■2005.8.27(土)曇り、霧
土日と天気予報では晴れるらしい。復帰第二回目はどこに行こうかと迷ったが、去年から気になっていたクリヤ谷から笠ヶ岳に登り、翌日は秩父平から弓折岳を縦走し鏡平に降るコースと決め、26日20:00家を出発した。
22:15荒神の湯駐車場に着き、早速温泉に入りさっぱりして、車中で心地よく眠りに就いた。
27日、今日は笠ヶ岳山荘泊なのでゆっくり起きる。温泉に入り山準備を済ませ、中尾温泉口の駐車場に移動した。橋を渡り、槍見館の横にある公衆電話ボックスに登山届を入れ7:15登り始めた。
鬱蒼とした樹林帯を登り左折して進むと沢の水音が大きくなってくる。暗い森では不気味さを感じ、朝方も雨が降っていたのか草木は雨で濡れ天気も期待できない。色彩の無いモノトーンの世界が重苦しく圧し掛かり、渡渉出来るのかと大きな不安を感じ、一層心は暗くなった。轟音のような水音が近づき、目の前に穴滝が現れた。水量も多くて驚き、もし渡渉出来なかったら中止しょうと決め、先に進み渡渉地点に着いた。飛び石は水に隠れていたが、これなら渡れるとTが先に渡った。私はスパッスを履いていなかったので、靴の上から水が入り、靴下を伝って濡れ出した。幸い僅かだったので良かったがスパッスを履かなかったことを後悔した。
左岸の登山道を歩いていると若い男女二人が下山して来た。大阪から錫丈に岩登りに来たが、濃霧と岩が濡れ危険なので帰ると答えた。その後単独男性を追い越し、3、4回渡渉したが、心配したほどの事もなく通過できた。ひと気も小鳥の囀りも無い寂しい登山道を気長に登り続けたが、最大の楽しみだった錫丈岳の岩壁がどこに在るのかも判らない霧の中、ただ濡れた背丈の長い笹が登山道を覆い隠し、ズボンをずぶ濡れにして心もすさんでいった。熊避けの鈴も無く、二人でストックを叩いたり、大声を発したりするが、先頭を歩くTはさぞ疲れたことだろう。
霧中に突如クリヤの頭と岩峰が現れた 雷鳥岩 雷鳥岩前から笠ヶ岳を望む
早く笹から開放されたいと思うがなかなか森林限界に到達せず気が沈み、最後の水場で休んでいると虫に刺されたりと散々だった。急斜度の岩場を越えた当たりで少し下り、一瞬霧が晴れ目前にクリヤの頭が目に飛び込み、その姿に興奮し今日初めて開ける風景に喜びが湧いたが、すぐに霧にかき消されていった。ハイ松帯となり、回り込むように進むと雷鳥岩がドッシリと積み木のように立っていた。12:35此処でランチにして休憩していると、Tが「凄いぞ」と叫び、後ろを振り向くと笠ヶ岳が神々しく現われ、その巨大さと美しさに驚き、カメラを構えた。喜んだのもつかの間、ガスが急速に巻き上がりまたもや笠ヶ岳を飲み込んで景色を奪い取っていった。
13:00もう一踏ん張りと腰を上げ歩き出す。弧を描きながら笠に繋がる稜線を行くと、笠の頂上が段々近づき、少しずつガスが晴れてきて、山頂に人が立つのが見え始め、力が湧いた。
板石のガレ場を登り15:15頂上に到着。頂上で私達二人を見ていた登山者が拍手で迎えてくれ祝福して下さり、少々照れくさかったが嬉しかった。5年前の9月に笠新道から登った時は両日とも大雨で、頂上から何も望めなかった。今回のクリア谷コースで出会ったのは3人だけ、累計標高差2000mをやりとげた喜びと、その寂しい長い道のりを思うと出来るだけ頂上に居たかった。残念なことに抜戸岳方向と私達が辿った稜線だけしか見えなかったが、心から満足し、写真を撮ったり ブロッケンを楽しんだり おにぎりを食べたりして静穏な時間を過ごした。
笠ヶ岳頂上が近づく ブロッケン 笠ヶ岳頂上
15:50山荘に着く。受付を済ませるともう部屋が満員で、私達から食堂での泊まりとなった。リュックの置き場もなく、自分の居場所がない。幸い私達のHPを見てくださっている新湊のIさんが声を掛けて下さり、テーブルに同席させて頂き、山談議に花が咲き、楽しい時間が過ぎていった。今日の宿泊者は180人で今夏最多だそうで、4回目の19:15の食事時間と布団1枚で2人と狭いスペースだったが、漸く8時過ぎ自分の空間が与えられ、身体を横にすることが出来た。
クリヤ谷はお天気が悪かったせいか、陰気で寂しくきつく長い登山道で、印象はあまりよくなかった。しかし高山植物の種類も多く、花々が秋の移ろいを感じながら、懸命に命のリレーとばかり花を咲かせている姿には、随分元気をもらった。
気楽な気持ちで登ったコースだったが、タイムも結構かかり、トレーニングしていない身体にはそれなりにキツイコースだったように思う。
■2005.8.28(日)晴れ
4時、山荘の照明が点された。食堂の登山者が一斉に起きだし、4:30には1回目の朝食が始まった。さすがにプロの仕事とその機敏さに敬服した。
暗闇の中、東の空が赤く染まり、今日の好天を確信した。5:15ご来光と多くの人が頂上を目指したが、昨日頂上に登ったし、どうしょうと最後まで迷ったものの、360度の展望を見たいと再度山頂に向かった。
朝焼けの槍ヶ岳 雲に写る笠ヶ岳のシルエット(笠ヶ岳頂上で)
