私のページの方針は山行記録であって、それに付随して技術装備的なことや山行思想的なことのみ書いてきた。元々アクセス数も非常に少なく一時期閉鎖も考えていたが仲間も少ないながらも得られ、定期的に読んでくれる人もいたので初期のスタイルを維持したまま自分の思うままに書き連ねてきた。個人的なことをある程度詳しく書くのはこれが最初である。
一時期は月一では山に行き、クライミングを始めてからは週に一回は必ずジムに通う日々を続けてきた。そんなことから気ままに山に行ける身分のように見えるかもしれない。とはいえそれはネット上の仮の姿でしかない。私は世間一般のサラリーマンであり、家庭の父親でもある。
山を始めた頃には妻のお腹に長男がいた。山の前の趣味はバイクや車であり、独身時代〜DINKS時代は湯水のようにそちらに浪費していた。ところが妻の退職を期にそんな金のかかる遊びは不可能となった。その代わりに見つけた趣味が山だった。山も本格的にやれば当然お金は掛る。それでもバイクや車に比べれば金額が一桁違う。厳しい財政状況からなんとか装備を揃えつつ過去の趣味の物を売り飛ばしつつ山へ向かった。
その頃は仕事も日陰部署にいて仕事内容もサポート的なものが多く暇を持て余していた。実際、一日の仕事はその日の三分の一で終わってしまう程度のものだった。私はその環境に甘んじてその分、山に対してエネルギーを注いでいた。毎日さっさと帰宅して息子といる時間も自分と同じような職種の人たちの中では長かった。二男が生まれてからもその生活は変わらず、山に月一で行くのも家族の中で当たり前になっていた。
仕事に関しては開き直ってだらだらとやっていた。サラリーマンをやっていると仕事が暇でも残業代がつかない程度でPCに向かっていれば傍から見れば忙しいか暇かなどは分からない。転職も経験し、超多忙と暇な時期を両方経験している身には労力と金銭の関係で見ればリストラされない限りは閑職の方が得なのである。
そんな環境で山に打ち込める日々が何年か続いた所で上司だけが飛ばされて部署が解散となってしまった。そこで拾われていった部署で今度は忙しくなるかと思ったが、穴埋め要因だったようで少しは忙しくはなったが相変わらず定時で片付く程度の仕事量しかなかった。そんなこともあって平日定時上がりでジムに行く習慣は続いた。以前と違うのは突発で忙しくなってジムに行けない場合もあるという程度だった。
何年もぬるま湯生活を送ったせいで昇給頭打ちののんびり生活に完全に慣れてしまった。突発のアメリカ出張で忙しかった時期もあるが、仕事を成功させたにも関わらず糸の切れた凧のように仕事を進めた為か評価されずに元に戻った。
生活レベルを平行線のまま暮していても子供達は大きくなる。もう2〜3年もすると長男も小学生になろうかという頃に妻がもっと広い所に引っ越したいと言い始めた。狭いアパートに4人ひしめいて暮らしていたので子供に学習机一つ与えられないと危惧していたようだ。
それから徐々にクライミングに割いていたエネルギーを仕事にシフトしていった。その成果が認められるまでは足掛け2年を要した。仕事人生の中での自分の時計が再び動き出すと共にクライミングは当初目標としていたルートを終わらせることに集中した。周りの人の影響でフリーの高グレードとか明星とかもあったのだが、真の自分の目標は屏風の雲稜だった。それはクライミングを始めた当初にこのルートが登れるまでは自分を高めたいと思っていたルートだった。
明星を登った後は故障した肩の休養と共に引っ越しをやっていた。妻に安い物件があったら家を買ってもいいよと半分冗談で言っていたらホントに見つかってしまった。銀行に行ったり、荷物運んだりと山どころではなくなってしまった。今はようやっと引っ越しも終わったが長男にスキーを教えたりと自分の遊びよりは息子達の面倒見ることに軸足を移している(乳幼児の時は父親が教えるようなことは何もないのでお母さん任せ)。
ジムにはまた通い始めたし、クライミングをやめるつもりはないが息子達に相手にされなくなるまでは山の比重を落とそうかと思っている。
それでもGWは山スキーに行きたいし、屏風東稜リベンジとか宿題はまだまだ残っている。
END