「ほんまに1秒でとられましてん」と同宿の日本人が言った。彼はリマの見抜き通りであるウニオン通りの人ごみの中を歩いていて、不意に腕をつかまれ、あっと思った瞬間に腕時計を盗られたそうである。ウニオン通りは歩行者天国。私たちも何回か歩いたが、いつも大賑わい。警察もいたるところにいてとても危険な所には見えない。そして次の日は、また同宿の別の日本人がバックパックのポケットを知らないうちに開けられ中に入れていた眼鏡を盗られたそうである。彼らは盗難証明書をもらいに警察に行ったそうだが、次から次へと旅行者が来てあれを盗られた、これを盗られたと訴えていたそうである。ある欧米人はウエストベルトに隠していたパスポートまで盗られたらしい。
ペルー、ボリビアは気をつけないといけないと思っていたが、ますます警戒指数を上げなければ、と自分にいいきかせた。
町を歩くときは30秒ごとに振り返り、怪しい人がついてきていないか確認、前から目つきの悪い人が来たらよける(ほんとにときどきものすごく目つきの悪い人が通るんです。自分はドロボーだって宣伝してるようなものだと思うんだけど)。人ごみの信号待ちはスリの格好の場なのでつねにあたりをきょろきょろ。そんなことしてたら、リマ第一日目はものすごく疲れた。町の掃除が行き届いていて犬のフンが少ないのが救いだった(前、後ろ、下全部みないといけないなんて疲れるものね)。
でも警戒しすぎるのも禁物。 旅の面白さが半減してしまう。2〜3日するとだんだんペースもつかめてきて、面白くなってきた。前から怪しい人が来たらさりげなく反対側によける、後ろに怪しい人がついてきたら店を除くフリをしてやりすごす、あるいは道の反対側に渡る。適度に緊張感があって、こういうのもいいかななんて思ったりして。
そして、ペルーは見所の多い国。ナスカの地上絵、マチュピチュなどに代表されるプレ・インカ時代、インカ時代の遺跡、自然、動物、独特の衣装をつけたインディヘナの人々。次ぎに行くところはどんなだろう、と想像するとワクワクしてくるのである。
さて、これから1ヶ月、何の被害も無く、ペルー・ボリビアを抜けられますように!
リマには天野博物館という、日本人の研究者が創設された博物館がある。天野博士はすでに亡くなられているが、その遺志をついで入場料無料でしかも日本語ガイド付きという、日本人にとってはとても貴重な存在である。サンチアゴで会った方に「天野博物館は是非行ってください。人によって説明が違うので2回行くといいですよ」と聞いていたのでさっそく予約して(要予約なのだ)行くことにした。
展示室は土器の部屋と織物の部屋の2つだけ。展示品も他の博物館と比べてとても少ない。しかし、1つ1つに対して説明があり、内容も非常に厳選されていると分かる。2つの部屋を回るのに1時間半かかるのだ。そして、説明は日本語なので100%理解できる。英語のガイドだとせいぜい50%分かればいい方という語学力の私にとってはこれがすごく嬉しい(スペイン語だと5%ぐらいかな)。
説明がついて、理解できるとこうまでおもしろいかというぐらい、時間があっという間に過ぎた。その中でも印象的だったのが2つ。
まず1つめは土器。インカ帝国が一帯を征服する前は各地にさまざまな国があり、独自の文化が栄えていた。しかし、インカ帝国に制服されると、インカ帝国の独自の形の土器を作るようにと各国に強制した。土器の形は首の長いつぼで肩の両側に取っ手が付いていて、底は円錐形をしていて床に立てることができないというもの。とても機能的で美しい形をしている。しかし、人々は素直に従わず、例えば動物の頭の上にこの形の土器をのっけてみたり、何か別のものとくっつけてみたり、口のところをちょっとゆがめてみたりと、そのものずばりの土器を作らないことでささやかな抵抗をしているのだ。人間くささが感じられてとてもおもしろかった。