槍、穂高は圧巻だが、黒部五郎小屋からの笠ヶ岳が忘れられず、反対に笠ヶ岳から黒部五郎岳を見たかった。薬師岳の存在感に押され思ったより小さく見えたが、なんとなくいとおしく思え、鷲羽、水晶、赤牛など眺め、悦に浸った。白山、乗鞍、御岳、八ヶ岳、やはり笠ヶ岳は屈指の展望台だった。
今日は秩父平、大ノマ岳、弓折岳を巡り、鏡平に下るコースだ。出発前にコーヒーを飲みリラックスして6:15山荘を後にした。抜戸岩を過ぎ、序々に離れていく笠ヶ岳の重なりは美しく、何度も後ろを振り返ってはその端正さに息を呑んだ。
7:10杓子平の分岐を過ぎ、抜戸岳山頂に登ってみた。山名柱の後ろには黒い槍ヶ岳が威容を放ち、目をくぎ付けした。しかし生憎ガスが湧きあっという間に姿を隠してしまい、がっかりして、角岩のガレ場の頂上を後にした。
笠ヶ岳を振り返る 抜戸岳頂上 秩父岩
縦走路に戻り、秋風を感じながら平坦な登山道を黒部五郎岳と薬師岳を見ながら行くと下りになり、弓折岳の案内板が立ち、90度右折した。此処を降るとお花畑が広がりまるで楽園のような雰囲気で心が和んだ。右に秩父岩の岩峰が異彩を放って厳しいが、そのアンバランスが変化を与え、趣があった。軽いアップダウンを繰り返し、ハイ松を抜けると大ノマ岳の登りとなり、右に槍や穂高をみながら、稜線漫歩が続いた。「どこに行く事もない。近くて良い所や」とTが言い、素晴らしい雄大な絶景に私も言葉なく、ただただ幸せだった。
8:45大ノマ岳頂上に立つ。ここでも槍ヶ岳が端正な姿で迎えてくれた。いよいよ大ノマ乗越まで220m降り、弓折岳までの150mの登りが待っている。この頃疲れのピークで、弓折岳登りに設置された木製梯子の階段がつらく、足を1段ずつそろえながらしか登れず、喘ぎながら胸の中で歩数を数え、気晴らしにしていた。おなかも減りTから5分間も遅れ9:45、広い平坦な弓折岳頂上に着いた。
秩父平を行く(奥が双六岳) 大ノマ岳降りから槍を望む 鏡池で休憩
月餅を食べたら元気が出て、「これで降りだけ」と気も楽になり、意気揚々と10:00分岐に着いた。熱く火照った身体にご褒美と「鏡平でかき氷を食べよう」と合言葉に鏡平小屋に下ったが、日差しが強く思った以上に長く感じた。
小屋に着くと小屋の従業員が大声で「ヘリが来ますから橋までさがって下さい」と言う。仕方なく待つと物資運搬のヘリが飛来してまた飛びたった。10:35小屋に入り「かき氷下さい」と頼むと「今は忙しいから駄目」と言うので食べたい一心で待った。またヘリが来てがっかりしながら辛抱強く待ったが、邪魔者扱いされ、4回ヘリが来る事が判り諦め、鏡池の辺でコーヒーを沸かし、ピカ一の槍ヶ岳の晴れ姿を眺めながら足を延ばし休憩を取った。
Tがバスターミナル駅の無料温泉が15:00で終わると言うので、11:00急遽下山することにした。小池新道では、こんな時間なのに多くの登山者が登ってこられ驚いた。小秩父沢で小休止をしてひたすら降り、林道に出て13:00ワサビ平に着いた。
ベンチに座りコーラーを飲み休んでいると「T&Mさんではないですか?」と声が掛かった。HCに在籍されていた時白山に同行し、今は静岡在住のKさん母娘だった。彼女はテン泊で双六岳に行って来たのだと笑顔で話された。偶然の出会いとお元気な姿を拝し、懐かしさが募り、嬉しかった。「皆さんによろしく」と伝言を預かり、「お元気で」とお別れを告げた。
ボツボツ雨が降り出し心配したが、すぐに止んだ。長い林道をうんざりしながら、足の裏の痛みに耐えながら懸命に歩き14:15新穂高バスターミナルに着いた。
心は開放され、一瞬にして全てが喜びに変わっていった。リュックから着替えをだし、有り難く無料温泉に浸かる。温泉は16:00までだったので、あんなに急がなくても良かったと思うとがっくりきたが、二日間の汗と疲れを洗いながしたら、気持ちよくさっぱりとして生き返った。
温泉前からバスに乗り(220−)中尾温泉口で降り、マイカーに戻った。復帰第2日回目としたら、かなりハードだったようで両足の薬指に水ぶくれが出来ていた。帰路につく車中で今回の山旅の思い出を語りながら、17:30自宅に帰った。
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立山三山
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2005.8.17(水)晴れのち曇り
手のケガも快方に向かい、あとリハビリを残すだけになったら、気持ちが山に向く。復帰第一回目はどこに行こうか迷ったが、まだ指が曲がらず力も入らないので、鎖、ロープのあるところは無理、それでも3000mの爽快な空気が吸いたいと立山三山縦走に行って来た。
16日の富山地鉄立山線の土砂崩れで千垣付近の県道が通行止めになっているので心配したが、ナビが対岸線を教えてくれ5:45には立山駅に着いた。ケーブルカーも土砂崩れの恐れから動かず、代替バスが運行していて、6:20バスに乗り込み室堂に向かった。
