谷川岳東面集中登攀記録
 
      昭和18年9月26日

 かねて久しく計画中であった谷川岳東面集中を行う待望の日、九月二十六日はついにやって来た。

 前日及び夜行で、土合山の家に集り来った我等の仲間はなんと五十余名、その意気は既に谷川岳を呑むの概あり、当日は幸運にも絶好の快晴に恵まれ、勇躍各自定められた登路に旺盛なる敢闘精神を以って突進した。

 そしてついに栄冠は我等の頭上に、燦として輝いたのである。

 これは参加者各位の健闘は勿論であるが、今は亡き郷右近實氏を始め、前線の諸先輩の無形の援助のあった事を忘れてはならぬ。

 次に当日の輝ける記録を読んで、あの日の感激を想い出そうではないか。

 西黒沢班  係 中村孝次

  パーティ 大栗、細川、笠原、清水(婦志)、金坂、川村、渡邊、毛受、吉川、金子(美)、小俣、中村、外一名

 我等西黒沢班は出合で一ノ倉マチガ班と再会を約して西黒沢に入る。暫しゴーロを行くと、前面に立ち塞がる滝に行手をはばまれる。名も白鷺の滝とか、名の通り、スラヴを一面に流れて綺麗な滝である。一行十三名はその右岸を軽く上る。女子部隊八名の張切り物凄い。さすがのクマさんも煽られそうである。心配になる一ノ倉班、今頃はさぞ敢闘をしている事だろうと思い乍ら行くと、五段の滝に出る。これは左を登る。草小屋跡より、右の涸沢をつめて尾根に出る。それよりアゴの出かゝるのをしっかりと手拭で結び、元気に肩の小屋に着く。時に十時十分。一番乗りかと思ったら、マチガ班の方が早かったらしい。小屋でバテゝ全員の集合を待つ。(中村記)

 記録 山の家(5・40)−出合(5・40)−草小屋跡(7・40−8・00)−西黒尾根(9・00)−頂上(10・10)

 マチガ沢班  係 山田八郎

  パーティ 岡崎、福山、武井、番場、鴨下、萩谷、戸田、野村、矢崎、青木、前田、寺村(姉)、野崎、三浦、小野寺、山田、外一名

 谷川岳集中登攀の記念すべき今日を、晴の舞台と張り切った猛者連に山の家は大分賑わう。

 女子三名を加え総勢十七名のマチガ沢班、仕度を急いで一足お先に出発する。六時半出合にて一ノ倉班を見送る。

 互に事故なきを念じ溯行にかゝる。長いゴーロも和やかに、何時しか三ノ沢出合に来る。仰ぐマチガ沢は淡い藍色に輝いて、無限の親しみをもって我々に呼びかけている。

 F1は左右のルートより取り付き軽く越す。解けかゝっている雪渓は、頻りに大粒の雫を垂らし、冷やゝかな気を身近く感じさせる。今にも落ちそうな所を、ひやひやし乍らくゞる。雪渓から右岸への移る所が悪く苦労した。

 続く小棚を乗り越し、後を振り返えると上毛の連山、雲海の彼方に望まれ何とも云えない良い気持になる。高度はグングン増し快適なクライムが続けられ、やがて稜線を真近に見る。

 最後に近づいた頃、手掛かりの得られぬ小棚があったので、始めてザイルを使う。順調に登攀を終り、草付を這い鞍部へ飛出す。時に九時半、頂上にはまだ外の班は誰も来ていなかった。

 今日の集中のトップを飾り皆嬉しそう。早速一ノ倉の登攀情況如何と滝沢上部へ行き、幾度かヤナチャーを交し、小屋に引き上げて皆の来るのを待つ。(山田記)

 記録 山の家(5・45)−マチガ沢出合(6・20)−稜線(9・30)−トマの耳(9・40)

 二ノ沢右俣班  係 森田達雄

  パーティ 山内、中野、森田

 今日は待望の東面集中の日だ。山の家で用を済ませ、六時を過ぎて慌てゝ飛出す。

 ヒョングリ滝よりトラバースルートの灌木を出た所で先発班が烏帽子のスラヴを登っているのを見る。我々は二ノ沢なので雪渓へ下るとすぐ二ノ沢へ移る。雪渓の具合が良く、楽に移れてホッとする。

 快適に逆層のスラヴを二百米登り、三俣下の滝に至る。十二日登った所より手前の垂直の草付を直上して、上部の藪に入ったが、身体が後に引かれて気分が悪かった。

 雲が盛んに動き、次第に青空が多くなってくる。大事な集中なので、本谷には目もくれず真すぐ右俣へ入る。スラヴの広場で一休みの後、再び登攀を続行、左へ左へとルートを採る。

