2004 私の山日記


■2004山行記録■

牛岳(987m)
2004.12.25(晴れ)
 日曜の朝ゆっくり起床し寛いでいると、窓からみえる立山連峰が白く輝いている。予期せぬお天気に心が騒ぎ、山に行きたい気持ちが満ちてきた。「今からでは牛岳かね」と9:10家を出た。途中のコンビニでおにぎりを買い、湯谷登山口に着いたが車は1台も無かった。
 10:05登り出す。長靴をはいてきたので靴下がずり下がり不快だったが、20分間でヒユッテ登山口に着いた。車が2台停まっている。足跡が残されていて人の気配が嬉しい。今日は其の跡を辿るだけと楽勝気分だった。40分間でベンチに着き、ここでスパッツを付け軽く休んだ。山中は新雪の白銀の世界なのに、下界の礪波平野は黄金に光り散居村が深緑の林を造りだし、太陽が暖かそうに降り注ぎ如何にも平和的で、その状況落差が愉快に思えた。
   白いふわふわの雪を踏みしめ登るとA氏が降りて来られ、挨拶を交わし先行の労に感謝した。暫くするとY氏も降りて来られ挨拶を交わしここでも謝辞を述べた。枝々に積もった雪の美しさと、背景の群青色の潔さ、白塊の山々の光景が相まって心に染み渡った。
 12:00頂上に到着。牛岳に何回も来ているが、今日の空色の濃さと澄み切った空気はピカ一だった。「凄い」「素晴らしい」「綺麗」と絶句し圧倒され、360度の景色に大興奮した。
 神社にこの一年の感謝と「来年も見守ってください」と祈願し拝礼をした。風もない暖かな頂上で寛ぎ景色を楽しんでいると、先着のM氏も輪に加わり山談議に花がさいた。あと3人が二本松から登って来られ、喜びを共有し12:40頂上を譲りM氏と一緒に下山した。 ヒユッテ登山口で別れ13:55車デポ地点に戻った。
   前回の人形山といい今回の牛岳といい、胸の空くような大自然の大きさと隙の無い美しさに心打たれ、スポンジのように感動の甘露が心身に満たされ、幸せな山行だった。
人形山(1726m)
2004.12.19(日)曇りのち晴れ
 永らく山に行ける環境に無かったが、漸く自由な時間が持てるようになり2ヶ月ぶりの山を楽しんだ。
 去年巻機山で岩崎元郎氏にお会いして、私が高岡の住人だと言うと「僕は人形山が大好きです」と言って下さり、今年山渓11月号に氏が中高年も楽しめる「新百名山」を選定発表された記事が載っていて、その中に人形山も名を連ねていた。その思いがにわかに蘇り、久しぶりに今年、登ってみたいと思っていたのだった。
「元さんの山登り」の人形山の報告を参考にさせて頂き、今年は暖冬、まだ間にあうかもしれないと一途な希望で決行した。
 7:00家を出て高速を利用してトンネルを貫けると五箇山は雨が降っていた。低く垂れ込めた重い暗雲が一層心を暗くした。田向に入り林道を進むと道が整備され3年前とは大違いで驚く程快適な道が出来上がり登山口までスイスイ車が登れ7:45に着いた。
 案の定、駐車場には誰も居ない。暫く車の中でコーヒーを飲みながら雨の止むのを待ち、心を落ち着かせた。熊避けのベルやホイッスルを鳴らしながら準備を済ませ、心細いながらも8:05登り始めた。

 雨は止んだが、暗い杉林と灰色の霧を眺めていると「本当に天気は回復するのか」と疑念を抱いたり、2ヶ月の体力のブランクはどうかと不安が募った。しかし思ったより快調で心配は払拭されどんどん高度を稼げた。1200mくらいから雪が見られ、次第に積雪も増えていった。ふわふわの新雪を踏み、今年初めての雪に心が躍り、無色、無音、無臭の冬山に、私の心も透明になっていった。