ケガをしたことでトラウマになり強い自制力と不安が働き、山登りの一年生のような気がして、気持ちは強張っていたが、それでもバスから降り室堂に立つと雄大な光景が一瞬にして五感を揺さぶり、心は開放された。
今日は足慣らし、何回も立山に登っているのにまだ見ていない、立山室堂(国指定重文)と玉殿岩屋を見るのも目的の一つで7:40室堂を歩きだした。
立山室堂 (国指定重文) 玉殿岩屋 雄山山頂
すぐに立山室堂に着き、頑丈で立派な建て方に驚く。幅広の角材が柱として立ち、風雨や豪雪にビクリともしない頑強さに先人のこだわりと思い入れがひしひし伝わり感激した。案内板に導かれ次は玉殿岩屋に向かった。岩屋はちょうど立山の正面に向いている。此処が立山の聖地、佐伯有頼が熊に導かれて阿弥陀如来に拝した岩窟かと思うと感慨一入だった。お地蔵さまに世界の平和を祈願して玉殿岩屋を後にしたが、どちらも一見の価値は充分にあった。
一ノ越に向かう登山道に戻り石畳を行くと結構花が咲いている。ヨツバシオガマやウザギギクが色とりどりに目を楽しませてくれるが、台形の立山頂上は厚い灰色の雲に覆われ始め、お天気は期待出来なくなっていった。8:40一ノ越に到着し休憩をとるが、もう何も見えなかった。
8:50雄山に向かう。40分間で雄山社務所に着いたが「山ってこんなにきつかったっけ」と足の重みを感じ結構疲れた。ベンチに座り休んでいるとやはり頂上が気になり、Mだけ参拝に頂上に登った。若い神主さんが祝詞を読みあげ祈祷して下さったが、「岩のような強い身体と白雪のごとく清らかな心、云々」と聞くと1万尺の神庭に向かいいれられたことが有り難く、気持ちも崇高になっていった。
9:55雄山を後にして大汝山に降る。あたりはガスで乳白色の世界が広がっていた。最高峰の大汝山に登り、富士の折立は通過し、大走分岐では大休憩にした。
11:00大走を降り雷鳥沢に向かうことにした。4年前の11/23快晴の雪の中を降った事を思い出しながら進むが、雪と夏道は大違いで思った以上に距離が長く感じられた。途中雷鳥に出会ったり、チングルマの群生を目にしたり、ガスが晴れ色とりどりのテントの花が咲く雷鳥沢を眺めたりと喜びも楽しみも大きく膨らんで「やっぱり山に来て良かった」と思った。高原に来たらチングルマやコイワカガミが盛んに咲き乱れ、その広大な眺めに心は癒され幸せ一杯だった。
橋を渡り、12:05雷鳥沢テン場に着く。急ぐ旅でもなく、折角来たのだからとゆっくりベンチに座り、テン場の賑わいと青緑の山肌が広がる楽園風景を心行くまで味わい、立山の思い出にした。
帰りは地獄谷を経由して、長い石段をいっきに登り、12:55室堂ターミナルに着いた。押寄せる観光客に驚き、ほんの少し前までは静寂に包まれていたのに、あっという間に現実世界に引き戻ってしまった。出来るならもう少し山の余韻に浸りたかったかもしれない。
久々の山登りは大満足だった。無理をせず、出来ることから始めよう。握力が無いのでまだ行きたい山には行けないが、リハビリを頑張って早く元のように戻れたらいいなと思っている。
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桑首谷(大倉山)
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2004.7.9(土)曇り
T氏より先週に引き続き、金剛堂山の西ノ瀬戸谷沢登りにお誘いがかかり、連れて行ってもらうことになった。大長谷の通行止め解除が長引き、もし駄目なら大倉山の桑首谷にとセカンドプランを考えておいて下さった。
9日5:00砺波Pに集合してU氏が「白木峰が開通した」といわれたが、リダーの決断で大倉山の桑首谷に決定した。
今日の参加者はT氏、U氏、Aさん、私達夫婦の5名で砺波から高速に乗り、大倉山の登山口駐車場に着いたのが6時だった。
ここで渓流靴を履きハーネスを付け6:15林道を歩きだした。今日も笛や鈴をならしながら熊避け対策し、勾配のある林道を25分ほど行くと最終堰堤に着いた。林道から堰堤までの叢に踏み後があり、結構登られているのだと思えた。堰堤左側に鉄棒の階段があり、そこを乗り越え、右岸の叢を歩き入渓地に立った。
小休憩していよいよ遡行開始。水量は多いが、清流で嬉しい限り、男性ぽい魅力的な沢だ。大石を踏み暫く行くと4mくらいの滝があり左岸を乗越し、先に行くとまた4mくらいの滝が立ち塞がっていた。水量も多く登れるところがない。引き返して左岸を巻くことにした。
巻くと言っても草つきの急傾斜、先頭のT氏が岩を登りその上に立ち、二番手のAさんが後に続いたが、上は足場が悪くズリズリと滑り、ストップがかかった。私達3人は沢下で待ち、様子をうかがった。草つきなのに崩壊し易いのか、小さい石が次から次に高速で落下してくる。当たらないように離れてT氏の登攀を見守った。手がかりも無くピッケルで支えるものの、ヌルヌルの斜面はいやらしく苦労されていた。木があるところまで登り終えられ、一安心。
