八ガ岳 初めての冬山合宿 厳冬の赤岳第三ルンゼ

    昭和22年2月の記録

       パーティ 中野 満、窪谷達一、多畑 茂、野々村薫

       行動期間 昭和22年2月7日−12日

 この計画は最初同行申込者8名を算えたが、種々の都合により遂に半数4名で決行する事となった。

計画としては、ベースを赤岳鉱泉に、前進天幕を中岳コルに設営する予定なりしも、予想以上の荷重とスキーの持参が出来ない事等に災いされ、ラッセルに多大のエネルギーを消耗する等の為、行動範囲も大いに縮小せられてしまった。

 余裕とてなき日程と猛吹雪に阻まれて、遂に涙をのんでの退陣を余儀なくされた事は残念で致し方ない。

 が然し、行者小屋附近森林帯に於けるたった一夜の幕営生活とは謂え、今後の冬山に対する経験の第一歩として、その成果は必ずや一基石となるであろう事を信じて止まないものである。

 2月7日 晴

 新宿−茅野−(バス)−柳沢

 新宿10・10関根に見送られて一路茅野へ 晴天だが風は強く、仰ぐ南アの雄峰甲斐駒鳳凰は盛んに雪煙をあげて歓迎してくれる。

(タイム)新宿発10・10−茅野−20・10発−(バス)−柳沢20・50

(気 温)柳沢零下7度(20・50)

 2月8日 晴、曇後小雪

 柳沢−高等農林講習所−爼原−小松飯場−人夫小屋

信濃路の山麓にも静かな朝が訪れ、立ち出る我々一行の背に、冬のやわらかな陽ざしをなげかけてくれる。あつく礼を述べて赤岳鉱泉の主高橋氏の宅を出発する。

 長い長い爼原も、重いリュックに喘ぎながら唯もくもくと進む。爼原も殆んど終りとなるあたり、松林中で11時30分焚火を囲んで昼食を取った。

 やがて長かった爼原も終りを告げ左手のトロ道に入る。此の頃より気圧計はぐんぐん下がり、小松飯場を過ぎる頃には空一面どんより曇ってしまい、遂には白いものがチラホラと落ち始めた。伐採事務所を過ぎるあたりより道も傾斜が加わって、大分疲労を感ずる様になると、もう一粁程で人夫小屋に着く事が出来た。

 勢いよく燃える囲炉裏に、ささやかな夕餉が調えられて、やっと今日のアルバイトから解放された。外では、今は本格的に降り出した雪が音もなくシンシンと積もってゆく。

(タイム)柳沢発8・15−高等農林場10・10−(休)−10・30発−松林−11・20−(昼食)−12・00発−北沢南沢出合6・00−人夫小屋16・50

(気 温)柳沢零下14度(6・00)  松林1度(昼食時)  人夫小屋外気零下6度、室内零下4度(19・00)

 2月9日 雪後晴

 人夫小屋−赤岳鉱泉

 昨夜は交替で囲炉裏の番をしたお蔭か熟眠する事が出来た。7時腹ごしらえも厳重に小屋を出る。北沢沿いの細い雪道を重い荷を背負って膝までのラッセルには何とも致し方なく、遂に11時、ザックを置いて赤岳鉱泉迄空身でトレールを作りに往復した。

 午後2時15分、重い荷も全部赤岳鉱泉に集結を完了したが、まだ早い、日暮れ迄に一稼ぎと、コッペをポケットにねじ込んで白一色にぬりつぶされた噺の国の樹林帯、中山峠へとラッセルを開始する。午後4時30分、アルバイトも終わって鉱泉に帰れば、留守番中野が暖かいコタツを作って待っていてくれた。

(タイム)人夫小屋8・00−ザックデポ11・00−赤岳鉱泉14・10−デポ地点15・30−鉱泉16・30

(気 温)赤岳鉱泉室外零下12度、室内零下7度(18・00)

Hsk54uc.jpg Hsk54ue.jpg

行者小屋BC

出発前の朝食

 2月10日 薄曇後小雪

 赤岳鉱泉−中山峠−行者小屋

 6時、早や小屋には薄日が射し込んで来た。シュラーフを通して寒気が身に沁みる。枕元の寒暖計はマイナス18度、マッチする手ももどかしく火を焚きつける。

 窪谷、多畑、野々村の昨日の努力によって道も大いにはかどり、陽光を浴びて雪間に見え隠れする大同心、小同心の氷壁群に目を奪われ、中山峠の急斜面を一気に登れば、眼前には赤岳、横岳、阿弥陀の偉容がとび出して、唯々見惚れるばかりであった。峠を後に噺の妖婦の住む様なふっくら雪の盛り上がった樹林帯を抜けて南沢にたどりつけば、すぐ目の前に行者小屋を見出す事が出来た。

 小屋は幾とせか前に廃屋と化し、最早使用し得べくもなく、我々は附近の森林中に幕営する事となる。天幕の容積が過少な為非常に窮屈な思いをしたが、雪中幕営とは思えぬ程暖かく安易な気分で過ごす事が出来る。

