Notice!05

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撮影:長谷川朋之 提供:ナイフマガジン

 立場の違いによる一考察
いかにも、卒論のテーマみたいですが、売る・買う・作る・書くと色々なルートがありそうです。コレクターや小売店のなかには幾重も兼務している方もいらっしゃいます。書く側で、肥後の守をずばりと「使い捨ての美学」と表現していたのを見て驚きました。今までの捉え方の中で、一番的を射ていると個人的に共感しました。
 立地条件から、随分とマスコミの方々を接する機会があります。取材放映の大半がヤラセにのるかですが、肥後の守は一番刃物に関して取り組みやすい書きやすい案件なのでしょう。親しみやすい手近の刃物なのです。昔話から
入り込み、語源を調べ、実体験を述べ、最近の子供は鉛筆を・・・と論説し、ノスタルジックに締める。
これがパターンとの事です。あとは、任されたページ数で文献を拾う作業だそうです。
 愚息は「昔の子供は鉛筆を削れたがパソコンでは遊べなかった」とは時代の流れでしょう。
又は、なぜ肥後の守から替え刃のカッターに、そしてアーミーナイフが店頭に並んでいるかは、述べられません。
書く側と売る側・買う側との違いです。適者生存買う側の立場でいうと、それに尽きます。よく切れて、安くて
センスがあり、選べます。このようにして、消えつつある刃物に、ノコギリもあげられます。
 例えばスイスアーミイナイフのコストパフォーマンスはそれこそ秀逸です。あれに、好みの刃付けさえすれば
残念ながら他に実用という面でお薦めの商品は思い浮かべられません。売る側において、訴求できる面があれば
肥後の守もまだまだと思い、研ぎなおし工程、いわゆる本刃付けをして西勘本店特製として、幾分の支持を得ました。
それでも、何か満たされない部分をもっていた矢先に、「使い捨ての美学」と表現していました。その表現が全てです。
 今までのわだかまりもスッと消えました。
とある常連さんにいわせると、「立ち食いスタンドで一万円出して、デイナーを食べるか」と表現していました。そこまでは良かったのですが、褒めましたら、「日本人は・・・の神様という、表現をよくするんだよね。ベンチャーズって知っているかあれも、エレキの神様って呼ばれて、いまだに日本公演して、稼いでいるらしいよ」とたたみかけてきました。
団塊の世代ならではの表現です。
 書く側で「使い捨ての美学」と表現していたのは、あのナイフマガジンでした。お見事です個人的に一番受けたフレーズです。

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