巻頭言

 ようやく「こだま」を諸先譲方の御協力のもと、ここに発行でき嬉しく思っています。
 先の「こだま」から2年振りで順調な様に思われますが、いざ編集となると諸々の問題が生じ大変苦労しました。
 現在大学山岳部は、部員不足、4年という活動期間の短かさなど数多くの問題を抱え、その活動も充分とは言えません。
 その中でここ数年の主だった山行記録をまとめてみました。
 今思うと,懐かしさとともに、なぜあの時登らなかったとか、あそこで断念したか、そんな思いがふと浮びます。
 天候とかパーティの状態とか言いわけを繕ったりしますが、やはり自分の弱さがさらけ出された思いです。

 山登りも今日では、多種多様になってきました。
 フリークライミングからボルダリング、ハードフリーヘ、ヒマフヤでは無駿素から冬期登攀へ移り変っています。
 その中で大学山岳部は何をやるべきなのでしょうか、いや何がやれるのでしょうか。
 私の場合、入部して基本技術を習得し少し山に慣れたかと思う上、もうあとは後輩の育成に追われ、自分の山を考える余裕がありませんでした。
 「こだま」を編集してやっと気付いた次第です。
 今回の「こだま」ては、諸先輩方に少しずつではありますが近況を寄せてもらいました。
 これからもこの様にしてOBと現役との繁りを深めてゆきたいと思います。

主将 前田文男



 「こだま」をお届け致します。
 中断して久しかった「こだま」が定期的(隔年)に発行されるようになったのはつい最近のことです。
 「こだま」を発行する目的の一つは現役を含めた蘇友会員の活動状況を会員諸氏に広報することであり、これはまた、資料としても重要なものである。
 いま一つの目的は会員間の交流を誌上でもって間接的に実現させることであり、これらが会員の諸活動へのインパクトとなりうるとの期待もある。
 歴史と伝統を誇る蘇友会にあって唯一の定期的刊行誌である「こだま」がより充実したものとなることは会員の願いであり、そのために直接間接に努力することは会員の義務でもあろう。
 現在までのところ「こだま」の発行作業は現役諸君の担当するところとなっていて、その内容も現役の活動状況の報告が中心となっている。
 「こだま」を単なる部報とするのではなく前述のような特徴を持たせるためには、OB関連の記事を増やすことが必要であり、また、幸いにもOBの数も増えてきていることから「こだま」の内容的検討をも含めた編集・発行作業を現役とOBの両者で行うのが望ましい。
 そこで、今回はじめて「こだま」の編集作業の一部に少数のOBが関与することとなったが、会誌の向上に少しでも寄与できれば幸いである。

 さて、会員の皆様が正気に御活躍のこのとき、誠に残念な報告を致さけければなりません。
 それは、昨夏8月1日若手OBの代表格であった田代昇君(昭和49年法卒)が台風10号に伴う増水のために、同行者6名と共に黒部渓谷下の廊下に消え去ったことです。
 同君は卒業後も社会人山岳会に入会して山行を活発にし、リーダー格として活躍していましたが、今回の遭難も会の合宿中のことです。
 遺体が発見されないまま、9月13日福岡市の郷里において葬儀がとり行われ、蘇友会のOB・現後等多数の参列者が田代君の御冥福を祈りましたが、遺影を見て、改めて、表面静かで内に闘志を秘めた故人を想い浮ぺました。
 現役諸君が北アルプス等の合宿で大阪を通るたびに後輩の面倒をよく見てくれたものです。
 故人を知る多くの同輩・後輩の声によって、本号に追悼特集を組むことになりました。
 これまで数次にわたる捜索にもかかわらず田代君は未だ発見きれていらいが、故人が山に対して持ち続けた情熱を受け継ぎ、蘇友会の活動を益々盛んにすることが我々の責務であろうと思いつつ故人の冥福を祈る次第であります。

山岳部部長  大見美智人



主要合宿記録


1980年度 冬山合宿

鹿島槍ケ岳

CL 堤 俊洋 (T3)、 SL 川西秀明 (J2)、 金子英俊 (T4)、 前田文男 (T1)

行動記録

12月26日 熊本−大阪−夜行列車
 大阪でOBの安元夫妻と平野夫人より差し入れをいただく。

12月27日 雪 大町−大谷原
 タクシーで鹿島部落まではいり、雪の降る中、大谷原で幕営。

12月28日 雪 大谷原−1260m地点(林道)
 朝起きるとテントが八分目まで雪で理っていた。
 1m以上の新雪であろう。雪が絶えず降り続き、胸までのラッセルが昼には首までのラッセルに変わっていた。
 結局、まる1日で距離1500m、高度60mしか稼げなかった。

12月29日 雪 1260m地点−1400m地点
 昨日は新雪に雪洞を掘ったため、朝起きると天井が目の前まで下っていた。
 昨日よりやや少ない雪をラッセルしながら進むと途中より後続パーティーに追いつかれ交代でラッセルする。
 1400m地点で時間切れとなり雪洞を掘る。

12月30日 晴れ 1400m地点−一ノ沢の頭下
 前日よりはややしまった雪を3パーティーでラッセルする。
 一ノ沢の頭につき、先を偵察するとかなりのナイフリッジであり、また下級生の足許が危なかしいので、ここをACとしてアタックをかけることにする。

