肌の色の人にプレゼントをあげるものなんだ」という。今思うと、なんてあほらしい理由なんだろう、と思うが、その時はへーそんなもんか、と思った。
「だから、もらってくれ」。そういうことなら、遠慮なくいただきます、とプレゼントをカバンにしまった。

「それでね」。ん?
「明日のセレモニーには親のいない子供たちを招いて、牛も一頭買ってふるまうんだ。」そりゃーものいりだねえ。
「だから、きみも協力してくれないか。ここにある売り物のうち気に入ったものを買ってくれたらいいんだ。何か欲しい物はある?」見回してみても欲しい物は何も無い。それに、この木彫りってどこかで見たことあるぞ。自分が作ったって言ってるけど、これは、もしかしてバリ島のウブドゥで作ってるんじゃないか?
「欲しい物はない」と言うとさっき値段を聞いていた「太鼓はどう?」と言ってどんどん値段が下がってくる。でも「いらない」というと、それまでフレンドリーだった彼が急にむっとした顔になった。態度急変だ。
じゃあもう行くね、と立ち上がりかけると、「さっき渡した物をおいてってくれ」とぶすーっとした顔で言う。ああ、なんだ、やっぱりそうだったんだ。子供が生まれたっていうの嘘なんじゃないの?物を買ってくれというあたりからあやしいなーとは思っていたけど・・・。とってもいい人だと思ったのに最後は印象の悪い幕切れとなった。私もまだまだ人を見る目が甘い。

翌日、ダカールの日本大使館に置いてある情報ノートを読んでいると「子供誕生のセレモニー」に関する詐欺に会ったという人が何人もいることを知った。私は被害はなかったが、中にはセレモニーに行くための衣装を買わされ、お祝いも少し渡して、翌日教えてもらった住所に行ったら空家だったという人もいたみたいだ。何度も同じ手口で声を掛けられ「なんで同じ手口なの?」と聞くと、相手は言葉を失っていたと書いている人もいた。なんだ、セネガル人の常套手段だったんだ。それにしても、最初は引っ掛かるけど二度目三度目になると笑えそう。ダカール滞在中にまた会うかな?


手に持ってるのが木彫りの像とペンダント。最初はすごくいい人!と思ったのに・・・。


(2003/1/22)



 個人的な質問

初対面の人に個人的な質問をするのはよくないことだ、と思っていた。ところが旅に出てどれだけ個人的な質問をされたことか。

「名前は?」これはまあ普通。
「職業は?」「学生です。(大嘘。年からしてかなり無理があるけど無職というより相手が納得するから)」
「じゃあ、専攻は?」「だんなが経済で、私がコンピュータ」(仕事でやってたから、まあいいよね)
「年は?」25歳から実年齢まで、その時の気分によってころころ変わる。でも10歳近くサバ読んでも東洋人て若く見えるからあんまり疑われないのはラッキー。
「二人は結婚してるのか?」「イエス」
「子供はいるのか?」結婚していると答えると必ずセットになってる質問だ。「いない」。だって今二人で旅行しているのに子供が居るはずないじゃない、と思うのだがそんなことお構いなしだ。
そして「子供がいない?なぜだ??」この質問をされた時は驚いた。どんな返事を期待してるのだろう?だって日本じゃ、夫婦の自由、という暗黙の了解があるからこんな質問はされない。しかし、インドやイランやアフリカや、とにかく中進国というか、発展途上国では当たり前のように言われる。最初に言われた時は、えっと、だって結婚してから二人とも趣味の山登りに熱中して、そうこうしているうちに長期旅行の計画が持ち上がって・・・なんてことを説明しようかと思ったが、語学力が無いのと、何よりもそんなこと説明して納得してもらえるのかどうか、非常にあやしかったからやめた。
それ以来、この質問をされた時はこう答えている。「新婚だから」。たいがいはこれで納得してくれる。「そうか、そうか、これから作るんだな」と。でももっとしつこい人は「結婚してどれくらいになる?」「1年だ(大嘘)」。「1年たつのにまだ子供がいないのか?」まったくほっといてくれ、と思う。
話を聞いてみると彼らは結婚して1年以内に子供ができているのが普通なんだそうだ。でも多分、すぐに出来ない人もいるんだろうが、そう言う人って針のむしろなんだろうなあ、と思う。
一人旅の人は、そういう質問はされないんだろうなあと思っていたら、これが結構うっとおしいのだそうだ。「結婚してるのか」とか「子供はいるのか」とか、やっぱり聞かれるらしい。

旅に出て、私は大嘘つきになりました。

(2003/1/26)



