谷川岳・三つの滝沢

    一ノ倉沢滝沢下部、滝沢スラブ、滝沢リッジ連続登攀

      昭和三十七年七月の記録

 「三つの滝沢」とは、谷川岳の一ノ倉沢における“滝沢下部”“滝沢スラブ”“滝沢リッジ”の三ルートの総称として、便宜上われわれがそのように呼んでいるにすぎない。

 この「三つの滝沢」は“滝沢下部”における変則的なトラバース、“滝沢スラブ”におけるスラブ、草付、さらにブッシュの登攀、そして“滝沢リッジ”における壁の人工登攀など、変化に富むルートであり、したがってその登攀にはあらゆる理論的要素を必要とするし、また本谷から国境稜線まで三十数ピッチ(コンテニアスを含む)に及ぶ無駄のない登攀も興味ふかいものがある。

 そのようなわけで、この「三つの滝沢」は一ノ倉沢における代表的なルートとして今後多くの人びとに登られて良いルートではないかと思う。

 以下はわれわれの七月九日から十日にかけての記録である。パーティは、安久一成、石井康夫の二人。

三つの滝沢概念図 滝沢本谷より滝沢スラブを望む

  一ノ倉沢の出合で、やっとむせかえるような暑さから解放された。朝食をとりながら晴れ渡った空に展開する岩壁のパノラマを目で追う。その間にも、つぎからつぎへとパーティがこの谷へ吸い込まれでゆく。さすがは日曜日だ。われわれも腰を上げて、その列に加わる。

  一ノ沢の出合附近から雪渓を踏む。他のパーティはみな烏帽子のスラブにはいって行くが、われわれは雪渓通しに本谷を行く。底知れぬクレバスを飛び、雪渓のきしむ音におびやかされながらも、出合から一時間半ほどで滝沢下部取り付きのスラブへ降りたった。

  ここで一息入れ、登攀具を整備している間に、他のパーティがわれわれを追い越した。われわれはそれに続く。八時さらに他のパーティがわれわれに続いた。

  登攀は湿った草付のガリーから姶まる。浮石をおさえながら三〇メートルほど登って、これから展開するトラバース・バンドの右側に立った。先行パーティがバンドの向こうに消えて行くの待ち、安久トップで行動に移る。

  下り気味な第一バンドを慎重にトラバースして、一五メートルほどで第一切断地点に到着する。赤さびた古いハーケンに捨てナワを結びそれを手すりにして二メートル下の第ニバンドへ降り立つ。ここでセカンドの石井を迎え、先行パーティの進むのを待つ。待ちながらまわりを見まわせば、どのルートにも人が鈴なりで、落石の音や、どなる声の絶え間がない。

  第二バンドから直上して洞穴にはいるルートもあると聞いたが、われわれはさらにバンドをトラバースして、第二切断地点に到着した。ここもやはり二メートルほどバンドが食い違ってており、赤さびたハーケンに結ばれた古い捨てナワにぶらさがるようにして、ナメナメ・バンドといわれる第三バンドに降り立つ。ここでふたたび先行パーティの進むのを待つ。

  滝沢Flを真下から取りついているパーティがあり、逆層のスラブに埋め込みボルトを打ち込んでいるのが見える。

  ナメナメ・バンドのトラバースを始める。右壁は多少ハング気味で、その下に古いハーケンが並んでいる。それらのハーケンをホールドにして、バンドの最末端までトラバースすると三〜四人集まれるテラスにでた。ここでまたも先行パーティの進むのを待っていると、風にあおられてて水しぶきが飛んでくる。ここからは見えないが落ち口が近いらしい。

  先行パーティは洞穴にはいらず左の草付を登って直接落ち口へ向かった。われわれは予定通り初登のルートを行くことにして、白い砂のバンドをはうようにして五メートルほどで洞穴にはいる。洞穴を右側からハーケンに頼って外にでる。左方三〇メートルのあたりに落ち口が見え、洞穴にはいらなかった先行パーティがすでに落ち口に取りついている。

  なおもハーケンとカン木にたよって登ると五〜六本カン木の密生しているバンドにでた。本来ならばここから草付バンドを左へトラバースして落ち口に近づくわけであるが、目の前四メートルほどその草付バンドがない。毎年草付がはがれているとは聞いていたが、今はその跡形もなく、白いスラブが現われているのみである。

  やむを得ず洞穴の上のテラスまでもどり消え去ったバンドの向こう側へ左上することにした。ニ、三本ハーケンを打ち、アブミに乗ってバンドに移る。そこからはF1落ち口に向かってバンドに明確な踏み跡があり、容易に落ち口へ近づく。落ち口の溝の中は黒いコケがぬるぬるして、その上を水が流れている。水の中の古いハーケンにアブミを掛けて一気に落ち口の上に立った。十二時五〇分。