2つ目は織物。大きな布一面に手の平の模様が織り込んであるのだが、なんと、真ん中にある1つだけが6本指なのである。説明によれば、奇形や身体障害者は神に近い存在として崇拝されていたので、6本の指が中心に据えられたのではないか、とのこと。これも古代文明の豊かさをまざまざと見た気がした。
他にもおもしろい展示品がたくさんあるし(この博物館の研究テーマであるチャンカイ文化の土器はとってもユーモラスでかわいい)、最初に地図を見ながら先史〜インカ帝国までの各文化を説明していただけるので、ほんとにおすすめです。
ナスカに行った旅行者に感想を聞くと、「うーん、あんなものかな」とか「ふーん、という感じだった」という返事が返ってくることが多かった。だから私もナスカの地上絵に対してはそんなに期待もしてなかったし、一応通るから抑えておこうかぐらいの気持ちでいた。
地上絵はとても大きいから地上からみても何がなんだかわからない。そこでセスナに乗って空から眺めるのだ。セスナは5人乗り+パイロットという小さなものだが、みんなが窓際になるので小さい方がよい。それに午後になると風が強くなり危険だし、太陽の向きで絵が良く見えるのでフライトは午前中早くから始まる。私たちも7:30からのフライトだった。
小さな飛行機特有の、すごいエンジン音を響かせてガタガタと飛行機は走り出した。私たちは、ベネズエラのエンジェルフォールを見に行ったときにこのサイズの飛行機に乗ったことがあったのでまだましだったが、同乗していたドイツ人はとてもナーバスになっていた。
まず、「くじら」。あれがそうだとパイロットに言われても、すぐにはわからない。よーく目を凝らすとかわいらしいクジラの絵が見えた。思っていたよりだいぶ小さかったので、これだったら地上からでも見えるんじゃないのかな、と思うぐらいだった。飛行機は左右両方の席の人が見えるように1つの絵について8の字に旋回してくれる。私は車酔いするほうなので、こういうのはきつい。酔い止めを買って飲もうとおもっていたが、だんながアメをなめておけばいい、というのでフライトの間、絶えずアメをなめていたら酔わなかった。(ナスカで飛行機に乗る人、この方法がおすすめです)
「宇宙飛行士」は丘の斜面に描かれた、これまたかわいらしい絵だ。宇宙飛行士に見えないことも無いけど、その解釈も強引だなあという気もする。 一番きれいに見えたのは「ハチドリ」。でもナスカの平原を見渡すと、水の流れた跡が大きな面積を占め、長い間に水にかき消されてしまった絵もたくさんあったのではないかと思った。こうして35分のフライトはあっという間に終わった。意外と小さかったけれど、空からみないと全体像のわからない絵、それもとても緻密な線で、いったい何のために描いたのかという、不思議な余韻が残った。
2人の日本人旅行者を捕まえ、4人でタクシーをチャーターして地上にある展望台に出かけた。夕日の沈む時間が6:30なのでその時間に着くように計画した。地上の展望台は、人工のヤグラと自然にある丘に登るものの2つがある。人工のヤグラからは「木」と「手」を見下ろすことができる。絵はそんなに大きくはないが、やはり地上から見てもなんだか分からない。ヤグラの階段を登るに従って全体像が見えてくる。
この「手」に関してはおもしろい話がある。ナスカの地上絵の研究と保存に生涯をささげたドイツ人のマリア・ライヘ女史の手の片方は4本しか指がなかったという。そして「手」も片方が5本指、もう片方が4本指なのだ。マリア・ライヘ女史が指を失った理由は、先天的なものか、後天的なものかは知らないけれども、なんとも不思議な話である。
