2001/12/05 コロンビアは危ない国?
2001/12/07 駐在生活
2001/12/17 ベネズエラ
コロンビアといえば、麻薬という言葉がすぐ浮ぶほど、この国のイメージは危険と結びついている。
私も旅の始めの頃は、コロンビアは危なそうだから避けて通りたいと真剣に思っていた。
それに「地球の歩き方」というガイドブックには、コロンビアはほんのちょっとしかページが割かれておらず、紹介されているのはたったの3つの町にすぎない。それ程にみんなが避けるほど危険なのかと思っていた。
ところが、南米を旅してきた人に「コロンビアは人がよかった」と聞いてしまったものだから、自分のイメージとのギャップに驚き、どうしても確かめたくなってしまった。
最初に着いたのはカルタヘナという港町。沿岸部だけあって黒人が多く、少し緊張する。しかし、昼間歩くだけでは今まで通ってきた中米の国々と治安の面ではそう変わらない印象。新市街はビルが立ち並び、小奇麗だ。中米(パナマは除いて)よりも経済的には進んでいるんじゃないかと街をながめながら思った。どこの街もそうだが、ここでもどのバスに乗って良いかよくわからなくて人に聞くと、わざわざ同じバスに乗り込んでくれたお母さん、自分は乗らないのに目指すバスを止めてくれたおばさんと、親切にしてもらった。最初はカルタヘナからベネズエラのボゴダへ直行しようとしていたのだが、ベネズエラのツーリストカード取得に2日かかってしまったおかげで計画を変更して、もう一箇所行ってみることにした。
そして次に訪れたのは、ほんとに小さな漁村。サンタ・マルタという町からバスで10分ほどのところにあるが、もちろん「地球の歩き方」にはサンタ・マルタさえも紹介されていない。私達は「Lonly Planet」という英語版のガイドブックも持っていてこの村はここに紹介されていたのだ。(カルタヘナの宿の掲示板にもホテルがいくつか紹介されていた)このガイドブックは写真がほとんどないのだが、たまたま「サンタ・マルタ付近の海岸」というタイトルでカラーの写真が載っていた。これがまたエメラルドグリーンのきれいな海と椰子の葉の屋根の小屋の写真でいってみたい!と思わせるに十分である。そして、その写真そのままのビーチが果たしてあった!!(旅の写真集参照)しかも、地元の人たちで大賑わい。もっと静かなビーチかと思っていたので少々あては外れたが、それはそれで楽しめた(特にだんながね)。
ここまで田舎になると、夕日もゆっくり見れるし、夕飯もゆっくり食べられるし、夜も心配せずに歩ける。まあそんなに出歩くところはないんだけど。夕日をゆっくりみたのはグァテマラのパナハッチェル以来だねえ。。とかいいながら海に沈む夕日を眺めた。贅沢な瞬間である。
5日のみの滞在でしかも沿岸部だけしか見てないのでなんとも言えないが、コロンビアは結構いい国だと思う。少なくとも表面的には。すさんだ印象も受けないし、人々は明るいし親切だ。
そいういえば、だんながニカラグアで会ったアメリカ人(トーマス)と話していて「いろんな国に行って偏見や先入観を壊すのも旅の目的だ」と言っていて、えらいかっこいいこというなあと思っていたのだが、でもホントにその通り。先入観やイメージというのは本当に正しいかどうかは、実際に行って体験してみないと分からない。コロンビアは危ないからと避けてしまったらずっとそのままのイメージで終わってしまうところだった。ほんのちょっとでも、そこに滞在して歩き回ってみてよかった。
駐在生活って、一度はやってみたいと思っていた。結婚した時、だんなは海外営業部隊だったので、当然、海外駐在もあるし少し期待もしていた。シャワー室が何個もあるような広い家に住めるし、通勤ラッシュはないし、現地の日本人社会は狭いから付き合いは大変かもしれないけどまあなんとかなるでしょ、ぐらいに考えていた。
しかし、今回パナマとベネズエラの駐在のご家族にお世話になってそんなに甘いものじゃないとつくづく思った。
確かに家は日本にいたらとてもじゃないけど住めない広さと豪華さである。何十畳というリビング、客用ベッドルームは必ずあり、バストイレが何個もあり、洗濯室、アイロン室。。。。日本だったらいくらするんだろう?