Aさんが、手で大きく輪を作ってジェスチャーをされた。「やった!」と私も嬉しくAさんの所まで登ろうと岩を登った。「まだ下に居たほうが良い」と言われ躊躇していた瞬間、岩に置いた左手の甲に10cm×20cmの角岩が高速で落下して当たった。
左手の甲の衝撃ははっきり覚えているが、どう沢に降りたか覚えてない。グローブをとり、手を見て愕然とした。鋭く3cmくらい切れ、中がヘコミつぶされ、白い肉が見えた。急いで切れた傷口を右手でグッとくっ付け合せ、U氏に見せた。「これは酷い」と、崖上に登ったT氏に引き返すよう合図された。我に戻ったら吐き気がした。過圧がかかり血管がつぶされたのか出血が無い。救急箱を出しキズバンをつけてもらいテーピングもしてもらった。極度の空腹時に吐き気がするあの吐き気で、急いでもちを少し食べると落ち着いたのか吐き気は止った。
T氏が懸垂下降で降りて来られ、「近くの病院に行きますか?」と心配して下さったが、皆の楽しみを奪ってしまったようで心もとなく、迷惑を掛けた事がそれ以上に申し訳なくて仕方がなかった。「誰に当たったって仕方がないこと。お互いさま」と皆が慰めて下さったが、心は後ろめたさでいっぱいだった。
左手をかばいながら沢を降り、林道を戻り着くと、落ち込んだ私の心と裏腹に石川ナンバーの車が4台停めてあり、大倉山は賑わっていた。引きかえさなければならない無念さに時計と見ると、まだ7:45だった。
私は痛みと出血が少ないため、自宅近くの病院に行きたかったのでその意を伝え砺波Pに戻るようお願いした。急いでTと自宅に戻り、濡れた登山服を着替え、厚生連病院の救急センターに行き診察を受けた。指が腫れ結婚指輪がはずれない。血まみれの指輪は無残にもカッターで切り落とされた。結果は薬指の指中骨頭粉砕骨折だった。お医者さんが「ここでは手術は出来ないので手術室が空き次第、手術を行います」と言われ、予想外の大事に悲しくなった。整復後、ワイヤーを入れ骨を固定して、手術は終わった。
あの時○○だったらとか、○○してたらとか、いってもしょうがない。私自身にスキがあり、未熟だったのだ。
日常生活にも支障をきたす有様で、到底山には行けない。「暫く休め」と神様はいっているのだろうか?同行の皆様や親戚の見舞いを受け、申し訳ないやら、有り難いやら、つくづく一人で生きているのではないと感じる日々が続く。
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日尾谷(金剛堂山)
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2005.7.3(日)晴れのち曇り
前日、T氏から金剛堂山の日尾谷沢登りの誘いを受け、「私達夫婦だけでは力不足で到底行けない折角のチャンス」と是非行きたくなり、先約の娘夫婦に不誠実を詫び了解を得(心から感謝しています。)出かけることになった。
6時砺波Pに集合してT氏ご夫婦、U氏、私達夫婦“白毛門沢メンバー”5人はT氏の車に乗り込み利賀に向かった。久々の再会が嬉しく話も尽きず、あっという間に栃谷登山口の駐車場に着いた。
今日は日尾谷をつめ東俣登山道からの稜線に出て金剛堂山に登り栃谷登山口に下山するコースを取ることになった。まずは日尾谷を確認する為車で日尾橋まで走り、両間の距離を調べて栃谷登山口の駐車場に戻った。
準備を済ませ、7:20日尾橋に向かって林道を歩き出した。結構遠いと思っていたが、予想以上に早く白い橋が見え、20分間で着いた。橋を渡り、草の中に2本の轍があるような林道を行くと10分間で行き止まりになり、この広場(駐車スペース)で渓流靴に履き替え、準備を整えた。
8:05熊避け用に笛や鈴を鳴らし、踏み後を頼りにT氏が先頭で薄暗い樹林に入った。とげのある草に戸惑ったり枝を潜ったり跨いだりしながら暫く行くと左側からの沢にぶつかり、それを降って本流の日尾谷に8:20入渓した。
思ったより水の冷たさを感じず、広くて明るく、水量も透明度も申し分ない沢に、すぐに魅了され、「きれいやね」「清流や」「金剛堂山にこんな良い所があるとは」と胸が高鳴った。淡いビー玉のような水色の流れと戯れ、右に左に進路を変え遡行する。「究極の大人の水遊びや」と興奮しながら童心に返った。
9:20右岸からの支流を確認して、休憩を取りながら快適に溯る。U氏が「ミニ上ノ廊下のようや」と言われ、本当に美しい沢だとつくづく感心した。
10:20標高1200mで両岸から沢が落ちていた。このあたりから小滝が連続して現われたり、ゴルジュ帯になったりと変化に富んで、期待以上の素晴らしさに大満足だった。
標高1250mあたりでは雪渓があり、恐る恐るスノーブリッジの下をくぐり、1330mあたりでは5mの滝2段を果敢に攻め、1段目は真中から2段目は雪解け水のクライミングシャワーをまともに受け、全身ずぶ濡れとなり必死で這い上がった。緊張が解けると喜びに変わり「あ、おもしろかった」とスキップで沢を飛び跳ねた。序々に水量は少なくなり、遂には枯れ沢となった。