最後に自然の丘の展望台に登った。そのふもとからはたくさんの直線があちこちの方角を目指して伸びていた。太いものもあれば、細いものもあり、ほとんどの線は見渡す限りまっすぐに伸びて地面の起伏に遮られて消えていった。絵を見るより、もっともっと不思議だった。絵ならまだ理解できるけれど、この直線たちはいったい何のために描かれたんだろう?そんなことを考えながら、夕日が沈むのを眺めていた。風が強く、耳元でびゅうびゅうと鳴っていた。(2002/3/11)
![]() 水の流れた後が無残に残る。 その隙間にかろうじてナスカラインが残っている。 |
![]() これが、ナスカライン。マリア・ライヘ女史は線の上の石を取り除いて保存に努めたという。 |
私のお金に関しての失敗談を一つ。南米は危険な所、もし首締め強盗に遭ってしまったら荷物はおろか、腹巻(貴重品入れ)、首に吊り下げたポーチなどいっさいがっさい盗られてしまうという。そこで私たちは、靴底に100ドル札を一枚ずつビニールに包んで入れておくことにした。すべてを盗られてしまっても、そのお金で大使館のある町まではなんとか移動できるからである。まさか、靴までは盗らないだろうから。
そしてそのまま、パタゴニアのトレッキングに行ってしまった。トレッキングの最終日、気になって取り出してみるとさあ大変。ビニールは破け、4つ折にしたお札の1面だけが擦れて印刷が判別不可能なほどになってしまっていた。それでも、腐っても本物のお札。大丈夫さ、とたかをくくっていた。
使うときは、汚いお札からというのが常識。例の100ドル札をペルー国境で両替することになった。両替商に持っていくと、お札を見た途端「これはダメ。他のお札はないの?」と言われた。本物だと言っても、そこがすごく汚れているからダメだというのだ。しょうがないから他を当たってみた。5〜6件当たってみて1件で80ドルならOKといわれ、もう1件には50ドルなら、と言われた。ほんのちょっと(でも無いけど)汚れているだけで、そんなに価値が落ちるのだろうか?釈然としないながらも、もし他の町で全然ダメだったら困るし、とりあえず20ドル損するだけだから(それでも痛いけど)、と思いなおして80ドルで両替をすることにした。お札なんて所詮、紙。セロテープで貼り付けたお札もあるのに、なぜ?ペルーだから厳しかったのだろうか?誰か知っている人がいたら教えてください。
さて、もう一つはペルーで知り合った日本人旅行者の話。彼女はペルーのリマの両替所で300ドル両替した。その中に偽札が1枚混じっていたらしいのだ。いざ使おうとして、「これは偽札。使えない」と断られていた。見せてもらうと、紙質は少し分厚く、印刷もチープである。でも使い慣れてない外国人にとっては、判別しようがない。100ソルといえば3500円ぐらい。100円でお腹一杯食べられるペルーではかなり痛い。私たちはペルーで偽札が出回っているというのを、ペンション沖縄で知った。受付に偽札が貼ってあったのだ。見分け方は透かしてみると縦に細い線が入っており、そこに「100sol」とか「50sol」とかの文字がはっきり読み取れたら本物、はっきりしていなければ偽物とのこと。20ソル、50ソル、100ソルが出回っているらしい。偽札を見てみると「100sol」と読み取れるし、はっきりしてないといわれればそんな気もする、という程度で良く出来ている。やっぱり外国人には難しい。
私たちは偽札対策として、両替の時になるべく20ソル以下の低額紙幣でもらうようにしていた。高額紙幣が混じる時は、その場でわからないながらも透かして確かめていた。ペルーの両替所では、渡してくれるお札に小さなスタンプを押す。汚れ札は受け取ってくれないのに、なぜ汚すようなことをするんだろうと不思議に思っていたのだが、どうやらこういうことらしいのだ。このスタンプは、これは本物のお札ですよ、もしどこかで受け取ってもらえなければここに持ってくれば換えて上げます、という保証の意味らしいのだ。そういわれれば、偽札は結構使い込まれてボロボロなのにスタンプは1つも押されてなかった。