ベネズエラでお世話になっているご家族は、ここに来る前は私達と同じ社宅(2DK)に住んでおられたので、10倍の広さになったそうである。 しかも、メイドさん付きで掃除、洗濯、食器洗いなどはやってもらえる。
これだけ聞いたらなんて奥さんは楽なんだろう、と思ってしまう。ところが。。。メイドさんを使うのは、他人を家の中に入れるわけだから気を使う。言葉もあまり通じない場合はさらにだろう。信用していないわけではないけど、もしもということがあるから貴重品や給料明細は目のつかないところにしまっていると言われていた。それにメイドさんを雇うのは自腹だし(安いといっても結構まとまったお金になる)、有給休暇やボーナス、退職金なども払わなければならないらしい。
だからといってメイドさんを使わないと、他の日本人の駐在員の人たちは使っているので、生活パターンが合わずに孤立してしまうとのこと。それにこんなに広い家だと一人じゃほんとに大変だろう。小さい子供もいるし。
それに加えて治安が悪い所に住んでいると外に出られない。奥さんが運転免許を持っていないと旦那さんがいるときしか買い物に行けない。日本のようにスーパー特売だから買い物に行きましょうなんてことが気軽にはできないのである。
私達旅行者は、治安が悪い場所でも気をつけながらも結構行ってしまう。というより、そういうところにしか安宿が無いので行かざるを得ない。それに中南米の町の観光スポットはたいていスペイン調のコロニアル建築の旧市街であり、そういうのはたいてい町の中心の治安が悪いといわれているところにある。
しかし、駐在員の家族はそういうところにはほとんど行っておられない。バスや地下鉄にも乗ったことがないという。というのも、万が一トラブルに巻き込まれたら会社や所属団体に迷惑がかかるから。色んなところに行けていいなあ、と逆にうらやましがられてしまった。旦那さんは会社があるけど(そちらももちろんいろんなご苦労があると思いますが)、家族は家に居るしかない、下手したら1日中家の中かもしれないと思うと、私も同じ立場になったらどうだろうなあ。。。耐えられるかなあ。。と少々自信が無い。
これが治安のいい国だったらきっとすごく楽しくなるのだろうけど。
それから、子供の教育の問題がある。ベネズエラには日本人学校があるが、小学校は現在13人。お世話になっている家族には5年生の男の子がいるが、同学年には女の子が一人いるだけで遊び相手にはならない。そうすると家でゲームをするぐらいしかないとのこと。この年頃は外で自転車に乗ったりして遊んで欲しいのに。。。と奥さんが言われていたが、ほんとに可哀相である。
しかし、幼稚園ぐらいの子は現地の幼稚園に行っていて、スペイン語、日本語、たまに英語でてきてちょっぴりうらやましい。この年頃の子たちは適応が早い。そういえば私も5歳ごろアメリカに1年いたので、英語べらべらだった(らしい)。それが今じゃまったく忘れてしまった。ああ、
あの頃の柔軟な頭に戻りたい。 スペイン語、苦戦しております。
私達が日本に帰る頃は、お世話になったご家族も日本に帰っているはず。この旅で、オアシスのような存在になっていただいた皆様、 また日本で再会できるのを楽しみにしています。それまで、健康で安全に気をつけてお過ごしくださいね。
私にとってベネズエラという国はちょっとした思い出がある。小学校の時のピアノの先生が外交官と結婚してベネズエラという国に行ってしまったのだ。すごく遠いところに行ってしまうんだなあ、でも外国に行くなんてかっこいい。。。と思った。でもその後、連絡を取り合ったわけでもなく、この国に対しての知識は特になかった。
