柳田國男著、「豆の葉と太陽」(昭和15年11月)の自序の中に、以下の文がありました。〜昭和11年の春の旅に、薩摩の海門岳の麓を二度目に通って、30年前の通路が見分けがたいほど、改良されているのに吃驚(びっくり)した。還(かえ)って来てその話を病弟に聴かせようとすると、うん海門はいい山だよといっただけで、目を閉じて多くを語らなかった。この弟が海軍の船に乗って、何度となくあの御岳の外を通ったことは、私でさえも間接に記憶している。病んで疲れて再び訪(とぶ)らう折のないことを知ると、むしろこまごまとその印象を説くに堪えなかったのである。そうして私が同じ年の秋に、偶然に三たびこの山下を過ぎた日には、彼はすでに世を去ってただわずかな幻想だけが残っていた。兄弟二人が一生のうちに、幾度か一つの御岳の秀でたる峯を仰いで、その神々しさに心を打たれた場合ですらも、それを語りかわす日はなくして、永く別れてしまわなければならぬ例もあったのである。国土山川の色さまざまの美しさと、旅する者の新たなる情感との、遭遇こそはまことに稀有である。万人が立ち替わり入り替わり、あしたゆうべにこれと向き合っているということをもって、自然の常在を信ずることはできない。もしも私がここに自分の体験をたどたどしく説こうとしなかったら、ある日の発見は永久にくりかえされぬかも知れぬ。
この文で、10年ほど前に、船で鹿児島から屋久島へ 渡った時のことを思い出した。その船上から薩摩半島からすくっとそびえる円錐形の独立峰、開聞岳 が望めた。その均整のとれた姿に、いつか登るぞと誓ったが、いまだに登っていない。鹿児島湾へ入る海の門という形容にぴったりの姿であった。
開聞岳というイメージを喚起しない名より、海門岳というイメージ通りの名がどうして普及しなかったのだろうか、地名辞典で、調べてみたが、両方の名が平安時代から使われていたようである。
海上からこの山を望む人が少なかったのだろうか、開聞岳の方が、意味がわからなく、ありがたい感じがするのだろうか、そのため、この開聞岳が普及してしまったのだろうか。海門岳という名が使われないのは残念である。
2000年4月
日本一の樹齢の樹といえば、たぶん、屋久島の樹齢7千年といわれる縄文杉を思うかもしれません。この樹の発見された当時は、この樹の太さから割り出して、樹齢7千年と判断し、縄文時代から生きているので、縄文杉と命名された。 しかし、CTスキャンみたいな機器で調べた結果、樹齢2千数百年の樹が3本合体していることがわかった。これを知ったときがっかりしたけれど、常識的に判断すればそうだなとおもった。
また、縄文杉のあの魁偉な姿は3本の杉が合体して出来たものと思えば納得できる姿である。よく2本が合体してY字形になったものを夫婦杉などといわれ、まつられているのを見たことがあるが、3本合体したのは、かなり珍しいことではあるが……。
縄文杉は屋久島のシンボル的存在のため、いまだに樹齢7千年と宣伝しているが、本当のことを知ったとき、裏切られた気分にさせられるから、本当のことを言うべきだとおもう。 それを知られたところで、世界遺産の自然を持った屋久島の素晴らしさは少しも減じないと思う。
2000年5月
近所に富士塚が三つもあります。一つはとても立派な富士塚です。そこで、なんでこんなものを造ったのか興味を持ち、調べてみました。
それには「冨士講の歴史」岩科小一郎著の本に詳しくかかれていました。 江戸庶民の富士登山の姿が偲ばれ、とてもおもしろかった。
そこで特に驚いたことがありました。それは、富士山をどんな風に登ったかを知ったことです。
地図を広げてたどってみてください。そのルートは八王子、高尾山、小仏峠、甲州街道、大月、富士吉田、頂上、須走、松田、蓑毛、大山、と1週間ほどで、歩き通す。富士山だけでなく、ついでに高尾山、大山をのぼり、道了尊(箱根の明神が岳の麓にある由緒ある寺)にもたちよる。短い巡礼の旅といっていいほどです。昔は歩くしか移動の手段がなかったからだろうが、普通の人々が、これぐらいは平気で歩いていたのだろう。交通機関の発達したために、そんことをする必要がなくなった現代人は、どのくらいの割合で歩き通せるだろうか。江戸時代の方が体力的に優れているといえるだろう。さらに、現代人は、パソコン、その他もろもろの便利な機器の発達で、読み書き、計算という能力、精神的あるいは頭脳的な退化もはじまっている様だ、といっては言い過ぎだろうか。
2000年7月
国土地理院発行の5万分の1の地図を元にして、七ヶ岳を登りました。戻る
七ヶ岳は、浅草5時発の日光行きの電車に乗って、下今市で乗り換え、会津高原駅の一つ先の駅、七ヶ岳登山口駅に9時に着く。そこから歩き始めて3時間30分ほどで山頂に着く山である。長い林道歩きと、気持ちよい歩きやすい、幅3mほど数百メートル続く滑沢歩き、そして山頂からの景色が素晴らしい山である。
その山頂から5万分の1の地図によれば中山峠に抜ける道があり、途中に湿地帯もあるので、ここを歩くことにしたのだが、途中までは、ちゃんとした道があり地図通りなのだが、突然、尾根を逸れ、高杖スキー場への道になってしまう。尾根で中山峠への道は発見できなかった。たぶん藪の中に埋もれてしまったとおもう。尾根からあそこが湿地帯だと望め、冒険をすればいけなくもなさそうなのだが、あいにく雨がふり、雨の中の藪こぎはつらくあきらめました。
たぶん旧中山峠に抜ける道はなくなっていると思います。地図に道が画かれていても、なくなっている場合がよくあります。(廃道化している道を歩くのは、ホント難しい。下手すると遭難する可能性がある。)
そのために山登りのルートを大幅に変更しなければならず、計画通りの電車に乗れなくなり、ひどい目に会いました。
国土地理院の地図でも100%信用しない方がいいということです。
2000年9月