許されたピンク街の物語

 July 14〜15, 2002

今年もとうとう7月の風物詩の時期がやってきた。1500キロも向こうから友人が遊びに来てくれるのだ。そうして新千歳空港に、全身老朽化のハナと全身膀胱化したミミが到着し、それを歯っかけが出迎えた。飛行機から降りてきた二人は、満面の笑みに包まれている。どうやら、元気なようだ。

歯っかけとはにわか北海道住民の私のことである。その前日、あんまりにも浮かれていた私を神様がみて、沈着させるために前歯を折りやがったのである。どんより沈んだ私は大ちゃんに「どうしよう、こんな歯っかけの姿を見たら、みんな笑うかな?」と歯っかけのまま真剣に相談すると、「大丈夫だよ、みんな気にしないよ。わかんない、わかんない」と苦笑しながら元気付けてくれた。

わかんないどころか私はさっそくこの件に関して二人に報告した。結局自分で打ち明けた。案の定二人は大笑いしてくれた。そんでそれと一緒に笑うと歯っかけが顔をだすので、それを隠すのと笑うのとで忙しい旅の始まりになった。

全身病んでいる二人を連れ、まずはハナのリクエストの湖を見るために支笏湖に車を走らせた。外はあいにくの雨日和となり、ダケカンバという木々で緑々しいはずのドライブルートは灰色に染まっていた。ようやく支笏湖周辺につくと今度はどこで車を止めるべきか偽者札幌住民の私は分からなくなり、一つ目のポイントも二つ目のポイントも「ここじゃないよ!ここじゃないよ!」と駐車せずに走り抜けた。気づいたら湖は遠ざかり、あんなに楽しみにしていたハナはそんな偽者札幌住民のため、湖を車窓見学で終わらせるハメになっていた。

「もう・・いいよ・・・」ちょっぴり力をなくしかけているハナに申し訳なくなり、オコタンペ湖というふざけた名前の湖に行こうということになった。そこは三大秘湖といわれ、どうやら湖の色が天気や気温などの要素によって変化するという誠に賢い湖ということだった。山道を抜けオコタンペ湖展望台というところに到着したが、どうみても湖の色は、雨模様という要素により灰色や黒やどよめ色?という救いようのない色をしていた。ということで通過となった透明度の高い支笏湖と、どうみても三大秘湖である威厳の無いオコタンペ湖。この二つをもって北海道の湖めぐりは終わった。

「腹減った」と1500キロ向こうからやってきた二人は、あまりにも湖見学が安易に省略されたため、空腹を訴え始めた。うん、言われてみれば私もお腹がすいていた。本来なら、支笏湖観光センターなどで弁当を買って、散歩しながら昼食のはずだったのだが、みるみる行程は変更となり、気がつけば店っ子一つ存在しないマイナーなオコタンペ湖にいるではないか。何かを買うこともできなければ、ミミの大事なトイレも無い。私たちは前進することに決め、そこから町まで1時間ほど車を走らせ降りていった。

さて、見つけたのは「さんぱち」というラーメン屋だ。ミミは店内に入るやいなやトイレに直行したが、誰かが使用していたので、戻ってきた。お店の人に「トイレあきましたよ」と助言されるまでとても寂しそうにしていたのには笑えた。私とミミは味噌ラーメンを、ハナは塩ラーメンとライスを注文した。あんた、そんなに食べるのかい?と私とミミで心配したが、大食いというわけではなく、ハナにとってラーメンはおかずなのでライスは必要なんだと主張した。つまり、大阪の人がお好み焼きをおかずにしてご飯を食べるように、ハナにとってはラーメンをつまみながら白米を頂くのだと言う。どこでそのような贅沢な食べ方を覚えたのだろう。そしてその細い身体のどこにラーメンとライスが入るというのだ。そんな心配をよそにハナはパクパクパクパクたいらげた。さすが一人でラーメン屋に行くというのも納得だ。帰り際、無料でアイスを貰えるというおまけがついてきた。私たちは早速そのアイスをほうばり、あれ?アイス美味いねとラーメンの味をうっかり忘れそうになった。