グァテマラでコピーした「地球の歩き方」には、誰かは知らないが前の持ち主の書き込みがいろいろしてある。ベネズエラのページには「ベネズエラはとにかく人が悪い。特に目的が無いならば行く価値は無い」などとベネズエラ人が見たら気を悪くするだろうことが書いてある。いったい「人が悪い」ってどういうこと?泥棒やすリが多いってことなのかな?その割にはベネズエラって産油国だから豊かなはずなんだけどなあ?私の頭の中は「?」でいっぱいだった。小さい頃、ちょっとあこがれの国だっただけに、そういう評価を不本意に感じていた。
さて、最初に着いたのはベネズエラの首都カラカス。だんなの同期の家にお邪魔をする。6日間いて、これまで滞在した最長記録だったが、移動はほとんど車だったしベネズエラの人たちとの触れ合う機会はあまりなかった。しかし、数少ない交流の中で敢えて言わせてもらえば、確かに笑顔が極端に少ない。 今いるブラジルでは目があえばニコっとするし、こちらが日本人と見ると「コンニチハ」とか、とにかく知ってる言葉で話し掛けてきたりする(ブラジルは今まで通過した国の中でも特に陽気な国だ)。だけど、ベネズエラ人はつんとすましてにらみつけるような表情の人が多い。書き込みの主は、あまり親切でないという意味で人が悪いと書いたようだ(多分)。
お世話になった家庭の奥さんに聞くと(アルゼンチン出身の日系人なのでなんとスペイン語が母国語)ベネズエラ人はプライドが高いから、人に使われるのがいやだし、不親切に感じるんじゃないかとのこと。メイドもコロンビア人とのこと。プライドが高くてあまり人には構わないから、不親切に感じるのか。なるほどね。
それなら、日本はどうだろう。日本人も他人に無関心な人が多いんじゃないか(とくに都会では)?私が山口の田舎から大阪に出た時は、すごく人が冷たく感じられて最初の何ヶ月かは結構つらかった。東京に移り住んでも、朝のラッシュで気分の悪い人がホームにうずくまっていてもほとんどの人は素通り。外国人にガイドブックの片隅に「日本人は人が悪い」なんて書かれかねないんじゃないかなあと我が身を振り返ってみる。
外国に行って言葉が通じなくてもほんのちょっとのふれあいが嬉しいものだ。日本人は英語がしゃべれないから、としりごみしてしまうけどそれって最初のとっかかりから考え方が違うんだなあ。確かに、親切にしてくれる人にもいろいろいて、お金を要求してくる人もいるけどね。
私達は、カラカスから南下し、オリノコ川湖畔のシウダーボリバールという町からエンジェルフォールのツアーに参加した。こちらはかなり田舎で人々の雰囲気も一変した。やはり、カラカスは都会なだけにどこかよそよそしい雰囲気だったのかもしれない。
マナウスはアマゾンのジャングルの真っ只中に忽然と出現する大都会である。したがって、マナウス発のジャングルツアーなるものがたくさんある。私達も、かの有名なアマゾンのジャングルを体験するためにジャングルツアーに申し込んだ。内容は大体似たり寄ったりなのだが、アマゾン川が支流と合流していながら水が混ざらないところを見たり、ピラニア釣り、ワニ狩り(捕まえるがすぐ逃がす)、ジャングルウォークといったものが含まれる。ただしワニ狩りは夜なので日帰りツアーの場合は含まれないこともある。
私達もこれら全部が含まれるということで1泊2日のツアーにすることにした。
さて、メンバーはデンマーク人のカップルと私達と、ツアーガイドのエジソン君の5人。ツアーというのは貸切の車ないしボートが手配してあって流れるように進んでいくものだと思っていたのだが随分違う。迎えにきたのは小さなタクシーでその中に5人がぎゅうぎゅう詰めに押し込まれるし、アマゾン川を渡るのは一般の人たちと一緒の渡し船だし、エジソン君は私達を待たせて市場で食料の買出しをしてるし、こんなんで大丈夫かなあと不安になった。それにデンマーク人たちはなんと7泊するのだそうである。よく聞いてみると、特に何をするとかどこに行くとかを決めずにとりあえず7泊で申し込んだという感じなのである。せいぜい長くて2泊3日だろうと思っていた私はビックリした。いったいどうやって7泊も過ごすんだろう?
