三回 備中松山城に登った

経典のcomputer game「将軍」を知ったから、日本の戦国時代の歴史に興味が成ってきた。文化の都市としての高梁市に留学したのが私に対して、とでも幸運ですね。

 

初めて高梁に来た頃に、毎回天満屋に買い物にいった中途に、駅の前の備中松山城の紹介を見た。「これは言い伝わる日本城ですね」とおもっていった。

 

初めての大学の生活は今より暇です、毎週の休日には、自由的な時間は相対に豊かだ。ある日曜日、ゆういさんは(先輩)ちょうどアルバイトをしなった。わたしたちは一緒に松山城を登るのを決めた。ゆういさんは去年このときに学校が新入生が松山城を登るのを組織した説た。先輩と一緒に登っても良いですね。

 

ある日の天気はとても熱かった。私たちは学校の後ろの山の自動車道をひた歩いていった。始まったばかりだっから、ゆういさんは「天気が暑いね、珍しい休日だ、登山より昼寝がよい」と、うらんでいた。私はなるほどね、自分が無理できな要求だと思っていた。

 

わたしは「ゆういさん、この山のいたたきに備中松山城を見えるかもしれませんよう」といた。ゆういさんは「貴方は先に登って見えれば、私を呼ぶんで下さい」と話がさっばりしていった。6号館のそばにある山は登る道がない。艱難に登った後で、頂上に近くの所に全部茨が生い茂っていった。続いてのぼ出来なかったな、残念ね。高梁を眺めって、帰った。

 

今回の登山について、私はとても遺憾しました。

 

五月五日、私が日本へ来た日から満一ヶ月になった。でも少し自己の進歩を感じらなかった。日本へ留学するのが自分の選択だった。でも、どんな選択の結果かと思っていたと、表わしにくい感銘があった。

さまざまな困難があったが、私は自分で一人で歩いて登るを決めた。当時の私によって松山城はひとつの山だけではなった。私は自転車で地図を持って出発します。先回のように天気はとても暑いね。

 

まず私は中州公園の駐車場に自転車を止めてあった。登山口を経るときに、私はちょっと観察してみった(以前登らないので一人で登る勇気がなかった)。

自然遊歩道をひた登った人は一人じゃない。全部の旅行者は自動車道をひたあるかてか自動車に乗ってはしていった。トンネルのそばを経過した後で私は、唯一的な歩行者だ。道のそばに折よく松山城の案内があった。

私は続いて歩いていった。「道はとても遠いですね」と思っていた。

ついに松山城の無料駐車にきった。このときに本当存登山の道が始めていった。私一人は道をひたあるっていったときに登山バスが私のそばを経過して走るしった。疲れって感じった。「あるってできなれば、走しましょう!」と思っていた。

ついに登山自動車道が終わった。このときに、私はほんとうほんとうな登山が正式に始まるのを意識した。

 

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頂点に立っているときに、無料的な冷たい水がとても甘美だったのを感じった。松山城を登った人だけこの水の特別の味わいを分かった。

 

最近、いくつかの不愉快的なことが起こした。ほかに平常の生活はとても緊張の原因かもしれない。張さんは、私をお招きして備中松山城を登ってもらう。

 

思いつかないことに、他の人と一緒に松山城を登ったのがとても楽しかった。

 

人生の中で松山城を登ったようなことがたくさんあります。完成しなかったらとても残念ですが、一人で完成するのは辛苦です。一緒に登山できる友達を見つけるのがとても幸運ですな!