'01.09.03(月) 石狩岳
このごろはいつも登山道ばかり使っていたのでたまには沢を登りたいという気持ちが強くなってくる。実際この前の標津岳に登った日はもともと石狩岳に登る予定だったのを、天候が不安定なためにあきらめたのだった。ひとりで沢に入るときは気を使う。状況からいってもしものことがあれば見つかる可能性が極めて低くなるからだ。そのこと自体が沢に入るときのモチベーションとなるのも事実だが無理はできないのだ。でも、一度つくり上げたテンションは熱くなることがあっても冷めることがなくて、再び石狩沢から石狩岳を目指すことにしたのだ。沢はたくさんある中、なぜ石狩沢なのか…というとその名の通り石狩川の源流でもあるからだ。あの石狩川の源流部をあるけることに興奮を覚えるのだ。
こうした知らない沢に入るとき一番困るのがどれくらい時間がかかるかがわからないことだ。歩く時間は人によって異なるから他人が要した時間は本当に参考程度だし、増水や雪渓などによっても難易度が変わる。地図をひろげてあれこれ考えるけれどそれはあくまで机上のものだ。沢に一度入ってしまうともうそこは自分でどうにかするしかない世界だから、場合によってはどこで泊まるかとか引き返すかとかいうことも考えねばならない。いろいろあげるとマイナス要素(?)はきりがないが、そういったすべては旅の原点とも思えるものであり、現在の恵まれた時代にそうした“旅”をできることが沢の魅力だと思う。
朝3時半に起床し、4時前には帯広から出発する。前日の夜に準備はしておいた。今回は沢ということでウエディングシューズ(沢靴)、沢の後は縦走する予定なので登山靴、テント、シュラフ、マット、ガスストーブ、コッヘル、カッパ、着替え、食料、地図、6oロープ3m×2、カメラなどをザックにつめてある。
目的地は十勝三股をすぎ三国峠を越えた高原温泉近くだ。林道の入り口まで120`ほどであり、その数キロ先にゲートがある。そのゲートに着いてから驚いた。いつもは開いているというゲート(観音開き)に鎖がかかり4ケタで番号を合わせるタイプの錠前がしてあるのだ!!!これは困った。このゲートを通れないと目的地まで10キロ以上歩かねばならない。営林署で番号をきくには時間が早すぎるし、それに谷間では携帯も通じない。4ケタの番号を合わせるのも時間がかかるだろう。10分ほどあれこれ考えたが結論がでなかった。しかしよく見ると鎖がゲートの片方にしかかかっていないではないか!ゲートが閉まっていることと鎖に錠前がついていることで勝手にもう通れないと思い込んでいたのだ。えっ・・・!?
目的地の石狩沢とペテトク沢出合まではゲートから15`ほどあった。これを歩いていたら…と思うと寒気がする。ここまでの林道はよく整備されており僕の車でも十分走行可能だった。地図を見ながらの行動になるので出だしの場所が違っていては話にならないから現在地の確認には気を使う。車で走ってきた距離だとか地形などから確認する。それから車に石で輪留めをかけ、林道走行中につけていた車のライトを消したことを確認する。山奥だから確認することが多いのだ。帰ってきたら車が…という事態は避けなければならない。それからネオプレーンの靴下とウェディングシューズをはき準備完了だ。ズボンは化学繊維の入った作業ズボンだ。パンツはモンベルの速乾性のものだし、シャツもユニクロの一応速乾性のやつだ。
こんなかっこで出発です
よし出発だ!と歩き始めるがストックを忘れたことに気がつきまた戻って仕切りなおす。最近の僕はストックをできるだけ使うことにしている。というのも沢で思った場所にストックをつくことができるようにだ。滑りやすい沢を歩く場合ストックがかなり役立つ。ただし1本だけ。2本は使いきれないのだ。ストックを使うということは道を削ってしまう可能性が大きいから突く場所も選ばなければならないし、ただジャマになるだけだ。
久しぶりの沢水はひんやり冷たくて懐かしいが、ネオプレーンの靴下がすぐに足を暖めてくれる。普段の山歩きと違うのは足場が不安定なことが多いことだ。なのに登山靴と違い足首のサポートの弱いウエディングシューズをはいているのでねんざには気をつけなければならない。どこに足を置くか、そしてどこにストックをつくかがポイントになってくる。加えてザックを背負っているという普段と違う感覚に慣れなければならない。久しぶりの沢はやはり気を使うのだ。そんな中ルートを考えなければならないし、この先に現れる二股を見極めなければならない。
二股とは沢と沢が分かれるところで、沢を歩くにあたり現在地を知るうえで重要になる。この二股を目印に沢を登っているともいえるのだ。まず最初の目印は1200m二股だ。距離にして1キロ強だし、まだ単調で平坦な沢なので30分以内に着くだろうと歩く。ときおりカワガラスが僕に驚いて上流に向かって一直線に飛んでいくくらいで変化の少ない歩きだ。少しは人が入ることがあるらしく人の踏み跡も見られたりする。だがテープなどのよくある目印は見当たらない。25分ほど歩くと1200m二股に到着する。
