自転車距離バカ日誌トップへ戻る


2004年1月18日
大分〜東京往復大王旗駅伝 復路名古屋〜浜松   
いよいよ大王旗駅伝本番を迎えた。昔の感傷に浸りながらレポート
距離137km
長久手〜日進〜東郷〜豊田〜岡崎〜蒲郡〜豊橋〜多米峠〜新居〜浜松

   大王旗がいよいよ大津までやってきた。17日は渡邊氏が大津から名古屋まで走り、私に大王旗を託す予定である・・・・が、先週までの暖冬傾向はどこへやら、今週は強烈な寒波がどっかりと居座りあちらこちらで大雪、渡邊氏はどうなったやら。

 17日の目的はは二つ、ついに本厄を迎えてしまったので国府宮神社で厄払い、夜には大王東海の新年宴会だ。天気が良ければ美濃太田まで輪行して木曽川沿いを走って国府宮に行くつもりだったが残念ながら名古屋も雪混じりの雨、列車を乗り継いでゆくことにした。飛騨金山で渡邊氏と連絡を取ったところこの雪で出走取り消し、いずれリベンジをはかるということだ。

 久しぶりに普通列車を乗り継いで名古屋まで向かうが結構のんびりしていて楽しい。ますの寿司やらお菓子やら持ち込んでこそこそ食べるのがまた一興、本来なら「酒&つまみ」なのだが厄払いで神様の前に行かなきゃならないので本日は健全なり。

 美濃太田、岐阜、一宮と自転車を担いで乗り換えは辛かった。しかも国府宮からも悪天候で自転車が出せずにず〜っっとTREKを担いで行動した。さらに名古屋、地下鉄、最後はバスだがもうめんどくさくなったので実家に電話を掛け妹に駅まで迎えに来てもらった。

 新年会は都留氏、中村氏、転勤で愛知県民となった櫻田氏、お初の城田氏、幹事渡邊氏と私の6名、普段なかなか話せない自転車談義で大盛り上がり。大王旗受取イベントも済ませいよいよ明日は大王旗を携え浜松へ。

 両親が早朝から出かけるというので一緒に起きる。さすがに天下の晴れ男、昨夜までの雪混じりの雨はすっかりやみ、東の空には見事な朝日、見上げれば宇宙まで透き通るような空があった・・・・しかし明け方の冷え込みで濡れていた路面はツールツールのテカテカに凍結、マジにスケートリンクだ。

 本当なら高校2年の時に東京までツーリングしたコースを忠実に走るつもりだったが豊田まで「通学路」として毎日通っていた近道の峠は大変危険な状態に違いない。少々残念だがなるべく日当たりがよく平地中心の東郷町経由で向かう。
 
 妹に見送られてスタート、最初の交差点でいきなりリアが滑って転倒!妹の大笑いする声が聞こえる。これは油断がならない、23Cの極細高圧スリックタイヤとガチガチの凍結路はほとんどスケート靴みたいなもの。ちょっと乱暴にペダルを回すと空回り、ハンドルを切ってもまっすぐ滑って行く、きちんと中心に乗らないと横滑り・・・・さすがにブレーキングの術はクルマで身につけているので何とか制動できるが制動距離が長い。


 こんな状態で傍らを走り抜けるクルマはもちろんノーマルタイヤ・・・こういう雨上がりや雪解けあとの凍結道路は雪道プロ飛騨人でさえかなり慎重に走る。氷の上ではスタッドレスタイヤといえどほとんど無力なのだ。ところが都会ドライバーは怖さを知らないので平気でびゅんびゅん飛ばしている、その結果、あちこちでぶつかったクルマが放置されている。

 こうなったら仕方がないのでクルマがこっちへ突っ込んでこないように祈るしかない。スピードも出せないので心労ばかりがたまる。さすがに寒冷地と違って陽が高くなると道路の凍結はどんどん溶けてゆくが、ガードレールや縁石の影は凍ったまま。こうなるとタイヤが濡れるのでさらに始末が悪く、へたに影に進入すればあっという間に車輪を取られる。太陽を左手に走行しているので状況はまさに最悪。

 平地を選んではいるが途中に林の中のちょっとした峠を越えねばならない。予想通り派手に凍っていてずいぶん慎重に通り抜けホッとした瞬間に車輪がふわっと浮いた気がすると一瞬にして左側へ傾き、そのまま右前方へスライディング!橋の上はまだまだスケートリンクだった。それにしてもクルマが来なくて本当によかった。

