http://www.geocities.co.jp/Outdoors-Mountain/8839/
そんなこんなで2回目の大学4年生。
知識としてやロジックとしてある種の思考回路(思考方式・パターン)を理解していたとしても、実際にそれを実行するかや、実行できるかは、論理ではないと思います。明らかに誤りと知りながら、人は過ちを繰り返すことがあります。そういう意味では、大脳よりも優先するなにかがあるのでしょうか。何によって人間の性質は決まるのでしょうか。
これから梅雨本番。けど、合間の晴れの日を楽しむことにしましょう。
今は弱い周期です。
こんなことでまともな医者になれるのだろうか?なんて思うね、マジで。
普段はそんなこと考えないから平気なんでしょう。BJによろしくで、癌は自分の死を整理することができるという点では、それほど悲惨な病気ではないというような台詞がありました。
でも、やっぱり死ぬんだから悲惨だよね。なんていうのは、自分の死を捉えようとしない健康な若者だから言えるんでしょう。やっぱり、人はいつかは必ず死ぬんですな。
真面目にやるにしろ、スロットするにしろ、後悔のないようにやるのが一番ですわ。
しかし、それが月から金まで続くと、スロットに行くくらいなら寝たいと思ってしまいます。
しかし、先週は相棒に唆されて(メールをもらって)、ラオウを倒しにいってしまいました。もちろん負けました。
でも、たぶんこの生活が続く限りスロットに行く頻度は減りそうです。問題は夏休みだな。
精神依存です。打たないとそわそわしてきますし。泣 ある意味病気です。
勝てばまた勝ちたくなるし、負ければ負けを取り返したくなるし。結局打ってしまいます。
でも、授業が始まってからそれをすると、致命傷になりかねません。だから、健全な精神を保つ、否、取り返すためにも財布には2千円と小銭。そしてキャッシュカードは家に置いていくつもりです。
ちなみに春休みの収支はおそらく黒字でしょう。いくら儲かったかはわかりません。最初の方計算してなかったので。
スロ狂いの日記のため削除。
04年3月13日 前の日記からひと月が経っています。その間は先祖がえりしたように、パチスロ依存症に罹患していました。今も克服していません。
人間とは変わらないものなのだ、と半ば諦め気味に自分自身を認識しました。
本当に中毒です。いくらお金を失うことになろうとも、短期的に儲かっても結局なくしてしまうことは知っていても、そして、金が増えようが減ろうが畢竟時間の浪費には変わりがないこと知っているくせに、やってしまいます。
人間、やってみないとわからないことが多いけれども、何でもやってみればいいというわけではないということです。知らないほうが幸せなことなんてこの世にいっぱいあるのでしょう。
最近なんて、目的がサービスの享受だけに変質してきています。金が減ろうが、その分楽しめたらイイ。以前はこのような考えはもっていませんでした。楽しいか否かは、あくまで金でした。金が稼げたら楽しかったし、失えばかなり悔しかった。でも、最近は具体的に言えば、ケンシロウが豪掌波をかわせば、それだけで愉快です。(←エンドルフィンか何かモルヒネ様物質が出ているのでしょう。)
そういう意味では、正真正銘の廃人になる日も近いかもしれません。これは自戒でも反省でもなく、ただの観察記録に近い感想です。やれやれ。