12月31日 快晴 AC−第一岩峰直下−AC
 一ノ沢の頭の少し先で先行パーティーに追い着き代ってナイフエッヂにトレースをつける。
 雪庇が複雑なため2Pザイルを出す。数ケ所雪崩れた跡があった。金子のアイゼンが折れたり(すぐに修理できたが)、川西が頭痛を訴えたりしたので第一岩峰下までトレースをつけ引き返す。
 帰ってみると昨日まで3パーティーだった一ノ沢の頭が10〜20パーティーの雪洞やテントで一杯だった。いやが上でも正月登山を感じてしまった。

1月1日 快晴 AC−第二岩峰直下−AC
 人の多さを考え早々とテントを出る。ナイフリッヂも最初トレースをつけたときとは較べものにならない程歩きやすい。初日出も見ることなく第二岩峰へ向う。
 第一岩峰は雪が厚く、雪を落しながら登る。第二岩峰には少し急な斜面を登るとすぐ着く、先行パーティーがいて、しかも下降するパーティーと入り混って遅々として進まない。
 2時間程待つが登ったのはたった8人でしかも下から登ってくるのは50〜60人にもなり、快晴に加え無風なので、順番待ちしながら昼寝をする人さえ居る。
 いよいよ自分等の番になったがこの人数と帰りの混雑を考え、またこのように他人のトレース、フィクスザイルをあてにして登ることに疑問を感じ登頂を断念し下降する。
 第一岩峰でもまだ上ってくるパーティと入り混って下りにくい。ACまで走って帰った。

1月2日 雪 AC−鹿島部落
 雪の降る中ACを撤収し下山する。トレースも消えかかっていたが登りに3日要した所を2時間足らずで下ってしまった。
 振り返ると鹿島槍は厚く雪雲におおわれていた。

 事件
1. 川西はゴアテックスのシュラフカバーを持ちながらもシュラフをぬらしてしまい、シュラフなしで夜寒い思いをした。
2. 川西は新幹線の中でもらった「妙薬秘薬」という艶本を後生大事にACまで持ち上り夜な夜な眺めていた。金子曰く「川西!! 遭難したとき恥かくぞ」

(記 前田文男)


1981年 春山合宿

五龍岳〜唐松岳

CL 川西秀明 (J2)、 SL 前田文男 (T1)、 河野泰弘 (S1)

行動記録

3月12日 熊本一大阪(夜行)−

3月13日 快晴 松本一神城一大遠見
 神城の駅で差し入れのパイナップルを食べテレキヤビンの駅へ向かう。
 そこで目方を計り、各自100kgを少しずつ越える。
 テレキャビンは、快適なもので一気に高度を稼ぐ。
 10時山頂駅を出発するが汁ばむ程いい天気である。
地蔵の頭からアップダウンの少ない尾根を快調にとばし、途中雪面の状態が悪く1Pザイルを出すが、3時20分、大遠見着。
 この晩、事前の(宮本による)点検にも拘らず、コンロの調子が悪く修珪をしていたところ、ガソリンが噴き出し不覚にも内張りを濡らしてしまう。お陰で内張が乾くまで寒い思いをさせられた。

3月14日 雪のち雨
 6時に出発するが最初雪だったのが雨に変わり人遠見と西遠見のコルで幕営する。
 残りは半日沈澱。

3月16日 吹雪 沈澱
 沈澱も3日目になると、いい加減頭に来る。
 前田が退屈しのぎに便所用の雪洞を2時間かかって掘るが、1時間後河野がキジに行ったときには既に消えてしまっていた。

3月17日 暗のちガス 風強し
 7時に出発したが、西遠見あたりからガスがかかり、白岳の雪面のルートを見失い、引き返す。
 西遠見に戻り雪洞を掘るが、3月なので雪が重く難渋する。

3月18日 快晴
 雪洞から顔を出すと鹿島槍、五龍がモルゲンロートに映えていた。
 適度に締まった雪面にアイゼンを利かせながら白岳を登る。
 五龍山荘に荷物を置き五龍岳を往復する。
 ルートは、ほとんど夏道どうりであったが頂上直下の雪壁がいやらしい。
 頂上からは、穂高まできれいに見渡せた。
 五龍山荘帰って濡れたものを干すが、万国旗みたいで見ていても気持ちがいい。

3月19日 快晴 五龍山荘−唐松岳−八方尾根−下山
 6時出発して4時間余りかかって唐松山荘に着く。
 やはり牛首あたりで時間を喰う。信州側に張り出した雪庇が大きい。
 軽く唐松山頂を往復して、八方尾根を快調に下るが、スキー場にはいったところで、河野がザックに結えてあったアイゼンを失ってしまった。

(記 前田文男)


1981年 新人合宿

大崩山

CL 川西秀明(J3)、 SL 前田文男(T2)、 堤 俊洋(T4)、 都申昭彦(M4)、 宮本 修(S3)、 坂田一久(E2)、 河野康弘(S1)、 岩崎麻弥(E2)、 宮里 光(L1)

行動記録

5月1日  川西・前田・河野・宮里入山(大崩山より南西2km鹿子川より)

5月2日  先発の4人は縦走を行い、大崩山を経て岩屋へ。
 堤・都甲・宮本・坂田・岩崎 入山 (入山パーティを行う)

5月3日 小積岩中央稜下半部(前田−坂田)、(都甲−宮本)、(堤−宮里)、(川西−河野)の順で登る。
 夜、OBの前田さんが突如入山、この夜、大崩の岩屋は大いに沸く。