T氏はHP報告では1350mで滝を巻いたと書いてあったことが気がかりで、違った沢に入りこんだかと心配され、戻って確認することになった。やはり間違いではなく、5m滝は巻かずにもう登り越していた。目の前に稜線も見えるが灰色の雲が暗く垂れ込め気分も沈んでくる。所々にある残雪を踏み、枯れ沢を詰め、15mくらい藪を漕いだら登山道に飛び出した。12:20右に少し行くと標柱のある東俣登山口だった。
お腹も減り、金剛堂山登頂を取り止めにして、この広場で宴会にすることになった。途中で採取したウドを酒の肴に、「美味しいね」と幸せな時間が流れ心身とも寛いだ。金剛堂山から男性が降りてこられ「何処の方ですか?」と聞くと「仕事で来たのですが、神戸です。」と答えられ、暫し会話を楽しみ、下山を見送った。
13:20お酒も無くなったところで東俣峠にむけて下山開始。すぐにT字路に着き、誰が通るのかと首を傾げるくらい広い林道が出来つつあった。左折し林道を降り進むと小屋が見え14:00東俣峠に着いた。
ここから長い長い8kmの林道を歩くことになる。東俣谷の清流を右に見ながら、明るくなった空に勇気付けられ懸命に歩いたが、随所で繰り返される土木工事を目の当たりで見ると莫大な費用は何処から出るのかと下世話なことを考えてしまった。白い橋の日尾橋が見え、あともう少しと頑張り15:50栃谷駐車場に戻った。
日尾谷は、沢の初級向きとして難しい所もなく手ごろで、それでいて十分楽しめるお勧めコースだった。また近くにこんな素適なところがあるのかと再発見もした。
疲れた身体を天竺温泉で癒し帰路に着こうとすると大雨が降り出し今日もラッキーな私達だったが、なによりもハッピーなのは、適度な疲れと岩にぶつけ出来た膝のあざがご褒美のようで、心地よさがゆらりゆらりと揺れいつまでも余韻となって残ったことだった。
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男体山(2484.5m)
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2005.6.26(日)晴れ
男体山は二荒山(ふたらさん)と呼ばれ二荒山神社のご神体である。男神の大巳貴命(別名大国様)を祭り、山岳信仰の聖地として崇められたその山を登るのは、やはり表参道コース二荒山神社中宮からと決め、昨日中に登山口である登拝門を下調べしておいた。
今日は帰宅に時間がかかるので、出来るだけ早く登頂を果したいと考え3:30に起床した。朝食を済ませ身支度を整えて、二荒山神社の石段を登る。静まり返った朱塗りの本殿前に立つと、木製の衝立が立てられていた。少し動かし本殿に入れさせてもらい、薄暗い拝殿で柏手を打ち安全祈願して、右側にある登拝門の前に着いた。
4:30「さゝ、登りますか」と鳥居をくぐり、石段を登り始めた。石段が終わると山道に変わり傍らには一合目と彫られた石があった。期待した早朝の涼しさは無く、ムッとして風も無く不快だ。笹に覆われた疎林の樹林帯を歩いているとバサッと大きな音がして緊張が走った。音の方向を見ると鹿が走り去るのが見え、小心者の私はホッと胸をなでおろした。暫く登り続けると林道に出てそこが三合目だった。
戦場ヶ原 男体山山頂で 御神像
4合目まで林道を歩き、鳥居をくぐりまた登山道に入る。鉄パイプの手摺りが付けてありそれに従って6合目まで来た。ここから急斜面のゴロ岩が続き、赤の矢印マークを見ながら登り続けた。「さすがに中禅寺湖から突き上げる精悍な山だ」とその勾配に驚いた。8合目を抜ける頃から穏やかになり丸太の階段を登り進むと赤褐色の火山礫となり、中禅寺湖全景や戦場ヶ原が箱庭のように俯瞰出来悦に浸った。行く手に頂上が見え、志津乗越からの登山者の姿も目に入って、あと少しだと頑張り7:35頂上に着いた。
右方に高台が見え、鳥居とその岩塊に太刀が立っている。奥宮に参拝してから早速一番高所に登り写真を撮ったら、聖地立った喜びが湧いて出た。御神像のところに戻り、石に腰をおろし好物を食べゆっくり時間を過ごした。昨日登った白根山に目をやり、辿ったコースを目で追ったり、広大な中禅寺湖や戦場ヶ原に見入ったり、奥日光の展望台のようで快く、贅沢な眺望を心行くまで楽しんだ。
山頂からの白根山 眼下にはいつも中禅寺湖 ニ荒神社中宮と男体山
8:10下山開始する。表参道コースには5、7、8合目と避難小屋が造られ、ゴロ石の急登には赤のペンキで細かく→が書かれ、登山者へのやさしさが伝わって来た。山自体は一本調子の登るだけの山だが、何かしら人の温かみを感じた。
7合目あたりから多くの登山者が登って来て、「もう登ったのですか?」と聞かれては「4時半から登りました」と同じ返事を繰り返し、10:00二荒山神社に戻った。
社務所で入山料を払うと記帳を促されお守りを下さった。良い記念になり、登り終えた満足感がゆっくりと身体に染み渡った。社殿を出て手水舎で水を飲み、顔を洗ってサッパリとして石段を降りると、神社の後ろに大きな男体山が日光の守り神のように威厳を放ち、雄々しく鎮座していた。
