理 工 離 れ の 原 因 に つ い て


その1 文系出身が多い小学校の教師

   小学校の教師は、自分のHRの授業は、その殆どを受け持つ。

  要は、各教科の専門の先生が教えるわけではなく、一人の先生が

  国語も、算数も、理科も、社会も教えるのである。

   理系大学を卒業して教員になる人の数と、文系大学を卒業して

  教員になる人の数を比べると、後者の方が多い。

  学習を始める小学生の段階で、教える教員の側に、理科や算数

  (数学)の好きな先生が少ない。理数科目があまり好きでなく、

  論理を、仕組みを理解せずに暗記した人が教えた場合(例えば

  分数のわり算に於いて、分子と分母をひっくり返して掛けるのが

  なぜか説明できない人が教えた場合)、子供がその科目を好きに

  なっていく確率は低いように思われる。

  例え子供に覚えさせるとしても、分かっている人が、好きな人が

  教えれば、理系離れに歯止めがかかるのではないだろうか?



  

その2 文系出身者が多い文部科学省の役人

   文部科学省の人間も文系が多い。勿論、優秀な人間の集まりだから   理科も数学も得意であったことは間違いないと思う。    しかし、数学という学問の論理的な思考の面白さ、発想の面白さ、   構造的な美しさを感じている人は、少ないだろう。   効率よく処理を行うことに長けた役人にとって、ただ単に、定理   (定義から導き出されるもの。巷では公式と言っている)を暗記し、   これに当てはめて、処理をするだけの学問と思っている人が、多いの   ではないだろうか?      文部科学省の方針により新指導要領では、中学校における数学の時間   が、週3時間になったと聞いた。   いま、アメリカのシリコンバレーを席巻するインド人は、学生時代、   とんでもない時間を数学に費やしている。国が理数科目(特に数学)   の教育に、必死になって取り組んでいる。      政治家への献金トップの、銀行や、証券会社、保険会社など、   非生産的な会社ばかり公的資金で助けても、(まぁ確かに、今の   日本の経済破綻を先延ばしするにはいいが・・)・・・        『資源のない国』といわれる日本が、ますます資源のない国になって   いってしまう気がしてならない。

その3 我慢することができなくなった日本社会

   理数科目は、覚えるだけではダメである。定義を理解し(記号の   意味を理解し)理屈を納得して、論理的に考えを進めていかなければ   ならない。更に、導かれた定理を効果的に、応用しなければならない。   (そうしないと、俗に言う『公式の暗記』になってしまう。)   この複雑かつ困難な作業は、頭の中がこんがらがっても、じっと我慢   して、ひとつひとつ順を追って解決していくことが必要である。また   上手く使う発想を持つことも大切である。   (勿論、感覚的にサッと分かってしまう人もいるが・・・)   数学を学ぶ意義として、知識的なものもあるが、それよりも『知恵を   育む』という意味がある。数学を通して我々は、論理的に順を追って   考える力・発想を生む力など培っているのである。   簡単に云い換えるなら、『頭を鍛えている』のである。   (例えば、説明書を順を追ってじっくり読むことのできる力、意味を   理解し効率よく扱う術などを、数学を通して身につけているのである。)      ただ単に、覚えて扱うという学問ではないので、これを修得するには、   忍耐力が必要である。   (忍耐力は、逆に数学を通して身にも付く。相乗効果!)    いろいろな意味で、我慢ができなくなった日本社会において、   理数離れの原因の一端が、この『我慢のできなさ』にあるように   思えてならない。
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