5月4日  南壁(都甲−川西)(堤−前田)
 大崩山へ、宮本・岩崎・河野・宮里.OB前田さん。
 大崩山にてOB前田さんは下山。
 南壁と大崩山頂との間で、トランシーバー交信が全然とれないために、昼の2時ごろから宮本は、ビバーク、ビバークと理由不明のことを口ごもる。
 宮里は二日酔いのために、山頂でずっと死んでいた。パノラマ新道にて合流し、岩屋へ。

5月5日  堤・都甲・宮本・岩崎下山
 川西・前田・坂田・河野・宮里は、岩屋から三里川原をへて、山越えし、下山。
 今回の合宿では、新人は人工登攀の楽しさを学び、酒を飲み、生輩諸氏とのコミュニケーションを行い、九州の岩場の醍醐味と、三里河原の渓谷を十分に味わえたことと思う。

(記 河野 泰弘)


1981年 夏山合宿

穂高

CL 川西秀明(J3)、  SL 前田文男(T2)、  河野泰弘(S1)、  宮里 光(L1)、  坂田一久(E2)、  都甲昭彦(M4)

行動記録

7月26日 熊本発
 大阪駅で、OBさんの出迎えをうけ、いろいろと御馳走になる。

7月27日 上高地着→横尾←→本谷橋(半分荷上げ)
 坂田が歩荷病になり、ペースが遅れたため横尾から本谷橋まで各自半分を荷上げする。

7月28日(晴れ) 横尾→本谷橋←→→涸沢

7月29日(晴れのち雲り) BC→3,4の雪渓下部にて雪上訓練
 BC着後、宮里の髪が長いため、全員で断髪式を行なう。まわりの人々は涙を流しながら笑っていた。

7月30日(晴れのら雲り) BC→5,6の雪渓にて雪上訓練
 宮里 あまり止まらない。
 河野 元体操部だけあって止まる。雪の出張りで急所をうち、腫れがひかず喜んでいた。
 前田、坂田 やっと1年生から抜け出して先輩になったのがうれしいのか何もせず。
 都甲 宮里を執拗にいじめる。
 川西 全く何もしないため、寒がっている。
 BC着後、都甲 日課のゴミあさりに行き、選りによって我大学のゴミ袋をあけ、宮里の髪の毛に愕然となる。
 夜、酒をのんでいると、阪大山岳部が合宿終了のため、花火を始め、河野が酒をもって応援に行くと突然、野球拳が始まる。
 結果は河野氏五連勝! 相手はスッポンポンになった。熊大強し何のコッチャ!

7月31日(曇り) BC→5,6のコルー北尾根→前穂→奥穂→ザイテングラード→BC

8月1日(晴れのち曇り) BC→5,6のコル→前穂W峰東南壁→3,4のコル→BC
 ・中大ルート 坂田−宮里−川西 (6:45)
 ・明大ルート 前田−河野 (1:43)
 中大組は2ピッチでルートを誤って行き詰まり、ボルトを連打しダウンして登り直す。
 足を痛めて沈澱していた都甲は暗い中、前穂を見ながら頭をかしげていた。

8月2日(快晴) 昨日の疲れのためか、なぜか沈澱
 名古屋の女子大ワンゲルパーティが我々の横にテントを張る。
 一年生らしき女の子がジョギングパンツなのを見て、皆目の色が変わる。
 見えた見えないなどと騒いでいた。この日のカレーにはにんにくを入れないことに決定。

8月3日(晴れ) BC→56のコル→前穂W峰正面壁→34のコルーBC
 ・松高ルート 川西−宮里−都甲 (2:40)
 ・甲南ルート 前田−河野 (1:40)
 坂田、頭痛のため沈澱

8月4日(晴のち雨) 滝谷第四尾根
 前田−坂田、  都甲−宮里、  川西−河野
 スノーコルより2ピッチ目で、自分達の落石で新品のザイルを2本ためにしてしまう。
 Cカンナを登り終えたところで、遺体収容作業をみる。
 北穂一涸沢岳の最低コルから、縦走者が滝谷側へ転落したらしい。
 テントにもどるとOB金子さんが来ていた。
 約束通りビール3リットル×6本も担いできた。感謝、感激、雨、あられ!

8月5日(雨) 沈澱

8月6日(晴れ)
 ・クラック尾根→ドーム北壁右ルート 都甲−河野 (2:00, 1:30)
 ・クラック尾根→ドーム北壁右ルート 金子−宮里 (2:19, 1:52)
 ・ドーム中央稜 川西−前田 (2:48)

8月7日(曇りのち雨)
 ・滝谷第一尾根ノーマルルート 前田−宮里−川西 (5:28)
 ・滝谷第一尾根右ルート 金子−河野 (2:30)
 途中から雨が降り始めて、滝谷は氷の張って いるところもあった。
 ノーマルルートは寒さ、風と三人パーティのため、5ピッチ目あたりから、左のガレ場をトラバースしてクラック尾根の右ルートに逃げる。
 右ルート組は人工ピッチでハーケンが下がったりしてかなり気をつかった。
 テントに帰ると堤と岩崎が来ていた。
 二人の入山を兼ねて、金子さんのビール3本9リットルと堤のV.S.O.Pを飲む。

8月8日(雨) 沈澱

8月9日(晴れ) 屏風岩
 ・1ルンゼ 金子−前田 (6:28)
 ・雲稜ルート 都甲−河野−川西 (6:50)
 ・東陵ルート 堤−宮里 (4:20)
 1ルンゼ組は途中ルートを間違えたけれどまあまあ快調に登れた。
 東・雲稜組はT4尾根で順番待ちのため時間を費やす。
 堤、アブミをかけた古いシュリンゲが切れ片手でホールドにぶら下がりながらその場を乗り越える。
 雲稜組は、四尾根でザイルを痛めたため河野、川西間は11mmのダブル。
 そのためミッテルの河野はザイルが流れず、しきりに 「こんなとこはもう来ん!」と怒っていた。
 テントに帰ると、なぜか前田の兄さんが来ており、ビール一本を御馳走になる。

