穂高岳下又白谷

    昭和四十年十月の記録

  徳沢の対岸で梓川に合流する下又白谷は北を第一尾根と茶臼尾根に、南を明神東稜にはさまれた広大な谷である。その急峻なことは奥又白、中又白の比でなく、おそらく穂高随一のものといわれながら、今日までその全貌はおろか、どこにどのような滝があるかということさえ知られていなかった。穂高ではほとんどの壁が登りつくされるというその華やかさの陰に、忘れ去られたように太古から永遠の孤城を守っていたのが下又白谷である。

  しかしクライマーが決して手をつけなかったわけではない。幾多の者がいどみながら、四季を通じて残る万年雪と威圧的な偉容で聳える岩壁を前にすごすごと引き返えさざるを得なかったのである。唯一の未知の部分として、当会においても過去数年来、夏に秋に、この谷に入りながら豊富な残雪を前に取付点すら見出し得なかった。

  われわれは夏の涸沢合宿の帰途に偵察を行ない、秋にふたたび訪れることを約束した。そしてその間、われわれは黒部におもむき、別山谷左俣、右俣を登り、自信を深めたのである。

  以下は、昭和四十年十月、その溯行に成功した記録である。

  メンバーは次の通り。

 〔登攀隊〕沼山正治、清水清二、長谷川護、他1名

 〔サポート隊〕五味久明、石黒久、竹内昌博

 十月十日 快晴

  暖かい秋の日射しを浴びながら、紅葉で染めぬかれた山肌をのんびりと眺める。信じられないほど静かな徳沢園の片隅で、われわれはこれからの下又白谷登攀に静かな闘志と喜びを感ぜずにはいられなかった。徳沢から梓川を対岸へ渡り、下又白谷の押し出しを登ること三〇分、明るく広々とした河原にBCを設営する。正面には大障壁がさながら一ノ倉沢奥壁のように立ちふさがり、眼下には徳沢のこんもりした森が牧歌的な風情をかもしだす快適な幕営地である。

  午後からさっそく二パーティに分れて偵察にでる。一隊は大屈曲点から茶臼尾根への側稜に取りつき、ゴルジュ内部の偵察をする。結果的には、曲がりくねった谷は全然見通せない。他は同じ側稜を五〇メートルほど登り、そこから二五メートルで雪渓上に下りる。

  新雪を迎える季節であるのに、まだ豊富な残雪があるのには少々あきれる。雪渓を百メートルほどで、F1のすぐそばへ楽に達する。ところが、これはわずか六メートルほどが姿を現わしているだけで、幅三メートルほどの深いシュルンドの中に四〇メートル山以上はあると思えるその姿はすっぽり隠され、まだ水量豊富な現在の状態ではF1の直登はとてもできそうもない。

  両岸はみがかれた岩壁で、ここも不可能である。残念ではあるが、F1の直登はあきらめ、八月中旬に偵察ルートとして登った、右に入り込んでいるルンゼを登り、F1を高くまくことにする。ところがシュルンドが深いためにルンゼの底まで達するのが苦労である。アイスハーケン二本(途中で曲がるほど雪渓は固い)を打ち、不安定な懸垂下降三〇メートルを強いられる。

  頭上に雪渓がのしかかり、まるで井戸の中にいるようだ。ルンゼに下りてハーケンを打ちザイルを固定する。時間もないので、この日はこれまでと雪壁にフィックスしたザイルにつかまって、雪渓上にでる。懸垂下降二カ所にそれぞれフィックスしたザイルを残して急ぎ帰る。

 (タイム 上高地9・20−11・40BC13・00−13・30ルンゼ−14・30BC)

 十一日 快晴

  朝七時三〇分、遅い食事をすませてテントを後にする。きのうフイックスしておいたザイルのおかげでスムーズにルンゼの底に達する。濡れて気分のよくないルンゼを離れて七〇度強の草付を下り気味に三〇メートルトラバースする。今にも足をすくわれそうで悪い。そこから途中オーバーハング状の木登りを交えて草付を五〇メートル直登、トサカ状岩峰のある岩稜へとびだす。

  この岩稜は茶臼尾根の側稜で、F1の上へ落ちこむ痩せた岩稜である。このトサカの基部から四〇メートルいっぱいの懸垂でF1上部の河原に立つ。ここで二パーティに分れ、一パーティは東稜から出ている側稜を登り、谷の様子、及び滝群の偵察をする。他パーティは河原から先に谷を溯行することとする。

