前穂高北尾根より西穂高へ

    屏風岩東稜〜四峰東南壁〜前穂東壁右岩稜の連続登攀をふくむ

      昭和四十二年十二月−四十三年一月の記録

  われわれの積雪期は合宿、新人の技術養成と中堅メンバーの技術向上に関連して、その計画に頭を悩ますのが常である。とくに関西・上越・九州の各支部との合同合宿をするのが例となっており、また冬山が最高のシーズンであることからも、安易な計画は許されない。

  今年もわれわれのハイマートである穂高を対象としたが、新人の技術養成を目的とした本隊は、徳沢、長塀尾根から蝶ケ岳・常念岳に登って初期の目的を達することができた。また、中堅メンバーを中心とした別動隊は、屏風岩からの連続登攀を含めて、西穂への縦走に成功した。

  この別動隊は、屏風岩の東稜から北尾根、そしてまだ厳冬期は未登と思われる東南壁を登り、さらに西穂への縦走を計画した。冬の好天をうまくつかむことのできたわれわれは、さらに前穂東壁の右岩稜をも果たした。ただし、この連続登攀には慶応尾根から前穂高をアタックする別動隊に、北尾根の八峯から五・六のコルまでサポートしてもらった。

  本来なら、このような登攣は、サポートなしで行なうべきであったかも知れない。しかし、厳冬期の連続登攀の困難性、およぴ東南壁にはたしてどのくらいの日数がかかるかも予測できない点が、あまりにも多かったので、登攀者だけが独力で行動するには少し危険が多すぎるように思われた。事実、サポート隊と合流したのは三日間だけであったがこのときセーブした体力が予定していなかった右岩稜をも登る余力となったのであろう。

  登攀隊

   清水清二(L) 、佐藤宏道(関西支部)、石黒久、安久一成(OB)

  サポート隊

   辻本貴志(L関西支部)、広部紀(関西支部)、鈴木一郎、浅井健二郎 他1名

穂高周辺概念図

 十二月二十四日 雪

  入山。新島々でタクシーをチャーターして中ノ湯まで入る。日曜なので入山者も多く、上高地まではきれいなトレールがついていた。木村小屋で昼食。入山届をして徳沢へ向かう。徳沢園近くで、あすの好天を約束するように時どき青空がひろがり、霧の中から北尾根が顔をのぞかせた。(タイム 中ノ湯9・30−徳沢園4・45)

 屏風岩東稜 

 ニ十五日 快晴

  慶応尾根に向かうサポート隊より一足先に、三人(佐藤・石黒・安久)で暗闇の中を屏風岩のアタックに出発。横尾までトレールがあったが、あとはラッセル。今冬、屏風岩はわれわれが一番乗りだったらしい。一ルンゼ押出し付近で明るくなる。押出しはラッセルが深かったので、これからの登攀を考えて力をセーブしながらの苦しい登りだった。

  T4尾根末端の下部岩壁帯にはすでに他のパーティのフィックスしたロープがあった。最初は時間的ロスも少ないと思って、まず一ルンゼをつめ、右側に回りこんでT4に至るルートをとったが、雪の状態が悪かったので、引返し、やむを得ずT4末端の下部岩壁から登る。フィックスされたロープのおかげで岩壁帯はスムーズに登れたが、上部の樹木の生えた雪壁はラッセルが深く、胸までの雪泳ぎで大分体力を消耗した。

  T4からT2までの雪壁のトラバースも、不安定な雪を胸までのラッセルで苦労し、T2、東稜の取付点に着いてホッとする。時間としては遅かったが、天気のよいうちにできるだけ登っておこうと登攀開始。ボルトとハーケンに導かれ、小庇ハングを越えて中央壁鵬翔ルートの分岐点のバンドに立つ。この手前が少しいやな所であった。次に四〇メートルいっぱい、東稜で一番すっきりしている稜状のフェイスをアブミ操作で登る。

  このあたりは夏・冬とも大差はなかったが、次の草付フェイスが悪かった。ベットリと雪がついていたし、暗闇もせまって悪さが倍加した。雪を丹念にかき落とし、少しずつ高度を上げたが、バンド状テラスに達する手前にデリケートな横断が待っていた。残置ハーケンをさがしたが、見つからないので、やむを得ず右の折れそうな潅木にしがみついてせりあがると、雪の中から残置ボルトが見つかったので急いでそれに飛びつき、やっとバンド状テラスにはいあがる。

