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日本語教育における類義語について(2) ★0.はじめに 本稿では、日本語学習者が日本語を学ぶ上でその使い分けが難しいと思われる、「ところ」と「場所」、「思う」と「考える」、「知る」と「わかる」、そして「だけ」と「ぶん」の4つの類義表現のペアについて、それぞれの意味と用法を比較しながら、相違点、類似点などを中心に考察してみたい。 ★1.「ところ」と「場所」 日本語の母語話者にとって、いわゆる場所を表す日本語として真っ先に思い浮かぶ最も一般的な語としては、「ところ」と「場所」の2語があげられるであろう。そこでここでは、これら両語の意味・用法について、いくつかの観点から比較分析してみたい。 まず、「ところ」と「場所」の基本的な意味を『岩波国語辞典』で調べてみると、以下のように定義されている。 ところ[名] @物や事が在る(起こる、行われる)、ある広さをもった位置。本来は空間的。転じて時間的・抽象的な位置にも使う。 A(「A〜のB」の形で)AかBの連体修飾語であることを明示するのに使う。「その規定が及ぶ〜の対象」 B《接続詞的に》下に言い連ねるのに使う。「彼に話した〜喜んで引き受けた」 C《「どころか」「どころの」「どころで」の形で》「筆〜か鉛筆もない」「困る〜の騒ぎではない」(p.790) ばしょ[場所] @ところ。場。「〜をふさぐ」 A居るところ。場席。「〜を取っておく」 Bすもうを興行する所。(p.880) このようにみると、「ところ」の意味、用法は、単に場所を表すだけにとどまらず、その周辺的な領域にまで及んでいることがわかる(※注1)。それに対して、「場所」の方は、その意味・用法はかなり限定されているといえる。このように両語の用法の間に大きな違いがみられるのは、日本語母語話者であっても通常気がつかない点ではなかろうか? 次に、これらの定義をもとに、もう少し詳しく両語の意味用法を比較してみたい。まず、両者に共通な概念と思われる場所を表す用法についてみてみよう。例えば「場所」という語は、 (1)あすのパーティーの場所はどこですか? のように、問題なく物理的な場所を表すことができる。同様に「ところ」という語も、 (2)この町はいいところですね。 のように、問題なく物理的な場所を表すことができる。しかし、実際の日本語では、このような物理的な場所を表す場合の「ところ」と「場所」は、単純に置き換えがきかない場合が多いように思われる。例えば上の例文(1)(2)において、「場所」「ところ」の置き換えを試みてみると、(2)については、「ところ」の代わりに「場所」を用いて、 (3)この町はいい場所ですね。 と言うことも可能であるが、逆に(1)の「場所」の代わりに「ところ」を用いて、 (4)?あすのパーティーのところはどこですか? とすると、不自然な日本語となってしまう。同じように、 (5)あすの会議の場所を教えて下さい。 (6)この新興団地は、場所はいいが、買い物に不便だ。 のような「場所」の文を、「ところ」に変えると、 (7)?あすの会議のところを教えて下さい。 (8)?この新興団地は、ところはいいが、買い物に不便だ。 のように、不自然な文となる。しかし、次のように修飾語句をつけると「ところ」でも可能となる。 (9)あすパーティーがあるところはどこですか? (10)あす会議の開かれるところを教えて下さい。 (11)この新興団地は、いいところだが、買い物に不便だ。 このように、一見、同じように場所を表せそうにみえる「場所」と「ところ」であるが、両者はその置かれる環境が同一ではなく、特に「ところ」の方に、その語法上の制約が存在することがわかる。 次に、「場所」「ところ」における時間的な意味・用法についてみていきたい。まず「ところ」であるが、先の用法のまとめでみたように、 (12)弟はいま部屋で勉強しているところだ。 (13)いまちょうど帰ったところだ。 (14)これから出かけるところだ。 