公園のボートくらいの大きさのカヌーに小さなエンジンを取り付けて、アマゾン川の支流を1時間ほど遡ったところで川の上に建っている家で昼食となった。 そのすぐ近くには、その晩泊まる小屋もある。
午後はピラニア釣りに出かけた。木の枝で作った素朴な釣竿を使い、餌は鶏肉。コツは糸をたれる前に水面をバチャバチャとかき回し、あたかも動物が落ちたかのようにすること。糸をたれるとすぐにクイクイと手ごたえがあるのだがなかなか針にかかってくれない。結局私は小さいのしか釣れなかった。エジソン君はさすがうまくて大きなブラックピラニアを釣っていた。
夕食後、ワニ狩りに出かけた。こんどはエンジン無しの手こぎのカヌーに現地ガイドのおじさんが乗る。上半身裸なのだが、引き締まったきれいな体に感心した。懐中電灯の光を当てるとワニの目が赤く光る。それを目指してそーっとカヌーを近づけ、ガイドさんが手掴みでワニを捕まえるのだ。一度など、近づいたとたんすごい水しぶきをあげてワニが逃げた。3mもあるワニだったらしい。この辺りで最大は6mもあるそうだから乗ってるカヌーなんて簡単にひっくり返されそう。。。とぞーっとした。そんなスリリングなワニ狩りだったが、50cmぐらいのワニを捕まえみんなで散々いじくりまわした末に放して終わりとなった。その帰りは、虫の声とカヌーをこぐ音しかせず、真っ暗な水面には星明りが映り、岸辺の木が光ってるなあと思ったら蛍だった。私にとって一番印象的だったのはワニ狩りの帰り道だった。こんな幻想的な風景に、この旅で何度出会えるだろう。
翌日はジャングルウォーク。3時間ほどジャングルの中を歩き、切ったら水がしたたる木の水を飲んだり、つるでターザンごっこをしたり(疲れる!)、薬になる木、香料になる木を教えてもらったり。ジャングルとはもっと何十メートルもある大木があったり、鬱蒼としていると思っていたのだが日本の雑木林ぐらいの木の高さと明るさだったので少々拍子抜けした。でも湿気はすごかったのは予想通りだったけど。
私達はこれでおしまいなので一足先に帰ったのだが、デンマーク人カップルはもっと奥に入っていくそうである。帰りはちょうどマナウスに帰る他のツアーの人たちと一緒に帰ったのだが、みんな4泊とか5泊したと言っていた。それだけの長さのツアーでもガイドさんの私物は、ビニール袋1個だけ。靴とハンモックと歯ブラシしか入っていなかった。何にも持っていかないこともあるそうである。枝や葉っぱで小屋を作ったり寝床を作ったりするのだろう。そういう知恵を見てみたかった。一応やりたい事は全部やったので満足なのだが、あと2泊ぐらいしたかった、と少々後悔が残ったジャングルツアーだった。
<おまけ>このツアーで見た動物たち
ワニ、ピラニア、ピンクのイルカ(たくさん)、ナマケモノ、小さい猿の群れ、カワセミ(2種類)、サギ、大きな黄色いくちばしの鳥、放牧の牛とヤギ
アマゾン川を船で下る、というのは私にとってこの旅の1つのハイライトだった。3泊4日(実際は4泊)、船に揺られて、ハンモックで寝て、優雅に過ごせるかなあ。。。と少々期待もしていた。マイハンモックを買い(たったの500円!)、いそいそと船に乗り込んだ。
ところがふたを開けてびっくり。まず船なのだが、私は日本で乗ったフェリーぐらいの大きさをなんとなく想像していたのだが、実際に見てみると意外と小さくてこんなに狭いところに4日もいるの?と心配になった。窓というか壁がなくふきっさらしだし。そして、混んでいる事といったらすさまじい。ちょうどクリスマス休暇に当たったのが悪かったのか、それともいつもこんなに混んでいるのか定かではないのだが、ハンモックスペースには色とりどりのハンモックが鈴なりである。天井近くに鉄の棒が何本か渡してあって、そこに各自好きなところにハンモックを取り付けるようになっているのだが、ひどいところなど、3重ぐらいになって折り重なって寝なければいけない(一時私の所もそんな状態になった)。そして子供が多い。キャーキャーと騒ぎまわってうるさいったら。とにかくそんな状態で、ブラジル人達に囲まれて濃ーい時間を過ごした。