  幅四〇センチ、長さ一・五メートルくらいでスタンスと言った方がふさわしいかもしれないが、ここをビバークサイトにする。ザイルを胸の前に張り、三人並んでツェルトをかぶった。ずり落ちては登り、ずり落ちては登る長い一夜がはじまった。

(タイム 徳沢4・20−取付9・00−T40・45−T22・40−バンド6・00)

屏風岩東稜登攀ルート図

 二十六日 雪

  夜半から雪が降りはじめ、壁は一面真っ白白になった。チリ雪崩がさかんに上から落らてくる。下の方で人の声がするので、霧の切れ間から見下すと、T4末端尾根取付付近に六、七人おり、さかんにコールをかけてきた。場所が場所だけに慎重に登攀準備をする。

  最初のハングしたフェイスはアブミのかけかえで登ったが、昨夜の窮屈なビバークで体が思うように動いてくれない。下で盛んにコールをかけてきたパーティも下部岩壁帯を登りはじめたようである。雪の中からハーケンを掘り出してはアブミをセットするという単調な登り二ピッチで快適なテラスに着いた。

  時どき東壁ルンゼからチリ雪崩があり、それが風に流されてはふりかかってくるので全身が真っ白になる。ここからS字形の草付バンドを雪をかき落としながら登る。夏ならフリークライムのこんな所が悪い。二〇メートルでピナクルテラスに着いた。

  最後のピッチは、ボルトとハーケンの連打されたハングぎみのフェイスを登り、右にカンテを回りこんで、バンドの雪を落としながら、右に振子トラバースで夏の登攀終了点に出る。ザイルが直角に曲がり、またザイルも凍っていてすべりが悪く、セカンドのジッヘルに苦しめられる。

  やっと終わったと喜んだのもつかの間、稜線までは首までもぐるラッセルが待っていた。深い雪の中で灌木を求め、アイゼンのツァッケをひっかけてせりあがったが、登攀を終えたあとだけに体力消耗がはげしかった。アンザイレンしたまま、あえぎあえぎようやく稜線にたどり着く。ここでモチやラーメンを腹につめこんだものの、屏風ノ頭までのラッセルが案じられた。しかし、稜線のラッセルは前ほどひどくはなかった。部分的に胸までの所もあったが、案外ピッチがあがった。

  屏風ノ頭付近の雪面もクラストしていて快適だった。ここでサポート隊の天幕が八峰ノ頭にないかと暗闇の中へコールをかけてみたが応答がない。やむを得ず風雪の中を最低コルに下り、がんばって八峯ノ頭まで登ってみたが天幕などは一張もない。コールは強風のため数メートルも届かない。八峯に一張の天幕もないとはおかしい、とお互いにぼやきながら、しかたなく雪面を掘り下げツェルトをかぶる。

(タイム バンド8・20−登攀終了10・00−屏風ノ頭6・20−八峰8・30)

 二十七日 曇のち雪

  明るくなったのでツェルトをめくって驚いた。八峯ノ頭はここから五〇メートルほども登った所なのである。急いで行って見るとサポート隊の天幕があった。うれしさとくやしさの複雑な気持で天幕に入る。午後に後発隊の二人も到着して、その夜は屏風の成功と以後の計画完遂を祈り、後発隊の差入れのオデンでささやかな祝宴を開く。

 ニ十八日 風雪

  サポート隊とともに風雪の中を五・六のコルに向かう。ナイフエッジの雪稜が続き、雪も不安定だったので七峯ノ頭で荷を半分ほどデポし、六峯の登りにかかる。悪い所はすでにロープが張られていて非常に助かった。五・六のコルに幕営してデポの荷を取りに往路を往復する。(タイム 八峯ノ頭8・00−五・六のコル−11・20)

 二十九日 風雪

  大陸の高気圧が南に傾いて里雪型の冬型気圧配置なので、風も、雪も、それほどひどくないが、行動は不可能。これから先のことも考えてゆっくり休養する。

 三十日 雪

  昨夜の気圧配置は依然としてくずれず、好天のきざしは見えない。サポート隊の終局的な目的は前穂のアタックであったが、きょう入山の本隊(常念岳隊)と合流しなければならないので、やむを得ず下山と決定。

