穂高屏風岩Uルンゼ右岩壁初登攀

    昭和三十四年十一月と昭和三十五年五月の記録

  横尾から涸沢へ行くとき、まず目にはいるのは屏風岩である。数多くの変化に富んだルートを提供しているこの屏風岩の下を通る時、いつでもピッチの上がらないのが常である。そして丸木橋で一服しながら屏風岩を見上げるのがわれわれの習慣となっている。

  われわれはこの屏風岩のあらゆるルートに四季を通じて登攀を試みてきた。そういう一連の登攀を思い浮かべながら一服するとき、Uルンゼ右の広大なスラブを見あげて、果たすべき義務をまだなし終えていないという、一種の空虚感を抱いたものである。

 試 登

 昭和三十四年十一月六日〜七日  パーティ 安久一成、瀬山和雄

  三十四年十月下旬に、冬季合宿の荷上げを兼ねて、安久以下三名で上高地へはいった。その足で岳川にはいって二、三ルートの登攀をすませて、Uルンゼ右岩壁を登るべく横尾にベースをおいた。

 十一月五日

  登攀ルートを決定するためにプリズムを持って偵察にでる。三のガリーからの偵察の結果は、岩壁のほぼ中央部で顕著な白く光るルンゼ状のスラブが壁を二分していて、ルンゼ状スラブの右の部分は登攀距離が短い、傾斜がおちる、ブッシュが多い、などの理由で登攀価値が低いようである。一方、左の部分は斜めに走る三本の大きな帯状のハングに守られていて、一見した時から厳しさのなかにもある親しみをわれわれに対して見せているように感じた。われわれはルンゼ状スラブのすぐ左側に断続的に続いているブッシュを利用して登攀を試みることにした。

 六日

  安久、瀬山アタックに出る。Uルンゼへ取りつく際に通る草付のトラバース・バンドをへずり、ルンゼ状スラブの左側でアンザイレンする。最初のピツチは右斜上にはえているカン木めがけて、十五メートルほどのぬれたスラブの登攀である。凍りついたベルグラ(薄氷)をハンマーでたたき割りながらホールドを捜す。乾いてさえいればなんでもないところだが慎重を期して一、二本のハーケンをたたき込む。カン木でセカンドの瀬山を迎え入れ、予定通りブッシュにはいる。五〜六メートルは今にもはげ落ちそうな、いやな草付が続く。そんな草付をだましだまし斜右上へまわり込み、ルンゼ状スラブの左に断続的に続くブッシュ帯にはいる。

  ここのブッシュは中央カンテほどの大きさはないが、充分登攀を助けてくれる。何本かの消極的ハーケンを打ちながら、カン木から四〇メートルいっぱいで露岩にでる。二本のビレイ用ハーケンを打ち、アブミを腰にまわし、小さなスタンスに立ってセカンドを迎える。ここに立つと三本の帯状ハングが左手の目の前に見える。われわれが想像していたよりははるかに大きなもので、ここをルートに選んだことに満足感を覚えた。

  ここから上のブッシュまで七〜八メートルは逆層のスラブ登攀になる。だが、岩のくぼみにはえた湿ったコケをはがしでみると、以外なほどにリスが求められる。五、六本ハーケンを連打。アブミをかけかえながら登ると、ふたたびブッシュにはいる。ブッシュに頼って直上、四〇メートルいっぱいでもう一度露岩にでる。さきほどと同様に工作してセカンドを迎える。ルンゼ状スラブが直ぐ右にちょうどスベリ台を垂直にしたようで、かなり高度感がでる。

  ここから上のつるつるのスラブにはリスが求められないので、右のルンゼ状スラブにトラバースを試みる。アブミに乗って三メートルほどトラバースし、体を右へいっぱいに傾けてカンテの向こう側をのぞくと、なんとそこには三、四人はらくに立てるテラスがあつた。このテラスは、ルンゼ状スラブ左のカンテにできた、快適なテラスである。

  腰をおろし、一服しながら景色を眺めれば、いつも感じるあの登攀の喜びが、胸にこみあげてくる。山道を歩く豆つぶのような小さな人間を眺めていると、心にとどこおるものが解放され、なんとなくたのしい優越感がわいてくる。

  登攀再開、左斜上に埋め込みボルト三本を打ち、たれさがったブッシュをつかんで、強引にもぐり込む。ブッシュを頼りにぐんぐん高度をかせぐと、ちょうどザイルいっぱいで外傾斜した草付のテラスに着いた。このテラスは偵察の時プリズムで確認できたかなり大きなものである。