まず1日目は夕方6時の出航。薄暗くなる頃マナウスに別れを告げアマゾン川下り開始。その日は食事は出なかったので(船は3食付き)3階のデッキにある売店でハンバーガーとビールで済ます。
2日目、3日目は景色も変わらずものすごくたいくつ。ちょうど瀬戸内海を行くような感じで、ほとんど揺れず、両岸は遠くの方に見える。このために準備しておいた文庫本を5冊も読んでしまった。時々スコールが来てその時だけは涼しくなるのだが、日中はとても暑い。ブラジル人たちは3階のデッキでビールを飲んだり、アマゾン川から汲み上げた水で水浴びしたり、ハンモックで昼寝したりとそれぞれに過ごしている。中間地点の町サンタレンでかなりの人数が降りたのでだいぶ空いた。とはいってもやはり混んでいたが。
4日目。この日はすごく面白かった。船は、河口近くの中洲(と言っても九州ぐらいの広さだって)を回り込むため、川幅が急に狭くなった。両岸のジャングルが間近に見え、家もぽつぽつとある。そこから、母子づれや子供だけのカヌーが近づいてくるのだ。物乞いをしているらしい。船からビニール袋が投げられてカヌーがそれを回収する。最初はゴミかと思ったのだが(ブラジル人は平気でゴミを川に投げ込むので)、実はお菓子だったり、服だったり、ちょっとしたものを乗客があげているらしいのだ。お金の物乞いはなんだかいやなんだけど、ちょうどクリスマスということもあって私も赤いバンダナを小さな男の子の乗るカヌーめがけて投げた。使ってくれるかなあ、と思いながら。ブラジル人達はこのためにいろいろ用意していたのだろう。朝から夕方近くまで寄ってくるカヌーに投げ続けていた。特にクリスマスだったから、はずんだのかもしれない。
もう一つ驚いたのが、動いている船に小学生ぐらいの子供の物売りが来るのである。どうするかというと、彼らもカヌーでやってきて船のへさきめざして一生懸命漕ぐ。そしてすれ違いざまにカギを引っ掛ける。ここが真剣勝負である。どこにもひっかからなかったらおしまい、ひっかかったらロープでカヌーを固定して船に乗り込んできて物を売る。売るものは、椰子の茎(食感や色は竹の子のような感じですっぱくてやわらかい)、海老の干したの、果物といった食べもの。乗客もいいかげん退屈しているから、乗り込んでくる様子を身を乗り出して見物していて、あっという間に売れてしまう。海老はおすそ分けしてもらったのだが、むちゃ美味しかった。それにしても、たくましい子供達だ。子供が働いている場面は数多く見てきていて、ある種のいたましさを感じることも多かったのだが、この子供達にはたくましさと爽やかさを感じた。そこまでして売りに来る根性がすばらしい!
そういえば、船の食事について。食事時間は朝食6時、昼食11時、夕食5時と少々変則的であるが3食ちゃんとついている。朝食は甘いミルクコーヒーとパンまたはクラッカー。昼食と夕食は続けて同じメニューということはないがいつも同じで、ご飯(塩味でぱさぱさしてる)にフリフォーレス(豆の煮たの)をかけ、スパゲッティ、肉(鳥か牛)をそれぞれ好きなだけ1枚のお皿に取り分ける。時々スパゲッティがすごくしょっぱいことがあるが、それ以外は味はまずくもなくうまくもないといったところ。なぜか男女のテーブルは別れている。
そんな感じで最後の日だけはあっという間に終わり、翌日の朝9時に河口の町ベレンに着いたのだった。だんなも私もポルトガル語がほとんどできないので、ブラジル人の人たちとコミュニケーションがあまり取れなかったのが残念だったけど、一緒に生活してみてちょっとだけブラジル人てどんな感じなのか分かった気がする。ぎゅうぎゅう詰めの生活に疲れたのか、だんなはベレンについた途端にダウンした。確かに、言葉も習慣も違う人たちに囲まれて過ごすのは面白いけど疲れるよね。
リオデジャネイロを出発するときにだんながつぶやいた。「リオってむっちゃ楽しかったなあ。」