 予定より遅れて9時に豊田に入る。高校の頃はまだまだ田舎の気配がした豊田駅周辺もすっかりと賑やかになっている。ちょくちょく寄っていたゲーセンもリニューアルして健在。さて、ここからは忠実に23年前の道をたどろう。

 久澄橋を渡ると派手なトヨタスタジアムが迎えてくれる。一見ずいぶん立派だがそのまわりの風景は昔とあまり変わっていない気がする。



大王旗よこれが岡崎城だ


大王駅伝を応援する岡崎市民(←ウソ)

 
高校の時に東京までツーリングに出かけたのは自転車とは全く関係のない理由からだ。
 
 当時完全にハマっていた海外のロックバンドが来日し、武道館でライブをすることになった。東京の大学に通っていた先輩にチケットを取ってもらったが、月々のわずかなこずかいやバイト料ではそれがやっと。東京までの交通費や滞在費のことなんかほとんど考えずに武道館でヘッドバンキングする自分を夢見ていた。
 いよいよ公演日が近づきいろいろ計画していると思いのほか交通費や滞在費に金がかかることが判明して驚いた。どんなに安いルートを選んでも東京まで片道5千円以上、財布の中にはわずかな金しか持っていなかった。親にはナイショで行くつもりだったので親は頼れない、こうなりゃ頼れるのは自分の足だけ。毎日片道1時間以上かけて自転車通学していたので多少の自信はあった。

 小汚い短パンとTシャツを着てスポーツバッグを荷台にくくりつけた丸石ロードエースの少年が目の前を先導している気分になってきた・・・矢作川の東側の県道を岡崎に向けて走るが日陰は所々凍結の黒光が目立つ。しかし、気分は夏休み。23年前の蝉時雨の中だ。

 豊田というと世界的大企業の城下町なのでものすごい都会のイメージがあるらしいが実はそれほど都会という雰囲気ではなくむしろ田園広がるのどかな街だ。
 実家のある長久手町に比べると思いのほか町の様子が変わっていないことに少々驚く。この20年でトヨタは世界的企業に成長したが、地盤となる土地に深刻な環境ダメージをそれほど与えていないことに少し感心する。

 だんだん家が建て込み信号が多くなってくると岡崎市だ。徳川家康生誕地で昔からの街だから市街は狭くてゴチャゴチャしているが、古い街並みの跡や歴史物がさりげなく現れるので意外と楽しめる。さて、究極の歴史物岡崎城で休憩だ。大王旗に岡崎城を見せて記念撮影する。
 
 岡崎から旧248号を蒲郡に向けて南下するが、途中岡崎市民駅伝のコースを走ることになった。昨日の宴会で岡崎在住の都留氏から駅伝の開催時間は聞かされていたが凍結で予定通りに走れなかったためがち合う羽目になった。
 
 注目を浴びるかと思っていたが、駅伝の伴走車か取材スタッフと思われているのか意外とみんな関心を示さない。それでも時々旗を振る一団がいたりして何となく大王駅伝を応援されているようでうれしい。

 11時を過ぎるとさすがに凍結しているところもなく、路面も乾いている。風は弱くとても暖かい最高のツーリング日和だ。本日の伴走と浜松から名古屋までの送り役を買ってでてくれた渡邊氏から連絡が入り、もうすぐ合流できそうだ。 

 蒲郡競艇場を過ぎ竹島へ向かう、子供の頃は遠足や海水浴、潮干狩りによく訪れた懐かしい場所だ。23年前もここで昼食を取った。

 ・・・・・早朝こっそりと家を抜け出したが所持金が少ないのに気が付いてもう一度家に戻り台所にある缶詰やカップ麺などの食料をかき集めてバッグに詰め込んだ。岡崎あたりからものすごく腹が減ったが貴重な食料とお金を使うわけにゆかず何とか竹島までたどり着いてようやく炊飯器の中の冷や飯で作ったおにぎりにかぶりついた・・・・・

 竹島の入口にあるちょっと名の知れた手打ちうどん屋で昼食を済ますと一台の車がパンクしてる・・・お母さんと3人の子連れ。教えてやると「どーしよー」と呆然としている・・・・こちらは唖然として「修理できないの?」と聞くと細々と「はい・・・」タイヤを替えるだけの自動車のパンクなどお手のもの、こっちは毎年何度もスタッドレスとノーマルタイヤのはめ換えをしている雪国の人、さっそく修理に取りかかる。

