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2007.12.22(土)曇り この頃、早起きの苦行に打ち勝つだけの山に向かう情熱が薄れ、のんべんだらりとした時間の遣い方もそれはそれで良いかと自答して、心から山に登りたくなる気持ちを大切にしたいと思っていた。 Tが今年まだ雪を見ていないから金剛堂山に登ろうと言う。「さぞ綺麗だろうな」と想像すると行きたくなリ、登ることにした。 家を6:30に出発、庄川から利賀に向う途中では山々や路肩には雪が積もり、新楢尾トンネルを抜けると田圃は雪で埋まっていた。予想以上の積雪に驚き、栃谷登山口まで除雪してあるかと不安を感じたが、駐車スペースは無いものの登山口まで乗り入れることが出来た。登山口には車が一台駐車され、スキーの板跡が百瀬川にかかる仮橋に続いていた。 路肩に駐車してスノーシュウーを履き準備を整え、8:10スキー板跡のトレースを頂きながら歩き始めた。 ストックの刺し跡から山スキー者は単独ではなさそうで3人位に思えた。どんな人達だろうと想像しながらジグザグにゆっくり高度を上げていく。どんよりとした空から粉雪が舞い落ち、身体に止まる。濡れることより風情が楽しかった。痩せた木々が倒れて行く手を阻み、通れる場所を選びながら50分間掛かってようやく栃谷から1Kmの標柱についた。 先を行くTにどんどん遅れる。今シーズン始めて履いた冬靴に足が馴染まず、踵が痛む、どうやら靴擦れが始まったようだ。不安を抱きつつ休まず登り続けた。スキー場が見える尾根に着きここで一休みした。相変わらずTは先を行き元気だ。今日は二人で登れる所までと思って来たが、ラッキーにもスキーのラッセルがある。あとは体力と根性だけ、慌てずマイペースを心掛け、先を急いだ。雪も止みブナの巨木にも応援され、10:10八折岳に着いた。水墨画のように遠く金剛堂山が鎮座して禅寺の障壁画のような落ち着きのある趣だった。 休憩を取り大きく降下する。登りにかかり先を行くTを懸命に追い掛ける。P1441で山スキーメンバーが帰って来られた。トレースのお礼を言うと「強風だから雨具を着るように」とTの伝言を伝えて下さり、皆様を見送った。高岡の方々で4人のパーティーだった。 この辺りから強風が吹荒れ厳冬の様相となった。気持ちも萎えたが、12時までは行動しようと決め尚も登り続けた。私達の後から単独男性が登ってきて、三人三様、各自がペイスを守り辛抱強く登り続けると雪原に出て、11:55ついに頂上に立った。 狭いツエルトでは雨具を脱ぐことすら出来きず、保温服を着ることも不可で身体が冷えてきた。耐え難くツエルトから出て下山することにした。灰色だった頂上も幾分かは穏やかになり白木峰が青く見え美しい。もっと穏やかだったらよかったのにと心残りはあったが、自然相手では仕方がないこと、12:10下山開始とした。 まだリュックの中は重いまま、折角熱いお湯を持ってきたのだからと八折岳でカップうどんを食べ熱いコーヒを飲み、帰還することにした。登路は一筋のトレースのみだったが、下山時はスキーの滑降跡や八折岳までツボ足登山者(複数)のものか足型が踏み抜かれ、荒れた雪道に変貌していて、スノーシュでは降り難く、楽しいものではなかったがこの時期にしては大満足の雪山山行だった。 14:25登山口に着いた。靴を脱ぎ痛む踵をみると大きな水ぶくれが出来、「よく頑張ったな」と久々の山登りに耐えた足にねぎらいの気持ちを感じずにはいられなかった。 後日知ったのだが、この日私達にとって大切な山仲間のU氏が逝去された。氏は高岡ハイキングクラブの牽引的存在でかつ重鎮だった。多くの山に同行させて頂き、思い出も一杯ある。氏とこんなに突然の別れがくるとは心が痛み、永遠の別れに悔しく寂しく悲しく辛くやるせない。貴方のやさしい思い遣り、ご指導、笑顔忘れません。ほんとうにありがとうございました。こころからご冥福をお祈りいたします。
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