  谷はここからほぼ直角に左折、平坦な谷底を左岸沿いいにしばらく行くと、こんどは谷が直角に右へ曲がり、そこに十五メートルほどの赤味帯びた、余り傾斜の強くないナメ滝が現われた。アンザイレンして左岸をハーケン二本を打ち直登する。

  次に落ち口にチョックストーンのある滝が続くが、これはとても真直ぐに登れれない。この付近は両岸がせまり、完全なゴルジュ状を呈し、仰ぐと空はまったく小さい。しかたなく左岸の壁を高くまくことにする。最初濡れた逆層気味の垂壁を十メートル登ったが、ハーケンを打てるリスもなく、微妙なバランスを強いられる。いまにもずり落ちそうな感じだ。

  そこからハング帯をさけて三メートルほどトラバース、傾斜のやや落ちた浅い凹角に入る。そこを十五メートルほど登って、外傾したくぼんだテラスに出てボルトを打ちビレイする。そこからスラブを左に十五メートルトラバースして滝上にでる。ここも明るい広々とした河原となっていて右から菱形右方ルンゼ(仮称)が落ちこみ、そのルンゼの奥に菱形岩壁がちょっぴり顔をのぞかせていた。

  河原から谷は左折し、しばらく平凡な谷筋を溯る。途中三メートルの小滝を右岸から越えると、またも谷は右へ直角に曲がり、三段五〇メートルほどの美しいナメ滝が現われる。両岸とも垂直の壁が連なり、激しい水流によって磨かれた岩は手がかりをまったく見つけだすことがでさない。ここまで温存しておいたボルトを使用する。下段は十メートルのやや傾斜の緩いナメ滝で、右岸にボルトを四本埋めこみ、滝上にでる。この日はこの下段のルート工作までとする。

  帰途、広河原で菱形右方ルンゼを登り、菱形岩壁の偵察をする。垂壁とハングの連続した三〇〇メートル以上のこの大岩壁は、近い将来穂高岳屈指ののバリエーションルートになるのではなかろうか。ただ取りつきまでが大変ではあるが……。

  側稜を登ったパーティと交信を交わし、共に下山を急ぐ。第二の滝群の高まきルートにフィックスした四〇メートルザイルを残し、F1上の河原で偵察隊と合流する。すぐトサカへ登り、悪い草付のトラバースに四○メートルのザイルをフィックス、ルンゼを懸垂二ピッチで下り、BCへ帰る。

  この日の偵察、及び溯行の結果を綜合してみると、下又白谷は四つの滝群から成ることが判明した。偵察隊からは、われわれが途中で引き返して来た第三の滝群は確認できなかったようだ。が、その上にある、三段状に形成された百メートルほどの滝が最後で、上にも下にも他には無いことを確認する。

  最後の滝は、蝶ケ岳方面からも見え、夏の縦走の折、これが最大のポイントになるだろうとは予想していた。この結果、残るのは二つの滝群であり、あす中に、いや悪くいっても一晩のビバークで突破できるだろうという確信を深める。

  空には雲一つなくあすの天候も間違いない。早朝の出発を期して早めにシュラーフザックに入る。

 (タイム BC7・30−8・50草付−10・20トサカ基部−12・00F2上−13・00F3上段上17・00BC)

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 十二日 快晴

  この日の計画は次の通りである。登攀隊四名は谷を溯行、サポート隊三名は、中畠新道を登り、茶臼のコルから下又白谷に下り、登攀隊の到着を待つ。また、十二時以後は毎時交信する。

  顔を出した太陽を背に、サポート隊の連中の見送りを受けて、六時半、テントを後にする。長谷川と丸山が先行.沼山と清水でザイルを回収して行く。もう同じルートを帰ろうとは思わない。

  空は青く吸い込まれそうだ。九時、きのうの引返点に着く。先行の二人は早くも取りついている。中段の滝はトイ状で約十五メートル。水量が多くて登れず、左岸を高まきする。下段の滝上から左岸に移って、ボルト四本を使い、よくみがかれた壁六メートルを登ると、外傾したテラスに着く。

  その上は三メートルほど凹角状だが、岩がぼろぼろの上、ハング気味でホールドもなく、トップは苦戦を強いられる。やっとの思いでハーケンを二本打ち、ずり上るとバンドとなり、小さなカンテを左にまわりこむ。下からは見えなかったが、それも五メートルほどで消え、そこからはスベスベの壁だ。下は滝の落□に当たる。