 10:15厚い雲に押しつぶされそうな薄暗い雪山に宮屋敷の鳥居が寒々と寂しく建っていた。「やっと宮屋敷や」と風を避け少し下り、休みを取る。暖かい飲み物と甘い物を食べていると空は幾分明るさをまし、白い日輪が見え隠れして来た。分岐に続く稜線を行くと雲が切れ始め、見る見るうちに青空が広がり、雪を纏った樹々と雲海の流動、北アルプスの山々の整然たる連なりに目を奪われ、喚声を上げ「来て良かった」と喜びあった。
 11:30分岐に着き人形山を目指す。白山がどっしり大きく、大笠、笈ヶ岳が離れて見えた。膝上まで沈みながらTが先行してくれ、その足跡を貰い懸命に後を追い12:00頂上に着いた。Tが「おまえの為に頂上を残してやった」と手前で待っていてくれ、足跡のない新雪の頂上の写真を撮らせてくれ、その後二人で頂上に立った。「うれしい。この時期に人形山に来れるなんて」とお互いに健闘を称えた。
 少し下り笹原の中で風を避けランチにした。「復帰第一番大成功ね」「本当に幸せや」Tにも素直に「おとうさんのお陰や」と感謝し、惜しみなく言葉が湧いて出て、至福の時がゆっくり流れた。惜しいが、日の暮れが早い為12:30下山することにした。
 下山しながら「この時期のこの景色は中々写せない」とやたらシャッターを押し、心行くまで人形山を楽しみ、やさしい弱々しい陽に見送られ14:45登山口に戻った。
 今日は私達だけの貸切の山だった。折角の好天気で他の人にも見せて上げたく勿体無い気持ちがしたが、二人の満足感は倍増し、ほんとうに充実した喜びの一日だった。
    
弥陀ヶ原(1930m)
2004.10.24(日)快晴 
 晴れの予報に誘われ、紅葉の称名ノ滝見物と弥陀ヶ原散策に行ってきた。Tが沢登りで膝を痛め、山行きを諦めていたが、無理を強いて行くと言うので急遽決定した。
 6時過ぎに家を出て称名ノ滝駐車場に着くと疎らに車が止まっていた。準備をしていたら観光バスが着き、「こんなに早く!」と驚いた。観光客に混じって7:35駐車場を歩き出す。
 15分間で飛竜橋に着き、八郎坂を登りだす。久々の青空の下、新鮮な気分で心地良く胸も膨らんだ。谷は日が当たらず紅葉も冴えないが、称名ノ滝の水量が多く、白い瀑布が豪快で堂々と迫力があった。順調に高度を上げ第二展望台を少し登った所でクラブのT氏にお会いした。「時間に制約が有り大日岳の姿を見に来た」と言われ、久しい出会いに懐かしさが募り会話が弾んだ。
 9:10バスの車道に出る。すぐに木道に入り、いつもながらの大日岳の歓迎を受ける。草原の向こう正面には早乙女山、その右横に大日岳と奥大日岳が青空に映え悠々と鎮座していた。もう紅葉は終わり、華やかさはないものの、冬到来最後の微笑みのような凛とした厳しさとやさしさが心を引き付けた。
 追分に至る木道には白く霜が付着し、道端では幾重にも霜柱が成長し、あたりのナナカマドは葉を落として如何にも色彩が乏しい。チングルマは茶色に枯れ縮み、青空だけが空々しく、冬の到来を拒み、抵抗しているようだった。
 10:20追分に着き、松尾峠にと考えていたが、Tが帰りの膝を考慮してパスしたので、車道を横切り反対方向の弥陀ヶ原方面に向かった。天狗山方向の木道を行くとガキ田には薄氷がはり、穏やかな青空とは裏腹に、寒さで身構え、心身ともこわばらせた。
 10:50弥陀ヶ原ホテル手前広場のベンチに座り、大日岳を眺めながら熱いうどんとコーヒを啜るが、すぐに身体が冷え心からは寛げなかった。