え?なんで?ホテルは高かったし、従業員は愛想なかったし、観光用ケーブルカーも信じられないぐらい高かったし、まあ、町中には歴史のありそうな豪華な建物がたくさんあったけど、そんなに感動するようなことはなかったけど。。。と思い巡らしていると、前の晩だんながさかんに「ちっちゃかったなあー(水着が)」と言っていたのを思い出した。そう、彼はビーチがよっぽど気に入ったらしいのである。しかもリオのビーチが。
確かに女の子達の水着は覆う布の少なさを競っているかのように小さかった。ちっちゃい三角の布が3つ、それぞれを紐で体に貼り付けているという感じ。それでもみんなスタイルはいいし、堂々としているからいやらしさは感じない。男の人がどう感じるかは知らないけど。これだけ大胆な水着だらけなのはリオだけかもしれない。(旅の写真集をみてね)
そういえば、町中のファッションもリオは大胆だ。タンクトップでも前だけ布があって後ろは紐になっているものとか(金太郎の前掛けみたいなの)、へそ出しなんて当たり前。浜崎あゆみがへそ出し宣言しようが、何をいまさら。。。という感じ。でもでも、ビックリしたのが、妊婦のへそ出しルックである。結構大きくなったお腹をさらして歩いているのは大胆を通り越して迫力すら感じてしまう。こっちではマタニティドレスなどを着ている人は余り見かけない。多分、普通の服ですましちゃえ、でもお腹が大きくなったら入る服が無いからへそ出しにしちゃえ、というノリなんじゃないかなあ。 とにかく、妊婦のへそ出しはリオ以外でも見かけた。
話はそれたが、リオはカーニバルで余りにも有名だが、それ以外でもいろいろと楽しめる所みたいだ。でもせっかくだからカーニバルの時期に行ってみたかった。新年のカウントダウンをブラジル人たちと騒いであれだけおもしろかったんだから、踊り狂うカーニバルが面白くないはずがない。今年のカーニバルは2月初旬らしい。1ヶ月違いだった、残念!
ブラジルは南米大陸の50パーセントの面積と人口を占めるらしい。パタゴニアに照準を合わせていたので、私達はブラジルをハイスペードで駆け抜けたけれども、それでも3週間かかってしまった。ブラジルを出国する時には、あーもっと居たかった、田舎に行ってゆっくりすればよかった、と後ろ髪引かれる思いだった。なんだかブラジルって楽しかったなあ。スリには遭ったけど、それによって悪いイメージを持ってしまうこともなかった。お、これがスリの手口か、これから気をつけようと思ったぐらいだ。これがたくさんお金を盗られていたら夜も眠れないぐらいくやしかっただろう(まあ、普段から小額しかポケットには入れていないけど)。
ブラジルの印象はだんなが日記に書いていたので省略する。私的に、ブラジルってこんな国というのを思いつくままに紹介すると。。。
宿がきれい・朝食つき!
私たちは「歩き方」に紹介されているうちでも最低かそれより1つ上ぐらいの宿に泊まっていたが、小奇麗な宿が多かった。だいたいタオル付き(とてもうれしい)、朝食つき(すごくうれしい!)。
朝食は、ブラジルでは「カフェ・デ・マニアーナ」と言って訳すと「朝のコーヒー」。さすがブラジル、おいしいコーヒーがたっぷり飲み放題である。たいていはミルクと半分ずつ入れてカフェ・コン・レーチェにして飲む。
そしてほとんどの宿でトロピカルフルーツとパンとハム・チーズが出て来た。朝からフルーツが食べられるなんて最高。
人種構成はさまざま
場所が変わると人種構成はガラッと変わる。アマゾンあたりは白人系、インディヘナ系が多かったし、バイーア州では断然黒人だったし、南に下ると白人、東洋人が多かったかなあ。それぞれ別の国みたいに違う雰囲気を感じた。
インターネットカフェが少ない
ブラジルはそれ程インターネットが発達していないのか、インターネットカフェが少なかった。他の国では繁華街を歩いていたらいやでもInternetの文字が目に入るのだが、ブラジルでは探すのに苦労する町も多かった。しかも、日本語フォントが入っていなくてCD-ROMも付いていないパソコンにはフォントをインストールすることもできず困ったー。
踊りと音楽が大好き
ブラジル人は音楽を聞くとじっとしていられないらしい。大人も子供も踊りだす。踊りが生活の一部なんだろうなあ。黒人はすごいリズム感だし、お姉さんは色っぽい踊りを披露してくれる。おじさんおばさんも体をぴったりつけて、二人でくるくると踊っている。見てるととても楽しそうだし、うらやましい。(かっこよく踊れるのが、ね)