結局彼女は、偽札と分かってしまってからは使う気をなくしてしまい、記念に日本に持って帰ると言っていた。ペルーを旅行する方、偽札には気をつけて下さい。
(2002/3/11)
日本人宿。中南米には日本人しか泊まれない日本人宿がいくつかある。中南米以外では日本人がたくさん集まる宿というのはあるが、日本人専用宿というのはほとんどないらしい。その中はまるっきり「日本」という特殊な世界である。日本人の旅行者はそこに行って思う存分日本語を話し、日本語の本、漫画を読み耽ることができる。ただ、日本人宿にも賛否両論があって、せっかく外国に来たんだから日本人宿なんて泊まらないよ、という人もいる。それもごもっともです。でもね、同じ旅人同士、しかも母国語で話せる旅の話はとても楽しいのだ。酒を飲みながら、夜のふけるのも忘れて話が弾むこともしばしば。ルートが大体同じだったら何回も会うこともある。再会したときの喜びというのも格別だ。他にも同じ人に別々の場所で会っていて、あーその人知ってる、なんてこともある。
南米の旅行者は、会社に何年か勤めてから辞めて出て来た人が比較的多く、平均年齢も高い。未だ行ってないから分からないが、いろんな人の話を聞くとアジアが一番若い人が多く、次いでアフリカが大体平均27〜8歳ぐらい、南米になると30歳を越えるかもしれないとのこと。そういえば、私たちと同い年の人には結構会った。私たちの年齢ぐらいが上限かな。たまに50すぎという方もいますけど。費用がかかるというのも一因かもしれない。
そして忘れてはならないのが「情報ノート」。たいていの日本人宿には情報ノートが置いてあり、例えば旅のルート、お勧めの宿、おいしいレストラン、強盗に遭った話などなどいろんな生の情報が書いてあり、誰でも自由に書き込めるし、読めるというものである。私たちも宿に着くとまっさきに情報ノートを読み、これはと言う情報はガイドブックの余白に書き込んでおく。こういう情報はへたなガイドブックよりずっと役に立つのだ。
私たちは、中南米の日本人宿はだいたい泊まった。メキシコシティーのペンション・アミーゴから始まって、カンクンのカーサ吉田、グァテマラ・アンティグアのペンション田代、だいぶ飛んでブラジル・サンパウロのペンション荒木、ペルー・リマのペンション沖縄(日本人専用ではないらしいけど)、ペルー・クスコのペンション八幡、チリ・ビーニャデルマルの汐見荘の7箇所。私たちは泊まらなかったがまだ他にも3〜4軒あるはず。一番最初に泊まったアミーゴは「濃い人たち」(長旅、長逗留)が多くて私たち「薄い人たち」(と思ってる)は輪の中に入れなくて、居心地の悪い思いもした。それなのに、最後に泊まった汐見荘ではしっかりと身も心も「濃い人たち」(特にだんなは髭ぼうぼうなので)になってしまっていた。我ながらびっくりである。
だいたいドミトリー(相部屋)、キッチン付き。仲良くなった人たちとシェアしてご飯を一緒に作って食べるのも楽しい。こういう時にみんなが見せる食への飽くなき執着というか、こだわりはすごいものがある。何日も居ると見るところももうないし、暇なのでご飯に情熱を注ぎ出す。まず朝食時にメニューを決定する。買出し班が編成され、昼間に市場に買出しに行く。長期滞在者から卵はここで、肉はここで買ってという指示が出ることもある。たいてい日本料理だから食材がすべてそろうわけではない。そういう場合は代用品を探すのも楽しい。そして、調理はたいていみんなでわいわい言いながらやる。そうやってできあがった料理はたいていすごくおいしい。贔屓目に言ってるわけではなくて本当に美味しいのだ。ハンバーグ、とんかつ、皮から作った餃子、かきあげ、すきやき、ぶり大根。どれも忘れられない味だ。
