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ミャンマーからバングラデシュに飛行機で深夜入国した翌日、僕は少なからずのカルチャーショックに見舞われた。哀れな物乞いである。彼らは外国人だと分かると、何とか幾ばくかのお金を手に入れようと死に物狂いで付き纏って来る。海外に旅行する外国人は、いくら貧乏旅行を称しても彼らから見ると大金を持っているのだから、彼らの判断は正しい。 しかし、僕たち旅行者の立場からしたらこれが非常なストレスの種になる。この旅に出て初めて怒りをコントロール出来ずにぶつけてしまったのがダッカの物乞いに対してだった。 インドにやって来ても状況はまったく変わらない。それどころか明らかに物乞いの数が激増している。インドを旅して最初の頃、彼らとどのようにして向かい合ったら良いのか、僕は戸惑いを覚えるばかりだった。 「物乞い」と言っても千差万別である。 @子供たちの物乞い A老人の物乞い B一般人の物乞い C不具者の物乞い D歌謳い、掃除屋など インドを旅することは物乞いと対峙することだとも言える。これはすべての旅行者に一様にやって来る試練ではないだろうか。その結果、すべての物乞いを無視する人、自分なりの基準を設けてお金をあげる人(例えば不具者にはあげるが、子供にはあげない)、その時の気分で対処する人、千差万別だと思う。 僕の場合はサービスの提供を受けて、それが妥当と判断した場合にのみお金を渡していた。上記Dの人々である。それ以外、僕の場合はすべて無視してやり過ごしていた。時には少しばかりのお金を恵もうかなと思うほど悲惨な人も居たのだが、僕は敢えてお金を渡すことはしなかった。 その理由は色々ある。僕が幾ばくかのお金を渡しても彼らの置かれた状況を解決する根本的手段にはならないこと。所詮は全員に施しをすることなど不可能なのだから、一人にあげてももう一人にあげないという不公平が起こること。そして、僕が強く思うのは、これは所詮インドの国内問題ということである。冷たい言い方だが、これはインド政府が解決するべき問題である。 そう思う一方で、僕は最近の自分の感覚が恐ろしくなるときがある。最初は物乞いに同情を抱き目を逸らしていた自分が、最近は物乞いを見ても何も感じない。彼らに憎しみさえ覚える。物乞いを手で追い払ったり、僕の体を掴もうと伸びてくる彼らの手を乱暴に払いのけたりした時もあった。余りにも多くの物乞いに取り囲まれ、同情する感情が尽きてしまったのだ。 僕はインドという国は大変豊かな国であると思う。この旅を通じて感じ取ることができた。豊富な耕作地、豊富な人口、資源、科学力(インドは原爆からマッチまですべて国産できる力がある)、どれを取っても素晴らしい可能性を秘めている国である。 たった1ヶ月少し旅しただけで偉そうなことは言うつもりはないのだが、インドの根本的な問題点は「富の分配」にあると思う。とにかく貧富の差が大きすぎる。インドに原爆が必要なのだろうか。インドに戦闘機が必要なのだろうか。それよりも、インド政府は自国の弱者・貧者にももっと目を向けるべきだと思う。 一方、インド人の精神構造改革も必要と思う。上記Bのように一般の人々まで外国人にたかろうとする姿勢。この姿勢を改めなければ、インド政府の努力も車の両輪にはならないだろう。 それにしてもインド人は逞しい。物乞いも含めて生きるしぶとさは僕たち日本人が太刀打ちできるものではない。こうして、物乞いたちとの僕の戦いも果てしなく続いていくのである。 |