サンパウロにいるだんなの元仕事仲間の方に話を聞いたところ、2月の始めはカーニバルがあるし、次にワールドカップがあるし、さらに今年は大統領選挙があって、それが終わるとクリスマスになるから勝負はカーニバルの前までとか言ってらっしゃった。それって、2ヶ月しかないやん。ブラジル人ていつ仕事してるんだろ。
日本語が喋れる
といっても、「コンニチハ」「アリガト」そういった片言なんだけど、日本人かと確認する前にそういう言葉が飛び出してくる。何でも、何年か前にそういう歌が流行ったらしくてみんな知っているらしい。
中国人かと聞かれる前にまず日本人か、と聞かれることが多かった。考えてみれば、ブラジルの日系人は120万人いて、人口の約1%(100人に1人は日本人!)ということなので当然かもしれないけれども。
適当〜
なんと言っても硬貨の判別が難しい。同じ金額なのに色が違う、大きさが違う、厚さが違う。なんで統一しないんだ。そういえば、10ヘアル紙幣だけは透明のビニール製のすかしと普通の紙のと2種類あった。他の紙幣は全部紙だった。それも不思議だ。
食事がうまい、安い!
すごくお世話になったのが「ポル・キロ」というシステムのレストラン。ビュッフェ形式になっていて、肉料理、サラダ、ご飯、パスタがそれぞれ数種類ずつあるのでお皿にすきなだけ取る。最後に量りにのせて、重さによって料金が計算される。肉も野菜も一律料金なんて大らかでブラジルらしい。それにバランスよく食べられるし。単価は南に下るほど高くなった。それでも私たちはそんなに食べないので高くても一人5ヘアル(300円)ぐらいで済んでいた。
日本でもこんなシステムの店があったらはやるんじゃないかなあ。あと、ブラジルといえば牛肉ですが、焼いた肉は結構固いので、私は鳥肉ばかりたべてました。
生ジュース
トロピカルフルーツの生ジュースを売るジューススタンドがたくさんあります。 どろっとした濃いジュースが、日本のマクドナルドのジュース(大)ぐらいのカップに入って2レアル(100円)ぐらいです。無難なところでマンゴーがおいしい。しかし、作っているところを見ると、砂糖の量に驚く。
今日見た光景。町一番の繁華街(ヨーロッパ調で洗練されていてとてもきれい)の道端で7歳ぐらいの少女と4歳ぐらいの男の子の兄弟が座っていた。多分ストリートチルドレンなのだろう。身なりは汚い。その前に、ネクタイを締めた20代ぐらいのサラリーマンの青年がしゃがんで少年の手を握って、話し掛けていた。男の子は無邪気に笑っていて、お姉ちゃんは泣きじゃくっていた。 詳細はしらない。でも、この青年に優しくされてお姉ちゃんは泣いてしまったのかもしれない。
言い訳かもしれないけど、日本にはホームレスはいるけど、物乞いはいない。慣れていないから、物乞いが来てもお金をあげるのに抵抗がある。それに、メキシコから始まって、数え切れないほどの物乞いの母子、子供、障害者を見てきた。いちいちあげていたらきりが無いのだ。どの国にも必ず物乞いはいた。
ここアルゼンチンは経済危機の最中だけれども、そんな事を感じさせないぐらい、町を歩くと豊かさ、余裕を感じる。町はすごくおしゃれで南米のパリなんていわれているし、道行く人々もとても洗練されている。ショーウィンドウはきらびやかで目を奪われる。けれども気をつけて見てみると、町一番の繁華街にたくさんのホームレスの人たち、子供達を見かけるのはなぜだろう。日本の児童福祉法みたいなのはないのだろうか。それともそういう法律も適用できないような不法入国の外国人なのだろうか。 「インドに行ったらもっといっぱいそういう人がいるよ」とだんなはいう。確かにそうなんだろう。
ブラジルで会った日本人の留学生の青年は、何もしない物乞いにはあげないけれども何かしてくれた人(例えばホテルを紹介してくれた、など)に対しては労働の対価として少しあげると言っていた。頼みもしないのに寄ってきていろいろ世話を焼いてくれる「お助けマン」のことだ。それも一理ある。