私としては一番印象に残っているのが、汐見荘と八幡。汐見荘は、ご飯に全力投球していたという印象と、何より最初に泊まったアミーゴで会った「日本百名山夫婦」と再会できたのがすごく嬉しかった。他にも嬉しい再会があったし。八幡はクスコという古都の雰囲気と相まって非常に居心地の良い宿だった。旅行者が一箇所に留まって進まなくなる(進めなくなる)ことを「沈没する」というが、そういう感覚を始めて味わったのがここだった。もう一日、もう一日と先延ばしにしているうちに1ヶ月、2ヶ月がすぐ経ってしまうのだ。実際日本人宿には何ヶ月も居て、ほとんど住み着いている主のような人がたいていいる。私たちはせいぜい1週間というかわいいものだったけど。いろいろお世話になった日本人宿、これからもたくさんの日本人旅行者のオアシスとして存続していってほしい。
(2002/03/28)
出発前に他の旅行者のHPを眺めていると、持ち物の中に「味噌1kg」とあった。そんなんうそやろー、本当だとしたらものすごく物好きな人だなあ、と思っていた。その時はまさか自分がそうなるとは夢にも思わなかった。
旅行を始めたばかりの頃は、現地の食事を食べることが大切だと思っていた。日本食を食べると一抹の後ろめたさが伴なう。ところが郷土料理なんてものを食べようと思うと、すごく高い。昼は安い定食があるのだが、夜になると高いレストランしか開いていない国が多い。中米で安い食事というと「ポジョ・コン・パパス」つまりフライドチキンとフライドポテト。こんなん毎日食べてたら体にも悪そうだし飽きてしまう。 そうするとだんだん自炊をしようか、という気分が盛り上がってくる。
最初に自炊をしたのは、メキシコシティーにある日本人宿。日本人宿にはたいていキッチンが付いているからありがたい。日本では、まったく、全然、台所に立つ事の無かったダンナが、率先して(時々邪魔な時もあるけど)料理をするのには驚いた。本人は旅行の時だけ限定、なんて言ってるけど、是非日本に帰ってからもやってほしいものだ。自分で作る料理は、へたな食堂で食べるよりもおいしいので、ちょっといいかも、なんてチラッと思ったのだが、でもやっぱり私がほとんどやらないといけないので、めんどくさい。それに、1,2日だけの滞在だと食材を余らないように買うのが難しいのだ。調味料、油なんてのを常に持っていないといけないし。
もう一つの理由は、ダンナが朝から晩まで「ご飯、ご飯」と連発するのだ。まず「ご飯、なに作ろうか」(そしてほっておくと勝手にメニューを考えてくれる)。次に「ご飯、何時から作り始める?」。「まだお腹すいてないから後で」というと、しばらくすると「そろそろご飯、作ったほうがいいんちゃう」とくる。「そんなにお腹すいたんなら自分で作ったら?」というと「いや、僕は作ったこと無いから失敗する」とかなんとか理由をつけて私がその気になるまで「ご飯、ご飯」と連発するのだ。こういう会話を1日3回繰り返すと一日中ご飯の会話ばかりしているようでいやになってくる。
自分のサラダ油を買ったのはたしかグァテマラ辺りだったと思う。500ML入りのボトルを買った。そうなると、堰を切ったように調味料一式も揃え出した。それでも最初の頃は、醤油を持っていなかったこともあって、トマトソース味のパスタや鶏の煮込みばかり作っていた。ブラジルのサンパウロの日本人街でとうとうキッコーマンをゲット。そこから日本食作り熱が高まる。玉ねぎ、卵、鶏肉はどこでも手に入るので親子丼は定番だ。チリに来たらなんと大根が普通のスーパーに売ってた。そこで大根の煮付け。ペルーでは生しょうがが普通のスーパーで売ってた。しょうが焼きを作る。久し振りのしょうがの香りにはまった。もちろん、米も炊いていたのだが、細長いインディカ米しか無く、どうやっても独特のにおいが消えない。ところが、シドニー(オーストラリア)の中華街のスーパーにはコシヒカリが売っていた。さっそく炊いてみると、むちゃくちゃおいしい!何ヶ月ぶりの日本米だろうか。日本米はやっぱりおいしいと実感した瞬間だった。