帰路は沼田ICから高速に入るため、昨日と同じ湯元温泉で汗を流し、利根村でお土産のソバとトチのはちみつを買い、17:40我が家に戻った。Tはその足で庄川に鮎を釣りに行った。
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日光白根山(2577.6m)
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2005.6.25(土)晴れ
久しぶりに土日に用事がなくお天気も良さそうとくれば、遠出して100名山狙いの山旅に来たくなる。今回は至仏山と日光白根山に行くことに決めた。
24日夕刻に家を出て、新潟の松代町道の駅で車中泊し、25日早朝6:00尾瀬の入口である戸倉の有料駐車場(1000−)に着いた。6:20、9人乗りバス(往復1800−)に乗り換え20分間くらいで鳩待峠に着いた。
バスから降り至仏山登山口に目を向けると驚いた。両脇の杭からロープが張られ進入禁止となっている。困惑しているとパトロールの方が来られ、「残雪で登山道が隠れ、登山道外を勝手に歩き植物を踏み荒らすので、雪が消える7月1日から登山可となる」と教えて下さった。下調べしてこなかった私達も悪かったが、なぜ戸倉の有料駐車場前にそう書いておいてくれなかったか、不信感が募った。同じバスに乗った1組のご夫婦も知らなかったようで結局、貴重な時間と4600円を尾瀬に寄付し、泣く泣く下山した。計画を立て直し今日は日光白根山、明日は男体山に登ることに決め、日光白根山登山口である菅沼に車を走らせた。
茶屋横の登山道両脇には車がぎっしり並び私達もその最後尾に車を停め8:20歩き出した。新緑の林間を心地よく歩き二俣を右に進むと次第に急登の山道になっていった。樹林の中はひんやり涼しく、小鳥の囀りを聞きながら静寂の山中に身を置く喜びが込み上げ心地良かった。Tが鮎の解禁以来毎日庄川に通いその疲れから「川人間が山人間になるまで時間がかかる」とペースが上がらず辛そうだった。
弥陀ヶ池と白根山 白根山頂上で 白根山頂上
山道が緩やかになるころ先の方から若い女性の声が聞こえてきた。130人の中学生のお嬢さん達で東京から来たのだと話してくれ、マナー良く道を譲って前に出してくれた。突然目の前が開け弥陀ヶ池が目に飛び込んできた。美しく広がる穏やかな池とその後ろには白根山が高く聳えて威厳を放っていた。鏡のような湖面には白根山が映し出され、山上の神域といった清々さが漂っていた。
9:40湖畔の広場で暫く休み、座禅山の鞍部から頂上を目指した。急坂を登り振り返ると眼下に丸沼や菅沼が望め、この地の地形や風景に見入っていると疲れも和らいだ。強い日差しを遮る木々もなくなり、ガレ場や岩場を根気良く登り135人の千葉の男子中学生に道を譲ってもらったり、連れ立ったりしながら10:40狭い山頂に着いた。
大勢の登山者が次から次に頂上を踏むので長居は出来なく記念写真を撮り、追い立てられるように奥のピークに移りここで大休憩にした。
ゆっくり栄養と休養を取り、奥白根神社に拝礼して、帰りは五色沼に降ることにした。ガレの急斜面を降ると樹林帯に入り、そこかしこに野生の鹿が出迎えてくれた。人間を怖がらず、まるで動物園にいるような気にさえなった。避難小屋の前を通り残雪を踏み降ると12:10五色沼に辿り着いた。
美しい五色沼 五色沼からの白根山全景 人馴れした野生の鹿
広大な沼と平坦な砂地のほとりに立つと、安らぎと山に抱かれ守られている安堵感に包まれた。ここからの白根山は雄大な山容をしていて「まるで別天地だね」と限りなく透明無垢な気持ちになって行く自分を見つけた。
弥陀ヶ池までの登り返しの110mは予想以上に長く感じたが、12:45池を見たとき疲れも吹き飛び、達成感に変わった。ほとりで人々が寛いでいる姿をみて、「やっぱりここは極楽浄土か」とふと思った。白根山に別れを告げ、静寂の山道を黙々降り14:00に車デポ地点に着いた。横の茶屋には大勢の観光客が群れ、現実社会の喧騒にあっと言う間に引き戻され、煩悩多き人間に戻った。
ワタスゲが咲く戦場ヶ原と太郎山 竜頭滝
湯元温泉で疲れと汗を流し、戦場ヶ原の清流と湿原を散策し、竜頭の滝を見物して、明日登る、男体山の登山口である二荒山神社駐車場に移動した。商店街をたむろして二荒山神社駐車場に戻り、今日はここで車中泊することにした。
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人形山(1726m)
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2005.6.12(日)晴れのち曇り
雑用に追われ山に行く時間と余裕が持てなかったが、今週行かなかったら脚力が落ちるのではないかと心配になり、トレーニングをかね人形山に登って来た。