のように、時間をあらわす表現が非常に多様である(※「ところ」はこの他にも「(〜した)ところで」「(〜した)ところが」「(〜した)ところに」のように、格助詞と結合して別のはたらきをするものもあるが、本稿ではこれらは考察の対象としない)。これに対し、「場所」は、 (15)* 弟はいま部屋で勉強している場所だ。 (16)* いまちょうど帰った場所だ。 (17)* これから出かける場所だ。 のように、「ところ」に代わることはできず、その意味で、時間的な用法はきわめて疎であると推測される。またさらに、「ところ」には、時間の用法がさらに発展したものとして、次のように場面や状況を表す用法も存在する。 (18)せっかくお越しのところ、主人が不在で申し訳ありません。 (19)君、ちょうどいいところへ来たねえ! また、このほかにも、「ところ」には、次のような、当然の状況や限界点を表すと思われる用法がある。 (20)本来なら社長がごあいさつい伺うところですが、出張中につき、私が代わりに参りました。 (21)その投手は、7回まで投げたところで降板した。 一方、「場所」は、やはりこれらのいずれの場合も「ところ」にとって代わることはできない。以上の観察から、時間に関わる意味・用法の可能性については、「ところ」のみがその性質を有しているといえる。 以上、「ところ」と「場所」両語の意味・用法について、主に場所的、時間的概念について比較したが、最後に、日本語学習者にみられる誤用についてひとつだけ言及しておきたい。「ところ」と「場所」の使い分けに関して、日本語学習において次のような誤用がみられうことがある。 (22)A:きょうの夜、パーティーがありますね? B:はい。あのう、ところはどこですか? この場合、話者Bは「ところ」の代わりに「場所」を用いるべきであるが、日本語教育では「場所」よりも「ところ」の方が早く導入されるせいか、往々にして学習者は「ところ」で代用しがちである。因みに、日本語教科書における「ところ」と「場所」の扱われ方をみてみると、例えば、よく知られる初級日本語教科書のひとつである『日本語初歩』(国際交流基金)をみると、「ところ」の方は、 (23)東京ではしんじゅくがいちばんにぎやかなところです。(第10課) (24)ともだちの ところへ 行きます。(第11課) のように、比較的早い段階から提示されているのに対し、「場所」という語はそれ自体、提示されていないようである。また、同じく『みんなの日本語初級』においても、「ところ」の方は、 (25)A:先週 金閣寺へ 行きました。 B:そうですか。わたしも 来週 行きます。どんな所ですか。(第8課) (26)a. ちょうど今から 試合がはじまるところです。 b. 今 部屋を片づけているところです。 c. たった今 起きたところです。(いずれも第46課) のように比較的早い段階から複数の用法が提示されているのに対し、「場所」の方は、 (27)すみませんが、店の場所を教えていただけませんか。(第26課) のような提示があるのみである。ここで指摘したような日本語学習者の誤用の背景には、両語の扱いにおいて、このような違いがあるためと思われる。初級段階においては「ところ」の方が優先的に扱われるのは致し方ないにしても、「場所」という語も重要な基本語彙といえるので、初級段階を終えた学習者に対しては、これらの使い分けについて指導する必要があると思われる。 ★2.「だけ」と「ぶん」 次に、意味の似ている表現の2つ目のペアとして、「だけ」と「ぶん」について考えてみたい。尚、従来「だけ」といえば、 (1)a. サイフの中に500円だけある。 b. サイフの中に100円しかない。 のように、同じく限定的な意味を表す「しか」と比較されることが多かった。しかし、それと同時に、「だけ」は「ぶん」とも意味的に隣接しているように思われる。この章では以下、こうした前提に立って両語を比較していきたい。 まず両語の辞書的な意味を確認しておこう。『岩波国語辞典』には「だけ」と「ぶん」の意味は次のように記述されている。 だけ【丈】[副助] @程度・範囲の限界を示す。「できる〜努力する」 ▽名詞「たけ(丈)」の転。 