  ここで「三つ滝沢」のうちの“滝沢下部”を終了したわけであるが、待ち時間が多かったこと、ルートが変わってしまったことなどの条件が重なり、われわれの予定していた時間をはるかに上まわることになってしまった。

  F2は向かって左側を登り、四〇メートルいっぱいザイルをのばして、あとはコンテニアスで小槍のコルにでる。十三時四五分。

  ここで食事をとりながら、これから登る滝沢第一スラブの偵察を行なう。

  本谷の雪渓から見た時は、滝沢リッジ・ドームに直接突き上げるこのスラブが非常に威圧的に思えたが、ここまできてみるとその威圧感はなくなってしまった。

  ここからは石井にトップをゆずり、なかばコンテニアスのような状態でぐんぐん高度を上げる。

  ルートは別にここと定まらず、時にはマイナー・リッジを、時には第一リッジをと、草付をさけ岩を選んで縫うように登る。

  今後この第一スラブを登る者があったとしたら、彼らもまたわれわれと同一のルートを踏むということはむずかしく、彼らは彼らなりのルートを取るであろう。

  完全なテラスはなく、スラブにできたくぼみを利用してジッヘルを行なう。ほとんどハーケンも打たず高度を上げ、第一リッジ上の顕著なピークを過ぎる頃より、ルートを第一リッジ側にとる。

  小槍のコルから十二〜三ピッチほどきた時、にわか雨にあう。まもなくやんだがガスが発生し、これから登る上部スラブおよび草付の状態がわからなくなってしまった。ルートの選定がむずかしい広いスラブと草付の登攀なので、少し早いが今日はここでビバークすることにした。十七時四〇分。

  このビバーク・サイトは第一リッジ上にできた大きな岩のテラスで、あたかも展望台を思わせる。夜半小雨があった。

  あけて十日は曇り、幾分薄日がもれている。まわりを取りまく岩峰がガスの切れ間から異様なほどに鋭く見える。咋夜はかなり多くのパーティがビバークをしたらしい。ほうぼうから登攀開始のにぎやかな声が聞こえてくる。われわれは体の暖まるのを待って、七時に登攀を開始する。

  第一リッジぞいにスラブを一ピッチ登って、急な草付の登攀になる。草付の水路らしい溝伝いに高度を上げ、ビバーク点から四ピッチでAルンゼとの境をなすヤブ付きリッジにでる。九時。

  右側はすっぱりとAルンゼへ切れ落ち、その向こう側にはいわゆるマッターホルンの岩峰がガスの中から黒々と姿を現わした。

  もうれつなブッシュをこいでリッジを登り、四ピッチほどで「三つの滝沢」最後の難関、“滝沢リッジ・ドーム”の基部に到着した。

  ドームは正面からやや右よりの巨大なハングの中に割り込んだクラックをルートにとる。

  安久トップで登攀にうつる。頭をハングにおさえられながらクラックにそって左上する。しだいに体は外に出されハング気味の壁になる。ぶらさがっている白いアブミを利用してじわじわと登ると、ふたたび巨大なハングに突き当たる。もうれつないきおいで雨が降りだした。アブミに乗ってハングの下で雨宿りする。

  右の外傾した一枚岩に埋め込みボルトが見える。その上が小さなテラスになつている。雨はやみそうもないので登攀を続行することにする。小さなテラスで石井をむかえ、つぎのピッチにうつる。

  もうれつな雨に打たれ、上を向くのが苦しい。垂壁に打たれた埋め込みボルトとハーケンにアブミをセットして直上し、右へそして左へと、微妙なバランスでトラバースを行ない草付の溝にはいる。

  溝通しに四〜五メートル登り、右にまわり込んでマツの木のあるテラスに達する。まもなく雨があがり、幾分暖かみを感ずるようになる。

  三ピッチ目はテラスの上のハングの下をまわり込み、左上する草付まじりの溝を登る。突き当たった露岩でセカンドをむかえる。

  右から露岩をからんで草付を一ピッチ登るとブッシュのあるドームの稜線にでた。十三時三〇分。

  コンテニアスでドームの頭を通過し、ナイフ・リッジを下ったコルで一息入れる。右はAルンゼ、左は二ノ沢右俣へと切れ落ち、コブシ岩の奇岩がガスの中に異様な姿を現わした。そして見えなくなった。

  さらにナイフ・リッジを一ピッチ登って草付の窓にでる。ここはAルンゼのツメに当たるる。

  十一ミリのメイン・ザイルをしまい、八ミリのナイロン・ザイルをダブルにしてコンテニアスで行く。コブシ岩の左をまき、容易な草付を登って、十四時四五分、国境稜線に立った。(安久一成・記)


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