7時過ぎ登山口に着いたら4,5台の車が停まっていた。女性が多いようで、赤やピンクのシャツと楽しそうな高い声が駐車場に満ち、明るい雰囲気が漂っていた。
準備を終えて私達も7:15登り始めた。登山道にはワラビが芽を出し、目に入ったものを取っては春の恵みのお裾分けを頂き、リッチな気分と嬉しさで胸が高鳴った。
樹林の中は思った以上に涼しく、快調に高度を稼げたが、朝食を摂っていなかったせいかお腹が減り、どうせ休むのだったら景色のよい宮屋敷まで行こうと登り続けると長く感じられた。
ようやく視界が広がり8:50宮屋敷に着いた。白木で出来た立派な鳥居が目に飛び込み「え?新しくなった!」と驚き、鳥居に走り寄った。後ろに「平成十七年六月五日」と彫られ、真新しい鳥居に言いようのない頼もしさと親しみを感じた。おにぎりを食べながら人形山を眺め、しばし休憩をとって寛いだ。
宮屋敷からの穏やかな山道は心を癒してくれる。青空にオオカメノキやタムシバの白い花が清楚に咲き、足元には小さな白花のミツバオオリンやピンクのイワウチワが可憐な花を咲かせ、遅い春の訪れを告げていた。緩やかに伸びる一本道と潅木の草原風景は心がキユーンとするほど素適で「ああ、幸せ」と清福感に浸った。
所々の残雪を踏みしめ早春の清々しさを味わい、梯子坂をのぼり、9:45分岐に出た。雄大な白山連峰が出迎えてくれ爽快な気持ちで頂上に向かう。穏やかな太陽の下、カタクリを眺めたり、ウグイスの囀りに耳を傾けたりしながら、稜線を歩み進め10:02頂上に到着した。
白山の展望地に行くと岩崎元郎氏の新日本100名山の記念山名板が、中央にドンーと設置され五箇山保勝会の方々の意気込みが伝わってきた。「全国の登山者に人形山を知ってもらいたい。来て欲しい」と地元の私としても願った。誰もいない広場で一番良い場所に座り、白山を眺めながら好物を食べる幸せは格別。ゆったりと流れる時空に身を任せた。
30分程過ぎると単独の若者が着き、そのあと中高年の単独男性が着いた。「三ヶ辻山に行く」と言われ、お見送りをして私達も10:45中高年女性の四組に頂上を譲り下山とした。
降って行くと多くの登山者が列を成して登って来られ、その賑やかさに驚いた。「人形山の一番良い時期かもしれないね」「まるで山開きの日みたいや」と話していると、クラブのAさんやK氏にも出会い、久しぶりの会話に心も弾み懐かしさで嬉しさも込み上げた。
11:40宮屋敷に着き、一息つく。人形山は雲に隠れ、もう何も見えなくなっていてた。「みんな残念だったね」と一抹の寂しさをおぼえ、もう誰一人にも会わない静かな山道をひたすら降り13:10登山口駐車場に戻った。
少しの山菜とりを楽しみ、五箇山荘で汗を流し、心身をリフレッシュした価値ある日だった。
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針ノ木岳(2820.6m)
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2005.5.28(土)晴れ
針ノ木大雪渓を登りマヤクボ沢をつめ、頂上からの大絶景を眺めたいものだと針ノ木岳に登って来た。
27日夕刻から出発して、白馬飯店と白馬温泉(第一郷の湯)に立ち寄り、扇沢に着いたのが21時だった。無料駐車場には多くの車が駐車し、夜空には星も輝き、何の不安もなく、眠りに就くことが出来た。
28日夜が明け、山並みにオレンジ色の朝日が映え、清々しい一日の始まりだ。しかし、誰も車から降りて準備をする人がいない。「どうして?山ヤさんじゃないの」と首を傾げた。
「みんなトレースを当てにしているのかな」と言いながら、朝食を食べ様子を見た。チラホラ人が動きだし、私達も準備を済ませて6:00出発した。
この時期の雪渓取り付きは、インターネットの報告では「2回目の車道に出たら作業道路に入り、雪渓に入る」と書いてあり、作業道路が判るか不安だったが、広い道幅でガードが立てられ直ぐに判った。雪渓を歩き全て左側(右岸)で堰堤を越え、最終堰堤には6:55に着いた。正面には三角の針ノ木岳が望め、ずっと先には5人くらいの人が小さく動いて見え、登高意欲をかき立てた。
針ノ木岳を目指し雪渓を登る 背後には爺ヶ岳(右)岩小屋沢岳(左) マヤクボ沢
夏道の険しい登山道よりずっと楽な雪渓を踏みながら、振り向いては爺ヶ岳や岩小屋沢岳を眺めたりしながら、先行者の踏み後を頂きどんどん高度を稼いだ。雪が降ったのかザラメ状の雪積が沈み安心して歩け、デブリに驚かされたりしながら余裕を持ち登れた。2時間で一休みしているとシール登行の群馬のスキーヤー二人と名古屋のペアーに追い越された。先行者がマヤクボ沢で一休みしているのか動かない。暫くすると一人は針ノ木峠に向い登り始め、他の人はマヤクボ沢に姿を消した。