A<「〜に」「〜ある」の形で>その事柄・身分に相応する意を表す。「苦労した〜に経験を積んでいる」 B<「〜に」の形で>……だから、なおさら。「予想しなかった〜に喜びも大きい」(p.670) ぶん【分】 @別々にして、くぎりをつける。また、くぎりがつく。「分割」「分裂」 Aある単位より更に細かく分けた値を表す時に添える語。「五分五分」 B全体から分けて考えられるもの。「ふえた分は貯金する」 C分けて割り振られたもの。「取り分」 Dそうある状態。「気分」 E何かに対して占める分量。「分が悪い」 Fその物事がそうある様子・程度。「この分ならもう心配はいらない」(p.979) このようにみると、「だけ」は範囲や限界を表し、「ぶん」は分けられたある単位を表すのが基本的な意味と思われ、一見、両語は無関係のようにみえる。しかし、実際の日本語文においては両者はほぼ置き換えが可能な場合もみられる。例えば、以下のような例である。 (1)a. 彼はスタートに出遅れただけ、後手に回ってしまった。 b. 彼はスタートに出遅れた分、後手に回ってしまった。 (2)a. 誰でも苦労しただけ、喜びも大きいものだ。 b. 誰でも苦労した分、喜びも大きいものだ。 これらは、若干のニュアンスの差が感じられるものの、両者ともに文法的に問題なく、意味的にもそれほどの違いは感じられない。これらの「だけ」「ぶん」に共通しているのは、どちらもあることの質的、量的な差異を表しているという点である。つまり、(1)では、スタートに出遅れることによって生じた時間的差異が、(2)では、苦労したという肉体的、精神的な苦痛の量的差異が、それぞれ表されているという点で「だけ」と「ぶん」は共通していると思われる。 さらに、「だけ」と「ぶん」が上のような差異を表す場合、両者とも「それだけ」「その分」のように指示詞と結合して接続詞的に機能する用法を持っている点でも共通している。例えば、先の(1)の文は、次のように言い換えることもできる。 (3)a. 彼はスタートに出遅れた。それだけ後手に回ってしまった。 b. 彼はスタートに出遅れた。その分後手に回ってしまった。 このようにみると、「だけ」と「ぶん」は、ある程度の意味的な共通性を持っているといってよいと思われる。 しかし、「だけ」と「ぶん」は、差異を表す場合であればお互いに常に言い換え可能かといえば、そうともいえない。まず第一に、「ぶん」は、次のように、ある名詞を受けて代名詞的にふるまうことができるが、このような場合には「だけ」に置き換えることはできない。 (4)a. このケーキはお兄さんの分だから、食べてはいけないよ。 b.*このケーキはお兄さんのだけだから、食べてはいけないよ。 (5)a. きのうお届けした分は、もうお支払いいただいております。(運送業者) b.*きのうお届けしただけは、もうお支払いいただいております。(運送業者) (6)a. これからご注文いただく分の配達は明日以降になります。(デパートで) b.*これからご注文いただくだけの配達は明日以降になります。(デパートで) もっとも、これは意味的な問題というより、「ぶん」は名詞として、「だけ」は副助詞としての機能するという品詞的な問題といえる。 第二に、それと関連する現象であるが、「だけ」と「ぶん」は結合して一語のようにふるまうことができるが、その順序は「ぶん+だけ」に限られ、その逆の「だけ+ぶん」となることはできない。 (7)a. 彼はスタートに出遅れた分だけ、後手に回ってしまった。 b.*彼はスタートに出遅れただけ分、後手に回ってしまった。 (8)a. 誰でも苦労した分だけ、喜びも大きいものだ。 b.*誰でも苦労しただけ分、喜びも大きいものだ。 尚、これら(7)(8)の例からわかることは、「分だけ」という表現においては、「だけ」は「ぶん」の付属して機能しているという点である。 次にこれとは逆に、「だけ」のみ可能で、「ぶん」では言い換えられない場合もみられる。 (9)a. 働いた時間だけ、報酬をもらう。 b.*働いた時間ぶん、報酬をもらう。 (10)a. b. 