ちなみに今持っている調味料は、
サラダ油(500ml入り)、醤油(もちろんキッコーマン。500ml入り)、料理酒(ピスコというウォッカみたいな酒)、にんにく(生)、しょうが(生と粉末)、ブイヨン、塩、胡椒、ほんだし、ローレル、カレーパウダー、小麦粉、コーンスターチ、七味とうがらし、味噌(500g)
加えて、使い切れなかった米やパスタも持ち歩くことになるので、食料だけでどれだけの重さになるか・・・。
しかし、それに見合うだけの幸せを得られるのも事実。やっぱり自分の好みの味の料理に限る。
さて、キッチン付きの宿に泊まると、時々欧米人のバックパッカーと一緒に料理することになる。何を食べてるかとても興味があるので見てるのだが・・・。例えば、インスタントラーメンは彼らもよく使う食材だが、食べ方が日本人とは少し違う。麺を茹でて湯を捨ててから粉末スープを絡めるだけ。こんな素ラーメンに茹でジャガイモ1個だけ、という夕食で済ましている人もいる。しかもこれが女の子だったりするからちょっと驚き。他にも食パンにケチャップをチーズを塗って焼くだけで夕食終わりという人も。しかも毎日同じメニューなのだ。
もちろんちゃんと作ってる人もいる。タヒチの宿ではフランス人が多かったせいか、パスタもおいしそうだったし、夕食にクレープを作っている人もいておもしろかった。
オーストラリアの次はアジアに渡る。「食はアジアにあり」、アジアはご飯がおいしくて安い。多分アジアではそんなに自炊する必要はないだろう。どんなものを食べられるか、食いしん坊の私はとても楽しみにしている。
(2002/03/30)
旅行に出て155日目に、南米の旅が終わった。最初の計画では、アジア、アフリカ、南米と回る予定だったので一番最後にくるはずだったのが、911事件の影響で一番最初になった。南米は日本の裏側、なかなか行けないところ、そして危険なところ、でも遺跡を始めとして魅力にあふれたところというイメージを持っていた。私たちは3ヶ月半かけて、南米大陸をぐるっと時計回りに一周回ったことになる。今回行ってないのがウルグアイとエクアドル。エクアドルはガラパゴス諸島を諦めたので行かなかった。ウルグアイは特に見所もなさそいうだし(失礼)、まあいいか、ということでやめた。
移動はすべてバスだったのだが、1つのバスで36時間が最長記録だ。そんなのを乗り継いで丸2日バスの中なんてこともあった。バスがたいていトイレ付き、エアコンつき(寒すぎることも多い)、リクライニング付きだったのが救いだった。とにかく南米大陸は広いのだ。見所が点在しているのでその間の移動がすごい距離になるのだ。
「遺跡が好きなら、ペルーは天国ですよ」とある旅行者が言っていたのだが、旅をしていてわくわくする国だった。次から次へと見所があって、期待を裏切らない。ナスカ、マチュピチュ、チチカカ湖、ウユニ湖・・・超有名な遺跡と自然のあわせ技。それから、民族衣装を着たインディヘナのおばちゃんを普通に見掛けるおもしろさ。子供も若い人も民族衣装を着てるのだが、なぜか「おばちゃん」というイメージが強烈だ。日焼けして老けて見えるのも一因かもしれない。あと、リャマ・アルパカのかわいかったこと。日本につれて帰ってペットにしたいぐらいかわいい。
そしてたいていの町は標高2500m以上のところにあるから、旅行者は高山病とも戦わなくてはならない。私たちは山登りが好きなので高度順応していくのが楽しかった。最高地点4900mもちょっと息苦しいかな、ぐらいになったときは、今なら6000mぐらいの山も行けるかも・・・なんて勝手に想像して喜んでいた。実際は登らなかったけど。