あんまりよくないよね。あれ。
今は、当時と違って一種の「恋愛ブーム」いや「恋愛万歳文化」が蔓延してますから、どんなに普通の中高生でも彼や彼女がいるので、昔ほど僕のようないやな思いをしてる子どもたちは少ないかもしれません。
10年前はもっと保守的だったよな・・・・。やっぱり携帯は良い悪い含めて「偉大」ですよ。ほんと。
さて、前の話の続きですが、学生闘争のときや、226事件のときの若者たちは、一体何を考えていたのか非常に興味があります。この世の中のどうしようもない壁に対してどういうアプローチをしようとしたのか。若者は理想に燃え、そしてエネルギーがあります。その壁を打破しようとする動きが、昭和維新を目指したあの動き(詳しくはないけど)、社会主義への傾倒だったのかななんて思います。
もし、彼らがそういう気持ちをもって、行動を起こしたのなら自分はどういうアプローチがあるんだろうかなって思います。いまさら革命も社会主義もないので、自分は自分の信念に沿って、それ以外の第三の軸に沿って生きていこうかなと考えています。
青年海外協力隊か何かで海外への医療支援に行くっていうのもありやね。そーいう意味では。
例1 新撰組
くだらない大河ドラマの新撰組はどうあれ、現実の新撰組はなんとも悲しい物語です。新撰組と倒幕の志士たちを見れば同じ土俵でがっぷり組み合っていますが、あそこの舞台に新撰組を送った幕府の面々はといえば、彼らこそが本当の勝ち組です。新たな学問など学ばなくても、剣術を身につけなくても彼らは偉いのです。そんな彼らは人を使って自分を支えます。自分の体を使わずに生きていくのが「持つもの」の強みです。若い命を幕末の動乱に散らしていきました。
たしか、設定6がどうとかいうのは一言も書いていないはずです。しかし、行ってみたらすごい人。北斗の拳はもちろん満席。(糞台も含めて)やはり一撃でたらでかいというのがあるんでしょうな。一度引いて、なおかつ色んなイベントを絡めたら爆発というのは、明らかに低設定だと確実に負けます。その分北斗の拳は一回引きさえすれば、もしかしたら10連以上するかもしれないわけだし、それも客付きの良さの理由の一つだと思います。
でも、今日は「吉宗」を打ちに行きました。これはしばらく前からあったはずですが、最近Nにおもしろさを教えてもらいました。他の客もそれに気づいたらしくて、ここも満席。ハイエナしようとスタンバイしてたんですが、なかなか止めない。1000超えが結構ありました。明らかに絞りにきてるのでしょうかね。給料日の後だし。で、結局空いたのは朝からR4回のみの台。1000ハマリを抜けて、死に物狂いで当てたらレギュ。そしてそこから諦めずに、またハマリながらもボーナスを引いたらレギュ。そこでジ・エンド。
可愛そうに。一歩間違えばああなるなと思い、そっと見送りました。
しかし、回転数は220。空いてる台がないのと、右2台が1000超え中だったので、ハイエナ目的もあって打つことにしました。明らかに低設定ぽいですな。演出は子役のみ。俵かリプ。余分な演出は皆無です。あぁ、一度飲み比べがありました。軽く負けました。
そうこうしてると左の台で鷹狩ステージへ。昨日Nから天国確定と聞いていたのでちらちら見ながら打ってたら、なんと「殿、帰りますぞ!」との爺のことば・・・・。
なんだよ!確定じゃないじゃん!!