 途中本谷の大滝を見物し、水量の多いスラヴを四つん這になり、野沢小唄でチャラチャラと、手に足に水を浴び乍ら登って行ったら、右上の悪いバットレスに突上げる中間リッヂに這い上りびっくり仰天、慌てゝ元へ戻る。少し間違えると悪い方へ入ってしまうので、気を付けないといけない。やがてスラヴも終り、碧空をバックに最後のバットレスが展開する。

 今日はパーティが良いので、各個にモリモリと攀り、軽く片付けて稜線に出、それから五分の後には国境稜線に出る事が出来た。トマの耳には先着の西黒班、マチガ班、幽の沢班が我々を迎えて呉れた。(森田記)

 記録 山の家(6・10)−一ノ倉旧道出合(7・10)−二ノ沢出合(8・00)−三俣大滝上(9・30)−稜線(11・30)−トマの耳(11・50)

 滝沢Bルンゼ班  係 藤田新三

  パーティ 碓井、丸川、森永、藤田

 冷たい握り飯を噛り乍ら、晴上つた一ノ倉の大観を満喫して、先発の各班とヤナチャーを交し二ルンゼに入る。トップ碓井相変わらずの口ぐせ「チキショウ」「チキショウ」「面白くねえ」の連発を聞き乍ら、右壁を快適に登りルンゼへトラバースする。

 好天気にのんびりとワイワイ云い乍らF2F3とチムニー状の滝を、水身にルートを取ってグングン行けば、対岸の五ルンゼ班から盛んに声援が飛ぶ。程なく石門が目の前に現われ、折角だからと石門をくぐって行こうと、藤田が先にボタボタ水の垂れる所を通れば、皆一列励行よろしくぞろぞろくぐる。

 碧空にくっきり見える滝沢上部を眺め乍ら、秋池氏のパーティとザッテルで仲良くのびる。一寸手枕で横になると碧空に綿雲が一つ、二つ、ゆっくりと真上を通って行く。あゝ山は良いなあと、まとまらぬ事をぼんやり考えていたら、丸川に鼻をつまゝれ、慌てゝ飛起き、秋池氏達に別れを告げて広河原へ向う。

 気持の悪い草付を慎重に下ってからは、森永トップで連続する悪場の小滝をのんびりと越えて行く。Bルンゼの入口の少し手前にあるハングの小滝を森永碓井の二人が物凄いシャワーを浴びて直登せんとねばったが、寒くてガタガタになって来たので、残念乍ら諦め目前に直立するマッターホルンに皆「凄エナー」と目を見張る。その基部よりBルンゼへ入ったが、もう滝らしいものも無く面白くなかった。

 又秋池氏達と一緒になり、にぎやかにルンゼを詰め、草付を這い上れば簡単に稜線に飛出した。時に一時。皆が待っているだろう肩の広場へ一同揃って先を急ぐ。(藤田記)

 記録 山の家(5・30)−出合(6・30)−バンド(8・00)休想一時間−ザッテル(11・30−11・50)−稜線(13・00)−トマの耳(13・30)

 第三ルンゼ班  係 柴田昌亮

  パーティ 倉野、寺村(寿)、柴田

 本谷バンドで皆と腹拵えの後、九時、四ルンゼ五ルンゼ班の出発に続いて、我々も元気に出発する。は左壁より上り、すぐ上のカンテよりバンドをへずって三ルンゼに入る。丁度本谷班がF1を乗越しつゝあるので、「ヤナチャー」と互に声援を交して上部へ向う。

 快適な岩床を攀る事暫しでF2に到る。左側が気持良さそうなので中途迄登ったが、水が流れている上に上部が大部緩んでいて悪いのでバックし、右側の細いルンゼの中を登る事にする。

 自分がラストで下降中、下で寺村が「先に登ってもいゝか」と二度、三度云うので「待て」と云ったが、下に降りた時は既に中間迄登っているので、止むなく「慎重に行け」と注意を送る。ややハングした右壁が緩んでいる為、小さな石がゴロゴロと落ちて来る。

 少し経って見上ると、寺村は殆んど上部に登っているので、「行くぞ」と約二米程登った時、上で「アッ」と云う小声と落石の音、瞬間見上ると、眼前に大きさ四十糎位の黒い塊が被さるように落ちてくる。とっさに右手で頭上を被った瞬間、ガアーンとやられてしまった。その時股下に、F1から本谷がチラッと目にうつゝた。

 が、気のついた時は、左手指先と左足先で僅かに左壁に掴まって右手はダラリと下り、指先からタラタラと血の滴っている自分に気づく。と同時に「あゝ自分は落ちなかった」と云う喜びで一杯だった。もし手を離して落ちたらどうだったろうか。