  これ幸いと、振り子気味の懸垂十五メートルで右岸に下る。その間、後続の三名もテラスからバンドへと続き、休むことなく前進へ努力を続ける。それにしてもX字状の深く狭い谷底までは陽がとどかず、トップの苦労はわかるものの待つ身はつらかった。

  二五メートルの上段の滝がすぐ続くが、そこは左岸に食い入った一本のクラックに沿って登る。ツルツルにみがかれた花崗岩の壁にできた一本の切れ込みに打ち込むハーケンが心地よく響く。ハーケンの連打で簡単に上段に乗り越すことができたが、もしこのクラックが無かったら、われわれはここで多大の労力と時間を奪われ、一日での完登はむりだったろう。全員F3上に出たのは一時過ぎであった。

  そこから右に左にゴーロ状の河原を進むと、右から支沢が入り谷は左折して、いままでのうちで一番広い河原が眼前に開けた。われわれはこれを千畳敷広河原と仮称した。その正面には、問題の大滝が行手を遮るように立ちはだかっている。両岸はそそり立ち、流れる水は飛沫となって滝壺へ落ちてゆく。そのすさまじい景観に一瞬心に不安が去来する。

  目を凝らすと滝の上部の奥の台地に人影がみえ、さかんに手を振っている。サポート隊の仲間だ。われわれも手を振って応える。彼らの姿を見て一瞬ひるんだ心に新たな闘志がわきあがる。彼らの所へ早く行こう。身振りで交信を求め、ここで初めての交信を交わす。

  このF4は、人が椅子に坐った姿勢のような滝で、上部と下部は立ち、中央の部分がやや傾斜が緩く一見三段状になった百メートルはあろうと思われる大滝である。どちら側を登っても困難だが、逆層の左岸はとても望めそうになく、ルートを右岸に求める。

  滝壺の左、河原から七〜八メートル登った一段高い所にかなり広いスラブの台地がある。

そこから下段状の滝の落口へ向かってルンゼが一本走り、滝の中に消えているが、その少し手前から左に三メートルほどトラバースしたところに凹角があり、上に延びている。その上の状態は下からはよく見通せない。しかしここ以外手のつけられそうな所は見当たらない。

  一ピッチ、ザイル、いっぱいで容易にルンゼの水流手前に達した。二ピッチ目、三メートルほどトラバースして凹角に入ったが、頭上はハングし、その下は飛沫で濡れてすべる外傾したホールド以外は何もない。アンダーホールドを使っての苦しいトラバースをする。なんとかしてハーケンを打ちたいが、適当なリスがなく、二本打ったハーケンはいずれも二センチほどはいって曲がってしまう。空を仰ぐような姿勢で、リスをさがす。三本目にやっと気持ちよく根本まではいった逆ハーケンにザイルとアブミをセットして一息つく。たった三メートルほどのトラバースだが、限界的なバランスを要求された。ここがこの登攀最大のヤマ場であった。

  凹角を一五メートル直上し、外傾したテラスにてビレイ。次はテラスの一段下から右に走る小さなバンドを十メートル、三メートル凹角を直上してカンテラインに立つ。ここで初めて上部の様子を眺める。

  秋の太陽は沈み夕闇がせまる。サポート隊の仲間も目の前だ。急げ!そこから小さなバンドに導かれて二〇メートルほどの微妙なトラバースで河床に着く。四ピッチ目、スラブの壁を十五メートル左上し、ハングの基部を右上に十メートルトラバース。そこからまた緩いスラブ十メートルで滝上に出る。

  この上約三〇メートルで谷は二つに分れ、入口に二〇メートルの滝がどららにもかかっているが、階段上で上に待つ仲間の所までは問題なさそうだ。後続を迎え、サポート隊のいる所に全員集結したのは五時過ぎであった。

  一時間休み、ガレ場をサポート隊に導かれて茶臼のコルに上る。昇ったばかりの十五夜の月が蝶ケ岳方面に顔を出し、あたり一面を照らす。月の光に映えた秋の山々の幻想的光景が、われわれをいっそう満ちたりた気分に誘うのであった。

(タイム BC6・30−9・00F313・30F4−17・00終了点18・00−19・00茶臼のコル−22・30BC)

                                                   (沼山正治・記)


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