よかった。俺のときじゃなくて。
右2台は天井まで行くらしくて、台の下皿に千円札の束をおいてました。糞台を道楽でザブザブ打てるほど金も時間もないので帰りました。
ま、でも楽しかった。
やばいです。昨日の5万勝ちが消えてなくなるまで打ちに行きそうで怖いです。
というわけで、フォローを少し。
話は飛びますが、こないだ新聞に中学生が渋谷で取材をして記事を描いてました。意外と普通の子が多かったという結論でしたが、こうも書いていました。『あまり怖そうじゃない人に聞いてまわったかもしれない。』と。
だから、これを書くときに精神状態がかなりのバイアスになっているという事実です。調子よく何の問題もないときなんて日記なんてイチイチ書かないです。あくまで自己消化の手段としての日記なわけですし。
さてさて、医学部の学生のフォローをします。やはり何より真面目です。優秀な学生は本当に多いです。目が綺麗ですし、パチンコやら競馬なんてやってるのは少数派です。
能力としては僕なんかより遥に優秀です。でも、簡単に白旗揚げるわけにはいかないですよね。これから一緒に仕事していくわけだし。
「いいなぁ、兄貴は。金持ちで。」
弟はまだ学生なので確かにそう見えるのかもしれません。でも、正月に働いてる友人たちと飲んだら当たり前だけど金ナイです。
仲には博士課程のもいましたが、なんと2人ともCOEの予算がついてるから給料(のようなもの)をもらってるらしいです。
いいなぁ・・・。給料もらえる院生なんて最強じゃないか。
さて、他人を羨んでも自分の金は増えないので自分の話です。実は小さな予備校で教えているんですが、どうも給料が下がりそうです。給料は微増しますが授業時間が少し減ります。そうするとトータルでは減ります。
そこで今地味に就職活動中です。別の予備校にも履歴書送ろうと思ってます。
どうせなら奨学金もらってその分勉強すればいいとも思うんですが、借金背負うのっていうのがなんかイヤです。この辺が器の小ささを物語ってますな。
曙・・。 曙が負けました。しかもあっさり。
予想通りというか、期待を裏切らないのはさすがというか・・・。
かなり曙を応援してました。なぜかって言うと、彼を見てると自分を見ているようだからです。あくまで見た目の印象ですが、彼はかなり精神的に弱そうです。なのに、わざわざしんどいことに足を突っ込んじゃうなんて、自分の境遇と重なります。正直やめときゃいいのにって思ってしまいますね。
だけど止めない。
「どんな理由があるかわからないけど、その道は茨の道だぞ。」そうはっきりと思う自分を他所において、それにもかかわらず進んでいこうとする。曙は今回は負けたけど、死ぬときに後悔しなけりゃ、それは勝ちなわけで・・・少なくとも自分はそう思います。というわけで、今年一年頑張ろうかなと。
変に励まされました。
それはそれで、今日はベクトルがわからないとういう女の子にベクトルを解説してたけど、本当に基本的なことを何もわかってないので大変でした。
何もわかってない状態で教授に質問したときって、相手もこう思ってんのかな・・・。相手の心理状態を自分の経験に置き換えて推し量ると、人間関係において慎重、いや臆病になる傾向があると思います。
でも、ヤツらは「教授」だからな・・。そんなことでキレられても仕方ない。来年もガンガンきくぞ!!
司馬遼太郎さんがテレビを見るのは想像力を欠落させるから良くないといってますが、映像が伝えてくれる「適度な」リアリティーというものをあれによって我々は知識として仕入れることができます。
引き出しが空っぽな若造には、想像力だけではカヴァーできないものがあることもまた事実ですし。
そして、話は映像の世紀ですが、あの加古隆さんの音楽がなんともいい味を出しています。時代の流れに飲み込まれていく人々の姿をイメージされて作られたのでしょうか。僕にはそんな像が結ばれます。でも、本当のところはよくわかりませんが、流行の白い巨塔の音楽も彼が担当しているそうですし・・・今度CD買ってみることにします。
