多 武 峰


多武峰から流れる寺川
               

 奈良県桜井市の多武峰は、飛鳥時代に中大兄皇子と藤原鎌足が蘇我氏を倒す計画(大化改新)を談合した地とされ、
 紅葉の名所としても名高い多武峰談山神社が有名である。
 この神社は、明治時代まで多武峰寺として知られ、多くの参拝者が訪れていたことが、
 近辺の明日香や吉野に残る江戸時代以降に立てられた石造の道標が、「とうのみね」を指していることからも推測されるという。 

 御破裂山の山上に近い談山神社から山麓にかけては、この神社ゆかりの聖林寺や日本三文殊に数えられる安部文殊院など 
 大化改新に関連の深い寺社が点在しており、飛鳥時代の一端を感じさせてくれるようである。




近鉄大阪線桜井駅南口から、談山神社行の奈良交通バスに乗る。
バスは市街地を抜けて寺川沿いに山間部を走り、終点ひとつ手前の多武峰バス停で降りる。
多武峰談山神社へは、終点の談山神社バス停まで乗ったほうが早く着くので、ほとんどの乗客は終点で降りるが、
多武峰バス停から杉木立に囲まれた元多武峰寺の境内を歩くほうが、この神社の歴史がより感じられる。

バスを降りて右手の屋根の付いた屋形橋を渡ってバス道を少し行くと、右に1803年建立の東大門が建ち、
元多武峰寺の境内を通って談山神社正門へ至る坂道が分岐している。

屋形橋 東大門

杉木立に覆われた坂沿いには、寺の建物が並んでいたと思われる石垣が点在し、かつての伽藍が目に浮かぶ。
坂道をゆくと、左に鎌倉時代作の魔尼輪塔(まにりんとう)がある。
石の八角柱の正面に、大日如来のアークを刻んだ円盤が付けられている珍しいものである。


石垣沿いを通る坂道
魔尼輪塔



坂を登りきり、道沿いに土産物店や観光ホテルが並ぶようになると、談山神社正門の鳥居前に出る。
この日は正門が閉められていたので、少し先の西門で入山料を納めて入山する。
西門付近からの十三重塔の眺めは、自然と人口美が調和した談山神社を代表する風景であろう。

神社正門の鳥居 十三重塔

この神社の起こりは、678年に鎌足の長男・定慧が摂津に埋葬されていた鎌足の遺骨をこの地に移し、
十三重塔を建立して妙薬寺(多武峰寺)を開いたことに始まるという
701年に神殿が創建され、藤原氏の繁栄に伴って長らく神仏習合の形で隆盛してきたが、
明治時代の神仏分離令で寺が廃止され、談山神社として今に至っている。
裏山の御破裂山頂上には、鎌足の塚が静かに眠る。

社殿は極彩色の朱塗りで、楼門と透廊が本殿と拝殿を連結している構造である。
舞台造りの拝殿外廊の多くの金灯籠は美しく、この建物は宝物殿も兼ねており多くの社宝を展示している。

楼 門

舞台造りの拝殿

拝殿外廊 「藤原鎌足公画像」
(中央・鎌足、左・次男不比等、右・長男定慧)



談山神社駐車場から桜井駅南口行のバスに乗って、駅方面に戻る途中の聖林寺前で降りる。
小川の橋を渡って坂を登っていくと、石垣の上に白壁に囲まれた聖林寺に着く。

山門からは北への展望が開け、三輪山西面のゆるやかなスロープが印象に残る。

聖林寺山門 三輪山への展望

この寺は多武峰寺の別院として藤原定慧によって、711年に開かれた。
本尊は安産・子授けにご利益があるという江戸元禄期の「子安延命地蔵菩薩像」であるが、
本堂別棟には、第一回国宝指定の「十一面観世音菩薩像」が、ガラスケースの中に厳重に安置されている。

この像は奈良時代天平期の木心乾漆像で、元は三輪山麓の大神神社の神宮寺・大御輪寺の秘仏であったが、
明治期の神仏分離でこの寺に移されたという。
均整がとれたしなやかな仏身に凛々しい表情をみせている
本尊及びこの像ともに撮影禁止)

本堂と前庭 鐘 楼



聖林寺を後にして北へ進むと、左手の由緒のありそうな造り酒屋の軒下に、
緑や茶色の大きな玉が、いくつも吊るされているのを目にする。
これは杉玉といって、三輪山の神杉の葉を球形に束ねたもので、
酒の醸造の神とも仰がれる大神神社から、毎年11月14日の酒まつりで授けられるものである。

造り酒屋の軒下に吊るされた杉玉



程なく道標のある辻に出るので、これを左へとって安部文殊院方面へ向かう。
道なりに進んでメスリ古墳を過ごしていき、交差点を渡って住宅地を少し入ると安部寺跡にたどりつく。

史跡公園として整備されている安部寺跡は、大化改新の時に左大臣となった安部倉梯麻呂(あべくらはしまろ)が
645年に建立した法隆寺式伽藍配置による安部一族の氏寺の跡地である。
現在では、芝生の中に塔跡と金堂跡の土壇だけが残っている。

安部寺跡の石碑と塔跡の土壇
安部寺跡の金堂跡(左)と塔跡(右奥)



安部寺跡から北東へ300m程行くと右手に安部文殊院の山門に至る。
安部文殊院は、鎌倉時代に安部寺がこの地へ移転したもので、
「安部の文殊」として日本三文殊のひとつに数えられており、
智恵を授かり学問成就の信仰を集めて、試験などの合格祈願の参拝も多いようである。

山門をくぐって落ちついた雰囲気の石畳の参道をゆくと江戸時代に再建された本堂にたどりつく。

本尊は怒った獅子に乗った全長7mの文殊菩薩騎獅像で、鎌倉時代の快慶の作とされている。
本堂内には、ほかに多武峰寺の元本尊であった釈迦三尊像(室町時代)や
安部寺元本尊の大日如来像(平安時代)など由緒ある仏像が安置されている。

安部文殊院山門 本 堂

本堂横の文殊院西古墳は、飛鳥時代築造の花崗岩の石室で安部倉梯麻呂の塚と伝えられ、
文殊池には、昭和60年に建てられた六角形の金閣浮御堂が水面に映えている。
境内の東にある小高い丘に登ると境内が一望でき、冬期には真下に干支をデザインした花絵が楽しめる。
住宅街に接しているとは思えない、見どころが多い古刹である。

帰路は、文殊院の東門を出て北方向へ市街地を20分程歩いて、桜井駅南口へ。

金閣浮御堂 文殊院西古墳

地植えの花で描かれた干支の花絵




 山中に鎮座する談山神社から山麓の聖林寺を経て、市街地にある安部文殊院まで
 バスを交えて下りてゆけば、まわりの景色こそ山中から山里、住宅街と変わってゆくが、
 それらの境内に一歩踏み入れると、時間がゆったり流れている感覚を覚える。 

 特に安部寺跡は一見すると普通の公園に見えるが、ここだけ時計が止まっているようであった。 




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