 少時の後、慎重に倉野のいる下迄戻る。倉野も「俺もやられた」と云って、左前頭部のコブをさすっている。右手を手拭で押え、指先のシビレをもんで貰ううち、どうやら大丈夫そうなので登攀を続行する。

 ゆっくりとF2を乗越しそれよりはホールドもしっかりした所を行くと、すぐ上に、垂直二段に、真中に狭いチムニーを持つ約三十米のF3が、黒く凄い形相で我々を待っている。右手が利かない為に直登を諦め、右壁下から右に捲き、約二十米上部の小さな岩に、一本ピトンを打ち順次に登る。そして、四ルンゼとの中間リッヂの三ルンゼ寄りの灌木混りの熊笹の中を、約百米程登りリッヂ上にて小休止。

 四ルンゼ上部に五ルンゼ班が、既に一ノ倉稜線に立っているのが目に付く。F3は捲いた方が悪いようだ。この前は快適だった三ルンゼの、今日は亦馬鹿に悪く苦しく感ぜられる事か。時計は既に十一時半を指し、時は刻一刻と経過して行く。

 それより左斜上へ熊笹の中を約七十米トラバースし、F3上部のスラヴを三ルンゼ奥壁の左端を目掛けて登る。二ルンゼ三ルンゼ中間リッヂに立った時は、午後一時を少し過ぎていた。肩の小屋で、心配して待っている皆の顔が目先にちらつく。

 心は速れどもビッチは遅々として進まず、やっとの事で熊笹を分け藪をくぐって、見覚えのある国境稜線に立った時は丁度二時、少し行くと当然目の前にダンチャンが「迎えに来たよ」と。続いて宮さん八チャンの顔々々、その時の嬉しかった事。肩の広場へ足も急に軽くなる。(柴田記)

 記録 山の家(5・30)−出合(6・30)−バンド(8・00)休想一時間−三 ルンゼ入口(9・20)−F3上(11・30)−二ルンゼ、三ルンゼ中間リッヂ(13・00)−稜線(14・00)−頂上(14・30)

 第四ルンゼ班  係 関根庄寿

  パーティ   春日氏、伊東、蛭間、関根 他一名

 我等四ルンゼ班に課せられた問題は、春日俊吉先生を如何に安全に確保し導くかにあった。その為(失礼)四ルンゼを引受けた小生ではあったけれど、予想に反して先生は壮者をしのぐ元気だった。心配だった高捲きルートも、雪渓に移る悪場も、烏帽子のスラヴも、南稜テラスからバンドへのトラバースも、実に確実なバランスを示し我々を驚かせた。

 蜿蜒と続く各班、一応本谷のバンドに集結したので軽い飯にする。先を急ぐ我が班は五ルンゼ三ルンゼ二ルンゼの各班と「ヤナチャー」「上で逢おう」と別れ目的の本谷に突入する。F滝を捲き、左岸のクラックを攀る。

 天気が良いので気分満点、それに勝手知ったるルート、スムースにF3下迄来ると、云いも云われぬ悪臭が鼻を突く。見上るとF3チムニーのチョックストンに、ザイルの一端がからまり下にさがっている。左の壁を登って偵察すると、見るからに惨たらしい墜死体が横たわっていた。

 我々は今日断乎として、集中の所定のルートを登らねばならぬし、また勿論、死体を処分する何物をも持たない。捲こうと云う伊東蛭間を励まし、とにかく無惨な死体を曝しておくには余りに酷いので、各員ありったけの新聞紙を出し、春日先生にそれをかけて戴く。一同合掌の後行動を起す。

 水量多いF3は、チムニーを登ることが出来ないので、左壁にアタックしたが下部はスタンス、ホールドなく仲々悪い。一気に突破してホットする。続くF4は、是が非でも水を浴びねばならぬので沈痛だった。全員突破したとき、寒さでガタガタ震えてしまった。だが、もう悪場は終った、ノンビリ登ってスラヴに出る。

 安全主義で一ノ倉岳に突上るガリーをポコポコ歩き、稜線に辿り着いたら十二時を廻っていた。オキの耳を過ぎると「ヤナチャー」の呼び声しきりであった。「ヤナチャー、どうも遅くなりましたー」(関根記)

 記録 山の家(5・30)−一ノ倉沢旧道出合(6・30)−バンド(8・00−9・00)−一ノ倉岳(12・30)−トマの耳(13・50)

 第五ルンゼ班  係 宮井英明

  パーティ 川崎、大西、宮井

 頬をなでる冷たい風、雪渓の上では霧が盛んに踊っている。烏帽子のスラヴで、伸ばしたり締めたりした腹におむすびが快適に収容される。そして本谷から流れてくる味付の美味しい水を飲み、互に「ヤナチャー」を交して、我々は第五ルンゼへ入る。

