あいのコラム  キューバ


2001/11/2  未知の国キューバ

2001/11/7  いやだったこと
2001/11/8  終わりよければすべてよし?


 

11月2日 未知の国キューバ

キューバといえば砂糖が名産で、太陽がさんさんと照っていて、サルサというダンスの発祥の地で、というぐらいの貧弱な知識しかなかった。キューバに行こうか、という話が具体的になってきたのは、メキシコシティーのペンションアミーゴに泊まっていたころ。情報ノートには手書きで何十ページもぎっしりとキューバの情報が載っていた。その人のキューバに対する思い入れが伝わってくるような文章だった。それによれば、キューバは社会主義国であり、医療・教育・老後は無料である。しかしその質は高いとはいえない。以前はソ連の経済的支援があったのだが現在はなくなってしまい、経済は破綻しかけているとのこと。人々は貧しいが、その割には明るいこと、などなど。それでも、いったいどんな国なのかイメージがつかめなかった。社会主義国というのもいったことなかったし。

さて、出発の日が来た。一番安いのはキューバ航空。(多分、国営)
飛行機を見てびっくり。ほんとにちっちゃいプロペラ機だった。50人乗りぐらいかな。
乗り込んでとたんに後悔した。こんな飛行機に乗るぐらいなら行かないほうがましと思ったがもう遅い。
途中、エアコン?の白い煙で機内が真っ白になりながらも、
飛行機は精一杯がんばってます!という感じで飛び続けること1時間半、ハバナに到着した。
着陸したとたん拍手が沸き起こった。乗客のみなさん、結構不安だったのね。

そんなスリリングな飛行で始まったキューバ旅行、まずは最初の宿探し。
ぺンションアミーゴの情報ノートに書いてあった宿にタクシーで直行したが、確かにそこの住所なのに、え、どこに宿があるの?というほど何もなかった。町はまるでタイムスリップしたように、ペンキのはげた壁と3Mもありそうな巨大なドアが連なっている。後でよく見たら小さな看板がかかっていたのだけど。
ブザーを押すと上から鍵が投げ落とされて、それで鍵を開けてあがってこい、ということらしい。
古ぼけたドアの中に入り階段を上がると、そこは別世界。家族のスペースには、ステレオセットがドーンと置いてあり、大きなテレビがありソファーがあり、中庭のような場所にはデッキチェアーも置いてある。部屋もまあまあいい感じ。これは裕福な家なのだろうか。セニョーラは、前日まで日本人が泊まっていたなんていっていた。もしかしてペンションアミーゴの情報などで日本人旅行者が途切れなく泊まっていて結構うるおっているのかもしれない。

町を歩いてみる。まず車が少ない。メキシコに比べてかなり少ないし、時代がかった車が多い。
それから、人種が雑多である。メキシコはヒスパニック系と先住民族系(っていうのかな)がほとんどだったが、キューバは白人、黒人、少しの東洋人が入り乱れていて、先住民族系はほとんどいない。
それから、ガードマンがいない。警官は時々見るが、銀行などでライフル銃を持っていたガードマンが皆無である。犯罪が少ないのかなあ。
そして、町並みが古く、近代的な建物はほとんどない。
店が少ない、あっても品揃えが極端に少ない。などなど。
ガイドブックには1950年代のアメリカだと書いてあったらしいけど、その時代の建物、車などをそのまま年月を加算して持ってきたという感じである。 暗くなるとたとえ繁華街でも街灯は少なく、店の明かりもほとんどなく、暗い。50年ぐらい前はこんな感じだったのかな、と思いながら歩くのだが、日本のけばけばしいぐらいのネオンの明かりを見慣れているので、物足りない。あまりに暗くて、穴ぼこにはまったり、犬のフンを踏んづけそうである。

ただ、ところどころに品揃えの豊富な照明の明るい店がある。ドルショップである。USドルでしか購入できない店で、ここでは酒、お菓子(チョコレートなど輸入菓子)化粧品、石鹸などの日用品など魅力的な商品が並んでいる。キューバの人たちは通常ではUSドルは手に入らないのだと思うのだが、なんらかの手段でUSドルを手に入れた人たちと外国人観光客だけが利用できる店である。キューバの物価からするとかなり高い価格設定になっている。(メキシコと比べても高い!)社会主義国の人たちは平等が前提なのに、どうして物乞いする人がいるのだろう、と思っていたのだが、外国人からドルをもらってこういうところで買い物をするのが目的だったのかもしれない。

「コンニチハ」なんて日本語で話し掛けてくる人も多い。ほぼ100%レストランなどの客引きだ。ここでも日本人観光客が多いのだなあと実感する。その割にはまだ一人も会っていないのだけど。そして、彼らはメキシコ人の5倍はしつこいのだ。握手して、どこからきた、アミーゴおなかはすいていないか、なんて聞いて、断ってもしばらく付いて来る。