以上、ここでは、「だけ」と「ぶん」は一見疎遠にみえるが、実は「ある出来事から生じる差異を表す」という意味的な共通性を持っていること。またそれらの置き換えについて、可能な場合とそうではない場合について概観した。最後に、これら「だけ」と「ぶん」に関する日本語教育での扱いについてひとつだけふれておきたい。いくつかの日本語教材などをみると、「だけ」は必修の学習項目として認識されていると思われるのに対し、「ぶん」は日本語教育の場ではあまりふれられていないように思われる。例えば、中上級レベルの日本語教科書や参考書をみても、「だけ」は扱われているが「ぶん」は扱っていないものがほとんどである(※注2)。しかし、「だけ」と「ぶん」は、「身の丈にあった」あるいは「分相応」といった表現にもみられるように、日本人の生活観を表すひとつのキーワードとしても機能していると思われる。したがって、日本語教育の場においても、「だけ」と同様、「ぶん」の意味と用法についても、もっと積極的に扱われてもよいものと考える。 ★3.「思う」と「考える」 日本語教育の初級教科書では「思う」は「〜と思う」という文型で「推量」または「感想・意見」の意味であり、「考える」は新出語として提出されていることが多い。たとえば「思う」は、 ()あした雨が降ると思います。(推量) ()日本は物価が高いと思います。(感想・意見) 一方、「考える」は、 ()考えても、わかりません。 ()いくら考えても、思い出すことができません。 のような文である。 両語の意味を調べてみると『明鏡国語辞典(第三版)』では、 ・「思う」:物事について、何らかの感覚・感情をもつ。感じる。 :物事について、ある判断(特に直感的な判断)を下す。また、判断を意見として示すのに使う。考える。 :物事について、疑問、推測、回顧、希望、決意などの気持ちをもつ。(p.241) ・「考える」:ある物事や事柄について、あれこれと頭を働かせる。思考する。特に、筋道を立てて問題や疑問を解決しようとする。 :そのことを心に置いて、あれこれと思考や想像をめぐらす。 :新しい方法や技術などを工夫して生み出す。考案する。(p.355) と記述されている。この記述から、両語がほとんど同じ意味で使え、相互に置き換え可能であることがわかる。しかし、これらの辞書的な意味だけでは、日本語学習者が両語の違いを理解するのは難しい。そこで、ここでは「思う」と「考える」の使い分けについて、簡単に整理してみたい。 まず、語義的にみると、先の辞書の記述にあるとおり、この両語は「物事を理解したり、感受したりするために、心や頭を働かせる」という意味といってよかろう。次のように、両語は相互に置き換え可能である。 ()a.子供の将来を思う。 b.子供の将来を考える。 ()a.試験のことを思うと、夜も眠れない。 b.試験のことを考えると、夜も眠れない。 しかし、これらの文を比べると、意味的には違いはないものの、若干のニュアンスの違いが感じられる。簡単に言えば、「思う」の方は、主観的かつ感情的に心を働かせているのに対し、「考える」の方は、筋道を立てて、客観的に判断して頭を働かせていると言えるだろう。 次に、両語を置き換えると不自然な感じになる場合として、 ()a.日本料理はおいしいと思う。 b.?日本料理はおいしいと考える。 ()a.彼女はきっと来ないと思う。 b.?彼女はきっと来ないと考える。 のように、日常的な会話の中で推量や意見の意味として使われる場合は、「〜と考える」を使うと不自然さが感じられる。しかし、論文などでは「〜と思う」より「〜と考える」の方が適切だと言えるだろう。また「回顧」や「希望」、「決意」などの意味として使われる場合も、「考える」に置き換えると不自然さが感じられる。たとえば、 ()a.今にして思うと、父の考えは正しかった。 b.*今にして考えると、父の考えは正しかった。 ()a.あなたの意見を聞きたいと思って、参りました。 b*.あなたの意見を聞きたいと考えて、参りました。 ()a.イギリスに留学しようと思う。 b.*イギリスに留学しようと考える。 のように、「思う」には「考える」に無い感情あるいは意思を中心とする心の働きがあり、瞬間的に直感を働かせる点が特徴的であると言えるだろう。