 カンカン・ボーイズ

マリのセグーという町の小汚い食堂で、食事をしていたときだった。5,6人の男の子たち(5歳ぐらいから15歳ぐらいまで)が入口の辺に立っていた。この子達も食べに来たのかな、と思いながらあまりおいしくないリ・ソース(ソースかけご飯)を食べていた。セネガルのリ・ソースはすごくおいしかったのに、マリに来たらまずいなあ。。。と思いながら。実際、ご飯に小石がたくさん入っているし、ソースもどちらかといえばまずい。いや、積極的にまずいかも。そういうわけで、プラスチックの洗面器に入ったご飯はなかなか減らなかった。ふと気がつくと、先ほどの子供たちが私たちのすぐ横に立っていて、じーっと見つめている。彼らの首からは紐をかけたトマトソース缶がぶら下っている。あるいは小さめのプラスチックのバケツを抱えている。そう、彼らは私たちの食べ残しを待っていたのだ。圧迫感があったので、もうちょっと向こうに行ってよ、という手振りをすると少し離れた。
一緒に食べていたおじさんが、やっぱりまずかったのか半分ぐらい食べてから残りを子供たちの缶に分け与えていた。私たちもこれ以上は食べられないので立ち上がると、子供たちがわっと群がってきて自分の缶にいれろ、いれろ、という。 あっという間にお皿は空になった。
食べ物を捨てなくて済んだという気持ちがある一方、子供がここまでしないといけないの?とショックを受けた。

カンカン・ボーイズというのは私たちが勝手に命名した名前だ。
よく観察してみると、彼らは必ず男の子で、5〜6人の集団で行動している。女の子は一人もいない。長距離タクシー乗り場や、市場でよく見かける。人数も多いので全員親のいない子たちとは考えられない。貧しい家の男の子は自分で自分の食べる分は確保しなければいけないのかもしれない。その場で食べてしまう子もいれば、大事に取っておく子もいるので、家族や兄弟のために持って帰るのかもしれない。
すべて推測だけれど、川岸に並んでいる掘っ立て小屋を見たら、そんな状況もありえるだろうな、と思った。

セネガルでもカンカン・ボーイズは居て小さな商店からパンや角砂糖を貰ったりしていたが、食堂の客が残した残飯を貰っている子はいなかった。マリは西アフリカでも貧しい国である。さらに状況が厳しいのだろう。マリで会った旅行者が食堂で食べていたときもカンカン・ボーイズが待っていたのだが、そこはすごくおいしかったので全部食べてしまった。そうしたら、カンカン・ボーイズはがっかりして去っていったという。なんだか笑えるような、笑えないようなエピソードだ。

彼らは、礼儀正しく食べ終わるのを待っているし、表情も卑屈になっていないように見える。むしろ、自分の食い扶持は自分で集めているんだという誇りさえ感じられる。というのはいいすぎか? でも彼らが食事に困らないような社会になる日が来るのだろうか。

(2003/2/19)



 マラリア対策

たるの旅日記にも時々出てくるが、私達のマラリア対策をまとめてみた。

マラリアというのは、蚊が媒介する病気で、西アフリカでマラリアといえば95%が熱帯熱マラリアなのだそうだ(他に、3日熱、4日熱、卵形がある)。熱帯熱マラリアは発熱から放置すると一週間以内に死亡するという恐い病気だ。アフリカを旅するにあたって何よりもマラリアが恐かった。蚊にさされないようにすることが最大の予防法です、と、どの説明文を読んでも書いてあるけど、蚊に刺されやすい私が蚊がわんさかいる所で刺されずに済む訳が無いと半ば諦めていた。でもダンナはやりだすと徹底的にする性格らしく、マラリア対策の徹底振りに私も半ば感心して、半ばあきれながら今にいたっている。

マラリアには予防薬があり、それを飲んでいればかかりにくくなる、あるいはかかっても軽症で済むのだそうだ。ただ、その薬は副作用があることでも有名で、長期間(4,5ヶ月以上)飲み続けられない。私達はアフリカは約半年を予定しているので、予防薬を飲むことは諦めた。そのかわりに蚊にさされないようにいろいろなグッズを買い込んだ。
まず、蚊取線香、殺虫スプレー、虫除け(クリームタイプとスプレータイプ)(DEETという成分が入っているものが良いとのこと)、蚊帳(マリで1000円ぐらい)、マラリアにかかってしまった時のための薬としてメフロキン、ARTESUNATEという中国製の薬(副作用のない薬としてガーナの日本大使館の医務官お勧め) を持っている。