   11:20弥陀ヶ原を後にする。朝は一人しか会わなかった木道も帰る時は多くのハイカーが登って来て、少しは心も温かくなり和んだ。八郎坂に下りる時、目の前に称名ノ滝とその両岸の岩壁に織り成す錦の紅葉が陽光を浴び、輝かしい風景を見せてくれ、大日岳と青空が尚いっそう引き立て、言葉になら無い感動を憶えた。
 13:25八郎坂登山口に戻り、観光客がごった返す暖かい日差しの車道を心地良く歩き13:45駐車場に着いた。
 今期秋の山登りはこれで終わりとなった。娘の出産も迫り、暫くは山登りも出来ない。最高のお天気をプレゼントしてくれた自然の神様に感謝で一杯、有り難く山を後にした。
 
白毛門沢  白毛門(1710m)
2004.10.10(曇り時々霧雨)
 T氏のお誘いを受けて白毛門沢を遡行して白毛門に登ってきた。
 9日、 メンバー5名を乗せて谷川岳の玄関口土合に向けて12:20砺波市Pを出発した。夕刻台風22号が関東に接近するので予断を許さないが、明朝には台風一過で青空が広がるだろうと期待して決行されたのだ。日本海側を走っているとやさしい雨だったが、六日町あたりから雨足が強くなり、早く台風が速度を上げて北上してくれないかと祈った。
 水上温泉のスーパーで今晩の宴会食料を買い込み、下見に白毛門の登山口に出向き確認後、今日の野営場所である土合駅に着いたのが17:30だった。  
 土合駅は無人駅で構内は広くて明るく、人っ子一人いない。椅子とテーブルが設置され、お誂えむきの宴会場にみんなの顔がほころび、構内で寝ることになった。買い込み過ぎたと心配した酒の肴もすっきり片付き、楽しい時間が過ぎていった。T氏が「この寂れた岳人の駅に幾多の人々が不安と期待を抱き谷川岳に挑み、亡くなっていったのだろうか」と感慨深げに語られ、「そうだ土合駅は岳人の魂の地だったのか」と天井材落下防止のネットを見上げながら往時をしのんだ。7時ごろ東京から一人の男性が下車し仲間に入り、暫し山談議をしてテントを張り、21時シェラフにもぐりこんだ。
 最終列車が到着して構内は賑やかになったが、仕切られたテントの空間に心が安らぎ、いつのまにか眠りに落ちていった。

 10日、朝起きると駅構内には20人余りの人が寝ていた。駐車場にも多くの車が並び、中で寝ているようだ。空を見上げると霧雨でどんより暗く、気持ちまでも落ち込み、早い天気の回復を願った。
 朝食を済ませ、渓流靴を履きハーネスを着け準備を整え、水量が減ることを期待して30分間遅く駅を出た。
 白毛門の駐車場を6:45出発し、奥にある橋を渡らず左岸の道を歩き堰堤を過ぎ入渓した。水量は沢幅一杯で流速も速く、気が引き締しまった。T氏(リーダー)が先行して下さり、その後を必死で付いていった。昨日から降り続いた雨の影響から水量の多さに梃子摺り、予想以上に時間が過ぎていった。なだらかな滝が現れハナゲの滝かと喜んだのもつかの間、本物のハナゲの滝を見た時はあまりのダイナミックさに唖然とした。白い飛沫を巻き上げ駆け下る様子は怪物を見るようで恐れをなした。右岸に渡りハナゲの滝下についた。滑ったら飲み込まれ助からないだろう。リーダーがロープを出しリードし、U氏がビレイをして、私達はブルージックで高巻き場所まで登った。「東黒沢は水量が多いけど白毛門沢に入ったらきっと水嵩は減るはず」と高巻きし、沢に戻り暫く沢を行くと8:40白毛門出合に着いた。通常なら1時間のところ2時間も費やした。