8月10〜11日(晴れ〜曇り) LONG RUN
  川西 涸沢−西穂−上高地−横尾−涸沢
  前田 涸沢−西穂−上高地−徳沢−パノラマコース−涸沢
  坂田、河野 涸沢−槍−大天井−東天井−常念−横尾−涸沢
  都甲、岩崎 涸沢−槍−槍沢−横尾−涸沢
  宮里 涸沢−蝶−常念−燕−西岳−横尾−涸沢

8月12日(雨のち晴) 沈澱
 堤所用のため、雨の中下山。
 都甲、岩崎雨があがったのち下山。

(記 都甲 昭彦)


縦走(穂高−針ノ木)

8月13日 曇りのち晴
 出発(5:40)→北穂高(7:50)→南岳(11:30)→槍の(13:50)肩→殺生テント場(15:00)
 縦走出発。坂田下山。
 何度登っても南稜の登りはきつい。キスリングのサイドボケットに腹を立てながら大切戸を下り、前田がパテそうになりながら南岳へ登ると槍はすぐそこのように見えるが槍まで結構疲れた。
 夕食後の事である。金子と殺生ヒュッテに便所を借りに行き二人で話していると或る便所のドアから「金子、うるさいぞ」の声がする。
 あっけにとられているとそのドアの中から出てきたのはOBの平野さんであった。
 表銀座を縦走するとは聞いていたものの、まさか便所で会うとは、よほどくさい仲ではないのか。
 用を足し、平野夫人(|日姓原山さん)と平野夫妻のテントに行き、当然の如く平野さんの命の水を飲ませてもらう。
 足らなくなって夫人がヒュッテに買いに行った。トリスのポケットを3本飲んでしまって、いい気分になってテントに引上げる。
 なんとなくこのときガソリンを1リットル分けてもらう。

8月14日 曇り
 出発(5:28)→双六小屋(10:30)→三俣小屋(13:00)
 平野夫妻に見送られて槍の肩を出る。
 槍の肩を少し降りた所で熊本商科大学山岳部の永田氏に会う。
 商大の聞くに耐え難い食料事情を聞き仕方なく食料を分けてあげる。(これでガソリンは白馬までの分があるが、食料が足りなくなった。)
 本日は楽だった。

8月15日 快晴→ガス
 出発(5:40)→鷲羽岳(6:41)→ワリモ岳(7:25)→野口五郎岳(11:17)→烏帽子キャンプ場(14:38)
 野口五郎への道は非常に親切な美しいトラバースである。水場はニセエボシの下の雪渓のようである。
 河野、足の痛みを訴え下山させてほしいと頭を地にこすりつけてリーダーに哀願する。

8月16日 晴れ→ガス
 出発(5:27)→船窪のコル(10:30)→針ノ木峠(14:00)→扇沢(15:20)
 河野、下山。
 不動岳より先は崩壊が激しく道がない所もある。
 新しい道はまだよく踏み慣らされてなく、歩きづらい。
 河野がいなくなったので快調にとばす。
 船窪のコルからは稜線をまわらず、針ノ木谷へ降りたほうが時間的にはかなり早いが、針ノ木峠への登りでかなり疲れてしまった。
 針ノ木雪渓は雪が沢山残っており、ころびながらも早く降りることができた。
 信大の寮には烏帽子で降りた河野が待っていた。

(記 前田 文男)


1981年 秋山合宿

爺ヶ岳

CL 川西秀明(J3)、  宮里 光(L1)

 行動記録

10月30日 熊本発
 残留部員より差し入れを貰い、夜行列車でドラマチックに出発する。

10月31日 大阪→松本→扇沢

11月1日 雨のち吹雪のち雨  扇沢→爺ヶ岳→冷池
 南尾根の登りは足が重い。途中暗い空より雨が降り出した。
 登るにつれ雪が多くなり、稜線に出ると吹雪であった。
 爺ヶ岳に近づくにつれ、ますます吹雪は激しさをまし、前に進めずにしばしばたちどまる。
 爺ヶ岳を越えるとようやく風もおさまり、冷池にテントを設営する。
 しばらくして雨が降り出し、テント中水たまりとなり、シュラフもびしょ濡れでよく寝れない。

11月2日 雨のち曇り  冷池→大谷原→松本
 10時頃ようやく雨風がやんだので外に出てみると、昨夜の風でフライが破れていた。
 早々にテントを撤収して、赤岩尾根を下る。
 昨夜の雨で大分雪がとけ、歩きやすい。高千穂平より先は雪はほとんどなく、大谷原へ。
 大谷原には連休のためか、タクシーが待っていた。

 【感想】
 実働2日間という本当に短い合宿であったがなかなか充実した合宿だった。
 ただ高い金を払って来たのだから、もう少し余裕があれば長く居たかった。
 【事件】
 川西がテントの設営場所を捜していると、きれいに整地された場所があったので歩いて行くと、足下がメシメシといい、「そこは池の上ですよ」と注意された。

(記 宮里 光)


1981年度 冬山合宿

後立山連峰

CL 川西秀明(J3)、  SL 前田文男(T2)、  河野泰弘(S1)、  宮里 光(L1)

