| 赤岳(2899M)〜権現岳(2715M)〜 三つ頭(2580M) |
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八ヶ岳は、長野県の茅野市、諏訪郡、南佐久郡、それに山梨県の北巨摩(こま)郡にまたがる広大な山域で、南北に約30km続く山稜のちょうど中間ぐらいにある夏沢峠を堺に、南八ヶ岳と北八ヶ岳とに分けられる。
南八ヶ岳は盟主赤岳を筆頭に阿弥陀岳、横岳、権現岳、硫黄岳と2700から2800メートル級の山が連なる。
この日は、奥秩父の「甲武信岳(2475M)」へ行こうと、小淵沢という町に前泊したが、朝5時に起きると前日からの雨は上がる気配はなく、「甲武信岳」をあきらめ、また布団にもぐり込む。
7時過ぎに再び目をさまし、テレビの天気予報を見ながらコンビニおにぎりをほおばり、外を見ると、雨の上がりそうな様子であったが、この時間からでは、「甲武信岳」の日帰りはむりである。
近場の観光にしようかと考え、8時に宿を出てJRに飛び乗るが、山へ行きたいという気持ちの方が強く、翌日に予定していた「八ヶ岳(赤岳)」の出発駅となる茅野駅にとりあえず行くことにする。
雨は、上がりそうな気配が強くなってきているようだが周囲の山はまったく望めない。
天気が天気だし、地図があるだけでまったく未知の山でもあるし、無理はしないで登山口まででも行ってみようと思い、赤岳の登山口である「美濃戸口」までのバス券を購入して、バス停横でカッパを着て、スパッツを着け準備を開始するが、ザックカバーがいくら探しても見つからない。
なんたることか、ど素人と一緒で忘れたらしい。
こまったな〜と思っていると、50歳くらいの男性から「どちらまでですか?」と声を掛けられ、八ヶ岳についての知識が全くない自分は、「八ヶ岳です。」と訳の解らない答えをしてしまう。本来ならば「赤岳」と答えるべきであった。
その男性も「赤岳」ということで、一緒にどうですか?とのお誘いを受け、ザックの中身が濡れないようにと、大きなビニール袋を頂く。
ビニール袋をザックに入れて荷物をその中にいれた方が良いとのアドバイスを頂いて、衣類等と詰め直し、9時30分発のバスに乗り込むが、乗客は、自分とその男性の二人だけであった。
ご一緒させていただく方は、中村さんという方で、八ヶ岳は相当に詳しく、赤岳も10回以上は登っているとのことで、また、冬山登山もするとのことで、自分にとっては、願っても叶わぬような、素晴らしい人とめぐり合うことができた。
ズボンの上にカッパを着けると蒸れるので、カッパだけの方が良いとのアドバイスも頂き、バスの中で着替えをして、さらにお互いの仕事などの話しをして、10時に登山口である「美濃戸口(1500M)」に到着、身支度を整え、早速、登山を開始する。

登山口からしばらくは、霧雨の林道をかさを差しながら進むが、雨の新緑もなかなかきれいで、あらこれ話しをしながら、1時間たらずで、林道の終点である「美濃戸山荘(1800M)」に到着し、そこでおでんをとって、すこし早めの昼食にする。

20分ほど休んで、登山道へと進むが天候は相変わらずの霧雨で、かと言って、これ以上くずれるような様子でもなく、中村さんの案内のもと、沢沿いの道や残雪がアイスバーンになった登山道を傘を差しながら進むこと、約2時間で「行者小屋(2400M)」に到着する。
「行者小屋」の玄関は、溢れんばかりの人であったが、奥の方へと進みコーヒーを飲んで一休みすることにする。

そこから先は、いよいよ岩稜歩きとなるらしく、傘をたたんで、「地蔵尾根」へと進むが、天気は相変わらずで、山頂に近いせいか風も結構出てきた。
霧が濃く、視界は30メートルといったところだろうか。

中村さんのリードとアドバイスのもと、急登の残雪の樹林帯や鎖場、さらには険しい岩場の尾根を慎重にクリアーするが、鎖場も尾根も一歩足を踏み外せば、それで終りという状況である。
風も相当に強くなってきたので、より慎重にゆくっりと視界に入るルートの確認とそこを登るイメージをして、一つひとつのスパンを確実にこなしてゆく。