1200m二股
ザックをおろし一息つく。そしてここが本当に1200m二股なのかどうかを確認する。出だしで間違えればそれだけダメージが大きくなるので慎重なのだ。ここまでは歩きやすい沢だった。すでに標高も高いことから沢自体小さいし、両岸も傾斜が緩いことから圧迫感が少ない。この先の道のりを考えながら地図を見るがその場にならないとわからないことのほうが多いがイメージをある程度つくっておくという感じだ。
再びザックを背負い左股を選び歩きだす。こうしてテントやシュラフを入れたザックを背負うのは6月に礼文島に行ったとき以来だが、案外体には違和感がなくて少し驚く。とても自然な感じなのだ。沢音も気持ちがいい。テンポよく歩いていると1270m二股に到着する。
1270m二股
明らかな二股であるし、ここにきて初めてテープの目印がついておりちょっと安心する。ザックを背負う僕に元気が出てくる。人がいないところを求めてきているのに人の痕跡を見て安心する自分に笑ってしまうときだ。さあ、これから沢らしくなるはずだ。地図を見ても斜度がこの先増してくるのがわかる。まずは5m滝がの現れるはずだ。
沢は1270メートル二股から斜度を増してくる。それに従って沢の雰囲気も変わってくる。上流部に近づくにつれ沢がさらに狭くなるというのもあるが歩くというより登るという感じになり、1歩1歩登るにつれ頂上に近づいているという実感があるのだ。傍らにはミソガワソウやトリカブトの花が咲く。
ミソガワソウ ダイセツトリカブト
なかなか現れない滝だがこれらの花々が咲いているのがせめてもの救いとなる。少し不安を感じはじめるころ滝が現れる。ようやく現れた滝に、それも美しい滝にしばし見とれてしまう。沢を登る幸せを感じる。こういう時間はうれしいものだ。
5mの滝
この滝は右岸(左側)には巻き道があり、それを使えば超えられる。この先どんな滝が現れるだろうという期待と不安(果たして超えられるだろか…)が入り混じる中さらに登っていくのだ。やがて1500m二股になる。この二股は右股を選ぶのだが左股の水量が少なくて沢が右に曲がっていなければわかりづらいとところだ。高度計を持っているわけでもないので状況からみてそうだと判断したのだ。だが、なんとなくすっきりしない気分で現在地がどの辺りなのかちょっと混乱してくるのはこのころからだ。最悪の場合引き返すのもしょうがないと自分に言い聞かしつつの登りとなる。僕の参考にする本に書かれている1500m二股以降に現れるはずの2段の滝やチムニーの滝、そしてハングの滝らしきものがみつからない。それらが現れて1650m二股になるはずだからわずか標高差150メートルの間にそれらがあるはずなのだ。なのに僕は1500m二股からの急登をかなり登ってしまっている。今考えるとある滝が2段の滝なのかなと思えるものがあるけれど、そこはどう考えても主流とはいい難くて、二股だと言われればそうかなとも思えるのだけれどそんな書き方はされていない。どれくらい登ったろうか。もう本なんてあてにならないなと登り続ける。地図上での大体の位置は把握しているのがせめてもの救いで、あとは自分の状況判断が第一だ。沢の源頭を詰めることで一番問題なのは沢が終わったあとのブッシュがどれくらいあるか…ということだ。沢幅もかなり小さくなり二股となる。右股を登るけれどすぐにブッシュにつつまれどうも大変そう。去年登った知床岳の3時間以上にも及ぶ笹およびハイマツ漕ぎを思い出す。このまま進んではダメだ。そう思って戻り、小滝ともいえなくないような沢を詰め始める。
ウサギギク
そんなとき僕の好きなウサギギクが目にとまる。一番いい時期は過ぎた感があるがうれしくなる。きっと遅くまで雪渓が残っていたのだろう。そう思うと稜線が近いことを実感できるようになってくる。とはいえこのままで本当に稜線に出れるのだろうかという漠然とした不安に包まれているのに変わりはない。と、オレンジのテープが目に入る。人の痕跡だ!誰かがここを利用しているのだ!!ホッ…。安心感に包まれる。やがて沢はハイマツの中に入り、ハイマツ漕ぎ状態になるがそれも左手にお花畑が(正確にはお花畑の跡)現れるとおしまいだ。普段ならこれほど高山植物を踏むことはないのだが、こういった沢を詰めるとなると道がないことが多いので高山植物を踏むことも多くなってしまう。少し罪悪感が僕をさいなむけれど目いっぱい動いているときはそんな罪悪感も却下されてしまう。ぐいぐいと登りつめると稜線上の石狩岳から沼ノ原への縦走路に飛び出る。
稜線に出て…
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