 行動記録

12月27日 熊本発→大阪

12月28日 快晴 松本→大町→鹿島部落(8:03)→JP付近(12:20)
 雪が異様に少ない急斜面を登り、尾根に出る。
 トレースに従ってJPより500m先にテントを張る。
 天気も良いし、時間も早かった為、OB差し入れのウイスキーを飲む。
一年の宮里が酒に酔い醜態をさらけ出す。CLの命令により宮里をテントの外に追い出す。
なお、宮里はゲリー、ゲリーと言って紙も持たずに用足しに行く。まったくきたない一年生だ。

12月29日 晴れのち霙風強し 出発(6:19)→幕営(10:12)(2,470m地点)
 出発してしばらくしたら天気が悪化し、2,470m地点で幕営する。前田が頭痛を訴える。

12月30日 快晴 出発(9:12)→爺ケ岳(9:45)→冷池←→鹿島槍南峰→赤岩乗越(14:55)
 天気図によると吹雪だと思っていたら、朝、やけに外が明るい。
 起きて外に出てみると見事な雲海であったので出発する。
 赤岩尾根の降り口にザックを置き、鹿島槍ケ岳へピストンし、みんな本当にパテたため、赤岩乗越で幕営する。

12月31日 曇りのち雪
 出発(6:22)→大谷原→鹿島部落
 登山者が多いため、赤岩尾根の下りは階段を下るような感じだ。
 シリセードも楽しめなかった。大谷原へ出て、みんなニコニコしながら鹿島部落へ。

 【事件】
 宮里が禁酒を誓うが、下山するとすぐに酒を飲む。

(記 河野 泰弘)


1982年 春山合宿

南岳〜槍ケ岳

CL 前田文男(T2)、  SL 河野泰弘(S1)、  宮里 光(L1)

 行動記録

3月14日 熊本→大阪
 朝一番の鈍行で出発する予定だったが、三人とも二日酔で寝すごし、二日酔の堤さんに車を駅までとばしてもらい、ようやく次の鈍行にのる。
 全く幸先の悪い出発で、差し入れの二級ウイスキーを部屋に忘れてしまった。
 何度も鈍行を乗り替え、大阪でOBの金子さんに命の水をもらい、夜行に乗り込む。

3月15日 雨のち雪 富山→新穂高(8:00)→滝谷避難小屋(13:40)
 睡眠不足のためか、あまり調子が出ない。
 雪はひざまでしかないが、結構くたびれる。今日は滝谷避難小屋までとする。

3月16日 晴れ 出発(6:00)→2400m地点(14:30)、フィックス終了(16:30)
 しばらく谷を行く。道を間違わぬ様に地図をみて、南岳西尾根にとりつく。
 急な斜面をラッセルし高度をかせぐ。 途中雪崩跡をまいて2400m地点に達した。
 ここで雪洞を掘るが雪が少なく、やっと人がもぐれるぐらいしか広さがとれず、ツェルトを被ってごまかす。
 前田、河野でフィックスを行う。

3月17日 晴れ 2400m地点→南岳(1:30)
 朝起きてみると、雪がはいりこみ前田のシュラフにつもっていた。
 フィックスザイルをのぼり、アンザイレンして登るが、雪が表面だけ固く中はサラサラのため足をとられる。
 2800mまで達した。これよりやせ尾根と雪壁の登りで、西尾根の核心部だ。みんな心ではびびっていたが、顔で笑っていた。
 ようやくやぱい所を抜け、南岳避難小屋につく。

3月18日 雪ガス 沈澱
 風雪が強く沈澱とする。ラジオを聞いたり小屋の中を動き回ったり、宮里は暇のあまり、小屋備え付のノートに山岳部バカ話を書きつける。
 便所中に大きな霜がついており、キラキラ光って美しい。幻想的な中で用をたした。

3月19日 晴れ 出発(5:40)→槍ヶ岳(10:00)→新穂高(5:40)
 南岳を出発し、美しい朝日をみながら快調にとばす。途中雷鳥も顔を出す。
 中岳の岩稜の下りで、前田がCLらしく宮里に「気をつけて下れよ。」と注意したのち、自ら岩に体をぶつけながら5m程度滑落し、岩棚でとまる。
 右足のふとももを強打し痛みに苦しむ、。たいしたことはなかったが、止まらねば大事に至ったかも知れない。
 のち前田はびっこを引き、槍へも登らず、 小屋より河野、宮里が登るのを見学する。
 (雪面で)目が痛くなる様な飛騨沢をまたたくまに下り、新穂高まで黙々と歩く。

 【感想】
 今回の合宿はラッセル岩稜に富み、又テントを使用せず、なかなか充実したものであった。
 又、ちょっとの気の綾みで事故は起きるという教訓も与えられた。
 【事件】
 ・前田は傷が痛いらしく、風呂に入っては騒ぎ、四六時中「アイタアイタアイタ」と言う。
 ・帰りはずっと鈍行を乗りついだが、河野は余りののろさに、ついに発狂し博多より特急に乗る。

(記 宮里 光)


1982年 新人合宿

比叡山

CL 前田文男(T3)、  宮里 光(L2)、  京田 豪(S1)、  宮本 修(S4)