続いて訪れたのは札幌ドームだ。独身貴族のハナとミミはベッカムがお好きなようで、あわよくばベッカムの痕跡が残っていないものかと浮かれていた。いやいやベッカムは遠くイギリスにお帰り遊ばしましたなど丁寧に教えてあげたところで聞く耳など持っていないようだった。結局そのドームもベッカムがプレイしたサッカーグラウンド側じゃなくて野球側だということに彼女らは気づいていたのだろうか・・。もしもスポーツマンの痕跡があったとしてもそれはつい先日来ていたゴジラ松井のだよと教えてあげたい。

500円という見学料をけちった私たちは、展望台に登ることなくドームを後にした。目指したのは「大志を抱け」で有名なクラーク像が建つ、羊が丘展望台だ。“クラーク博士”と“好きですSAPPORO”のモニュメント前でお約束どおり、写真を撮った後、周囲を見て回った。そこに羊の小屋があり、私たちは覗くことになった。家畜独特の異様な臭いとともにその小屋には雨で押し込められた羊たちが熱心にもごもごと口を動かしていた。その光景にはまったハナはケラケラと大うけし、何で大うけされているのか等どうでもいいように羊たちは更に激しく口を動かした。その中の一頭はロナウドのようなチョコッと前髪のヘアスタイルをしていた。田中邦衛にも似ていた。

一度長島家に荷物を置いてから、今回の旅行の題名にもなった「許されたピンク街、ススキノ」へ向かった。ススキノ・・・この言葉には魔物が住み着いているのか、私たちはススキノに降り立ったとたん色めきだった。色めき立ったはいいが、目標にしていた店が休みという仕打ちに襲われ、散々歩くハメになってしまった。それもこれもにわか札幌住民の私が深く調べておかなかったからであろう。全身老朽化したハナはもう疲れた・・・という感じで背中が丸みはじめた。丸み始めたら最後、もうどこでもいいよという風が吹き抜けているのが見受けられた。いや、それでは面目が立たないと私はそんなヨボヨボのハナを連れまわし、ようやく『海へ』という居酒屋に到着した。

『海へ』でどのくらいの時間を使ったのだろう。私はそれまでにためていた愚痴を話し、ミミは人がいいから損をしているんだ!とハナと私に見当違いに怒られ、ハナは勝浦朝市へ行くなどお父さんと仲が良さそうだった。ほんのたわいも無い、人から見たらくだらないかもしれない話題で永遠と盛り上がった。私たちには何に対しても「くだらないわけ無いじゃん!」という気持ちがある。だからぶたのしっぽなどで白熱できるのである。そうしてくだらなそうな事に力を注ぐことが一番楽しいと私たちは知っている。だから、愉快なのだ。

カラオケで覚えているのはミミの「超超超良い感じ!」とハナの「桜ドロップス」2回と長島家始めての共同作業として「くず」をハモれたことだ。ハモったのは大ちゃんジャン!という声が今にも聞こえてきそうなほど、私は我が道を行かせていただいたが、ススキノの宴はこうして過ぎていった。結局何処に行っても変わらない時を過ごさせてしまいごめんなさい。反省はしていません。ぶひ。

次の日、そうして帰る日(はやいんじゃい!)になり、早速卸売市場に向かった。ミミはお母さんに「ウニ、ホタテ、シャケ、カニ(少々)」とツボを抑えたお土産リクエストのメモを渡されていた。(むむ!やるなおぬし!)と私がそのミミ母のユーモアに感心していると、横でハナが父たけしに電話をしていた。一見、料理屋の娘が遠く北海道まで買い付けに来て様子を報告しているような神々しい図として私には映った。しかし無念にも父たけしは電話に出ることは無くタイムリミットのためハナはタラバと毛がにを購入していた。後にハナはこのことをネタに親に「ほら親孝行でしょ?あぁん??」と不良みたいに言い放つことになろうとは私には気づく由もなかった。ミミはミミで忠実に母のメモと寸法違わずウニ、シャケ、カニを購入していた。多分二人とも美人OLの旅?とかなんとか言われて浮き足立っていたに違いない。