 期待は裏切られ両沢の水量と流速は衰えず白毛門沢を塞ぎ、ここでも高巻きを強いられた。沢を歩きたい気持ちで一刻も早く沢に戻るが、水量の多さから危険で突破出来ず 高巻きとなる。その繰り返しから心身共に非常に疲れた。10:20タラタラのセンでは右岸で高巻き、踏み後を辿った。途中踏み後が途切れ戸惑ったが、赤いリボンとリーダーのルートファインディングよろしく20mナメ滝下に出た。高巻きの下りでTが滑り釜に落ち心配したが、新品のデジカメラが流されたものの、怪我はなく胸を撫で下ろした。  20mナメ滝は本来登攀して楽しむ所。そのためにロープを持って来て下さったリーダーが「登りますか?」と聞かれるが、滝幅一面に白飛沫を跳ね上げ流れ落ちる水勢と時間の遅れを考えると、すかさず「高巻きしましょう」と答えた。左岸を登り猛烈な藪を漕ぎ進み、沢に下るとどんピシャリ大岩の真下に飛び出た。白毛門沢の顔、四角顔を見上げ「漸く此処まで来たか」と喜びが湧いた。  
 11:55右岸から乗り越しここで記念写真を撮ってもらう。下界には赤い屋根のロープウエイ駅が至近距離に望め、5時間掛けてまだこんなにしか登っていないのかと焦りを感じた。  大岩を過ぎ、6mの滝を登るのにクライミングシャワーを浴び、足掛かりがウエスト位置にあり「命一杯足を広げて」の言葉と同時に、上から手を引っ張ってもらった。その時、右内股の筋がつって痛みが走り、登行に影響しないかと不安が広がった。
 本流を進み水量1:1で左に入ると水が少なくなって、山は紅葉して秋色に染まっている。疲れが足に来て思うように踏ん張れず登れない。下に居るTが「肩に足を掛けろ」と2回スタンス代わりに、肩を貸してくれ感謝した。いよいよ源流になり直立に近いスラブを登り、次第に草付きの源頭となり、草を掴んでは渾身の力で身体を引き寄せ登った。もう疲れてヘトヘトだった。「やはり私には沢は難しい。もっとトレーニングをしなくては生意気過ぎ」と内心で自分を諌めた。笹が現れ先行のT氏が「あと10m 、あと5m」と励まして下さり、登り終えると14:05白毛門頂上に飛び出した。
 T氏と握手し、うれしさのあまり肩を抱き合い、喜びとやり遂げた満足感で舞い上がった。みんなで写真を撮ろうとしたら、T氏のデジカメラも動かなく、(私のカメラも沢で転び動かなくなっていた)無念の涙。頂上には方位盤と道標があり、山名板であろうか?ブルーシートがかぶさり石で押えがしてあった。視界は全く無くガスの中だったが、頂上を踏み得た喜びから笑顔がこぼれ、大いにはしゃいだ。着替えと登山靴に履き替え、雨具を着て身体を暖め、ささやかな祝杯と栄養補給して、誰一人にも会わなかった白毛門を14:35あとにした。  登山道は気が張らずリラックスしたが、ここも中々の岩場の急斜面で慎重に足を運び下った。後方の頂上方面から男性の声で「出たぞ」と歓喜の声が聞こえた。私達の後に沢を登って来たグループが居たのだ。「オーイ」と声を掛けたが答えは返らず、複数の声と女性の歓喜の声が遠くに聞こえ、他人事ならず私達も盛り上がった。
 松ノ木の頭で休み、また下りだす。下山途中T氏の携帯が鳴り、おもわぬ事態が発生した。心痛から皆が無口になり黙々と下った。2度目の携帯が鳴り山仲間の訃報となった。一刻も早く下山して連絡を取りたいと急ぎ16:40登山口に着いた。
 連絡が取れ一応の責任を果たされ、私達も一安心し心に余裕が持てた。湯テルメ谷川で汗を流し身体を暖め18:20帰路についた。米山PAで夕食を食べ10:20砺波Pに着き、長い一日が終わった。
 白毛門沢は沢の入門コースだが今回は水量が多く危険が大きかった。大岩まで多くの高巻きを強いられ残念だったが、その上からは水と遊べたような気がする。頂上に達した時の達成感は大きな喜びとなり魅力的だが、常に危険が伴い緊張の連続だ。だからこそ心が開放された時の喜びが増幅するのだろうか。T氏の的確なルートファインディングのお陰で、また一つ個性的な糸で人生の思い出の織物が織り込まれたような気がした山行だった。

