ハイデガーは人間を、次のように定義した。 『人間の特徴は、人間は己の存在において、この存在に関われるというところにある』 即ち「人間は、ただ生きているだけでなく、自らの生き方を決めていくことができる」と。 人間と他の動物との違いは、この点にある。 犬は「明日から自分はこういう犬になろう」とか「他人を傷つけることはもうやめよう」と 自分の生き方を決めることはない(できない)。また、犬以外の何者にもなることもできない。 その代わり、犬として学ばなくても( 子犬の時から人に飼われても )犬になることはできる。 しかし、人間はそうでなない。オオカミに育てられたアマラのように、人として学ばなかった 人間は、人になることはできないのだ。人は他の動物と違い、人間とは違う「オオカミになること」 もできるが、その代わりに、人として学ばなければ「人にはなれない」のだ。 我々人間が、「親」から、「地域社会」から、「友達」から、「教師を含めた先輩」から、そして 「恋人」から、「子供」から学ばなければいけない理由は(人として学ばなければいけない理由は) より素晴らしい、素敵な人間になるためだと信じている。 他の動物に比べ、なぜ人はこんなに面倒な生き方をしなければならないのだろうか。 いや、本当は面倒なことではなく、「知ること」は楽しいことで、これは人間の本能であると思う。 『学ぶこと』は、面倒なコトではなく、神様が、我々人間に与えてくれた権利であると思う。 パンセ347節より 『人間は一茎の葦に過ぎない。自然の中で最も弱い存在である。だがそれは考える葦である』 パスカルの著書『パンセ』の有名な言葉である。パスカルは「人間は、理性(精神)を持っているが 故に偉大であるが、身体を持ったものとして、小さく弱い存在だという認識が必要である」と(その 認識がないデカルトは傲慢であると)説いている。 パスカルの『パンセ』では 「小さく弱い存在だという認識」を強調して教えられるが、そうでなく 次の節を僕は強調したい。 パンセ348節より 『空間によって宇宙は私を包み1つの点のように飲み込む。考えることによって私が宇宙を包む』 確かに、大自然、そしてこの宇宙空間から見れば、我々人間とは本当にちっぽけな存在でしかない。 しかし、そのちっぽけな人間の頭の中で、この宇宙は想像され、解明されようとしている。 ・・・ だがそれは考える葦である ・・・ 「人は、想像するから、考えるから、素晴らしい存在である」という点を強調したい。 人は「偉くなるため」に、または、競争して「他の人の上に行くため」に学ぶわけでは決してない。 ( 経済と違い、学ぶことは競争でない。 ) 資格を取るために学ぶのも、ただ大学に行って学ぶのも、就職を有利にするために学ぶのも、夢を 叶えるために学ぶのも、ほんの少し違う。 人は「知ること」の喜びを「想像すること」の喜びを 知っているから、それが人の使命だから人は学ぶ。 以上