批判的な感じで書いてしまったけど、彼らはそれだけ生活が大変なのだろうなあと思う。でも、ハバナの宿のおばさんはすごくいい感じの人だった。2日目の民宿のお姉さんも値切ったのに手抜きせずにもてなしてくれる。笑顔がとてもいい。まだ来て2日、多分私は、通りから見える古ぼけた町並みしか見えていなくて、扉を入ったその中身は見えていないのかもしれない。これから5日間どんなキューバに出会えるのか、楽しみである。

クーバリブレを飲みながら長々と書いてしまいました。


11月7日 いやだったこと

キューバについてから巨大サイクロンが去るまでの4日間、晴れた日はなかった。それだけに、どんよりとした印象で始まったキューバ旅行。
今日で滞在一週間になるが、いやだったことが2つある。

まず 、食べ物が無いこと
たしかにレストランはあるのだが、お金持ち観光客から絞りとろうという高いレストランばかり。とてもじゃないけど高くて近づけないところはあるのだが、バックパッカーの味方の庶民的レストランがほとんどない。
ただし、首都ハバナには中華レストランがあり、値段もまあまあ。(2人で8ドルぐらい)
私達はハバナでの3晩とも中華にひよってしまった。だっておいしいんだもん。
しかし地方都市の昼食事情はひどいもので、まったくみつけられないこともあった。しょうがないのでカンパンとコーラで飢えをしのいだのだが。
(地元の人たちもみんなそうしていた!)とにかくそれにありつくまで1時間近くも炎天下を歩き回り、心底疲れてしまった。
ただし、朝夕食付きの民宿に泊まれば晩御飯を求めてさまよう必要もなくなり、食事も結構おいしいのでおすすめ。
というより、夕食付きにしないと食いっぱぐれる可能性あり。

そして2つめはチーノ攻撃である。
チーノとはスペイン語で中国人という意味でその言葉自体は別にどうってことない。
キューバ人にしてみれば、中国人も日本人も同じに見えて当然。
だけど、 私達を見ると、すれ違いざまに、また道の向こう側から大声で「チーノ!チーノ!」というのである。
それもほとんど黒人。 白人系はほとんど言わないので、これはキューバの国民性で中国人(あるいは東洋人)に対する親愛の情で言っているとはとても思えない。 だって見れば東洋人だと分かるのにわざわざ言う必要なんてないじゃない?
いい大人が、そんなこというなんてちょっと常識ないんじゃない?と思ってしまう。

そうは思っていても、しょっちゅう言われると、うるさくてほっといてくれという気分になる。
特に地方都市のほうが頻度が高いように感じた。
だから黒人とすれ違うときは緊張する。すべてそういう人ばかりではないとは思うんだけど、やっぱりちょっといや。
犬のフンもよけなくちゃいけないし、生ゴミも踏まないようにしないといけないし、穴にはまらないようにしないといけないし、ほんと気が抜けない。 (町はかなり汚いのだ)
中南米ではチーノ攻撃はよくあるといわれていたので、メキシコに入るとき覚悟していたのだが、 メキシコではまったくと言っていいほどなかった。ああ、早くのほほんとしたメキシコに帰りたい。


11月8日 終わりよければすべてよし?

キューバでの最後の夜はダンナが楽しみにしていたキャバレーに行った。
10時開店、12時にやっとショーが始まった。確かに踊子さんの露出度は高い。
ダンナの鼻の下ものびきって、観光客根性まるだしでデジカメで動画を撮ったりしている。
でも、お客の半分以上は女性だったし、健康なお色気と言う感じでエネルギッシュな踊りと歌で楽しめた。
最後はお客もステージに引き込まれて一緒に踊ったりして盛り上がった。

翌日は10:45の飛行機でメキシコに帰る。
ハバナの民宿のノルマさんとおばあさんは朝から私達のためにコーヒーを入れてくれた。
まるで家族のようにもてなしてくれるほんとに居心地のよい宿だった。
会う人によってその国の印象が決まると思うのだが、ハバナとシエンフエゴの民宿の女将さんはほんとにいい人達でキューバのいいところを見せてもらった。もちろん、長居したトリニダッドのミライーダさんもちょっとひっかかりはあるのだけど(たるの旅日記参照)手を抜かずに仕事してくれてよい宿に当たったと思っている。

とにかく、いろんな経験をさせてもらったキューバ旅行であった。
日本でも物のない時代ってあったけどこんな感じだったのかなと思ってみたり、人種差別について考えたり、社会主義経済についていろいろ憶測してみたり、巨大サイクロンに遭遇したり、そのせいで電気のない生活を2日間したり。
キューバは、今の指導者が変わったら劇的に変わりそうな気がする。
これからどういう風に変わっていくのか楽しみな国である。


 


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