穂高屏風岩より西穂・槍

    昭和33年3月の雪洞による縦走記録

  新人の養成ということは、一般団体にとっても学生団体にとってもひとしく重要な課題であるが、同時に、中堅メンバーの強化ということもやはり重要な問題で、年2回しかないわれわれの積雪期合宿は、その立案と参加者の割り振りに頭を悩まされるのが常である。結局、正月は新人の養成に、3月は中堅メンバーの強化にという基本が最近のわれわれの動向となってきている。

  この屏風岩第二ルンゼから西穂槍までの縦走は、正月合宿(西穂から奥穂往復)に引きつづいた中堅メンバーのためのプランであったが、しかし、これは単なる思いつきや、ハッタリからブッツケ本番的な山行として行ったものではない。

 参考までに、この計画にに参加した者の、この周辺における記録を列記してみると、次のようになる。

★昭和31年1月、屏風岩第二ルンゼF2まで試登2回=中野、青木

  ★昭和31年1月、五・六のコルより北尾根三峰往復=中野、青木

  ★昭和31年1月、北穂=中野、青木

  ★昭和31年1月、槍より南岳往復=新井登

  ★昭和32年1月、五・六のコルより北尾根−奥穂−涸沢=吹野、新井登

  ★昭和32年1月、涸沢より奥穂=川室、岡部

  ★昭和32年3月、西穂=新井登、川室

  ★昭和33年1月、西穂−奥穂往復=中野

  ★昭和33年1月、西穂・間ノ岳=川室、岡部、安久

  ★昭和33年1月、槍=川室、岡部、安久

  ★昭和33年1月、第二ルンゼF3まで試登2回=中野、新井登

  以上の経験を綜合的に一つにまとめるための計画として、縦走の形式をかりたのが今回のプランだったのである。

  また、われわれは過去十年来、積雪期の計画に雪洞をとりいれて研究をつづけてきたが、この山行では露営はすべて雪洞によって行うことにした。春の堅雪と、大荷物を背負った一日の激しい登攀の後で、大型雪洞を構築するということは相当身体にこたえる労働だったが、北尾根八峰ノ頭、三・四のコル、穂高小屋横、の計3カ所がその場所となった。

  特に最後の穂高小屋の雪洞は、B隊を含めて10人用の広いものを遅くまでかかって掘りあげた。これはそれぞれ前室に便所をつけた居住性のよいもので、雪洞を計画の主体にしたのは成功だったようである。

  なお、A、B両隊は、それぞれ独立して器材を携行し、天候や、その他の理由で両者が合流できないことがあったとしても、別個に行動できるようにした。

  編成は次の通りである。

  A隊  中野満、新井登吉郎、青木宏之、川室清一、岡部勇、安久一成

  B隊  吹野志雄、鈴木鉄雄、小林潤也、仙田一夫

槍・穂高概念図 屏風岩第二ルンゼ・ルート図

  ★行動記録

 3月12日(快晴)

  青木、川室、安久の3名が前夜先発したが、列車内で燃料用の石油缶を発見され没収、罰金。甲府下車を命ぜられ再び松本で購入するなど、トラブルにあう。山吹トンネルで雪は30センチ程、ここからスキーをつける。デブリに邪魔されて歩きにくい。川室約45キロ、安久約41キロ、青木約32キロ、第1日のせいか少しバテル。坂巻温泉泊まり。

(タイム)島々(9・50)−坂巻(18・20)

 13日(快晴、夜霙)

  気温が高い。デブリがますますひどくなる。釜トンネルのダムからは河原のコースをとる。ホテルに一部の荷物を置き、徳沢までボッカに往復。再びホテルに帰ったのは午後の10時。

(タイム)坂巻(7・40)−ホテル(15・50〜16・30)−徳沢(19・30〜20・20)−ホテル(22・00)

 14日(雨後晴)

  夜来の霙は雨となっで降りつづいている。昨日の終日行動で身体が痛い。11時ごろ雨があがったのでホテルを出る。夕方横尾へ入る。

(タイム)ホテル(10・50)−横尾(16・30)

 15日(午前曇、午後晴)