  残ったわれわれ四人は、これからの食糧のパックと、ヒマラヤの高所キャンプで使用する非常に軽量(五キロ)の三人用簡易テントを受けとって、慶応尾根を下るサポート隊を六峯ノ頭まで見送りに行く。そして少しでも足を伸ばそうと、四人は天幕と食糧を大型サブザックにつめて三・四のコルに向かう。

  この夜、天幕を出ると、風は強いが満天の星である。予測しなかった移動性高気圧が現われたのであろうか。とりあえず、あすは東南壁アタックを予定して寝る。(タイム 五・六のコル−11・30−三・四のコル2・45)

四峯東南壁登攀ルート図

 四峯東南壁 

 三十一日 時のち吹雪

  思ってもみなかった移動高がやってきた。きょうはやるぞと天幕を飛び出す。C沢の下りは腰までもぐるが、雪の状態は意外に安定している。

  東南壁は風で彫刻された巨大なキノコ雪で覆われていた。その正面は一九六〇年、東京歯科大によってルートが拓かれていたが、極度のバランスを必要とし、がっちりしたホールドもない逆層のスラブの険悪な壁である。キノコ雪の処理が登攀成功のカギであることは予想していたが、見たところ、そのキノコ雪が今にもくずれ落ちそうに張りついていて悪絶そのものである。相当苦戦を覚悟して取りつく。

  壁の中央部にある赤いハングへ続くガリーに入ろうと、キノコ雪の上にそっと乗って、下部のオーバーハングを右にトラバースする。残置ハーケンを見つけてルートの正しさを確認したが、ガリーの入口は氷結しており、早くもいやらしさを現わしていた。ショートピッケルを思いきり振りあげて岩を出したり、ステップを刻んだり、微妙なバランスで少しずつ高度をかせいでガリーに入ると、氷にアイスハーケンを打ちこんで、セカンドをあげる。

  つぎのピッチは赤いハングの下までガリーを直登し、ハングの下のスラブを右にトラバースしてスタンスに出るのであるが、ガリーの上部は、多くの巨大なキノコ雪に覆われていた。やむを得ずルートをはずしてガリーの右の凹状の壁にルートをとった。ガリーの中は氷にステップを刻みながら一〇メートルほど登る。

  ここから凹状の壁に取りつくには右にあるキノコ雪にそっと乗って横断しなければならないのだが、そのキノコ雪の上はハングしているので這いながら横断しなければならない。くずれないように祈りながら、そっと這って急いで打ちこんだハーケンに体重をかけ、少しずつ右に移動し、ようやく凹状の壁に到着してホッとする。うまいことにこの壁には縦リスがあったので、ハーケンを三本連打して正規ルートのスタンスに出ることができた。

  この頃から、急速に雲がひろがりはじめて、突然、粉雪が舞いだした。やはり、大きな移動高ではなかったのだ。登ることに熱中していたわれわれにとっては、まったく突然の出来事なので、あせりと不安が胸をかすめる。

  次のピッチはかぶり気味の青白いフェイスをアブミで乗り越し、岩のもろい逆層のスラブを直上する。ホールドはすべて外傾していて頼れるのはハーケンだけだったので、手当り次第に雪を切り落としながら残置ハーケンをさがしては少しずつせりあがって行く。

  約二○メートル登ってバンドに達した。ここは夏なら濡れていてあまりに外傾しており、不快きわまりないバンドだが、雪のため意外にも安定していた。さらに雪壁を五メートル登って洞穴に入りこむ。このとき洞穴の手前に張り出していた巨大なキノコ雪が、ちょっとさわっただけで轟然と落下して行った。降雪の切れ間から右岩稜に取りつくパーティが見えて、盛んにコールをかわす。

  四ピッチ目はオーバーハングのある凹角である。ハングの出口まで吊上げで乗り出すと、上はひどい氷壁になっていた。硬い氷にアイスハーケンを打ちこみ、アブミをセットしてハングを乗り越すという思いきった行動をとる。さらに氷塊にステップを刻み、デリケートな動作のくりかえしで、ジエードル下のテラスに着くことができた。

