富山地裁結審日
2006年1月11日
2006年1月11日、3年10ヶ月に亘る、富山地方裁判所での裁判が結審となった。
この日、原告と究明する会、支援者は早朝の富山駅前で1時間に亘って宣伝を行い、その後裁判所に対して署名を提出し、法廷に入りました。
法廷では、結審に当たり原告を代表して内藤悟さんが最後の陳述を行いました。
その後、隣の弁護士会館で報告集会を行い、熱気のあふれる報告と意見交換が行われました。[当日の模様を報道する新聞記事はこちら]
駅頭宣伝
3月11日、午前7時半から、原告の内藤さん御夫妻、溝上さん御夫妻と究明する会、及び現地の支援者が1時間に亘って宣伝行動を行いました。
両御夫妻の訴えに続いて、究明する会関西支部代表で元神戸大学ワンゲル部顧問の眞方さん、労山理事長の斉藤さん、富山県母親大会連絡会第j表の本木さんがそれぞれ支援を訴えました。
駅頭で訴える原告御夫妻
下の写真は、左から斉藤さん、本木さん、眞方さん
署名提出行動
結審に先立ち、12時から裁判所前で小雪の降る中、横断幕を掲げ、2万800筆の署名をもって行進し、その後午後1時に署名提出を行いました。署名は累計で171,791筆となりました。
この行動は、多くの報道陣が駆けつけ、テレビカメラが何台も取り囲む中で行われました。
この日、関西支部からマイクロバスで22名が参加しました。

小雪の舞う中、署名を抱えて行進する原告と支援者
結  審




13時半から、第16回の審問が始まり、原告を代表して内藤悟さんが是非裁判長に聞いていただきたいことがあるとして4点に亘って陳述しました。
その要旨は以下の通りです。詳細はこちらをご覧下さい(最終陳述PDF)。


第一は、この事故の原因は、国の事故調査報告書にもあるように、「ルート選定を誤って雪庇の上で休憩させたことによるもの」で事故調査報告書は、随所で「ルートを誤った」とか「主稜線の位置を誤って判断した」というように講師の誤りを認めている。
 山本主任講師も「遭難に不可抗力はない」この事故は「私の判断ミスとしか言いようがない」「山本のミスのために事故を起こしてしまった」と述べている。主任講師自らが「判断ミス」を認め、報告書の随所に「誤り」 と書いておきながら、「国の過失はなかった、事故は予見不可能である」という国の主張は、今の社会では到底認めることの出来ないものだ。
第二に、国はルート選定方法に誤りはなかった、だから過失はないという主張をしているが、国のいうルート選定方法とは、雪庇先端から、想定した雪庇の大きさを目測し、ルートをきめる方法だが、先端を基準にしたのでは山稜が特定できないことは極めて明白である。
 安全なルート選定方法を教えるのがこの研修登山の目的の一つであるにも拘わらず、雪庇の先端を基準にしたルート選定方法をとったことそのものが大きな誤りであある。
 仮に、雪庇の先端から何メートルというルート選定方法に誤りがないと言い続けるのであれば、同様な事故の発生はまぬがれないでしょう。
第三は、国が吹溜状の雪庇に入ってもいいのだと主張している点です。安全優先の研修会で、なぜ雪庇に進入してもよいと主張するのでしょうか。 これこそ暴論以外の何物でもない。
第四に、国は「冬山登山においては、いかに安全確保に努めても100%の安全を実現するのは不可能」と言っておりますが、なんという人命の軽視であり、開き直った言い方だ。そもそも、如何に安全確保に努めても・・と国は主張するが、今回の件では講師達は安全確保のために何もしていないではないか。


この陳述は、当初予定されていなかったもので、当日裁判長の許可を得て行ったため、国の弁護士も慌てて、陳述したがそれは最終意見陳述所の一部を読み上げただけのもであったため、記者席から失笑がもれました。
報告集会
 14時半から弁護士会館に移り、報告集会を行いました。
 沢山の支援者と報道陣で一杯の会場は、事故から6年、提訴から4年間の道のりを支えてきた原告と支援者の熱気で一杯でした。
 報告集会は日本国民救援会富山県本部事務局長の瘧師さんの司会により進行され、始めに主任弁護士の中島弁護士から最終意見陳述書のポイントなどが話され、続いて各支援者が引き続き頑張りましょうと決意を述べました。
 最後に、原告一人一人から、4年間の裁判を振り返るとともに、今の気持ちを涙ながらに述べ、お礼と決意を述べました。
 報告集会終了後記念の写真を撮りました。
苦しかった4年間の闘いをやり遂げ、一段落したことにより、皆さんはさわやかな笑顔で写ってします。