行動記録

5月2日 前田・宮里・京田 出発

5月3日 雨のため沈澱、宮本入山

5月4日
 ・第一スラブ 前田−京田、宮本−宮里 (2:50)
 ・TAカンテ 前田−宮里 (1:30)
 昨日の雨もやみ青空が見えるが、黄砂のため空の青がきたない。
 今日は全員で第一スラブルートに向かう。
 比叡山は花崗岩のためホールド、スタンス共にしっかりしており、加えてよく乾燥しているためフリクションがよく効いて非常に登りやすい。
 たいした困難もなく8ピッチの登拳を終える。
 その後、前田−宮里はTAカンテに向かうが、宮本・京田は宮本が下山ルートをまちがえてテントに着くのに時間を喰いすぎたため、夕食の支度をしながらTAカンテ隊を待つことにする。
 4時ごろ前田、宮里が降りてきたので夕食をとり、ビールを少し飲んで、明日のために早目に消燈する。

5月5日
 ・TAカンテ 宮本−京田 (2:30)
 ・ニードル左岩稜 前田−宮里 (3:50)
 昨日にひき続き、晴れているが黄砂現象のためになんともさえない天気である。
 前田、宮里はニードル左岩稜に、宮本、京田はTAカンテに向かう。
 TAカンテは2ピッチ目を除けばホールドもスタンスも豊富で、特に終りの3ピッチは非常に登っていて気持ちが良い。
 2ピッチ目はフリクションで登るところがあるので登山靴では非常に苦労した。
 2時間半ほどで登撃終了し、今度は下山ルートをまちがえずにテントまで下り、水場のそばの神社に無事合宿が終ったことに対してのお礼参りをする。
 撤収作業をしながら前田達を待っているとほどなく帰って来た。
 午後2時に撤収終了、ほっとした気持ちで比叡を後にした。

 【感想】
 例年なら参加者が多い新人合宿も、今回は4人と非常に寂しかった。
 しかし2又は3本のルートを2日で登り、一応の成果はあったように思う。
 自分自身としては手術後はじめての岩登りで多少の不安もあったが、以前のように登れるようになってとてもうれしかった。
 しかし亀の甲スラブで時計を落としたり、下山ルートをまちがえたり、カメラの電池が切れたりと色々災難はありはしたが……。
 今後も努力を重ねてより困難なルートに行けるようにしたい。

(記 宮本 修)


1982年 夏山合宿

剣岳

CL 前田文男(T3)、  河野泰弘(S2)、  宮里 光(L2)、  京田 豪(S1)

 行動記録

7月24日 雨
 この日、出発予定日だったが、昨夜からの大雨で、国鉄が不通になったため、出発前から沈澱となる。
 長崎では、あの眼鏡橋が半崩れとなった。

7月25日 晴れ 離熊本(11:10)
 なんとか国鉄が動くようになったため出発とする。
 例年より異様に軽いザックが、多少の不安をよぶ。

7月26日 雨 ガス 室堂着(7:20)−雷鳥沢(9:30)−別山平着(13:50)
 美女平からは霧のベールでつつまれ、雨の室堂は、夏ではあるが、2400m余の標高を肌で感じる。
 ここでも雨かと嘆きつつ雨合羽を着て室堂を出る。
 雷鳥沢までは40分程の下りだが、なぜか京田が40kg余の荷物でパテて情けなくなる。
 別山乗越までの登りでは、歩いているより立ち止まっている方が長い。
 また、ガスで先が見えないので、いやに長く感じる。
 3時間余で剣御前小屋に着く。
 春先の火事で小屋は、一部工事中のほかは、以前より多少大きく建て替わっていたが、プレハブで何か味気ない。
 別山平でも、新しくテント場の別側に剣山荘より大きい小屋が建設中だった。

7月27日 曇り時々晴れ 雪訓(基礎)
 剣御前の斜面で行なう。京田は、格好は悪いが、傾斜がないのでよく止まる。
 河野は、氷で指を切り、途中で帰る。

7月28日 曇り夕方より雷雨 雪訓(応用)
 昨日より傾斜の強い所で行なう。それでも傾斜がないため、ピッケルがはじかれることもなく、コンテニュアス時の確保でも流されることがない。
 落ち役の宮里が斜面を駈け下るが、なかなか豪快である。
 夕方より夜半にかけ、激しい雷雨に見舞われ地響きがするし雷も落ちる。
 風も強くなり、まわりが騒がしくなる。我々のテントは、必死に耐え、幸いシュラフが濡れた程度で済む。
 他のテントは飛ばされたり、夜中必死に補強したり大変だったようだ。

7月29日 雲り時々晴れ 別山平発(9:55)−真砂沢着(12:00)
 外に出るとそばにあったテントがむこうに移動し、昨日の騒ぎを物語っていた。
 しばらく様子を見たが、曇天で風が強いため、源次郎尾根縦走を止め真砂へ下る。

7月30日 曇り時々晴れ 源次郎尾根縦走
 出発(6:05)−1峰(9:00)-剣頂上(11:00)
 源次郎尾根末端のルンゼから取り付くが、河野がベルクシュルンドを踏み抜いてしまう。
 あともう一歩で天国に昇るところだった。
 このため左側樹林帯をくぐるが、根や枝でまるでジャングルジムである。
 やっと岩稜に出ると、快調ながら息を切らし駈け登り頂上につく。が、これがまたガスで何も見えない。
 1時間程休み弁当を食うが、他の登山者には、おかずがあった。
 ここにも軽量化の反動の波が押しよせて来ていた。
 その後、河野と宮里は平蔵のコルの避難小屋から平蔵谷をグリセードで下りた。
 前田は京田がグリセードが下手なので一緒に一般路を通って帰る。(本当は、前田がピッケルを持って来なかったので・・・)