  ジエードルにはベルグラがはりつき、出口はキノコ雪に覆われて悪相をきわめていた。それで正規ルートのジエードルを登るよもこのままテラスからリッジ通しに登った方が容易に思えたので直上する。くずれ落ちそうな雪壁登って垂壁にハーケンを四本連打し、傾斜のおちた雪壁に出た。そのまま、この雪壁を四〇〇メートルいっぱいカッティングで登り、夏の登攀終了点に出た。すでに天気も悪化していて四人が集結するには時間がかかるので、そのままスタカットで雪稜を登り、四峰ノ頭に出て、三・四のコルの天幕に下る。

  四人がそろった頃は暗闇もせまり、風雪も一段とはげしくなった。天幕の中で雪まみれの四つの顔をあわせ、初めて成功の喜びをわかちあった。本隊にも、早速、成功の旨をトランシーバーで連絡する。

(タイム 三・四のコル7・00東南壁取付8・00−登攀終了4・00−天幕5・20)

 前穂高東壁右岩稜

 一月一日 風雪

  停滞。東南壁が早く登れたので、行動面に余裕ができたため、その後の天気次第で右岩稜も登ろうと、四人とも休養にする。とはいえ、三人用天幕に四人も入っているので、終日ジッとしているのはなかなか苦痛であった。夜の天気図で移動高通過を知り、右岩稜アタックを決定する。

前穂東壁右岩稜登攀ルート図

 二日 晴

  期待どおりの快晴。 C沢は前日の雪でいっそうラッセルが深い。表面が少し固かったので、一人がシリセードで滑ったら、これが案外にうまくゆく。それでそろってインゼルの上部までシリセードで滑る。インゼル上部のいやらしいトラバースをしてB沢に入ると雪は案外しまっていたので、キックステップでどんどん高度をかせぐ。

  すでに右岩稜にはわれわれが東南壁アタックの際に取りついていたパーティが二晩のビバークでがんばり、前面スラブの下で登攀準備をしているのが見える。われわれは下部の上昇バンドのルートをとらず、B沢の上部から直接前面スラブに至るルートをとる。

  ここにも巨大なキノコ雪が張り出していたので、それをうまくぬって前面スラブの下に出なければならない。ルート・ファインディングが難しかった。二ピッチでスラブ下のピナクルに着くと、先行パーティは大阪登攀クラブで、トップが古川ルートの草付クラックを登っていた。スラブに張りついた氷が光ってまぶしい

  われわれは二パーティに別れてそれぞれ鵬翔ルートと古川ルートを登ることにした。鵬翔ルートは会の先輩が一九六一年に開いたルートで、右岩稜の真ん中を登り、ハング帯をダイレクトに乗越す豪快なルートである。一般にはあまり知られてないので無雪期でもトレースするパーティは少ない。厳冬期はおそらくわれわれが初めてであろう。鵬翔ルートは石黒・安久のペア、古川ルートは清水・佐藤のペアが登る。

  古川ルート 先行パーティがいるとはいえ、壁の悪さには変わりはない。微妙なバランスで草付クラックを登り、ハング下のレッジでセカンドを迎える。セカンドは先行パーティの落とすキノコ雪の直撃弾を受けるので、悲鳴をあげながら登ってきた。ハング帯は夏なら豪快なフリークライムでぬけることができるのだが、今は積極的にアブミを使用する。ハング帯でどんぐりの形をした岩の手前のレッジでピッチをわけ、次のピッチで終了点に出る。ハング出口のピナクル付近を非常に悪く感じた。

  鵬翔ルート 古川ルートの草付クラックを約五メートル登って左の窪みに入る。ここは雪壁となっていて極めて悪い。フェイス下のハングに残置ハーケンを見つけ、セカンドに登ってきてもらう。セカンドは悪い悪いとこぼしながらやってきた。二ピッチ目は小さなハングを越してから大ハングまでがフェイスの人工登攀で、楽にハング下のスタンスに着く。古川ルートがすぐとなりなのでお互いの行動が確認できて登攀をひどく気楽にさせてくれた。

  いよいよハングの乗越しにかかる。二メートルほど張り出したこのハングは、奥又の岩場で一番大きなハングではないかと思う。アイスハーケンがガッチリときいていて豪快な乗越しを楽しんだ。ハングを乗越して五メートルほど登ると、古川ルートの終了点(バンド)に出たがそのバンドに出る手前のフリークライムが悪かった。ここは、岩にボルト一本を埋めこんでぬけることができた。このとき古川ルートのトップも同時にバンドに着いていたので、いっしょにビレイを取ってセカンドを上げる。