  午前中は休養、午後徳沢ヘボッカに往復、夜は穂高小屋、北尾根行の荷物を分ける。

(タイム)横尾(11・15)−徳沢(12・15〜15・30)−横尾(17・00)

 16日(快晴)

  午前2時、横尾からスキ−で出発する。雪はしまりすぎるほどしまっている。涸沢小屋にスキーをデポ、後はアイゼンで歩く。穂高小屋は冬期小屋が空いていたので、ここに荷を置いてておく。天候がよいので景観を楽しめた。涸沢のスキーデポから、春山のスキーを満喫、横尾に帰る。時間があったので、北尾根へのルートにする慶応尾根の取付点を偵察に奥又まで往復する。

(タイム)横尾(2・45)−涸沢小屋(6・30〜7・30)−穂高小屋(10・30〜12・00)−横尾(14・00)

 17日(曇後雪)

  北尾根用の食糧と燃料を背に横尾をたつ。慶応尾根取付点は50メートル位が急だが樹林帯なので雪崩の心配はなさそうだつた。ヒザ下まで没するところもあったが、荷上げにはよいルートである.八峰真下300メートルは広い雪の斜面となつていた。天候が変ってきたので、直下300メートルのところに荷をデポし横尾に帰る。

(タイム)横尾(8・30)−慶応尾根取付点(9・45〜10・10)−デポ(13・45〜14・45)−横尾(16・00)

 18日(雪、停滞)

  気温高く、静かに雪が降っている。午後3時後発した中野、新井、岡部の3名が真白になってはいってくる。これでA隊の顔振れは全部揃ったわけである。穂高小屋、北尾根への荷上げも終り、明日からいよいよ登頂体制にはいることになる。

  夜10時45分の天気図作製の結果、明早朝よりアタックと決す。屏風を中野、新井がやり、八峰ノ頭にC1用雪洞の建設に青木、川室、岡部、安久の4名が向かうことになる。

 19日(晴、午後風強し)

  午前3時30分、屏風班が出発する。真黒な樹林の上に星がきらめいていた。

 ☆屏風班のメモ

  ヘッドライトの白い光の中に、無数の氷片が浮かびあがる。寝たりぬ頭では余計なことを考える余裕もない。ひたすら本谷の河原沿いにスキーを滑らせる。すでに4回も試登を繰り返しいるので取付点も迷うことはない。Fl下の広大な斜面にある太い樺の下でアイゼンをワカンに替える。

  Flの直登は考えられないので右へ雪のリンネを2本数えたところがルートになる。不気味にかくされているデブリの感触が、ワカンを通して感じられる。ひたすら直登した。樺のテラスAでワカンを脱ぐ。ここから次の細い樺の斜めのテラスBまで気持の悪い弓なりのトラバースが40メートルほどつづく。上部を警戒しつつ、アンザイレンせずにピッチをあげる。

  B点のブッシュのあるリッジは急でよい支持点が得られない。B、C間のトラバースは下がきれているので慎重に行動する。C点は岩壁の基部になり、1月末に来た時に打ったアイスハーケンが利用できたので、これにつかまり雪をならし少し休んだ。

  C、D間の岩壁は急だ。直登10メートルでスノーテラスに出る。ここから雪の桟道のような2ルンゼが薄暗い急な岩壁の奥にかかっている。インゼルまで50メートルは氷化しているので、慎重に足場をカッティングして行く。インゼルの岩は間断のない雪崩で磨かれ、青氷がキラキラしていた。

  F2附近の広く開けた雪面はこのルンゼ唯一の開放感のある場所である。F2は完全に雪の下に埋り、なんの不安もなくF3へつづくルンゼへステップをきって踏みこえた。両側の岩壁はすでに3メートルほどに迫り、ドンと一発雪崩が出ようものならここでは逃げようがない。依然としてザイルは出さず思い切りアイゼンをきかせて直上する。

  F3下G点の岩壁基部の雪を踏んでテラスを作り、ホッとした。足首が痛くなるような直登行だった。壁にハーケンを3本連打してセルフビレーをし凍りはじめた桃の缶詰をハーケンでつつく。ここから初めてザイルをつける。F3は1月と同様、軟雪のチムニーでどうしても抜けることができなかった。落口と同高度に左壁を形成している、ハングしたクラックが唯一のルートだつた。トップの新井が壁と斜めのバンドにそった雪をかき落し、わずかに入ったハーケンにアブミをかけ身体を浮かせてハングを越す。2時間余を要する難関だった。