魔の季節。12月。この月は基本的に厳しい月です。これは真理です。そんなことは、とうに学習しているんだけれど、人間てものはなんとも弱いものなのか・・・。
否、個人の体験を人類一般に拡大解釈するのはよろしくない。
いずれにしても、今月だけで合計6万1000円の金をスロットに費やしている。今日などは3万1000円。果てしなく当たらない。『最近の機種は当たりにくくなっているのか??』そんな疑心暗鬼に陥るほど当たらなかった。しかし、そんな被害妄想はすぐ否定される。諦めて離れた台に座った他のお客がおもしろいように当てていく。しかも少額投資。
やってられない。ぶっ殺してやる。皆殺しだ。
そんな思いがふつふつと沸き起こってくるけど、そこは大人。『たかが遊びだ、五万くらいいいじゃないか。」変に余裕を繕おうとする自分がいる。なんとも惨めだ。
しかし、ここまでぼろぼろにやられると、取り返しに行こうという気も起こらなくなる。もう金が尽きかけているのももちろん理由の一つだが、何より、もう当たる気がしないのだ。
今気づいたけど、6万・・・。でかい額だな。苦笑
僕は司馬遼太郎を尊敬しています。 昔、知り合いに「ただの小説家だろ。」と言われたことがありましたが、おそらく彼は作品を読んだことがなかったのでしょう。あれだけの国民的作家になったのには訳があるはずです。彼の語ること、伝えたいことが素晴らしいから、皆が彼の書を読んだのです。文章や構成が彼より優る作家は他にいるかもしれません。けれど、彼のことばの深さには、やはり並ではないと思います。
また、こうも思います。小説だからこそ、あったこともない人間である僕に、彼の人生哲学を教えてくれるのではないかと。彼の思いを語ってくれるのではないかと。
14歳のときに、漫画「おーい竜馬」に触発されて小説「竜馬がゆく」を読んだが最初です。それから色々読んできましたが、最近読み直してみたくなりました。昔読んだときとはまた違った感想が持てそうだったからです。今は8年前に購入した彼の講演集を読んでいます。以下にその中の彼のことばを引用したいと思います。
『戦争は時々負けなければいけませんね。ヨーロッパの国々は、お互いに買った負けたがあって成立している社会であり、文化なのです。常勝の国はありません。負けるたびに、民族としての思想が深くなったり、政治に対するものの考えが深くなったりする。勝ちっぱなしの国は、やはりおかしくなる。略
非常に民度の高い国、文明の度合いの高い国でしたら、例え勝っても自分自身を解剖するに当たっては冷静です。しかし、日本人はそうではなかった。日露戦争のあとに浮ついてしまって、非常に駄目な国になる。一つの例となる話ですね。略
比較できる相手を隣にもっているから,自然と頭が比較をして,絶対に強いということは思いもよらない。』
同じく司馬遼太郎を尊敬しているという小泉に聞かせてやりたいです。
こうして戦争へむかう・・。 今回のイラクへの派兵が直接戦争状態へと進んでいくのかはわからない。それはあとからわかることです。
かつての日本より、戦争へ対するアレルギーが弱ってきています。戦争を知る世代がどんどん亡くなり、威勢の良い人間が増えてきてるのでしょう。
威勢の良い人間は、本当に自らの生死という大前提を超越した何かをもっているのでしょうか・・。一部のパラノイア患者はともかく、ある程度正常な脳で考えてそういう結論に達することができるのなら、それは「絶対に自分とその周辺は傷つかない」自信があるからです。
そんな人間に国家の中枢を握られ、そんな国の利益(国益)のために、なんで一度しかない人生を歪められないといけないのか・・・。
ある種茶番ですが、よくできたシナリオです。もし中東・アメリカの報復の連鎖に巻き込まれるようなら、小泉はヒトラーを超えるカリスマだと思います。官僚と政治家の利益優先の現行の政治をなんとかすると訴えて国民の票を集め、そしてせっせと戦争へ道筋だけをつける作業に奔走。詐欺だぜ。こりゃ。JAROに電話しないといけない。