金山(2245m)天狗原山(2197.1m)
2004.10.2(土)晴れのち曇り
 澄み切った青空と透き通る大気の中に身を置きたいと天狗原山と金山に登ってきた。
 4:00家を出発して村営雨飾荘を目指すが、ナビに入力した電話番号が間違っていたのか鎌池に誘導され、引き返し戻り、妙高高原の案内板を確認して栃の樹亭を左折し、金山登山道口に着いたのが6:55だった。
 車が2台止まっていてその横に駐車し、進行方向左側にある登山口を7:05登りだした。巨木のブナに目を奪われながらジグザグに急登すると、標高1500m辺りで緩やかになった。少し行くと水が流れる湿地となり、登り進むと7:50水場に着いた。ここで長野から来られた女性二人と出会う。樹脂のパイプ管が、流れ込んだ水たまりに落ちて、白い泡が立っていた。「これでは飲むきがしませんね」と挨拶を交わし、先を行く。
 いくつかのアップダウンを繰り返し、暗いオオシラビソの林を抜け、沢状の登山道を登ると、笹が広がる草原に出て視界が開けた。「素晴らしい」焼山と火打山、妙高山の山々が目に飛び込み息を呑む美しさ。特に焼山の三岩峰が荒々しく男性的で圧巻だ。
 穏やかな山道を辿れば白い石のお地蔵さまがやさしい笑顔で迎えてくれる。あたりには綿毛のような種をつけた高山植物が秋の装いで最後の煌きを放ち愉快そうに陽光を受けて立っている。「あゝ素適なところに来たな」静寂の大自然の中で心も解き放たれ、溢れるばかりの幸福感が押し寄せてきた。
 9:50天狗原山(標識はない)でTが休んで写真を撮っていた。「良い所やね。」「ほんとうに素晴らしい所や」と私も写真を撮り終え、腰を下ろす。焼山や火打山や乙見湖の絶景をゆっくり眺め、座った横に咲く高山植物に「来年また咲いてね」と綿毛を揺すりながら種を飛し、私もやさしい太陽に包まれた。
 「あと金山まで一息」と腰を上げ進むと、大きな下りとなり景色が変わった。先行のTが「凄いぞ綺麗や」と叫んだ。右には黒い岩峰の焼山が聳え、左には予期せぬ対象的なゆったりと穏やかな丘のような草原が広がり、赤や黄色の色彩を疎らに配した金山が横たわっている。女性的でやさしい山容に「山上の楽園やね」と歓声を上げ興奮した。
 鞍部に下りだすと、騒音聞こえ目をやれば低空飛行のヘリコブターが目の前を通過して行く。大きく手を振ると助手席の男性も手を振ってくれ、雨飾山方向に飛んでいった。チョロチョロ水が流れる沢を登ると神ノ田園に着いた。地塘が見られ、このあたりでも夏には多くの高山植物が咲き乱れるのだろと想像しながら、秋色にお化粧した草紅葉を眺め見入った。右にトラバース気味の登山道が伸び、登り進むと10:30金山頂上に着いた。
 雨飾山は此処からは見えなくちょっと残念だったが、頂上に着けたうれしさを素直に喜び、倒れた山名柱を持ち上げ「移動式標柱や」と焼山や妙高山や黒姫山に向けて記念撮影をして楽しんだ。ランチを摂っていると長野の女性も到着し、その後三重からの御夫婦も辿り着かれた。今日の金山は6人だったが、頂上で6人が会し、山話に花が咲き楽しいものになった。
 次第にガスが湧き山々を消していく。お天気が崩れそうなので11:15一足先に別れを告げ、山を下った。天狗原山の登り返しやその後のアップダウンで気が抜けなかったが13:30登山口に下山した。
 小谷温泉のT字路の行き当たりに、駐車場がありその向かいに村営の露天風呂があった。此処で汗を流し、さっぱりして帰路に着こうとしたら雨が降って来た。「今日はラッキー」とタイミングのよさに感謝して、17:00帰宅した。