次に「思う」に置き換えができない場合として、 ()a.*結婚はよく思ってしたほうがいい。 b.結婚はよく考えてしたほうがいい。 ()a.*次の総選挙に勝つために、様々な手段を思う。 b.次の総選挙に勝つために、様々な手段を考える。 ()a.*A社は、新しいコンピューターシステムを思い、業績が上がった。 b.A社は、新しいコンピューターシステムを考え、業績が上がった。 のように、物事の疑問や解決すべきことを、長期にわたり頭の中で思い描きながら論理的に分析したり、あるいは新しい方法や技術を考えた結果、作り出すという点が特徴的であると言えるだろう。まとめてみると、「思う」は心の中で瞬間的に直感を働かせる感情的なものであり、「考える」は頭の中で長期的に筋道を立て理論的な思考を働かせる理性的なものであると考えられる。 ★4.「知る」と「わかる」 「知る」と「わかる」は、日本語学習者にとって、両語の用法と個々の語の使い分けが難しいようだ。両語の辞書的意味を『新明解国語辞典』(第三版)』でみてみると、 ・「知る」@ なんらかの情報や直接の体験のよって、その物事の意味内容・性質および適用範囲・是非善悪などを把握する。 A ・・・であると・気がつく(認める)。 【知っている】@ 感じた・(経験した)ことを記憶にとどめている。 A 何かについて情報を得ている。(p.574) ・「わかる」@ 知りたい・(はっきりさせたい)と思っていた事柄について、正しい情報が得られる。 A 頭で考えたり、自分で経験したりして、正しい判断・理解が得られる。 B 相手の立場・事柄をよく心得、やぼな事を言ったりしないようにする。(p.1249) と記述されており、一般に両語の使い分けについては「知る」は、現在の状況を表すために「知っている」という形で、実際に経験したり、知識や情報を得たりした結果、それらの事柄を記憶していること、「わかる」は、はっきりしなかった事柄や内容などが明らかになること、という意味で使い分けがされていると考えられる。たとえば、 ()a.きのう、地震があったのを知っていますか? b.*きのう、地震があったのがわかりますか? ()a. ()b.* のように、「知っている」のみが可能である。一方、「わかる」は、 ()a.*佐藤さんの言い分は、すべて知っている。 ()b.彼の言い分は、すべてわかる。 ()a.*聞き込みの結果、真犯人を知った。 ()b.聞き込みの結果、真犯人がわかった。 のように、「わかる」のみが可能である。しかし、次のような場合は両語とも置き換えても不自然さはないが、意味的な違いが若干感じられる。たとえば、 ()a. ()b. ()a.わたしはクラシック音楽を知らない。 ()b.わたしはクラシック音楽がわからない。 のように、()a.では()b.ではのような意味になり、また、()a.ではクラシック音楽を聞いたことがなく、クラシック音楽についての知識もまったくない、()b.ではクラシック音楽を聞いたり、その知識があったりしても、十分に理解するには至っていないという意味の違いが感じられる。 また「わかる」を「ている」の形で使用する場合として、たとえば ()いちいち言われなくても、そんなことわかっているよ。 ()君がしたことがどんなことなのかがわかっているのか。 ()のように、十分わかりきったことなので、今さら言われる必要はない、()のように相手を詰問しているようなニュアンスを帯びてくるので、日本語学習者に指導する際は用法上の違いを十分に理解させなければならないだろう。 次に日本語学習者における両語の誤用を見ていきたい。まず、「知る」は、 ()市役所の電話番号を知りますか? ()A:●●を知っていますか? B:はい、知ります。 のような誤用がみられる。()は「知っていますか?」が、()は「はい、知っています」が正しい用法だといえる。これは、「飲む」や「見る」という動作を表す動詞とは違い、「知る」という動詞は「ている」の形で状態を表す動詞であり、これらの誤用がみられる原因として、一般的に日本語教育機関では、初期段階の動詞の練習方法として次のような練習方法を取り入れているからだと考えられる。