今後の医療界に目をやると、明らかに危険です。
個人的には顕微鏡のぞくのは全く苦にならないし、地味なのもそんなに苦になりません。退官してからも肩書きがしっかりしてれば仕事に困らないとのこと・・。医療訴訟全盛の時期を生き残るにはこういう選択肢もありかも。つうわけで病理学をもっと勉強しないとな。
病理学と言うものは昔からやってみたかった分野だったのでかなりおもしろいです。顕微鏡をみているのは昔と変わらないけど、組織が頭の中でだんだんマクロに汲み上げられそうな予感がしてきました
さてさて、もうすぐ実際に検死見学をさせてもらえることになっているのですが、注意書きに守秘義務を守ることとありました。守秘義務とは仕事上知り得たクライアントの情報を他者へ漏らしてはいけないということなのですが、たしかに道理にかなったことです。しかし、この制度のおかげで医学というか医者の世界と外界が断裂してしまっているような気もします。今教えている生徒たちに、未知な世界の話を少し聞かせてあげようかと思うこともありますが、守秘義務やら遺体本人や遺族に悪いと思うので話したことはありません。ネタにする気はさらさらないけど、看護婦になりたいとかいっている子にくらいは話してあげたほうが進路の決定等に役立つと思うんだけどな・・・
というかぶっちゃけ、数学嫌いです。むしろ苦手でした。だから難しいのは一時期解けたこともあったかもしれないけど、もうあまり覚えていません。いまさら教えるのは無理ですな。やはり専門でやった生物なら教えられそうですが、生物のリクエストはないんです。これが。
ま、そうは言っても数学の苦手な数学講師ならではの授業もあるんです。苦手だったから苦手な生徒の悩んでるポイントがわかる。しかもそれを自分なりに消化してきてはいるので、それを教えることができます。しかし、一番下のクラスならではの悲哀もあります。
基本的に努力をしない生徒多いということです。もちろん頑張っている生徒もいます。彼女たちはいいんです。しかし、努力しないとなるときついですな。最近は推薦入試のオンパレードでかなり大学全入時代のど真ん中にいるはずなんで、受かろうと思えば簡単なはずなんですがね。しっかり落ちてくれます。今年も約一名かなり危険な香りを出しています。悪いやつじゃないんです。だけど、努力しないんだよな。それを叱りつけてまで教えるほどはねぇ・・・無理かな。(注意!僕は素人。)去年はやさしく注意していた生徒がいました。「ちゃんと勉強しなきゃまずいだろ」みたいな。彼は僕と話すだけで満足して帰っていきました。何かしら成したような錯覚に陥っていました。しかし、何も進歩していません。彼は僕も自分と同じ場所で同じように歩いていると感じてしまったのかもしれません。あまりにも彼に譲歩しすぎていたのかもしれません。いずれにしても、彼は現実にぶつかりました。
答えに窮しました。馬鹿だとは認識してはいる(少なくとも頭はよくはない)けど、馬鹿にはしていない。傷つける気持ちなんて全くない。馬鹿だと思うから一生懸命教えたわけだし。今年の彼はしっかり推薦で受かって欲しいものです。
予め断っておきますが、やはり知的好奇心から法医学へ対して何かしら期待がありました。全く知らないことを教えてもらうのは楽しいものです。(逆に知っているはずのことをいちいち確認されるのはしんどいです。)
そして教科書。おそらく大学の生協にあると思うので見てみたら良いと思うのですが、グロテスクです。やはりヒトの怪我や死んだ姿というものは生理的に良い気持ちを催すものではないです。事故で死にたくないなと思うとともに、肉親や知り合いがああいう形で死ぬのもイヤだなと思いました。
「それでも医者を志す人間か」と非難を受けようとも、辛いものは辛いし、甘いものは甘い。グロテスクなものはグロテスクだ。
The man who dares to waste one hour of time has not discovered the value of life.