 最初の高捲きは、左手の草付をモタモタと這い上る。次々と何の変哲もないチムニーや、チョツクストンの棚を乗り越して行くと、何時の間にか二俣に来てしまう。日向ぼっこの一服は、うっとりとした陽気に、瞼と瞼が仲良くなりそうだ。突然頭の上から幽ノ沢班に声をかけられ、慌てゝ飛上る。

 犀の岩を仰ぎ乍ら、ジャンジャン左俣を這い上ると、ひょっこり一ノ倉尾根に飛出し、熊笹を分けて進めば一ノ倉岳、再び涌いて来た霧の中を、今日の祭典の場所肩の広場へ偃松の中を泳いで行った。(宮井記)

 記録 山の家(5・30)−出合(6・30)−バンド(8・00)−五ルンゼ入口(8・30)−二俣(10・30)−稜線(11・30)−一ノ倉岳(12・00)−食事30分−トマの耳(13・30)

 幽ノ沢滝沢班  係 佐藤 誠

  パーティ 金山、佐藤

 今日は愈々待望の東面集中の日だ。我々は一番遠い所を引き受けたので、一足先に出発する。朝の霧雨が煙る中をマチガ沢一ノ倉沢と過ぎ、幽ノ沢に入った。

 二俣迄連続するスラヴ状の滝は、何れも濡れていて大分苦労した。左俣出合の滝を例の如く左岸から捲き、小うるさい小滝の連続を飛沫を浴びて直登したり、嫌な薮を捲いたりして、大滝下のカールに達した。見上る大滝は水量多く、左壁が我々を誘ったが、今日は集中なので、自重して一般ルートを採る。

 右手のリッヂから一面に濡れたスラヴに取り付き、薮に這い上って大滝の落口にトラバース、勝手知ったルートなので、何等緊張を感ぜず、グングン、ピッチは上り、大滝上に出た。休む閑なくルンゼ左岸の岩壁をモリモリ登って行く中に、霧が次第に上昇して、暖い陽光が一杯に輝き始めた。ルンゼへ入る所のテラスで食事をする。

 見る見るうちに素晴しい秋晴になって他の班もさぞ喜んでいるだろう。日の当らないルンゼを避けて、右手のスラヴ状の緩い岩盤をピッチを上げれば、やがて稜線に達した。

 西黒班はのんびりするだろうし、マチガ班は多労だから遅くなるだろう、それなら我々が一番乗りだと、稜線のジャングルを突破して一ノ倉岳に着いた。富士山から北アルプス迄見える上天気に眺望を楽しみ乍ら時々一ノ倉沢に向って頑張りを示している他の班に「ヤナチャー」を呼びつゝ、トマの耳迄来れば既に西黒班、マチガ班が大勢雲集していた。(佐藤記)

 記録 山の家(5・10)−幽ノ沢旧道出合(6・20)−二俣(6・50)−大滝下(7・30−45)−大滝上(8・40)−食事の為30分休憩−堅炭尾根(10・00)−一ノ倉岳(10・40−50)−トマの耳(11・40)

 以上、各班の報告通り、第一番頂上着はマチガ沢班の九時四十分、次いで西黒沢班の十時、少し間を経て一番遠い幽ノ沢班が十一時四十分、十分遅れで一ノ倉二ノ沢右俣班(一ノ倉の中ではトップ)、それから滝沢Bルンゼ第五ルンゼ第四ルンゼ第三ルンゼ班と無事に登攀を終了、元気よく霧の中から飛出して来た。

 各自昼食の後、愈々我等の祭典、用具感謝祭が始まる。用意された質素な神殿には、日頃愛用のザイル、カラビナ、ハンマー、ハーケン等岩登り用具が安置され、各自持参の御供物が皆の食慾をそゝる。

 司会者中村孝次に依って先ず国民儀礼、皇居遙拝の後の国歌奉唱には、感極まって泣きたくなった。つくづく日本人に生まれた喜びを感じた。皆同じ心であったろうとと思う。

 次いで藤田新三に依って宣誓文が、関根庄寿に依って用具に対する感謝の辞が読まれ、森田達雄の挨拶、彼の言葉は感激に満ちて、何時もの如くスラスラと出ない。

 次に春日氏の祝辞、春日さん第四ルンゼの奮闘を物語る、ボロボロのズボンをぬいだ珍妙な恰好で祝辞を述べ、最後に代表森田達雄の発声で天皇皇后両陛下の万歳、鵬翔山岳会の万歳を以て目出度き式典を終る。

 お供物を参加者全部で分けて食べ、本日の集中の無事故に終了した事を語り乍ら、雲霧の立ちこめる山頂を辞して西黒尾根を下る。

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