 明日の紀元節登頂を祝して繰り広げられた豪華な饗宴も、次第におりる夜の帷に包まれて、希望に溢れた歌声が降りしきる雪と共に天幕のまわりを駆け廻っている。

(タイム)赤岳鉱泉9・00−中山峠13・55−行者小屋15・10−幕営完了17・00

(気 温)赤岳鉱泉室外零下22度、室内零下18度  天幕 外零下13度、内零下9度

Hsk54ug.jpg

Hsk54uh.jpg

中山峠にて

野々村(左)と多畑(右)

Hsk54ui.jpg

Hsk54uj.jpg

中野リーダー

(フリッチのピッケルが光る)

赤岳頂上目指して

 2月11日 曇後吹雪

 幕営地−中岳コル−赤岳第三ルンゼ−赤岳南峰直下−中岳コル−幕営地−中山峠−赤岳鉱泉−人夫小屋−伐採事務所−小松飯場

 天候は遂に我々に協力を与えずかすかに青空を覗かせるのみで、一面の朝焼けであった。

 携帯燃料での炊事は非常に手間取って、いよいよ登攀を開始したのは既に6時過ぎであった。吹きつける烈風を押し分け、窪谷トップにて中岳のコルへと向かう。次第に加わる傾斜も吹きすさぶ烈風もピッケルをきかせてコルに飛び出す事が出来た。少憩暫し、天候は次第に悪化してくる。時計を出して見たら丁度12時であった。

 アイゼンを付け広い山稜を赤岳へと辿る。氷壁の赤岳第三ルンゼ、それは連日気温が高かった為か完全に氷化せず、アイスハーケンも利かず不安定此の上もなく、すこぶる状態が悪い。アンザイレンも固く結ばれて、アイスカットも慎重に歩一歩氷と雪のルンゼへトラバースを開始した。完璧なるジッヘルの場所もなく、慎重なる一挙手一投足に緊迫した気迫がみなぎっている。

 烈風と雪は益々荒れ狂い、視野は全く遮られて、今は全くルートの判断さえも困難となり、遂に赤岳南峰直下の雪のない胸壁に突き当たってしまった。トップ中野が先ず偵察に露岩上部に消える。暫しも停止し得ない烈風に顔もあげ得ず頑張っていると、間もなく中野が風と共に下りて来た。

 時間の不足と天候悪化を考慮し、協議の結果涙を呑んで後退する事に決する。登りに増す下降の困難もわずかに5ピッチの労によってやっと安全なる地点に到達する事が出来た。危険と困難から解放された安堵よりも後退の口惜しさに、唯風雪荒れ狂う赤岳の方向を見詰めるばかりである。黙々と、何か物足りぬ気持ちを抱いて、足取りも重く幕営地へ。

 午後4時重くなった天幕を背負って粉雪に煙る中山峠を越える。赤岳鉱泉、人夫小屋も一気にとばして、ひたすら今宵の宿である小松飯場へと急いだ。

(タイム)幕営地9・00−中岳コル11・00−赤岳第三ルンゼ南峰直下13・00−幕営地15・50−(食事)−天幕撤収16・00−鉱泉17・10−小松飯場19・00

(気 温)天幕 外零下17度、内零下9度

Hsk54ua.jpg

Hsk54ub.jpg

主峰赤岳

阿弥陀岳

 2月12日 小雪後晴

 小松飯場−爼原−高等農林講習所−柳沢部落−茅野

 感じのよい飯場の主に厚く礼を述べ、歩きにくい軌道も、行きには顎を出したあの長い爼原の雪道も、再び懐かしくたどって行く。農林講習所前にて馬橇に便乗一気に柳沢の部落へ。運良く通り掛かりのトラックに乗せて貰って、茅野の駅では午後2時25分上り新宿行をキャッチする事が出来た。

(タイム)小松飯場9・30−高等農林講習所12・00−柳沢13・45−茅野14・00

携 行 品

共同装備 個人装備
幕営用具 ピッケル    各自
ザイル(30米)  2 アイゼン    各自
アイスバイル  1 ワカンジキ   各自
アイスハンマー 1 アノラック   各自
ロックハンマー 1 ヴィントホーゼン各自
カラビナ    8 オーバーシュウズ各自
アイスハーケン 8 スパッツ    各自
ロックハーケン 5 尻敷      各自
設営用具 飯盒      各自
天幕 夏期用  1 カメラ     3
天幕 冬期用  1 食 糧
ツエルトザック 1 主 食
グランドシーツ 2 米      1斗
シュラーフザック4 餅      200匁
毛布      8 小麦粉    200匁
油紙      6 コッペパン  32個
細引      3 副 食
スコップ    2 野菜     若干
ナタ      1 ハム     200匁
気圧高度計   1 マグロ燻製  100匁
寒暖計     1 調味品
アラーム(懐中)1 味噌     500匁
炊事用具 ソース    1合
コッフエル   2 水アメ    3ポンド
ニューム鍋   1 嗜好品
バーナー    2 蜜柑     1貫目
ラヂウス    2 落花生    500匁
燃料(炊事、保温、燈火)
固形燃料    100個(60個使用)
ベンヂン    8合(6合使用)
ローソク    25本(全部使用)
ローソク缶入り 1缶(全部使用)

        


icon380.gif「アーカイブ」へ

icon380.gif「年表U」へ