たとえば、 ()A:お酒を飲みますか? B:はい、飲みます。 ()A:あした、映画を見ますか? B:いいえ、見ません。 また、()のような問いにつられてしまい、 ()A:●●を知っていますか? B:いいえ、知っていません。 のような練習をしてきた学習者は既習の動詞の答え方と混同してしまうのだろう。このような誤用を防ぐためには、「知る」という動詞は、特別な動詞であるということを学習者に意識させ、日頃の教室活動において反復練習が効果的だと考えられる。 次に両語の使い分けであるが、特に否定の形である「知りません」注と「わかりません」の使い分けが問題になってくる。 たとえば、 ()A:今週の土曜日、何をしますか? B:*知りません。 ()A:今夜は遅くなる? B:*知らないよ。 のように、自分自身について聞かれていることに対して、「知りません」と答える場合がある。自分自身についての情報などを得ていないというのは、あまりにも不自然であると考えられるので、この場合は、先の辞書の定義にあるとおり「(まだ)わかりません」と答えるのが正しいであろう。ただし、「知りません」と「わかりません」の置き換えが可能な場合もある。たとえば、 ()A:田中さんはどんな仕事をしているんですか? B:知りません。/ わかりません。 ()A:まゆみは今夜遅くなるって言ってた? B:知らないよ。/ わからないよ。 のように、第3者のことについて聞かれている場合である。これは自分以外のことについて情報を得ていないのは十分に考えられることなので両語の置き換えが可能であると考えられる。またこのことから「知りません」より「わかりません」のほうが、広範囲に使用が可能だと思われる。しかし、「知らない」という語には、相手に対して冷たい印象や突き放したような印象を与えてしまうニュアンスが感じられないだろうか。そして先の例文()のような文法上の練習だけでは、実際の日本社会では誤解を生じることも考えられる。たとえば、 ()A:400番教室は何号館か知っていますか? B:はい、知っています。 のように会話が即終了することはなく、知っている場合には「はい、4号館です。」や、知らない場合は「すみませんが」というような円滑なコミュニケーション能力の運用もできるように指導しなければならないであろう。 (とりあえず今夜はここまでです)
★注 1.「ところ」の意味用法についていくつかの国語辞典をみてみると、特に最近の辞書(例えば『明鏡国語辞典』)においては、その説明が詳細になされており、日本語学習者への配慮がみられる。 2.例えば『日本語教育事典』や多くの日本語能力試験1、2級用の提示項目などをみてもこうした傾向が伺える。ただし『日本語基本文法辞典』のように、「ぶん」を文法項目として扱っている文献もわずかながら在る。 ★参考文献 『明鏡国語辞典』北原保雄編、2003、大修館書店 『岩波国語辞典第三版』西尾実他編、1984、岩波書店 『日本語教育事典』日本語教育学会編、大修館書店、1982 『日本語基本文法辞典』牧野成一他、1989、ジャパンタイムズ 『日本語文法辞典[中級編]』牧野成一他、1995、ジャパンタイムズ 『日本語教育辞典』日本語教育学会編、大修館書店、1997 森田良行『基礎日本語辞典』角川書店、1985 ★メモ ●ところ【所(処)】(明鏡国語辞典、p.1175-1176) 一.[名] @《連体修飾句を受けて》 物が置かれたり事が行われたりする、具体的な場所。「ピアノを置く〜」 A《「…の〜」の形で》 ア.《基準となる人を受けて》 その人が住んだり所属したりしている場所。「伯父の〜に下宿する」 イ.《基準となる人を受けて》 その物のすぐ近く。…のそば。「電柱の〜に犬がいる」 ウ.物の部分を場所としていう。…の箇所。「肩のすぐ下の〜が痛い」 B《「…の〜」の形で、体言を修飾して》 (※文語なので省略:谷口) C《多く、固定的な言い回しで》ある<抽象的な>場所。特に、それぞれにふさわしい場所。また、物語の舞台となる場所。