受験生時代にNHKビジネス英会話で紹介されたものです。戒めとして覚えてます。常に時間を有効には使えないですから、あくまで戒め。ストッパーです。それでさっきの名言集ですが、それをざっと見ました。やはり世界の名言集。いいのがありました。
近頃は少子化の影響もあってか、学習塾は大手だけが残り、あとは個人指導にシフトしているという話を新聞でも読みました。ウチの予備校も去年から個人指導クラスを開講していますし、近所の学習塾も個人指導全盛のようです。
こんな教育で作られた秀才くんは一体どこへ向かうんでしょうか?何ができるようになるんでしょうか?ま、でもこれまた難しい問題ですな。どこまで与えればいいのか、何でもかんでも自分で考えてやるというのは少し効率が悪い気もしますし。
これもある意味鍍金(メッキ)です。鍍金作業をした者や、その費用を捻出した親たちが鍍金作業をしたから光るんであって、その本体は金ではないんです。本人が気づかないうちにピカピカに仕上げられてしまうので、彼らが自分たちは「金」だなんて思ってしまったら、それは悲劇です。社会にも、本人にも。
日ごろから慢心、過信、傲慢はイカンと思っておるのに。
今よりもっと若い頃、昔の人間の考えたことを学ぶことに意味はあまりないのじゃないかと思ったことがありましたが、やはりそれは間違いです。大局的に物事を学びすぎる傾向があるので、一人の人間のできることの限界と言うものがイマイチ実感できなかったからです。
ですが、一人一人の力、与えられた時間を含め、はとても小さいからこそ、みんなでそれを集めるのですね。それが学問なんだと最近では思います。
で、聞いてみました。
何故かっていうと、睡眠時間が短い日が数日続いたせいか目の下にクマができていたからです。鏡を見ると、心なしか少し疲れた表情に映ってました。
年齢からするとまだ20台も半ばなわけで、まだまだ若いとは思う一方、それでもやはり忍び寄る衰えというものの足音も聞こえたりしなくもない・・・。笑
お肌の手入れでもしようかな・・・カズのCMの店で。行ったことないけど。
それなりに一生懸命やってます。けど、寝ないで毎日やってるかというと、答えはNOです。ただ、目の下には熊が住むようになりましたし。
さて、この年になっても漫画は立ち読みしています。小さい頃から漫画っ子でしたし。それで、最近モーニングで連載が始まった受験漫画なんですが、軽く読んでます。その中に、「人間の集中力の続く時間は ・・云々」ってのがありました。細かくは覚えてないです。でも、今回の試験勉強ですが、やはり適度に休憩を入れつつやった方が能率は上がります。
小学校の頃から当然のように、授業−休み−授業・・と組んであったのは、理にかなっていたのでしょう。今頃気づくとは、なかなか遅いような気もしますが。
これらは見通しの甘さや現実の認識不足からくる傲慢さだ。でも、実際にやってみれば傲慢さは吹き飛ぶ。
でも、この医学部という環境は温室だ。現実から過度に守られている。カンニングしても黙認。落としたら留年するはずの科目を実際に落としても制度自体を変えてOKにしてしまう。そして、勉強しなくても常に家庭教師の時給は高い。みんな自分と同じくらいは偉い。そいつらとの相対的な位置が判断基準となる。他大学の人間との接触がゼロに近い。
よくアメリカの医学教育システムは素晴らしいとかいわれるけど、あれはアメリカがどうのこうのじゃなくて、合理的にいい医者を作るシステムというのを追求したらああいうふうになるんだと思う。合理性こそが重要なんです。もちろん全てとは言いません。
でも、日本の医学部は違います。徐々に変わりつつあると言われているけれど、外圧も何もないから変わらない。旧態依然。だから、合理性がそこに存在しているなんて期待しちゃいません。
なんでこんな話をしたかというと、N氏が「全能性」について書いたからです。実は恥ずかしながら、私も昔は全能性を信じておりました。どこまでも飛べると思ってました。それはある意味いい部分もあります。自信を持って何かやるわけですし。ただ、それも一度の目の大学を卒業した辺りから変わってきました。いくら腐った環境でも、ホンモノは生きていけると言います。でも、自分がホンモノだとはとうてい思えない。だから、超然とわが道を行くことはできませんでした。だから、今あるシステムにも適応することは凡人の処世術の一つだと思うわけです。