7月31日 曇り時々晴れ ハツ峰六峰
  前田−京田 A中大ルート (1:00) A魚津高ルート (1:55) C剣陵会ルート (1:00)
  河野−宮里 C剣陵会ルート (1:15) A中大ルート (1:10)
 六峰は相変らず人が多い。魚津高ルートでは取り付きで2時間程順番待ちし、登行中も1時間程待った。
 中大ルートは2P目が渋く面白そうだ。
 剣陵会ルートの上部はリッヂを忠実に辿った方が、オボジションで抜けるより楽しい。
 下部は、傾斜が少なくフリクンョンも利き、走る様に登る。

8月1日 雨 安息日とする。
 昨夜から今朝にかけ台風が通った、その割には静かだった。
 それでも風は強く雨も多少降り、またどこかでテントの移動騒動があったようだ。

8月2日 雨 沈澱

8月3日 曇りのら雨 ハツ峰六峰
  前田−富里 D富山大ルート (2:30) C、RCC右バリエーション (1:20)
  河野−京田 A魚津高ルート (0:55) B京大ルート (1:00)
 Dフェースは取り付きが悪く、ランドクルフトの処理がいやらしい。
 先行が3人パーティのため、各ピッチとも待ちが長い。
 1本登ってRCCを登ろうと思ったが、2P登りは、面白くなく眠気がさすので、面白くしようと上部ルンゼの右にルートをとったが、目が覚めすぎてしまった。(6〜7PW+A0)
 夕方、熊商大と酒をくみ交す。

8月4日 曇りのち晴れ 沈澱
 源次郎側壁の予定だったが、天候が思わしくないので平蔵谷の出合まで行くが、引き返し沈澱とする。
 それで、前田と宮里は仙人湯に3時間かけて行った。
 風呂は露天で少しぬるいが、10日振りの風呂は何とも言い難い。
 風呂から上ると根が生えそうになる。意を決して帰るのだが、4時間もかかってしまった。
 河野と京田は、コップの中に人生を描き、午後は天気になり、快適沈澱となる。

8月5日 晴れ 源次郎尾根I峰
  前田−宮里 中央ルンゼ〜名大 (7:55)
  河野−京田 中央ルンゼ (3:30)
 取り付きのランドクルフトはキノコを作りアブザイレンする。
 ここでも先行パーティが三つあり順番を待つ。
 2P目のチョックストーンの裏を登るところは濡れ雫がたれ、右フェースはいやらしく京田はザイルにぶら下がる。
 あとは問題なくそのままルンゼを辿り、中央バンドに出る。ここで河野・京田は尾根を下る。
 名大ルートは問題はW+A1(クサビ形ハング)のみであるが、ここでも先行パーティのため1時間程待つ。
 フェースは、本来はW+フリ ーであろうが、ハーケン連打と残置シュリンゲでA0のようであり、リッヂ沿いを登る途中強引にA1でハングを乗越すようになっている。
 午後2時前登撃終了、1,2のコル平蔵谷側S字雪渓を降りようとするが、雪渓が切れていたため岩場に移る。
 触れる岩、全てが雪渓に轟音と共に落ちる。
 そこも恐る恐る抜け二峰側壁の下を回り込んでアブザイレンのコルに出ようと試みるが、疲労のため断念、雪渓を登って1,2のコルに戻ることにする。
 スタカットで宮里が雪渓を登りきり、前田が続く。
 雪渓の端まで辿り、ランドクルフトを降りようとした時、突然雪渓が崩れ、前田は3m程落ちたが、幸い無事でよかった。
 3P程登りなんとか1,2のコルに出る。
 時計はもう午後7時を指していた。
 空はまだ明るく、あとは縦走路を行き、アブザイレン、雪渓を熊の岩の方に下って行けば真砂である。
 ヘッドランプのか細い光をたよってアブザイレンの地点まで来る。
 アプザイレンは25m、ザイルは1本だが途中ハーケンと捨て締があった筈。
 支点の鎖にザイルをセット、下降する。
 15m降りた所であった。ザイルを落さぬよう、棚にザイルを掛け替る。
 あたりは暗くヘッドランプのかすかな光の範囲のみが自分の世界だ。
 オーバーかもしれないが、このまま暗闇の底まで降りてゆくような気がする。
 やっとこさコルに降り立ち、さあ、雪渓を降りようと、前田が背中のピッケルをぬこうとするが、ない。
 ”ピッケルがない!”背中に差しておいたピッケルがない。
 1,2のコルまでは確かにあったのだが、 まさに刀折れ、矢尽きた。
 午後8時10分源次郎屋根アブザイレンのコルにてビバーグを決める。夜が長かった。
  一方、真砂では予定時になっても帰ってこないので、7時、洗濯屋を横目に長次郎出合いまで見にいく。
 途中同じ境遇のパーティと情報を交換するが、何もなく、雪渓が裂けていて身の危険を感じ、戻る。
 その時、アブザイレンの コル付近にヘッドランプの光が見えたとの情報が入り、たぶんそれだと思い明日そこへ探しに行こうと思う。
 二人では広すぎるテントに寝る。