 天狗原山は急登が続き思ったよりもきつい山だった。しかし登山者も少なく静かな山旅を楽しみたい人には言いがたい魅力のある山で、その向こうにはなだらかな草原が広がる金山が待っている。大きな驚きとうれしさが込み上げる素晴らしい楽園だった。そして焼山と火打山の展望のよさに感激させられた、青空に彩られた爽快な山行となった。
2004年10月04日 11時35分00秒

焼岳(2393m)
2004.9.20(月)曇り
 クラブのTさんから19、20日と沢登りの誘いを受け楽しみにしていたが、お天気が不安定のため中止になってしまい、何処の山に行こうかと思いあぐね、Tがまだ中尾温泉から焼岳に登っていないのと、素晴らしい風景を楽しみたいと、焼岳に決定した。 去年10/15に一人で登った時の、笠ヶ岳の風景と中尾峠からのドームが気に入り何回も登りたいと思っていたコースだ。
 5時家を出発し、荒神の湯に浸かり、中尾登山口に着いたのが7:10だった。工事事務所の駐車場に車を止め、準備をしているとダブルストックの片方の支柱が抜けてなくなっていた。「先週の明星山で落としてきたのか。勿体無い」と分身を無くしてしまったような悲しさでどっと疲れ、落ち込んだ。
 7:20歩き始める。カーブを回ると焼岳が雄姿を見せる筈なのに今日のお天気では雲の中。Tが、アミノ酸が良いから飲めとドロップスのような大きさの薬を4個くれ、最初はなめていたが面倒になり飲み込むと喉に引っ掛かり不快でたまらない。出掛けから御難続きで、まるで気が乗らなかった。
 沢を渡り雑木林を行き、林道からの合流点の登山口に7:48に着いた。Tが先行して快調に登る。「登行意欲が湧かないか?」と聞くので「先が長いからね」と答え、ゆっくり登った。Tは「明るい良い登山道だ、良い森だ」と喜んでいる。「上はもっといいよ笠ヶ岳が素晴らしいから」と胸を膨らませながら楽しく登った。
秀綱神社で手を合わせ9:00旧中尾峠に着いた。期待した要塞のようなドームは全くガスの中で見えない。焼岳に続く登山道には上高地からの登山者が列を成し、防寒用の雨具が彩りを添えていた。Tに「折角のドームを見せて上げたかったのに」と言うと「また来るから」と言う。少し休み頂上に向かって登りだした。ジグザグのガレ場を登り、ドームを巻き10:20頂上に着いた。
 霧で視界はゼロ。非常に寒いが頂上に立った喜びをひしひしと感じた。少し下って風を避けお腹を満たす。多くの登山者がたどり着き、その満足感から愚痴も言わず、にこやかな温和な顔で頂上での空間と時間を楽しんでいるように見えた。
 10:50頂上の居場所を次の登山者に譲り下山開始する。ガレ場を下ると中尾峠が眼下に広がり、その右底には梓川が流れる上高地が一望でき、癒された。旧中尾峠に11:30着き、来た道を下り、林道を歩き13:15工事事務所の駐車場に戻った。
 焼岳はまだ紅葉が始まっていなく、晩夏と言った感じだった。生憎の霧で景色は楽しめなかったが、まずまずの満足は得られ、「また来年の秋に来よう」とうなずきあった。
 帰りにもう一度荒神の湯に入り汗を流し16:20帰宅した。
2004年09月22日 09時19分22秒

明星山(1188.5m)
2004.9.12(日)晴れ
 足に疲れが出て山行を決めかねていたが、土日の好天気にいたたまれず、明星山に登ってきた。
 6:15家を出発して一般道を走り8:30岡集落に到着した。明星山登山口の案内板を左に見て少し行くと道路が増幅した場所があり、車が三台停まっていて、私達もここに車を止め8:45歩き出す。