市場でたくさんの海産物を見せ付けられた私たちはもっぱら昼食の回転寿司に期待を寄せていた。ミミはこれ以上飲んだらトイレに行きたくなるからという思いは浮かばないくせに、これ以上食べたら寿司が入らないから食べない!と珍しく試食を断ったりしてまでの待ちに待った昼食だ。北海道の回転寿司というだけで心躍るではないか!私も旭川時分、その回転寿司に3時間もかけてきたことがあるという程の名店なのだ。しかし名前は「トリトン」。「トリトン」って。まぁ、名前などはどうでもよい。目の前に出されるのは輝くウニ、てんこ盛りの上ネギトロ、ピカピカの本マグロ、プリプリのえび、はじけるイクラ・・・・・多分ね、手前味噌ではないけどさ、北海道の寿司って旨い・・・って思ってくれたでしょ?いいでしょ?ハナは苦手なウニをちょっぴり克服できたし、ミミはサーモンを手元においておくだけで満足できるという安い?自分にもめぐり合えたわけだし、私は達成感いっぱいだったし、良い時間を過ごせたんじゃないかと思うけどいかに。

車は名ナビのハナと、珍タイムキーパーのミミがいつものイキイキのように定位置にいた。ふと私は、私がメインドライバーに?という不安を持っていた。そう、本来ならトミさんがメインドライバーとして鎮座まし、私は運転手席側の後ろに陣取って、役目が無い時は同じく後部座席に陣取るミミと終始くだらなくじゃれあっていたことを思い出した。ミミは察して「めんめんも成長したね」と言ってくれた。そうだ、北海道では私がハンドルを握ることが多かった。私は北海道人なのだ。いつのまにか人を乗せることに怖がりがなくなった。これは言葉を借りれば成長しているのであろう。いいことかもしれない。

続いては夕張に舵をとった。「夕張」この響きは一様にメロンを連想させ私達の単純な脳みそは甘い香りを漂わせていた。手付かずの自然の中を走り、私たちは「黄色いハンカチ」のロケ地に足を運んだ。「え?男の方がハンカチを出してたんでしょ?」「違うよ、プロポーズの返事がOKならハンカチでしょ?」と各自違ったストーリーを描いていたことを知った矢先、クライマックスシーンがテレビから流れ始めた。主人公の男は八つ当たり(つまりその意志も無く)で人殺しをしてしまい、牢獄に6年入っていて、もしも待っていてくれるなら黄色いハンカチを家の前に出しておいて欲しいという高倉健のはてしなくワガママな約束を確認するシーンだった。相手の倍賞千恵子はそんなに黄色いハンカチなんであるんだよ?というくらいの量を庭先にくくりつけ高倉健の帰りを待っちゃったとかいうラストシーンなのだが、あははは。と私とミミが冷笑しているとハナが横で号泣していた。しかも健気に涙を見せないようにしているではないか!これはハナが若いからか?いや老朽化したからか?ハナをみながら考えたものである。きっと・・・・老朽・・・?!
 さて私たちは恒例の切手を買い終えると、メロン城に向かった。城というだけのものがあるかと思いきや、もう動作していないメロンリキュールの工場のことだった。城・・という表現。今回私たちは色々とあるんだなあと勉強することが出来た。そこはまさしく富山県の大観峰だったし、一瞬霧降高原ジャンといわれればその様にもみえた。北海道なのに・・・。夕張はメロンの売り上げに甘んじて、町の発展にはどうでもいいような体が感じられた。一角にはレトロな映画の看板が飾ってあった。もしもあそこでハナが「夕張は映画祭をやり・・・」などというくんだりを観光本から読んでくれなかったら、私たちは確かに間違った思い出を夕張に持っていたかもしれないというほど、異色な光景のある町だった。