 修理の御礼にともらった缶コーヒーを飲み竹島橋を渡って観光し、渡邊氏とも落ち合って以後の予定を決める。渡邊氏は浜松から逆走して私を迎えてくれるとのこと。

 大好きな海沿いを走る23号線で豊橋を目指す。なんだか派手な観光施設がオープンしていたりバイパスがずいぶん遠くまで延びていたりするが昔と同じように快適で楽しい道だ。
・・・・豊橋から1号線に入り潮見坂を目指すつもりでいたのだが何を間違ったかどんどん道は細くなり、山の中に向かっている。それでも道路標示には「新居○○km」と書いてあるのでそのまま自転車を進める。交通量がない分1号線よりははるかに走りやすいがやがて現れたのは峠道、まったく予期しなかった峠道だが道路標示を信じて坂を登りトンネルを抜けると目の前には浜名湖が広がった・・・・・

 「うんうん、ここをまっすぐ行ってしまったのね」1号線は斜め右に分かれてゆくが道路左端をそのまま進めば多米峠を経て新居町に至る。峠を目指すが、途中でトイレに行きたくなり豊橋公園に入るが、それがいけなかった。

 公園内を抜ける気持ちの良さそうな道を発見したのでそちらを走るとなんだかわからないところへでてしまった。普通の人ならたいてい引き返すが、人間GBSの異名をとる私は太陽の方向だけを頼りにまったく知らぬ道をとりあえず東に向けて走る・・・・いつもそうだが余裕さえあれば見知らぬ場所を迷走するのは結構好きなのである。妻曰く「迷子が趣味」。もっともそのおかげでずいぶんとマイナーな道を知っているため意外と重宝されている。

 豊橋市内は信号は多いものの道幅も広く大変走りやすい。遠くに豊橋競輪場、これはいいランドマークだ。振り返ると葦毛湿原への道案内。どうやらだんだん北へ向かっていたようで修正を加え再び東へ向かう。見覚えのある山並みが近づいてきた、住宅街の路地をいくつか越えてやっと懐かしい県道に出会った。

 県境を越え昔と同じ風景を楽しんだら浜名湖までダウンヒル、301号線は新居まで多少アップダウンはあるがたいしたことはない。豊橋で迷った分、時間が押してきているのでちょっとペースをあげる。

 ・・・・・持ち合わせの食料は非常用として取っておくことにし、新居で大衆食堂に入る。飯とみそ汁だけ注文してかきこんでいるとトラック野郎が「にーちゃんどこまで行くん?」と聞いてきた。目的地を話すと「にーちゃん自転車の子やろ、そらあかんわ。そんなんだけ喰っとたら途中で死ぬで」と言ってカウンターに行くといろいろおかずを持ってきてくれた。
「これはおっちゃんのおごりやで、飯も足らんかったらあのおばちゃんに言えや、お代わり自由やで。気をつけて行けや」直立不動で深々と頭を下げて御礼を言うと「ええんや、おっちゃんは無謀なこする若いやつが好きやねん」と手を振り振りトラックに乗った・・

 あの食堂の跡地は釣具屋の駐車場になっている。太陽はややオレンジがかり夕暮れモードになってきた。浜名湖大橋のコントラストが美しく何となく平和な気分になる。


23年前と同じ風景が広がった
舞阪から県道62号に入りそのまま浜松駅を目指す、ずいぶんと立派なバイパスに変わっていてずいぶんと走りやすくなっている。よーしいよいよ浜松までのラストラン。途中渡邊氏と合流して二人でゴール。無事大王旗を浜松までリレーできた。


・・・1号線は危ないからと150号線を勧めてくれた食堂オヤジの言うことを聞いて御前崎まで来たが本日はここで限界。ちょうどどでかいコンクリートの土管があるのでここで寝よう。おっとその前に家に電話しなきゃ・・・・

・・・父に電話で本当のことを言うと怒りまくって「すぐ迎えに行く」と言う。「連絡だけ入れるから」と電話を切りそのまま東京へ向かった。
 由比ヶ浜では死にそうになりながら1号線を駆け抜け、ほとんど歩いて箱根を登り、夜中にこっそりと旅館の露天風呂につかった。3日目にようやく蒲田の先輩の下宿に到着し、翌日ライブで熱狂した。
先輩のバイト(引越センター)を2日間手伝って少しお金を作り、今度は甲州街道から中仙道を4日かけて走り自宅に戻った。怒り狂っているだろうと思っていた父は意外にも「おう、無事帰ってきたか」とまったく普通に迎えてくれた。・・・・・・・

 それ以来何かと過干渉だった両親の態度がすっかりと変わり、遠くから眺めていくれているようになった。またこの日を境に自分の不良行為、校内暴力、家庭内暴力がすっかりなりを潜め、ずいぶん前向きな考え方をするようになった。今思えば自分の人生の一大転機になったツーリングだった。