 ゲートの鎖を跨ぎ、舗装された狭い林道の杉林を行く。しばらく行くと送電線が走り、そのあたりでは明星山の前景が望め、意欲が掻き立てられた。クネクネと続く林道の途中では、雨飾山や駒ヶ岳が姿をみせ、頂上ではさぞ素晴らしいだろうと大きく期待が膨らんだ。長い林道にうんざりする頃、左に黒プラスチックの階段が目に入り9:50登山口に着いた。
 此処からがいよいよ本当の登山と気持ちを切り替え、階段を登る。登り終えるとなんと登山道は深い夏草が生茂り隠れている。「この季節だれも登らないのか」と林道とのギャップの大きさに落胆した。Tが先頭を行ってくれるので助かったが、内心、蛇が怖くマムシが居たらどうしょうと不安だった。注意深く草むらを登り進むと「寒露の水」と書かれた標柱が立っていた。火照った身体に冷たい水は美味しく、何度もゴクゴクと飲みほし心も潤った。
 水場を過ぎると夏草の分布も無くなり登山道がしっかり現れた。小沢を渡り、ブナの小木の林に変わり、瀬音を聞きながら快調に登った。標高850mぐらいでヒスイ峡分岐に着き、案内柱には明星山直登と書かれ、気を引き締め直進した。道はぬかるみ、石は滑り大変気を使い、思った以上に長く感じられたが、11:15明星山頂上に着いた。
 頂上は思ったほど広くはなく、楽しみにしていた雨飾山や焼山が雲に隠れてがっかりした。大石に登り朝日方面を見ても頂部は雲の中で霞んでいてすっきりしない。写真を写す気にもならず、ぼんやりと栂海新道を眺めた。Tは不機嫌そうに「何時までいる?」と聞く。「12時まで」と答えランチタイムにした。小千谷市から来られた御夫婦が着かれ四人の頂上となった。
 山の会話を楽しんでいると、7/17聖平小屋で話を交わしたM氏と分かり大感激。二ヶ月も経たない間に2回もお会いでき、「こんなことが有るのか」とうれしくなり握手を求めた。M氏は深秋に30人の会員と明星山に登られる為下見に来られたのだった。
 M氏の奥様に誘われ頂上の南側に行ってみた。祠があり痩せ尾根を少し行くとゴロ岩がころがる広い場所があり、此処からの眺めが素晴らしかった。高波ノ池や小滝の集落を俯瞰し、その小さく見える全てのものがいとおしく感じられた。中でも民家が山の斜面にへばり着いて建っているのがいじらしく、センチメンタルな気分になった。頚城アルプスの特徴的な山々に目を奪われるが駒ヶ岳の他は言い当てることが出来ず残念だったが、4人でゆっくり頂上を楽しんだ。12:35頂上とM夫妻に別れを告げ下山開始とした。
 下りでは、2匹の蛇に遭遇したが、寒露の水を飲んだり、林道ではワラビ(この季節にまだ芽が出ている)を探したりしながら14:35ゲートに戻った。
 明星山は林道も長く急登の山だが、沢があったり、水場があったり、ブナ林があったりと結構楽しい山だった。しかしTは、「明星山は見る山、もう登らない」とあまり気に入らなかったようだ。
 今日の一番の感激は偶然にお会いしたM氏の出会いだったかもしれない。
 帰りはたから温泉で疲れを癒し、朝日IC〜富山西IC半額を利用して高速を走り、18:00帰宅した。
2004年09月13日 23時32分53秒
野谷荘司山(1797.3m)妙法山(1775.6m)
2004.9.4(土)曇りのち雨
 妙法山に登ってきた。最初は白山スーパー林道の利用を考えたが、開門時間が8時からと料金が3150円に嫌気がさし、鶴平新道から登ることに決め4:30家を出発した。
高速で白川CIまで行き、白山スーパー林道料金所手前を左折し大窪を過ぎ、5:20鶴平新道登山口に着いた。