宿に着いたらまず殺虫剤散布。殺虫剤は体に悪そうだけど、それを差し引いてもマラリアになるよりまし、というようなことが英語のガイドブックに書いてある。毒々しい臭さだが、我慢する。
蚊帳はりが次の仕事。カーテンレールや釘にひもを掛けて工夫してはる。良い場所に引っかけるところがなければガムテープで貼り付けてしまうのも手だ。うまくはれたら今夜の睡眠は保障されるから真剣だ。「蚊帳の外」なんて言葉があるけど、蚊帳の中はほんとに天国なのだ。蚊帳が無い時は、長袖、長ズボンはもちろんのこと、靴下をはいて、そして蚊の活動が抑えられるということで一晩中電気をつけて寝ていた。最初、手袋まではめたダンナを笑っていた。この暑いアフリカでそんな格好で寝てたら単に変な人である。でも気がついたら、私もなんとなくしていないと不安になって変な人の仲間入りをしていた。まだそれほど暑くなかったから耐えられたけど、ギニア湾沿岸の高温多湿のところではたまらなかっただろう。
でもダンナは最初、蚊帳の中でもそんな格好をしていた。さすがにしばらくしてそんな必要は無いとわかったみたいだけど。でもトイレに行くために外に出るときは靴下はいて、長ズボンにはき替えてる。つくづく慎重なやつ。

夕方4時頃から蚊取線香を焚きはじめる。狭い部屋は1個、広ければ2個。暑い上に蚊取線香の煙で部屋が白く煙ってこれも結構辛い。ほんとにマラリヤ対策って大変〜。
夕方外出する時は、長袖、長ズボン、靴(サンダルはだめ)という服装の上、皮膚が露出している部分は虫除けクリームまたはスプレーをかける。
夜寝るときは、蚊帳をベッドの下にたくしこんで蚊が入らないようにしっかりガード。たるんでいる部分に肌が接して、外から刺されないように気をつけながら寝る。

こうやって書いてくると、やりすぎかなあ、という気がしないでもないけど、これだけ気を付けていても刺されます。私はズボンや靴下の上から何度かさされたし(でもこれは防ぎようがない!どーしろっていうの)。ハマダラ蚊の数パーセントがマラリア原虫を持っていて、ハマダラ蚊は蚊全体のさらに数パーセントだから、これはもう運を天にまかせるしかない。ということで、やるだけやってあとは気楽にいくしかないと思っている。


蚊帳がうまく張れるとうれしい。安眠のためもう絶対手放せない!

 

(2003/3/7)



 本が欲しい!

旅人にとって日本語の本というのは貴重なものだ。旅行者の間では本は必ず1冊に対して1冊の物々交換だ。二人とも本好きなので、手元に本がたくさんあったら幸せだし、残り少なくなってくると心許ない。宿に日本語の本が置いてあったら、手持ちの本と交換させてもらうこともある。本の種類は選べないからいろんなジャンルのものを読むことになるが、時代物、ミステリー、旅行記、そして精神世界の本も意外に多い。時代物を読んでいてはっと気がつくとここはどこ?ってな感じになることもしばしば。幸せな時間だ。

ところが。西アフリカは本当に日本人旅行者が少ない。モーリタニアに入ってからこれまでの2ヶ月余り、会った日本人旅行者は数えるほどしかいない。マリで5人、トーゴで1人。以上。実は日本人旅行者を捜し求めてしまうのには訳がある。情報交換をしたい、ビールでも飲みながら旅の話で盛り上がりたい、というのもあるが、本を交換したい!というのも大きな理由の一つ。なにしろ日本語の本はその辺で売っている訳もなく、日本人からしか入手できないのだ。さすがに大使館の人に、要らない本はありますか?なんて聞けないしね・・・。

現在の所持する本は文庫本7冊。最近、本の減るスピードが速いなあと思ったら、アフリカでは夜あまり外出しないからだった。日の暮れる前に夕食を済ませてしまうと、長ーい夜がやってくる。本を読んでさあ寝るかと時計を見るとまだ9時。でもあんまり早く読んでしまうと、楽しみがなくなってしまうので無理矢理寝る。平均就寝時間9時。しかたないからすでに読んだ本を何度も繰り返して読む始末。上巻を2回読んで、やっと下巻に入るとか。不毛だ。でも面白い本は何回読んでも面白いということを発見した。