  この上は灌木帯となり、腕力登攀1ピッチの後、慶応稜に出ることができた。P1はほんのザイル1ピッチのところだった。午後1時15分、ザイルを巻いて屏風ノ頭へ向かった。実はこれから八峰のC1までが大変なアルバイトであるのを知らなかったた。クラストした雪面は片足を乗せる分には体重をささえ得るるが、完全に乗せきると膝まで埋ってしまう悪雪帯で、P1から苦闘5時間をを要し、フラフラになってC1にはいった。

(タイム)横尾(3・30)−取付点(5・00)−スノーテラス(7・10)−F3下テラス(10・20)−P1(13・15)−屏風ノ頭(16・10)−C1着(18・40)

 ☆慶応尾根サポート班のメモ

  屏風班を送り出し荷物を整理していると、六時も大分過ぎてしまった。帰路を考慮し、スキーは奥又の出合までであきらめ、ここにデポする。ラッセルしておいたトレールはほとんど消えてしまい、再度のラッセルに悩まされる。

  しかし、奥又の谷を左に見ながら登る。この尾根の登行はあきさせない。八峰下のデポで、荷を増し、屏風ノ頭の予定地点に休む間もなくC1建設にかかる。午後4時、屏風ノ頭に屏風班を認める。川室、岡部が最低コル先まで迎えにゆく。屏風の成功と以後の計画完遂を祈り、ささやかな祝宴をはる。雪洞は広くてゆうゆうと寝られた。

(タイム)横尾(6・20)−奥又出合(7・00〜50)−八峰C1(14・00)

  雪洞建設所用時間、T字型6人用、3人で5時間(屏風班出迎えなどで余計かかる)

  気温(22・00=外零下10度C、内5度C)

 20日(雪後一時晴間あり)

  ありがたいことに外は雪、ゆっくり休養させてもらう。

 21日(晴後高曇)

  八峰から見る北尾根はなかなか立派だ。七峰まではナイフリッジ。六峰への急登は荷があるだけに油断できなかった。しかし、各所に東工大のフィックスがあったので危険はなかった。五・六の雪渓は1月と変って、ゆるいスロープとなっており、魅惑的だった。四峰の登りも先行者のラッセルがあり、能率があがった。

  三・四のコルでは、ここから先は雪洞を掘る場所に不安があるので、少し早かったがC2を掘ることにする。中野、新井の2人は三峰のチムニー上までフィックスに往復する。

(タイム)八峰C1(7・20)−五・六コル(9・45)−三・四コルC2(12・15)

  C2雪洞L字型6人用、4人で4時間かかる。気温(C218・00=外零下5度C、20・00=外零下8度C)

 22日(高曇)

  8時頃出発の用意をしたが、次のコースは長いし、天候が思わしくないので停滞とする。新井、川室は前穂までフィックス工作に往復する。ラジオ2台で立体音楽を楽しんだ。

  気温(12・00=外零下5度C、内3度C、19・00=外零下8度C、内3度C)

 23日(快晴)

  一日待った甲斐があった。カッターシャツでも歩けるほどのあたたかさ、上天気である。

  三峰は夏のコース通り奥又側をからみ、左のチムニーを抜け、クラックを直上しハングの下を左へ廻り込み、三峰へつづく広い雪のリッジに出る。荷物の引揚げで時間が少しかかった。

  前穂−奥穂間は天気の悪い日は辛いコースだろう。きりのない登降に汗をしぼりながら奥穂まで頑張る。中野のポケットラジオから美しい音楽が流れ、緊張感など全然ない気楽な行動だった。冬期用の小屋から50メートルほど離れたところに素晴らしい斜面があったので、ここへ10人用の雪洞を掘りはじめる。雪が堅く鋸のとおりが悪いので苦労した。

  午後4時頃、B隊が涸沢小屋へ人ったと同隊の鈴木、仙田が連絡にくる。C3まで強行するよう指令し、再び下へくだらせる。9時頃他はライトをつけて安久を残し、ザイテンのコルまで出迎える。