8:00マヤクボ沢出合いに到着。右折してマヤクボ沢に入いる。段々、斜度もきつくなり、中間過ぎたあたりで先行の人達に追いついた。さぞ疲れたであろう感謝しながら、今度はTが先頭となりスバリ岳と針ノ木岳のコルを目指しステップを切って登っていった。驚いたことにスキーヤーの若者二人はシールを着けたまま沢のど真ん中を登っている。「凄いな」と感心してシャッターを押した。
奥がスバリ岳 針ノ木岳をバックに コルからの蓮華岳
9:45コルに到着。雪渓から開放され、稜線は夏道が出ていた。此処からの裏立山や剣岳が雄々しく、尾根の群青色と谷の白雪の斑が美しく歓声を上げ、雄大な景観に酔いしれしばし仙人になったような心地だった。アイゼンを脱ぎ「さあ、あと一登りで頂上だ。頑張るぞ」と岩場を懸命に登り、10:15針ノ木岳頂上に立った。
針ノ木岳頂上 頂上からの黒部ダムと立山剣岳
峠から来られた男性が一人居られ、私達は二番着だった。三角点に触れ、黒部ダムが見下ろせる石に座り立山や剣岳を飽きるくらい眺め、無風の穏やかな頂上でゆっくり寛いだ。槍ヶ岳や水晶岳も見え、名古屋のペアーと山座同定をして楽しんだ。この時期の登山者はつわもの揃い、「ゴールデンウィークは何処の山に行った?」と聞かれ「九州の山11座」と言ったら、相手にされなかった。スキーヤーの若者二人は「これから蓮華岳に行き大沢を滑る」と言っていた。東京からの単独の中高年女性は先週が巻機山先々週は槍ヶ岳と答え、皆が山ヤ自慢のようだった。頂上は多くのスキーヤーや登山者が集い賑やかになった。ピストンでマヤクボ沢を降ることにして11:00頂上を後にした。
コルに着きここでアイゼンを履き、ピッケルの紐を肩に潜らせ、緊張して11:30降り出した。表面のザラメ雪が太陽に照らされ解けて緩んでいる。スキーヤーがマヤクボ沢に飛び込んだ。一人目は上手く滑りあっという間に下降して行った。二人目が転倒して、表面を削り表層雪崩が起こった。規模は小さく止ったようだ。ピッケルを刺しながら慎重に降り、トレースに戻ろうと4歩ほど斜面を横切った時雪崩が起こった。下に人が居たので大声で「雪崩」と叫び、危険を知らせたが、「私のせいで」と思うと責任を感じ、幸い小規模で止ってくれほっとした。
中間部の傾斜が激しいところに来た。誰かが「雪崩」と叫ぶ。上を見ると大きな雪崩が勢いよく落ちてきた。沢幅の半分の広さで隅を降っていたが、巻き込まれるのではないかと非常に怖かった。サラサラと不気味な音をたてながら大規模に目前を雪が流れ、川のように見えた。表層雪崩なので深さは無いが速度が速く、ピッケルを深く刺しじっと流れ落ちるのを待った。「これじゃスキーを滑ると危険だね」と何時起きても不思議ではない状態に心を痛めた。
雪崩は止り、静けさが戻った。デブリを越え、少しは緩くなった斜面を駆け降り、マヤクボ沢をぬけ、雪渓を下った。正面には爺ヶ岳が水色の空に聳え心を満たし二人で「無事に登ってきたね」と喜びを分かち、言い知れぬしあわせが身体一杯に広がり埋め尽くしていった。
登り時、見つけられなかった大沢小屋は何処だろうと凝視しながら降ったが、やはり見つけられず堰堤に来てしまった。アイゼンを脱ぎ、幾つかの堰堤を越し、13:10扇沢無料駐車場に戻った。
4年前の8月下旬に針ノ木岳に登ったが、雪渓も消え、天候にも恵まれず頂上からの眺望を目にすることが出来なかった。その願いが一挙に叶い素晴らしい山行となり、充実した大満足の日となった。
大町温泉の薬師の湯でゆっくり疲れを取り、そば神で蕎麦を食べ、18:00無事帰宅した。
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猫又山(2378m)
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2005.5.22(日)曇りのち時折小雨
出発風景 雪渓取り付き付近 二又までもう少し
二又で休憩 猫又谷を振り返える 大きく迫る剣の面構え
猫又山頂上 釜谷山方向 素晴らしい滑降
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山菜取り
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2005.5.21(土)晴れ
日曜日に用事があり山には行けずストレス解消に、MだけE氏に山菜取りに連れていってもらった。年を重ねるごとに、この時期になるとウドが食べたくなる。ほとんど95%がE氏が見つけてくれた山菜だったが、長靴でジャブジャブ沢を歩いたり崖や雪渓を登り、沢山の山菜を手にすることができた。もちろん夕食は山菜づくし、贅沢な春の香りを楽しんで山の幸に舌ずつみをうった、嬉しい日だった。
千石伊折線林道からの剣岳 大倉山付近の沢あいで見つけた カモシカの親子に出会った
千石から伊折へは通行止になっていた。 シラネアオイ
馬場島では二輪草が群生していた 来週の山菜ハイクの下見にこごみを求めて 立山川の上流の様子
■2005山行記録■
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