英語版のガイドブックも良い時間つぶしになることに最近気付いた。辞書を引き引き訪れる国の歴史を読んで見る。今いるカメルーンは1999年に世界で最も腐敗している国として国際機関から指名されたという不名誉な歴史を持つそうだ。私達は、今のところ賄賂など要求されたことはないが、旅行者はターゲットではないのかもしれない。
そして次に行く赤道ギニアは、1968年に独立してから10年間の独裁政治の結果、たくさんの人が逮捕、拷問、追放されて人口が独立時の3分の1になってしまったそうだ。なんと凄まじいことが書いてあるもんだ。とまあ、英語の勉強にもなりつつ、いい暇つぶしではある。
そういえば、このまえ英語の本も1冊読破した!(初めて) でもハリーポッターだけど。児童文学だから私にも読めたんだけどね。こんどは無謀にも大人向けの本に挑戦してみようかと思っている。 

でもやっぱり日本語の本が読みたいのだ!南アに行ったらあるかなあ・・・。

(2003/3/13)



 中央アフリカ突破

中央アフリカ。この言葉は不吉な響きを持っている。この地域は腐敗、賄賂、内戦、と旅行したくない要素がぎっしり詰まっている。 ガイドブックによれば、カメルーンから中央アフリカという地域にはいるそうである。確かにガイドブックにはカメルーンは腐敗していると書いてあるが、旅行者に直接かかわってこなかった。宿も安くて良質だったし、そんなに悪い印象はない。

ところが、スペイン語圏ということだけで(ダンナはスペイン語が大好き)特に予備知識もなしに行った赤道ギニアは、このイメージにまさにぴったり当てはまるところだった。国境からバタという赤道ギニア第二の都市までは、ジャングルの中のダート道だ。そこに踏み切りのようにとうせんぼしてある検問が3ヶ所あった。車が停まると、乗客は降ろされ、バーの中から偉そうな態度の男達が手招きする。制服を着ているわけでもなく、ズボンが迷彩模様だったりしてかろうじて警官かな、と分かる人もいるがたいていはTシャツとズボンという普段着なので見分けがつかない。おまけに警官のとりまき連中もいてよけいにややこしい。
検問では3,4人に囲まれ尋問を受ける。「観光か?」とか「どこから来てどこに行くのか」というたわいもない質問だが、つねに心掛けている「にこにこ作戦」も発動する気が起こらないほど、喋るのもいや〜な雰囲気。酔っ払ってまっすぐ立っていられないやつにパスポートを取り上げられむかっとする。うすっぺらいポケモンのノートにちゃちゃっと線をひいて、私達のパスポート情報を書き込んで終わり。そして最後にかならず「金を払え」。「ビザもパスポートも問題ないでしょ?」などといってなんとかかわすことはできるが、いやーな気持ちは後を引く。

入国1日にして、もういやだーこんな国、早く出たい、と思った。高いビザ代払って1,2日で出るなんてもったいないと貧乏性が頭をもたげて根性で5日間滞在。アルマンドさんというマラボで会った人と過ごした1日以外は毎日毎日いやなことがあった。まったく腐っていた。人々もどことなく暗い影があり、他の国のように陽気に挨拶することも少なかったな。これはきっと恐怖政治の行われた歴史のせいかもしれない、と思うのだがよくわからない。「The Dogs of War(邦題は「戦争の犬」かな?)」という本に詳しく書かれているらしいので是非読んでみたいと思っている。これは映画化もされているのでご存知の方も多いかもしれない。

移動もすごかった。ピックアップトラックの荷台に15人。しかも荷台の3分の1は荷物で埋まっている。縁にすわるひと、真ん中に立つ人、運転席の屋根に足をかけているひと。とにかくよくこれだけ乗れるもんだ、とびっくり。しかも、穴ぼこだらけのダート道なので左右に傾き、上下にゆれる。私も前半は必死に荷物を掴んで立っていたが、見兼ねた男性が座らせてくれた。そこもぎゅうぎゅうでつらかったけど、立っているよりずっとましだった。まあ、これぞアフリカって気分が味わえた。でも二度とごめんだ。

コンゴや旧ザイールはもっとすごいらしい。どうすごいのか、確かめる気もないけど。もう中央アフリカはガボンで終わり。

でも、「賄賂攻撃が激しいのと、治安が悪いのとどっちがいい?」という会話を何度となくダンナとした。賄賂攻撃は嫌な気分になるけど、体に危害を加えられる訳ではないし、100円とか200円払えば済む事だ。しかし、これから行く南アフリカ、東アフリカは旅行者を狙う強盗が出るので有名な町がいくつかある。気を付けていれば有る程度は防げるとはいえ、恐いよねえ。どっちもいやだよねえ。どっちもなければ最高なのに。でもこういうのがあるからこそアフリカなのか、という気もしてくる。

(2003/3/26)


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