メキシコを旅していた頃、見た光景。バスのオフィスに物乞いの少年が入っていって、お姉さんになにかをねだった。お姉さんは机の中からりんご飴をとりだして、少年に渡した。振り返った少年はほんとに嬉しそうな顔をしていた。年頃の女性がりんご飴を食べるとは思えないので、こういう場合に備えて準備していたのだろう。そういう助け合い(といったら大袈裟かもしれないけど)で世の中は廻っているのだなあ、と思った。
未だにどういう人に、またどういう時にあげたらいいかわからない。道の隅っこにいる人たちと目をあわさないようにして歩いてしまう。私たちは自称「貧乏旅行者」だけれども、彼らから見たら明らかに大金持ちだ。 でもだからといってお金をばら撒いて歩くほどは無いし、果たしてお金を上げることが彼らのためになるかどうかもあやしい。ペルー、ボリビアに行けばますますそういう人が多くなるのだろう。私はまた、迷いながら歩くことになるのだろう。
地図を見るとチリはびっくりするほど細長くてなんだか影が薄い。
アルゼンチンにいる頃からだんなは「チリは海鮮物がおいしいから楽しみだ」と盛んに言っていたので、食い意地の張った私は、とても楽しみにしていたのだが、それ以外はほとんど知識がなかった(恥ずかしながら知識がない国が多いです)。
南はパタゴニア地方の寒帯、首都サンチアゴのある真ん中辺りは温帯、北は砂漠というバラエティーに富んだ、自然の豊かな国である。
最初にチリに入国したのはパタゴニア地方だった。このあたりはアルゼンチンとチリの国境が入り組んでいるので両国の違いはあまり感じられなかった。でも、チリ側の町についたとたん、レストランには「マリスコス(貝とか海産物とか言う意味)」の文字が躍り、さっそく貝のスープやらカニやらを食べに行った。海産物がおいしいと聞くと、食べに行かないといけないという半ば強迫観念がある。久し振りの貝やら魚はやっぱりうれしい。味はびっくりするほどおいしい、というわけではないのに、毎日食べたくなってしまうのはなぜだろう。
パタゴニアのトレッキングを終え、北上するに従ってチリの全体像がだんだんつかめてきた。なんだかとても安全。人も親切、気さく。それに旅行好き。それだけ余裕があるということなのかな、と思う。夏休みなので学生がグループでバックパックを担いで旅をしている。テントや寝袋やらを外側にくっつけているのでザックはそれほどの大きさではないのだが、全体として巨大になるのだ。テントや寝袋はコンパクトなものがないらしくむちゃくちゃ大きい。時には毛布を持っている人もいる。そしてみんなメーカーはお約束のように「Doite」。私たちは見るたび、「また、ドイテやー」と笑っていたのだが、アウトドア用品はこのメーカーが独占状態だ。
道端でヒッチハイクをする若者も多い。南米でヒッチハイクをしているのを見たのはチリだけ。チリ人は親切だから結構のせてあげるらしい。これがアルゼンチン側に行ったら全然止まってくれないと誰かが言っていた。
首都のサンチアゴは地下鉄もある大都市である。だいたい南米のこの規模の都市は治安が悪い。町中やすぐ外側にスラムが広がっていて間違って足を踏み入れたら身包み剥がされそうな場所がたくさんある。でもサンチアゴは違った。街も日本と同じ感じで歩けて楽しい。絶えず後ろに気を配って怪しい人がいないか気をつけながら歩くなんて疲れるし、ウィンドーショッピングやら人間ウオッチングもできないし。でもここでは安心して歩ける。
南米は危険というイメージがあるけれど、いろんな国があって中にはチリのように安全な国もあるんだということを旅をして初めて知った。アルゼンチンも結構安全だと思ったけど、親切な人がチリのほうがより多い感じがする。そんなことで、今回旅した国の中で好きな国ナンバー1のメキシコと並んでチリが好きになった。食べ物が美味しいことを考えるとチリのほうが上かも。
でも、ビーチで知らないうちにバックパックを開けられてパスポートをお金を盗られたオーストラリア人が居たので、そこはやっぱり南米。油断してはいけません。