「天候は〜によって異なる」「〜狭しと暴れる」 D《連体修飾句を受け、抽象的な事柄に使って》問題となるその部分や側面。点。「そこが彼の偉い〜だ」 E《連体修飾句を受け、時間的位置を規定する》そのような場面・状況・事態・場合などの意。「家を出る〜を見た」「ちょうどいい〜に来た」 ア.《「今[今日]の〜」「この〜」などの形で》今の時点を中心とした一定の時間。「今日の〜はこれで終わりだ」 イ.《「早い〜」の形で、副詞的に》早いうちに。早いとこ。「用事は早い〜済ませてしまおう」 ウ.《…(ようと)する〜だ》「…ている〜だ」「…(てしまっ)た〜だ」などの形で、現在または現在に近い過去を表す語を伴って》動作が、直前・最中・直後にある意を表す。「今手紙を書いている〜だ」 F《数量・程度・範囲などを表す連体修飾句を受けて》おおよその程度や漠然とした範囲を表す。「大体の〜はわかった」 G《連体修飾句を受けて》 ア.その語句の表す事柄の内容の意。「それこそ私の望む〜だ」「聞く〜によるとこうだ」 イ.《「AのBする〜となる」の形で》(※省略) ウ.《「…〜の」の形で、下の体言に続けて》上の語句が連体修飾語であることを明示する。「彼らが信ずる〜の神」 H《「…〜から」の形で、活用語の連体形を受けて》物事の原因や契機、出自や来歴などの事情を表す。…ことから。「病気がちな〜から欠席が多い」 I《「…〜」の形で、完了の助動詞「た」を受けて》次に続く事柄のきっかけを表す。「お願いした〜が、断られた」 二.(造) @《「どころ」の形で》 ア.それにふさわしい場所やもの。「身の置き〜もない」「見〜がある」 イ.それを行う場所やもの。「打ち〜が悪い」「とらえ〜がない」 ウ.それがとれる場所。「米〜・茶〜」 エ.それを供える場所。「お食事〜・そば〜」 A場所を数える語。「ひと〜」 B[古風な言い方で]貴人を数える語(※省略) ●ばしょ【場所】[名](明鏡国語辞典、p.1323) @何かが行われたり存在したりする所。「約束の〜に集合する」 A人がいる所。「〜が悪くて舞台が見にくい」 B大相撲の興行をする所。また、その興行の期間。「本〜・初〜」 ●だけ【丈】[副助](岩波国語辞典、p.670) @程度・範囲の限界を示す。「できる〜努力する」 ▽名詞「たけ(丈)」の転。 A<「〜に」「〜ある」の形で>その事柄・身分に相応する意を表す。「苦労した〜に経験を積んでいる」 B<「〜に」の形で>……だから、なおさら。「予想しなかった〜に喜びも大きい」 ●ぶん【分】(岩波国語辞典、p.979) @別々にして、くぎりをつける。また、くぎりがつく。「分割」「分裂」 Aある単位より更に細かく分けた値を表す時に添える語。「五分五分」 B全体から分けて考えられるもの。「ふえた分は貯金する」 C分けて割り振られたもの。「取り分」 Dそうある状態。「気分」 E何かに対して占める分量。「分が悪い」 Fその物事がそうある様子・程度。「この分ならもう心配はいらない」 ●「ところ」の扱い(日本語初歩) 「ジョンさん、どこへ行きますか。」 「ともだちの ところへ 行きます」(p.84、第11課) (「場所」はなし?) ●ところ(接続助詞)(日本語教育事典、p.403) 前に述べてある事柄を、後で述べる事柄と、きっかけや前置きや時間的先後といった関係でつなぐ。「ちょっと見たところ、よさそうにみえた」「ひどく苦しんでいたところ、彼が助けてくれた」などがこれである。 ●だけ(副助詞)(日本語教育事典、p.408) (1)ある事物を限定的に取り立てる。これには程度や範囲や数量などの限定がある。また、それに限定することによって、それを最低線として示す。「1,000円だけある」「これだけがぼくの取り分です」 (2)「勉強すればするだけ成績が上がる」「練習しただけうまくなった」 (3)順当ならばそれに応じて起こると予想される事象と反対の事象が生じる場合のきっかけとなる事柄を限定的に示す。「いつもは体が丈夫なだけ、一度病気になったら危険だ」
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