おまけに、これは嬉しい誤算だったのだが、ペルーはご飯がおいしくて激安!まずは前菜。深皿に具沢山のスープがなみなみと入っている。どんなに安い食堂でも外れがまったくなかったのは驚きだ。ジャガイモや、肉や、米、パスタなどがごろごろと入っていてこれだけでまず腹7分目になる。次にメインはたいてい4〜5種類の中から選べる。鶏肉、ビステキ、魚のフライ、スパゲティ(たいていゆですぎ)などが定番。付け合せにライスやサラダがたっぷり付く。そしてチーチャという赤とうもろこしが原料という常温のジュース(なぜ冷やさないのか不思議)。気の利いたところなら、ゼリーなどのデザートが出ることもある。これだけ食べてたったの100円!パタゴニアのトレッキングで(多分)3〜4キロ痩せたのだが、ここで一気に元に戻ってしまった。あーあ。
ということで、最後だったこともあるけど、私にとって南米で一番おもしろかったのがペルーとボリビアだ。ドロボウや強盗などのトラブルに会わなかったのも一因かな。実際にトラブルに会った人も多いので運がよかったのだろう。
行ったのが随分昔のような気がするけど、ブラジルという国も結構好き。人々は陽気で人懐っこい。特に北の地方。親指を立ててニコッとしたらコミュニケーションできちゃう。ここはポルトガル語だったので、現地の人たちとの世間話はあまりできなかったけど、雰囲気が好きだった。1ヶ月足らずで駆け抜けたけど、もうすこしゆっくりと、田舎の町を回ればよかったなと出国の時に思ったっけ。
安全で住むのに一番よさそうだったのがチリ。人々ものんびりしてた。顔が平和なのだ。アルゼンチンも経済危機の最中に行かなければそう思ったかもしれない。
そんな感じで、無事南米旅行を終えてホッと一息。楽しかったな、機会があればまた行きたい、と思う。 スペイン語の響きの中にまた浸ってみたい。
最後に独断と偏見で、何でもナンバー1をまとめてみた。
ホテル
No.1はブラジル。朝食のポイントが高い。美味しいブラジルコーヒーと、フレッシュジュース、トロピカルフルーツがほとんどの宿で出てくる。宿の設備はどこの国も似たり寄ったり。
インターネット
No.1 チリ。速くてさくさく見れるのが気持ちいい。値段は1時間1.5ドルぐらい。反対にインターネットカフェが少なくて苦労したのがブラジル北部。
バス
bP チリ。きれい。高いのになると飛行機並みのサービスのものもある。反対にワーストはペルー・ボリビア。特に山間部のバスは道が悪くてどうせ痛むから、とボロバスしか投入されていない。もちろんほとんどトイレなし。
チーノ度(東洋人を見ると「チーノ」と侮蔑する)
bP 南米ではペルーかな。すれ違った時に「チーノ?」なんてささやく人がたまにいる。こっちに向かって言っているのはなさそう。でもだんとつ一位はキューバ(中米だけど。しかもハバナ以外の田舎)。あの酷さを体験したら、ペルーなんて何てことない。また、他の国ではほとんどなかった。
日本車
bP ペルー。どこの国でも日本車比率は非常に高い。でもペルーは日本企業の社用車が「○△製薬」というロゴをそのままにして走っている(タクシー)。あと路線バスには「△□幼稚園」なんて書いた幼稚園の送迎バスが普通の大人用のバスとして走っている。こういうところで有効活用されているんだなあ。でもなぜロゴを消さないのだろう。漢字がおしゃれだと思っているのかな。ところで南米はすべて左ハンドル。輸入の時に改造するのだが、比較的簡単にできるらしい。
遺跡
bPはやっぱりペルー。ナスカ、マチュピチュは最高。次いでチリのイースター島かな。
自然
ブラジルのアマゾン、チリ・アルゼンチンのパタゴニア地方、ボリビアのウユニ湖辺りが甲乙付け難くて同率一位。ベネズエラのギアナ高地も天気が良ければ上位に来たかも。
危険度
旅行者が個人的に危険なのはペルー。ケチャップ強盗、首締め強盗、スリ、かっぱらい、置き引きのオンパレードで、気が抜けない。偽札もあったっけ。ゲリラが出没して危険なのはコロンビアか。安全なのはチリ、アルゼンチン。
(2002/03/29)