そして、14時50分、「赤岳展望荘」に到着し、さらに濃い霧の中の鎖場を進み、ついに目的地の「赤岳頂上小屋」に15時20分に到着することができた。
小屋に入り、リュックをとり、小屋の宿泊者名簿に住所、氏名を記入していると、小屋の人が「函館ですか?僕も函館出身で実家は本町にある。」とのことで、お互いにびっくりであった。(小屋は1泊2食で7700円)
玄関でカッパやスパッツを乾かそうとしていると、4人の若者がずぶ濡れ状態で入ってきた。「県界尾根」をいう相当に残雪のある厳しいルートをきたらしく、相当にバテテいる様子であったが、暗くならないうちに小屋に到着してなによりであった。いくら若者でもこの天気で暗くなれば危険であったであろう。
小屋で350ccのビールを買い、食堂のストーブの前で中村さんと乾杯をする。
ビールを飲んでから、持ってきたサントリーホワイト小ビンをカップに注ぎ、喉に流し込むと、これがまた最高であった。
自分にとってのこれまでの最高峰は、蓼科山の2530Mであったが、中村さんのお蔭で、2899Mの八ヶ岳連峰「赤岳」にまで登ることが出来た。本当に感謝、感激である。
4人の若者(大学の冒険クラブのOBと現役(女性一人))も呼んで、持ってきたサントリーホワイトを渡し、体を温めてもらう。

初めての山小屋泊であるが、夕食は、ハンバーグ、ウインナー、味噌汁、ごはんで味も良く、最高のご馳走であったし、なにより小屋の人や雰囲気が素晴らしかった。
中村さんによると、小屋の人の感じが良くない、程度の低い小屋のもあるらしいが、ここは最高であるとのことである。
6時前に夕食を終え、布団に横になると、いつの間にか寝てしまった。目がさめると、8時消灯の10分前で、玄関前でタバコを吸い、再び布団に入るが、今度はなかなか眠りにつけない状況である。
結局、眠りに入ったのは、12時過ぎであった。
翌朝は、3時40分過ぎに目を覚まし、外へ出てみるが相当に寒い。今日は天気が良いらしく、うっすらと広がる雲海が美しい。

玄関の中で、一服して4時半のご来光、雲海に浮かぶ富士の眺めをしばらく楽しむが、外は本当に寒く、風も強くドラム缶の上などに溜まった水は氷と化しており、気温を測ってみると、零度であった。
その後、3分ほど歩き、4時50分、「赤岳(2899M)」山頂の祠の前に立つ。
そこからの眺めは最高で、富士、南アルプスの鳳凰三山、北岳、甲斐駒ケ岳、蓼科山、北アルプスの山並みといった360度の大展望であった。
眺めを楽しんだあと、小屋に戻り、再び布団にもぐり込むが、5時50分に小屋の人から「ご飯の用意ができました。」と起こされ、暖かいごはんと味噌汁をいただく。
天気予報は、午前中は良いが、午後からは下り坂のようなので、6時40分過ぎに小屋を出発する。
下山のルートも、すべて中村さんにお任せで、自分はただ付いて行くだけである。
今日のルートは、「権現岳(2715M)」〜「三つ頭(2580M)」〜甲斐小泉駅である。
「赤岳」山頂からすぐは、ガレ場の急な下りで、慎重に、慎重に進む、ガレ場はほとんどが一歩でも足を踏み外したなら終りという状況である。
何度かの登り返しを経て、今は営業していない「キレット小屋」に付き、一休みとする。

そこからも、急登が続き、鎖につかまりながら、四つんばいになりながら進んで、「権現岳」直下の長いはしごの下に辿り着く。
呼吸を整え、中村さんが下から写真を撮ってくれるとのことなので、30メートルはあるであろう長いはしごを先に登らせて頂く。
上からは、登ってくる中村さんの写真を撮り、「権現小屋」で暖かいコーヒーを飲んで、9時40分に「権現岳」の頂上に立つ。
それからは、危険箇所もなく「三つ頭」に10時15分に到着して、少し早い昼食とするが、「赤岳頂上小屋」で作ってもらった弁当(うな重)はご飯が相当冷えており、半分しか喉を通らなかった。

食事をしたり、写真を撮ったりして、八ヶ岳神社へ向け下山を開始するが、そこからの道は、だらだらと続く針葉樹の道であった。

12時20分に「八ヶ岳神社」に付き、ほどなく車道にでて、しばらく歩き、近くの店でビールを買って乾杯し、タクシーで小淵沢の駅へと向かう。
中村さんは、甲府の友達の所によっていくとのことで、自分は13時40分発のあずさに乗ることにする。
近いうちに新宿あたりで一杯やりましょうとの約束をするが、満足な御礼も出来ないままのお別れとなってしまった。
中村さんには、山を一緒させて頂き、案内をして頂いただけでなく、山の先輩として、人生の先輩として短い時間ではあったが、本当に多くのことを教わった。
素晴らしい人との出会いに感謝するとともに、心からお礼を申し上げたい。
「中村さん、本当にありがとうございました。中村さんとご家族の益々の山でのご活躍を遠く函館の空からお祈りいたします。」