  0時20分、超大型雪洞のC3に全員合流。両隊の行動打合せを行い、@西穂への縦走、Aジャンダルム往復、B北穂−キレット往復などのパーティをきめる。

(タイム)三・四コルC2(7・00)−前穂(11・00〜35)−奥穂(14・00)−穂高小屋C3(14・40)

  雪洞建設所用時間、10人用型6人で3時間30分

  気温(4・00=外零下7度C、内2度C)

 24日(晴)

  今日も晴れた。予定にしたがって3隊に分れ行動を起す。

 @奥穂−西穂−上高地(中野、新井、川室)

  雪の締っているうちに飛ばそう、余分な荷は他の者に託し、サブザックで出発する。

  馬ノ背は適当に雪がついたので夏より楽だった。 ロバの耳のトラバースはフイックスロープがあったし、1月にも通っているので問題なかった。ジャンダルムは岳川側の不安定な雪面に埋れた針金を利用して通過。

  天狗のコルまでの下りは雪がすくなかった。間ノ岳、西穂間はさすがにナイフリッジになっていたが、二、三ゆき交うパーティのためトレールがあり、考えることもなく歩けた。独標附近はすでに夏道の出ているところがありアイゼンが痛ましかった。

  西穂山荘からはシッティングセードで上高地へ日も高い12時に着くことができた。清水屋裏の気味の悪い温泉で汗を流し上高地に泊る。

(タイム)C3(5・00)−ジャンダルム(7・20)−西穂(10・05)−西穂山荘(10・50〜11・20)−上高地(12・00)

 A北穂−キレット往復(青木、岡部)

  涸沢岳の下りは鎖がでていた。涸沢槍は氷化した斜面があったが、飛騨側のフィックスザイルに助けられ下降。北穂まではほとんど夏道に近いところを苦労することもなくたどれた。

  キレットも夏道近くを下る。荷物があると楽なコースではない。往路を引き返す。

(タイム)C3(8・00)−北穂(9・40〜55)−キレット(10・50−11・00)−北穂(12・00〜30)−C3(14・・00)

 Bジャンダルム往復(吹野、鈴木、安久、小林潤、仙田)

  馬ノ背のナイフリッジ、ロバの耳のトラバース、ジャンの登り、われわれのパーティにはよいトレーニングになるコースだった。

  ジャンのケルンより西穂へつづく雪稜を行く中野隊の成功を祈りながら、C3に引返す。

(タイム)C3(7・40)−奥穂(8・20〜50)−ジャン(9・50〜10・20)−C3(13・00)

 25日(薄曇後雨)

  西穂へ向かった3名のうち中野、新井は帰京した。川室は奥又のスキーデポから横尾の荷を取りに往復する。

  昨日ジャンへ登ったパーティは横尾まで荷を背負って下った。

 C北穂−槍−槍沢−横尾(青木、岡部)

  午前6時15分よりの予報でなんとか今日の天気がもちそうなので、槍へ飛ぶことにする。キレットまでは前日往復しているので快速調にトレールできた。あまり早くこられたので、春山に限るなどと冗談がでるほどだった。キレットの両端は雪洞の掘れる場所が2、3あった。勿論、天幕も張れるだろう。

  南岳へは夏道通り登ったが、荷の大きい時は本谷側の雪の斜面を通った方が早くはないか。雪崩の危険は多少あるとは思うが。

  南岳から広い雪の斜面をアイゼンを利かせて槍岳山荘につく。この頃から風が強くなりガスも深くなってきた。槍の穂を大急ぎで往復し槍沢へ下る。槍沢小屋附近から雨になりビショ濡れになって、吹野たちの待つ横尾山荘へ入る。鈴木が徳沢へ青木隊の下山を連絡に下る。徳沢で川室がこれを聞き上高地へ下った。

(タイム)C3(6・30)−キレット(8・30)−槍頂上(12・20)−横尾(16・05)

 26日(曇風強し)

  A隊は全員帰京、B隊は横尾に停滞

 27日 槍沢

 28日 上高地−中ノ湯

 29日 安房峠−平湯峠帰京

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