本当はF-1を見たかった、
ですが1990年〜1993年まで連続して抽選漏れで
鈴鹿GPのチケットを手にする事が出来なかった。
鈴木亜久里は94〜95年と不本意なレース(F-1)活動を余儀無くされ
私はF-1に対しての熱が冷めてしまい・・・
興味を無くしてしまった。
96年頃から他のカテゴリーのレースに
視野を向けて見たが・・・
興味が沸かなかった。
1番の思いでは
ピケ、モレノのベネトンコンビが1−2フィニッシュを決め
鈴木亜久里(当時ラルース)が日本人初の3位表彰台獲得
之以来F-1にのめり込みハンドルネームを使う様に成った。