夕張を後にして高速道路にのった。途中ハナも運転を変わってくれながら千歳へ向かった。目的は「ノーザンホースパーク」なのに私は「千歳ノーザンホーク」を必死で探していた。ここら辺の微妙な間違えがにわかっぽくてかわいい。ということでNTTの人に指摘されつつも、ようやくノーザンホースパークに到着した。そこで乗馬を体験するという素敵な予定だったのに、おばさん3人組はのったりと歩く馬に愛想をとっとと尽かして電動自転車なるものを借りることにした。この電動自転車はちょっと蹴ることにより、自動的にエンジンが回り、後は足で止めるまで永遠と走り続けるというありがたい乗り物だった。老朽化したハナはこの乗り物が気にいったのか、終始軽快に走っていた。そう、軽快に走るハナ、後に続くメン・ミミといった構図だ。レンタル時間のおおよそ8割はこの体系で公園内を意図も無く走り続けたと言えよう。必死にハナについて行きながら「つ、つぎ右!ひ、ひだり!」と言った声を上げたのを今ではほのぼのした思い出として語れるが、ハナの意外な一面を見たようでおかしかったし、そんな軽快なハナコは根がまじめであるがゆえにそんなに早く走りぬけていても足をしっかり揃えるという乗り方の基本は崩していなかったことには笑えた。

必死についていく最中、私は妙にこみ上げてくるものがあった。これは送り出す側と、見送られる側の差だと思うのだが、こんな風に普通に北海道を遊んでいるのに、後数分で一人になってしまうことを思った。そうしてこんな風にケタケタと笑いながらこの自転車には二度と乗らないかもとも思った。そうだ、こんな風にくだらなそうな事をやってくれる友達がいてくれてよかった。と思った。思ったときにはハナははるか彼方に進んでいて、そんなセンチな気分に浸る間もなく、力の限りついていくことに全力を注いだのを覚えている。ミミは「こんな乗り物ほしいねえ」とおばあちゃんの様に発言していた。

空港はすぐ近くにあった。私たちは少し早めに空港に行くことになり、そこでお土産を選ぶ時間をとった。私もそんな風に北海道のお土産を買いたいなと思った。でも違うのだ。キュンとした。今まで北海道に来ると意気込んできたことがなかったからだろうか・・ふと寂しくなった。でもきっと二人ともそうだと思った。北海道には本当にメンに逢いに来てくれただけだという気持ちが痛いほど良く分かった。飛行機という文明に感謝するとともに、良い友人を持ったと思った。

もう一人、参加できなかったトミを思った。トミは母となり、いまや一番苦労しているトミを思った。トミは言う、苦しくないよ。と。良い感じの母親になっているではないか。私たちは3人でトミさんにハガキを書いた。そのハガキは確かにセンスが悪いと自分でも思った。から何も言うてくれるな。

飛行機は無情にも定刻に乗客を呼び始めた。ギリギリまでハナとミミを見送った。一瞬、昔体験していた遠距離恋愛の様子が思い出された。ここでさよならしたら、また会えないのだ、しばらく合わないまま時間を過ごさなきゃいけないのだ、今まであんなに楽しい時間を過ごしていたのに、私はゲートの中に入れない、二人は飛行機に乗っていってしまう・・・。そんな思いが駆け巡った。

私は二人を見送ると、搭乗口に背を向けて足早にそこから去った。本当に足早だった。後でトイレいっときゃ良かったよと思うほど、空港を足早に去った。札幌につくまでに私は皆で聞いたCDをかけながら熱唱した。きっとこれから面白いことがあるに違いない!そんな力をもらった2日間でもあった。

帰ると次々に無事帰国の報告で電話がなった。最後までミミのトイレ病に悩まされた感じで終わっていった。はあ、相変わらずだな、ここの友情には時間の経過は関係ないんだなと安心した。きっと80歳くらいまで旅にでかけているかも知れないなとうっすら笑った。

そして私は次の日、その思い出と引き換えに歯医者にいった。前歯は仮歯という感じで今は丁寧にはめられている。そうして歯医者に行った事で今日の勢力を奪われ、殺されるかもしれないが会社を休んだ。あはは。そうしてこのような長い日記を3時間もかけて書いてしまった。

ありがとう。皆。また待っているよ。そうして早く4人がそろうことを祈りながら、私は今日もアルコールにおぼれるのでした・・・。SEE YOU AGEIN