 登山口には大きな注意書きの案内板があり、準備をして5:35登り始めた。お墓がある。(帰り気が付いたのだが、墓石には大杉家と彫られ、背後にはその家名の由来であろう巨木の大杉が、象徴的に天に向かって伸びていた。後日鶴平新道を開いた大杉鶴平爺さんの墓だと分かった)念仏を唱え、その右横を進む。どんな登山道だろうと心配したが、踏み跡がしっかり付き、急坂もジグザグで踏まれ、思った以上に整備されて歩き易くなっていた。
 いつしかブナの林が広がり、まっすぐ伸びる太い美しい幹が目を引き清々しい気分になった。Tが「綺麗や。良い登山道や」と感心しきり。次第に低木となりオオカメノキの瑞々しい赤い実が秋を感じさせ、気持ちも豊かになっていった。樹林を抜けると赤肌を呈した鋭角の山容のP1602(赤頭山)が目に入り緊張が走った。登り詰めると平で展望が良くここで初めての休憩を取った。正面には三方岩からの稜線に続く尾根が伸び、左に崩壊が進む妙法山へ続く稜線が見渡せた。
 痩せ尾根を登り進み、8:00三方岩分岐に着いた。「ようやく白山スーパー林道の開門時間か」と思うと得をしたようでうれしくなった。左に進み8:13野谷荘司山に着いた。三角点に触れ、眼下に目をやれば鳩谷ダムがミルクティーのような濁色の水を湛えている。正面には猿ヶ馬場や籾糠山、右には奥三方や三方崩山が大きく聳え、その右にはこれから行く妙法山が小さく見えた。「さあ行きますか」と掛け声を掛け、野谷荘司山を下る。
 軽くアップダウンをすると8:40“もうせん平”に着いた。お地蔵さまが祭られ、もうせん平を守っておられたが、縦長で幅は無く思ったより狭く感じた。秋を感じさせる色彩の草中に青紫のオヤマノリンドウが咲いていて、私の心も過ぎる夏を惜しみ一抹の寂しさを覚えた。美濃原山を回り込み、大きく110m下り、最後の急登130mとなった。根気よく足を運び9:45妙法山頂上に立った。
 三角点に触れ360度の大展望を楽しむ。白山は雲に隠れて見えないが、間名古の頭や兎平など北縦走路がよく見え、白山のふところの広さを身体で感じた。奥三方や三方崩山も真近に迫りその大きさに驚かされた。北に目を移せば冬瓜山やシリタカ山を従えた笈ヶ岳が端正な姿を浮かび上がらせ、思わずシャッターを切った。ランチを食べたり地図を見たりとゆっくり頂上を楽しんだ。
 10:30帰り準備をしているとポツリと雨が落ちた。「嫌な感じ、帰ろう」と頂上を後にした。待っていたかのようにガスが山を覆い、暗雲が追いかけてくる。とうとう雨が降り出し雨具を着こんだ。鶴平新道分岐まで標高差100m前後の登りが3つもあり、気が抜けない。益々強くなる雨の中を休まず歩き続けた。誰にも会わない孤独の寂しさと、雨に打たれる苦痛に耐えながら11:50野谷荘司山に着いた。鶴平新道は野谷荘司山まで標高差1070mあるが、後は下りだけと思うと力が湧いた。休みを取らずひたすら下ると疲れが出てきて、膝の外側が痛くなり、早く駐車場に着かないかと高度計ばかり覗き心待ちにした。雨に洗われた森の木々の緑が美しく「まるで新緑みたい」「もうすぐ落ち葉になるとは思えない」と二人で語らいながら13:30登山口に辿り着いた。
 妙法山は眺望の良い山だった。三方岩岳からの縦走が一般的だが、スーパー林道の開通時間や料金を考えると鶴平新道から登るのも妙案だと思った。(累計標高差1610m)
 帰りは五箇山のくろば温泉で疲れを取り、一般道を走り17:00帰宅した。
2004年09月06日 00時20分24秒

■2004山行記録■