8月6日
 前田、宮里ビバーク組は、寒く、5時に起き、ひとまわりピッケルを探したが、見つからず、ないままに本峰経由別山尾根で帰る。
 昨日の昼から何も食べてなく非常にひもじい。はう様に頂上まで登り、一般登山者が楽しげに登ってくるのを横目に登るより遅い速度で下る。
 剣山荘ではじめて水を飲み少し元気を出し、真砂に向う。9時30分真砂着。
 一方、河野、京田は夜が明け、7時になっても帰ってこないので平蔵谷へ探しに行く。
 途中ヘリコプターが飛んでいたので、河野は様子を見に下り、京田はアイゼンでアブザイレンのコル付近まで行くが、何の手がかりもなく、帰って見ると二人がテントの中で寝ていた。
 何ともいえない心境だった。合宿中で、空がぬけるような青空のいちばん天気のいい日だった。
 あとは何にもする気がせず、1日沈殿となる。

8月7日 快晴 LONG RUN

8月8日 雨時々晴れ LONG RUN
  みんな思いきり羽根をのばす。
  前田 BC−内蔵助平−下ノ廊下−阿曽原−仙人池−BC
  河野 BC−仙人池−仙人湯小原−仙人池−BC
  宮里 BC−立山−一ノ越−黒四ダム−内蔵助平−BC
  京田 BC−立山−五色ケ原−薬師岳−五色ケ原−黒部湖−内蔵助平−BC(3日間)

8月9日 曇り夕方雷 チンネ
 予定では、三ノ窓へ荷上げであったが、源次郎で前田がピッケルを失ったため、交代で真砂からチンネに通う事にする。
 ロングランで帰って食料の残量を調べると、縦走するには食料が足らなかったため、縦走を打ち切ってチンネを4日間とする。
  前田−河野 左稜線上下 (3:30)
 出発(4:30)→取付(7:30)→終了(11:00)
 真砂から池の谷乗越までは遠く2時間かかった。
 三ノ窓にテントを張っている連中は起きるのがおそく、自分等が三ノ窓に着いたときは、まだ朝食を食っていた。
 これでは三ノ窓にテントを張った甲斐がないと思う。まあ朝寝はできるけれども……。
 取付は先行の男女が居たので少し待ったが、その男女パーティの速い事、ちょっとやそっと急いだぐらいでは追いつかないが、上部のハングの所で順番待ちができ追いついてしまう。
 ここで抜かせてもらい、先に行く。ハングは二段だが、小さくA0で楽に登れる。
 上手な人であればフリーであろう。ハングを抜けると、クレオパトフニ−ドルを左手にナイフリッヂを行き、チンネの頭に着く。
 途中左方カンテから合流しているが、渋そうだった。
 夕方、ロングランを終えた京田が雨に濡れ、やつれた姿で帰って来た。

8月10日 晴れ時々曇り チンネ
  河野−宮里 北条新村 g-cd (2:00)
 出発(4:30)→取付(7:40)→終了(9:40)
 最初取付を少し迷うが、何なく登り出す。
 北条新村は何と言ってもオーバーハングとそれに続く周辺であるが、ピトンが多く、頼り切って登る。やはりピトンなしではきつい。
 オーパーハングを越えると、まだ傾斜も急で面白い。
 中央バンドでひと休みし、Uバンド右方カンテに行く予定だったが、人がいたため、gチムニ−cdクラックを行く。
 非常に快適だ。ガスが出ていてあまり視界がきかないのが非常に残念である。

8月11日 晴れ時々曇り チンネ
  宮里−京田 魚津高〜a-右方カンテ (2:00)
 魚津高の最初も易しそうだが思ったほど簡単ではない。
 続くザイルトラバースで高度感が異常にあり、すこしかぶってもいるのでシビアだ。
 あとはIVのはずだが、バンドごしに中央バンドに出てしまった。
 aバンドから右方カンテに行くが、カンテごしでなく、カンテにトラバースして移る。
 ちょっと微妙。カンテに最初からとりつくのが良いだろう。あとは頭までクラックを登る。

8月12日 曇りのち雨 チンネ
  前田−京田 左下・左方カンテ(含左稜線3P) (4:20)
 下部のA1はむずかしくはないが、まくように登るため少々ややっこしい。
 それを抜けるとカンテを行くはずだったが、先行パーティにつられ、ルンゼを行ってしまい面白くない登肇になる。
 左方カンテは、上手であれば、A0で登れるようだが、1P目は長くスタンスがないため腕力が必要。
 2P目は、1Pよりやさしいが、ハーケンが下過ぎ、どうしてもA0で乗越せず、一回アブミを出す。
 この夜、よそのテントで火事があり、女性一人が大やけどを負ったようである。
 火の元には気をつけたい。火の用心!

8月13日 晴れのら曇 下山 出発(6:00)→室堂着(11:00)
 食料をほとんど食い尽し、下山とする。残ったものは茶づけの素ぐらいである。
 みそ汁の素も空腹に耐えかね、ただみそ汁だけをすする始末だ。
 軽くなったザックを背負い、半月ばかり居た真砂を後にする。
 昨晩、焼けたテントが無残であった。
 御前小屋から、合宿中親しんだ、黒くどっしりとした剣に別れをつげ、雷鳥沢までは20分そこそこで下る。
 室堂は、盆休みのためか、一般観光客でごった返して、まっすぐ歩けず、おまけに物めずらしそうに見られる。
 自分たちの姿がみすぼらしく思えたが、降りたという感じがひしひしと伝わる。
 室常のビールはぬるかったがうまい。
 バスに乗ると空は、いまにも泣きそうな様子になっていた。
 今年は、梅雨や台風に見舞われ、雨合宿ではありましたが、参加者全員たいした病気や外傷 もなく無事合宿を終了でき満足している。

(記 京田  豪)