沖 縄 旅 行 記 @1998

 

少年易老学難為。一寸光陰不可軽。

まったくもって月日の経つのは早いもので、気づけば25になりました。

 

あの旅行以来頻繁に沖縄に行ったり、ダイビングの免許取ったり、極めつけは三線買ったし。

てことはやっぱり、インパクトのあるイベントでした。

 

*これから記憶をたどることになるけれど、基本的には現在形のようなかたちで書いてこうと思っとります。

 

前日

あれは何だったかな。あまり思い出せない。

 

確かプロ野球ニュース見ながらNと電話で話していたのだとも思う。

JALおきなわのCM・・・。

それを見て「おきなわええなあ。行っとくか。」そう軽くNに言った。

冗談ではないけど行く気はその時点ではゼロだった。

 

しかし、どういうわけか翌日行くことになった。

当時、沖縄へ行くというのはかなり思いきった行為だった。

二人で行くところといえば

 

上野のグリンピース

 

だから、少しオーバーだけど非日常極まりないイベントだった。

 

初日 (東京→那覇)

何を持っていけばいいのか想像もつかなかった。

とりあえず、無駄な出費を防ぐために必要と思われるものは全部持って行こうと思った。

 

やっぱりお金は大事だ。

 

持って行ったのは、洗剤、ロープ、寝袋、たぶん他にも持って行ったと思うけど忘れた。

なんでそんなものを持って行ったかっていうと、沖縄でわざわざ買いたくなかったから。

ただそれだけ。

 

やっぱりお金は大事だ。

 

水も近くのディスカウント店で買っていこうかと真剣に考えた。

さすがに実行しなかったけれど。

 

さてさて、そんな感じで荷造りをして出発。

羽田空港までの道のりはあまり覚えていない。

特にトラブルもなかったのだろう。

駒込⇒羽田空港まででトラブルなんて起こるはずもない。

 

そして空港へ着いて無意味に興奮。

写真もぱしゃりぱしゃりととった。サングラスも買った。

1つ1000円の安物。やはりリゾートにはサングラスは必要だ。

でもこのサングラスの寿命は、とっても短かった。

 

飛行機から降りて連絡通路を通ると叫びだしそうになった。

空気が違う。湿度が違う。あと暑さも違う。「沖縄に来た」って実感した。

 

さて、そんな興奮状態で那覇市へ。

はじめて沖縄へ来たわけだからやはり観光しないといけない。

宿も探さないといけない。だからとりあえず目的地は国際通りだった。

いや、でもその前に飯も食わないといけない。

 

せっかく東京から3000kmも南下してきたのに、朝飯はマクドナルドだった。

やはりここでも安さを重視しての行動だった。

 

この辺がその辺のいけてる若者との差と言えるだろう。

こういうところで歴然としてくるものはいったいどこからくるのだろうか?

 

話が逸れた。しかし、そのマクドナルドの新聞で衝撃の事実を発見。

怪我の功名というヤツか・・・。(というか怪我ではないが)

 

「ハブくらげに注意!・・人死亡」の記事を発見。

 

記事によると、ハブくらげというものがいて、そいつに刺されたら死ぬこともあるらしい。

アンモニアは効かないらしかった。アンモニアは効かない。

鞄には持ってきた「きんかん」があったが、主成分はアンモニアだ。

「外した・・。」ハブくらげに刺されたら酢を塗れとかいてあった。

沖縄だから蚊はたくさんいるだろうと予想した。

だから、刺されたとき用にきんかん、刺されないように虫除けスプレー。

ここまで持ってきていた。しかし、情報不足だった。

 

「・・・酢はないなぁ。さすがに。」

 

わかってれば、酢も持ってきていただろうに。

 

それにしても、このハブくらげはかなりショックだった。

沖縄の海で楽しく過ごすはずが、そんなおまけがついていたとは・・。

そう思っていたのにNはいつもの調子で楽天的だった。「大丈夫やって。」 

Nの根拠のない判断はどこから来るのだろうか??

 

その後宿をとった。宿といっても素泊まり3000円。激安の宿だ。

でも実際に行ってみれば納得の値段。

古いマンションの1室の2部屋をそれぞれ別に提供している。

マンションなのにホテルだ。「迷うはずだよ。・・」

 

DKの2つの部屋にそれぞれ別の人をとまらせているのだ。

壁を隔ててとなりで知らない人が寝てる。風呂、トイレ、入り口共用。

ついでに空気も共用。

 

なかなかアツイところだった。

隣の部屋に寝てるのが井川遥のようなかわいい子なら文句はない。

でも、それはありえない。むさい男が一人だった。

だからこの夜はおっさん2人(Nとおっさん)と少年1人(僕)が同じマンションの1室で泊まったことになる。

 