再受験生の中には、同じクラスの学生との交流を極端に嫌う人がいます。オレはオレの道を行くというわけです。でも、そんなに世の中甘くないと思うわけです。特にこの日本。彼や彼女がホンモノなら話は別ですがね。そうでないなら、この先かなりしんどいことになると思うんです。
ま、慎重な性格なのでこの辺は押さえておこうと思うわけです。でも、慎重じゃない人はあまり気にしないでしょう。何とかなるだろ、って思ってるはずです。
というわけで、少々
医学部というのはやっぱり異常な空間です。
18で入学しても24で卒業です。上の学年になってもめちゃめちゃ学生を満喫している人も少なくありません。1,2浪してれば25、26でも普通の学部3年生のようなノリだったりします。こんなヒトが先輩なわけです。しんどくなることもありますが、この先本格的に働くと逃げ場がないなぁ・・・なんて少し憂鬱になったりします。
当たり前だけど、人間には吸収できる時間というのがある。これは個人差はあるけど、だいたい30までだと思う。この時期に何を学んだかということが重要であって、まったく違うことをやっても生計が成り立つようなお気楽な商売ならいいけれども、基本的には自分の一番のウリと言うもので勝負していかないといけない。だから、その吸収時期に得たことをウリにするのが一番妥当な生き方でしょう。
医者になるための勉強というのは、職業訓練なわけです。これを若い時期にやらないと、医師免許はあるけれど全然役に立ちません。ということになる可能性が大いにあるわけで、そう考えると、「夢を追うって素晴らしい」的な向こう見ずな生き方は、本人だけでなく、患者、研修を受け持つ医師や看護婦にも多大な迷惑をかけることになります。
しかし、こないだ自宅に教授から電話がありました。これはかなり驚愕なイベントです。別にそのヒトの研究室に出入りしているわけでもないのに、なのに一生徒に電話をする。
でも、ま、少しフォローをしておくと、ある意味英才教育なわけだし、能力的には若いうちからしっかり鍛えた方がいいという考え方ももちろんあります。ということは、魅力的だが無能な医師と、魅力に欠けるが有能な医師のどちらかということだけど、個人的にはやっぱり後者かなって思います。笑
話は変わるけど、今日は寒い。もう七月だからということだけで、半袖の服を着ていた。でも今日ウチの親が寒い寒いと言ってたのを聞いて、寒いことをはじめて認識した。だから7月の中旬だというのに春先用の厚めのジャケットを羽織ってジムへ。なんかステレオタイプっていうのは知らない間に自分の中に侵食してきてるみたい。いまは気付いてないだけのがいろいろ他にもありそう。あきませんね。やっぱり寒いときは寒い。
自分の希望通りの物事の進まないことっていうのは生きてればあります。しかもその数は人によってさまざまでしょう。その量の多さや質なども自分にはどうすることもできないことの一つと言えるかもしれません。
仮面浪人なんていうのは明らかに舐めてるとしか思えません。何のために仮面をかぶるんでしょうか?やりたいことがあるならそんな仮面要らないでしょ。金がもったいない。入学金やら一人暮らしをスタートさせる金やらで結局200万くらい要るんじゃないかって思います。そんな金があるなら素直にもう1回予備校に通えばいいじゃないんでしょうか?落ちたけど、俺は実は大学行けるんだよと友人や親戚に伝えたいのでしょうか?意味がわかりません。その金でミリオンゴッド打ったほうがイイです。絶対。(つまりそれくらいの価値しかないんじゃないかってこと)2回目大学生になるために予備校に行きましたが、そのとき1,2浪の学生が「おれ仮面で頑張りますよ。」ってセンター直後に言ってるのを聞いたことがあったけど、違和感がありました。
あと、司法試験のように一発試験で資格がとれたり、そうでなくても専門学校でことが足りるならわざわざ大学に2回も行かないです。高いし長いし、何より精神衛生上イイ環境とは言えないです、こういうのは。
もともといた世代から外れるわけだから、これはちょっとした
でも彼女と家族がいれば、基本的にこと足りますな。
『そう、ひとつだけ確実にぼくにいえることがある。人は年をとれば、それだけどんどん孤独になっていく。みんなそうだ。でもあるいはそれは間違ったことではないのかもしれない。というのは、ある意味ではぼくらの人生というのは孤独に慣れるための一つの連続した過程にすぎないからだ。だとしたら、なにも不満を言う筋合いはないじゃないか。だいたい不満を言うにしても、誰に向かって言えばいいんだ?』(「辺境・近境」より抜粋)
遠吠えにも聞こえますが、こう思わないとやってらんないです。