龍 門 ガ 岳
(904m)

龍門ガ岳
               

 奈良の大宇陀町と吉野町の境に位置し、明日香と吉野を南北に隔てる龍門山地の主峰が龍門ガ岳である。

 この山の南麓には、平安時代に栄華を極めたとされる龍門寺跡が静かに横たわり昔日の幻影を今に伝えている。
 全山植林に覆われながらも堂々とした山容を誇っており、「日本三百名山」にも選定された山である。
 
 吉野側の吉野山口神社から山頂を越え、女坂伝承地の大峠を経て多武峰道の不動滝へ下るコースをとった。




近鉄吉野線大和上市駅から笛吹行きの奈良交通バスに乗って、山口で下車する。
すぐ正面には高鉾神社・吉野山口神社の鳥居が立っている。

高鉾神社・吉野山口神社の鳥居

高鉾神社はかつて龍門ガ岳山頂に祀られていたが、室町時代にこの吉野山口神社の境内に遷された。
拝殿前の二基の灯篭は、紀州藩主であった江戸幕府8代将軍・徳川吉宗が参勤交代の安全を願って寄進したものである。
境内奥右側のツルマンリョウの群落は県の天然記念物に指定され、赤い実が彩りを添えている。

高鉾神社本殿

吉野山口神社本殿

吉宗寄進の灯 ツルマンリョウの群落



境内の左から舗装された村道に出てゆるやかに登っていけば、
山口の集落を抜けて、うっそうとした植林の中に伸びている林道に入ってゆく。

右手に下垂石の石塔を過ごすと左に龍門滝(二の滝)への降り口を見る。
階段を下れば、目前に高さ10m程の龍門滝が岩盤を滑るように流れており、
滝壺の左には江戸期にここを訪れた松尾芭蕉の句碑がある。

林道の入口 龍門滝

元の道に戻って先に進めば、龍門寺塔跡への横道が左手に通じている。わずかに行くと柵に囲まれた塔跡がある。
かつてはここに龍門寺の三重塔がそびえていたというが、今はもう桧林の中の壇上に礎石だけが残っているだけである。

龍門寺は7世紀白鳳期頃の創建といい、当時は金堂・三重塔・宿坊などの伽藍が建ち並んで、
久米・大伴・安曇の仙人がここで修行していたとも伝えられている。
平安期には、清和上皇・宇多上皇・菅原道真ら朝廷の要人も参拝するなど興隆を誇っていたらしい。

引き返してまた林道をたどる。左手に現れる龍門寺宿坊跡の石碑やその先の石垣からも
失われた古寺の伽藍の面影がわずかに伝わってくるようである。

龍門寺塔の基壇跡 龍門寺宿坊跡



龍門滝(一の滝)を右の木の間越しに見て滝の落口を渡る。
谷の沢通しに進み堰堤を越えていくと左側が伐採された尾根道に出る。

このあたりからは胸突八丁の急坂が頂上の肩まで続く。伐採地と植林帯の境を抜けて熊笹が茂る
桧林の中を行けば、
勾配がゆるくなって龍門ガ岳の山頂にたどりつく。

石が混じる急坂 熊笹の茂みの道



龍門ガ岳の山頂は小広く開かれた広場になっており、木立に覆われ展望は得られないが、
立派な祠が祀られるとともに一等三角点が設置されている。

この祠は嶽明神と呼ばれ、麓の高鉾神社と同じ高皇産霊尊(たかむすびのみこと)を祭神としている。

山頂の祠(嶽明神) 一等三角点



頂上から北へ急坂を下っていくと切り開かれた伐採地が広がり、西に金剛・葛城山地が眺められ、
鉄塔の立つ草原からは、北に音羽三山南端の熊ガ岳が指呼の間に見える。

明るい笹原の中をゆるやかに下っていくと、三津の集落へ通じている三津峠に至る。

金剛・葛城山地の稜線(最奥)

熊ガ岳

ゆるやかな縦走路 三津峠



この峠を直進し山の左側を巻いて進むが、このあたりは荒れ気味で道幅が狭く、足元に注意して進まねばならない。
巻道が終われば道は歩きやすくなり、細峠分岐のピークを右にとって桧と笹の林の中を尾根伝いにたどっていく。

細峠分岐のピーク 桧と笹の尾根



下りついたところが大峠で、地蔵堂と神武天皇東征ゆかりの「女坂伝承地」の石碑が立ち、
正面には音羽三山への縦走路が続いている。

ここを左へ折れて、急傾斜の舗装された林道を下る。
正面に御破裂山の山頂を眺めながら、針道の集落を抜けていくと不動滝バスに着く。
奈良交通バスで近鉄大阪線の桜井駅南口へ。

大峠 針道の集落からの御破裂山



 
 奈良盆地の東を走る山なみを北から眺めていくと、青垣の山と、吉野を含めた大峰山脈を分けるのがこの龍門ガ岳である。 
 
 
この山の東北に位置する室生の山々からこの山を眺めると、音羽三山の南に突きでるピークは一目でそれとわかり、
 吉野山あたりから見た山容もすばらしい。南麓の龍門寺跡のもつ歴史と合わせて「三百名山」に選定されるのもよく理解できる。
 



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