  十一月の日没は早い。あたりはすでに薄ぐらくなり、急に寒さを感じるようになった。カン木の根元を整地し、それにまたがってビバークにはいる。明るい月が、横尾の森林帯にくっきりと屏風の影を落としている。影がだんだん短くなると寒さもきびしくなってくる。

  ポケットに手を入れてタバコを捜したが、登攀中にみんな吸ってしまったらしく、空っぽである。仕方なしにカン木の枯葉をちぎり、もみつぶして紙に巻いて吸ってみたが煙がででこなかった。

  時々両側のスラブをカランカランと大きな音をたてて落ちてゆくものがある。始めのうちは落石だと思って、両手で頭をおさえて身構えたが、上部のハングからしみでた水が凍り、スラブをすべり落ちてゆくものとわかった。

  そのうちに雲行き怪しくなってきた。晴天を約束していたかのような空からは、大つぶの雨が降り始め、ますますひどくなる。なんの準備もしていないわれわれは、町角のポスト同様ただ黙ってすわっているだけである。この季節の雨は実に冷たい。全身ずぶぬれになって歯がカチカチ鳴りだす。

  明るくなるのを待って下降することにした。カン木の根もとに捨てナワを結び、二本の四〇米ザイルをダブルにして、ルンゼ状スラブわきのテラスまで下る。そこで、登りに打った埋め込みボルトのわきに安全を期してもう一本ボルトを打ち込み、二本のボルトを支点に四〇メートル下る。さらに二回の懸垂で取付点に達する。

屏風岩Uルンゼ右岩壁登攀ルート図

 完 登

 昭和三十五年五月四日〜五日  パーティ 安久一成、野村彰男

 五月三日

  明神東面での生活を終えて、横尾に天幕を張る。むろん今回のおもな目的は昨秋おしくも失敗に終わったUルンゼ右岩壁の登攀である。

 四日

  安久、野村の二名で右岩壁へ向かう。途中で中央カンテに行く野口、佐藤と別れ、豊富な残雪を踏んで取付点に達する。昨年の敗退からすでに六ケ月経過している。ひょっとするとその間に登られてしまったのではないかと思っていたが、その心配も登るに従って消えてしまった。

  前回のルートをそのままたどり、最高到達点であるビバークをした草付のテラスに到着したのは、十二時近かった。

  ここからさきは、どこをルートに選ぶにしてもリス一つないつるつるのスラブである。予定通り頭上のハングをさけて、右上のスラブに取りつき石屋作業を始める。ここは東壁や中央壁に比べると傾斜がゆるいので、両足をアブミに乗せ岩によりかかりながら作業をすることができる。それでもかなりの時間をかけて埋め込みボルトを七本連打したのち、ブッシュにはいり、四〇メートルのばしでセカンドを迎える。

  ふたたびブッシュの登攀、途中の露岩帯にボルトを二本使用して四〇メートル登る。その時、中央カンテの方から、仲間のコールがかかった。見上げるとP1のあたりに二人のシルエットがくっきりと壁に浮きでている。そこではじめて、あたりが薄ぐらくなっているのに気がついた。

  どこかビバークをするところを捜さねばと、六メートルほど右へトラバースしてたれさがったカン木を引っ張り強引に上がるとそこには二人がやっと腰をおろせるほどの小さなテラスがあった。ここまでくれば登攀はほぼ終わったも同然であるが、登攀終了後にたどるVルンゼとの境界尾根は、かれわれには未知のコースだったのでこの小テラスでビバークと決める。

  ところが、ビバークにはいると同時にまたも雨が降りだした。昨年のビバークにこりてツエルトを持ってきたが、雨に対してナイロン・ツエルトは用をなさず、水に浸りながら、不愉快な一夜を明かした。

  明るくなっても雨はまだ降り続いているが、登攀終了点は目前である。歯を鳴らしながらぎごちない格好で、右のルンゼ状スラブにできた横断バンドへ七メートルほど懸垂で下る。そしてそこから右斜上に続く凹状のところを登る。さらに二ピッチ、露岩をからみながらカン木帯を登ると、登攀も終了である。登攀終了点はVルンゼ上部の左側の尾根にあたる。残雪豊富なVルンゼを下り、途中から滝をまくためにふたたび尾根へもどって丸木橋へと下る。

  乾いたのどをうるおし、一服しながら壁を見上げたが、そこには以前の「空虚感」は感じられなかった。

 後 記

  自分で登ってはみたものの、そかほどすっきりしたルートだったとは思えない。というのは東壁あるいは中央壁にくらべて、第一に傾斜がおちることと、第二にブッシュが多いことである。しかし登攀距離の点では取付点が低いために同程度といえる。そしていろいろと変化に富んでいる点から、屏風岩における中級ルートとして登攀をたのしむことができるのではないかと思う。

(安久一成・記)


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