桃太郎伝説の財宝と武田勝頼の埋蔵金
桃太郎伝説の財宝と武田勝頼の埋蔵金

さて、桃太郎の財宝はどこにあるのかという投稿もあり、このへんで現時点で分かっている事を報告しよう。
 桃太郎伝説の財宝とは、武田の軍資金の埋蔵先に往きつくのである。
 この話は、私の勝手な話であり財宝を見つけたがみつからなかったといっても、当方は一切責任は持ちません。見つけた場合には法律に則って対処されたい。

武田勝頼をすこし説明しよう。
 武田勝頼(1546〜1582)武田信玄の4男と生まれ武田家20代当主なるが、、織田徳川連合軍の攻撃に遭い、新府城に火を放って岩殿城(大月市)に向が岩殿城主、小山田信茂のうらぎりに遭い進路を断たれ、天目山栖雲寺を目指すももの、織田徳川連合軍に行く手を阻まれ、天目山栖雲寺の下にある田野という所に引き返す、そして勝頼一家は自害する。
 勝頼は、逃げるだけの目的で大月方面に行ったのではない。武将として自決する覚悟のあるものが新府城をなぜ捨てたのか。
 それは大月方面のどこかに武田の埋蔵金が有り(当時は、軍資金)その資金で体制を建て直し、織田徳川連合軍と最後の戦いをするためであると思う。
 そして勝頼は、死に場所として天目山栖雲寺を目指した。なぜにこの場所なのか?これこそ死のメッセージとして残したのである!!
 さて、これから説明する前に定規と、山梨県の地図をご用意されたい。
 まずその地図には、武田神社あるかな?そこに定規の端を当て、天目山栖雲寺に当ててもらいたい。
 ふふふ、その先にあるものはそう百蔵山である。(微妙な誤差があるが、この解明はまだ先になる)百蔵山=百の蔵と書く、不思議なつながりである。点と線がつながったか?
いやまだまだ、解明することは山済みである。
 またその先を見てみよう。上野原に国特別記念物である、欅(けやき)の大木がある。
  また大月市は大月町から採った名前であるが、旧大月町内にある三島神社の4本の大ケヤキからという説がある。これはケヤキの古名を「槻(つき)」といい、「大槻(おおつき)」が大月の地名に転じたというもの。
 
 勝頼は諏訪四郎勝頼と言う、諏訪にも欅の大木がある。
 欅が多く出てくるが欅に第二のヒントがあると思う。では、百蔵山付近の欅のある場所に埋蔵金は在るのか?
 今後のまた現地調査を行いたい。
 



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