  このバンドで合流した四人は、キックステップとカッティングでいっしょに雪壁を二○メートルほど登って北壁に出た。ここで先行パーティと交代し、われわれがトップとなってT2までリッジ側にルートをとる。すでに夕闇はせまっていたが、このとき突然三峯の頂上からコールがかかった。われわれとは知己の愛知岳連サルカンタイ峯遠征隊長加藤氏のコールであった。前穂の頂上に天幕が張ってあるからきょう中に登ってこいとのこと。早く行きたいが、壁の悪さがなかなかピッチをあけさせてくれない。

  Aフェイス下のT2に四人が集結した時はすでに真っ暗になってしまった。これから一面氷で覆われたAフェイスを登るには、あまりにも条件が悪すぎるので、ここでビバークにする。下のパーティは北壁でビバークらしい。きょうですでに三日つづいてのビバークは大変であろう。満天の星空であるが、星のチカチカ光るのがいやに気にかかる。あすはくずれそうな気がする。トランシーバーで本隊に現在の状況を連絡してすぐ寝る。やはり夜半から雪が降り出した。

(タイム 三・四のコル7・30−取付点8・20−前面スラブ10・10−右岩稜終了点2・20−T2ビバーク地6・00)

 三日 風雪

  夜が明けると同時に風雪の中を登りはじめる。手袋が氷結しているので指が痛くてたまらない。前線の通過であろうか、だんだん風が強くなってくる。Aフェイスは氷とキノコ雪に覆われていた。約三〇メートル、クラックのあるフェイスを、氷をたたき割って登る。ハング下のスラブは氷の中に残置ハーケンがあるとわかっていても、その厚い氷を全部たたき割ることはとてもできない。やむを得ず氷に足場を刻んで、アイゼンの前のツァッケ二本をきかせながら、思い切ってデリケートな登攀に移る。風雪の中だけに極度に難しい。約一○メートルをこうして登るとようやくキックステップできる軟雪になったのでどんどん高度をかせぐ。

  前穂頂上は最高に風が強かった。体はたちまち凍りつき、セカンドを思うように確保もできない。立っていると吹き飛ばされそうな風であった。さっそく愛知岳連遠征隊の天幕に入って、歓待してもらった。ビバークしてきただけに、飲むものも食うものも腹にしみるほどうまかった。彼らもこれから西穂へ縦走するという計画なのでいっしょに行動することを約束する。風雪の弱くなりはじめた頃をみはからって三・四のコルの天幕に下る。 

(タイム T26・00−前穂10・45−前穂発2・20−三・四のコル4・20)

 四日 風雪

  作成した天気図を検討した結果、あすは移動高が日本上空を覆うと判断して、風雪であるが愛知隊と連絡をとり、きょうは奥穂まで行くことに決定。三峯の登りは風雪の中で、ところどころ氷になっており、苦しい登攀を強いられた。前穂の頂上に着くと愛知隊はすでに出発したあとであった。

  すぐ彼らのあとを追う。吊尾根にかかると風はまともに顔面を吹さつける。われわれ四人はサブザックなのでどんどんピッチがあがり、奥穂の登りで愛知隊に追いついた。ここからは前後しながら、お互いに協力して、奥穂の頂上に着き、入口を向かいあわせて天幕を張る。あす中に上高地に下る予定で、残りの食糧をどんどん食べる。

 (タイム 三・四のコル7・20−前穂9・50−奥穂2・30)

 五日 晴のち曇

  われわれのフィナーレを飾るにふさわしい晴天であった。ただ、風だけが非常に強く冷たい。馬ノ背は適当に雪がついていたので夏より楽に通過。ロバの耳のトラバースはところどころに氷があって悪かったのでスタカットで通過。ジャンダルムは直登し、天狗の下り付近から稜線漫歩気分になる。コルからはトレールがあったので難なく西穂高に到着。西穂山荘からは樹林帯をシリセードで下り、夕闇せまるころ木村小屋に着いた。

(タイム 奥穂7・20−天狗のコル−11・20−西穂2・30−木村小屋4・45)

(石黒 久・記)


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