さて、沖縄の夜・・。その辺のいけている若者なら、国際通りかコザの飲み屋に繰り出して行くだろうに。

そして自分たちと同じように旅行に来てる大学生の女と意気投合して云々というところなのだろうに。

 

そこが違う。晩飯はと言えば、コンビニで少し沖縄らしい惣菜を買って済ませた。

「せっかくだからオリオンビールでも飲むか。」これが精一杯だった。

 

二日目(恩納村)

 

エアコンのない部屋でそこそこに眠り、朝起きてびっくり。

昨日買ったばかりのサングラスが壊れていた。

耳に引っ掛ける柄の部分がぐんにゃりと曲がってしまっていた。

直そうと思って逆向きに力を加えたらぽきりと折れてしまった。

 

せっかく買ったのに・・。

海で活躍するまもなく死亡。

 

でも、たった1000円。

損害は少ない。スロットで負けたと思えば別に会計処理できる範囲だ。

一日で5万負けた日、実はあの日もう一枚漱石が紛れ込んでいたことにすればイイ。

 

さくっと気持ちを切り替えてムーンビーチへ行こうという。

旅は始まったばかり、安物のサングラスでブルーになるわけにはいかない。

 

ムーンビーチまではバスでの移動。バスを降りると、小さい商店があった。

昼飯を買った。

 

そしてお酢も。

 

もちろんハブクラゲ対策だった。そのあたりは抜かりない。

そしてはやる気持ちを押させながら海へ向かうと、まさにそこはリゾート。

 

朝からのんびり体を焼いて、それに飽きれば泳ぎに行く。

みんな思い思いに楽しんでる様子だった。

それはバカンス。

高いドリンクに誰も文句を言うわけではない。

付属のプールでは子どもたちが楽しそうに泳いでいる。

「せっかくなんだから海で泳げよ。」なんて野暮なことは思わない。

 

ホテルのロビーに入って天井を見上げると、吹き抜けになっている。

 

素晴らしい・・。

 

でも、お金は払っていない。ホテルにも泊まらない。

実際は招かれざる客だったに違いない。

 

ラフな格好のホテル利用者のそばで、やたらと大荷物を持って移動する不審な若者2人。

あきらかに不自然だっただろう。勝手にプールに入り、そして洗濯機も使った。

部外者お断りなんていう注意はリゾートにはあるわけがない。

 

とは言ってもボーイさんは気付いたかもしれない。でもそこは日本。

事を荒立てることは避けていたのだろう。誰も何も言ってこなかった。

 

相手の足元を見た行動・・。

汚い大人になっていく。

 

そして思う存分海を楽しんだ。

二人の中心議題は、この日の宿をどうするかだった。

ホテルの敷地内は安全だという読みで、野宿することにした。

裏を返せば、ホテルの宿泊客にとっては、安全ではないということなのだが。

(こっそり野宿するのがガキ2人だからいいものの、変な奴らだったら危ない)

 

夕飯は、もちろんホテルのレストランではなく近くの定食屋で食べた。

今回もそーきそば。沖縄へ来て二日目の夜なのにそーきそばは2杯目。

おいしかったけど、後半どん兵衛の味に似てきた。ブタは残した。

 

腹ごしらえしてその足でホテルのビーチに戻り、。生まれてはじめての野宿。

寝袋も何もない。あるのはバスタオルだけ。

公共の場所と違って、たぶん変なヤツらに寝込みを襲われることはないだろう。

 

日が暮れたのは、八時ごろ。

しばらく明るさが残ってはいたが、日が沈めば就寝時間だ。

 

実際トラブルは何もなかったが、夜はたびたび目が覚めた。

バスタオル一枚だと沖縄でも夜は冷えるのだ。すぐそこは海だ。

だいたい海上の空気の温度が高いわけがない。

仕方ないのでゴミ袋も体に巻いて寝た。朝が待ち遠しかった。

 

波の音は気にならなかった。その代わり、ビーチにあった旗の金属部分か何かが

ポールに当たって音をたてていて不気味だった。本当に長い夜だった。

 

Nはというと、ぐぅすかと寝ていた。

 

三日目(名護)

 

いつからが三日目なのかまったくわからない。

寝返りを打つたび、寒さで起きるたびにあたりを見た。

早く太陽(てぃだ)がでないかなと思っていた。

 

それにしても、野宿をやってみた初めてわかったことがある。

夜露をしのぐというフレーズがあるが、夜露というのは予想以上に激しいものだ。

やつらは温度の下がった物体の表面に発生する。

かばんや靴・・。鞄を開けていたら中まで湿ってやがった・・・。

あげくに、干しておいたタオルまで濡れてしまっていた。

 

意味ないじゃん・・。

 

そして朝、もうムーンビーチに用はない。もう十分満喫した。むしろし過ぎたくらいだ。

 

次の目的地は名護。何故名護にしたか。

当時名護はちょっと有名だった。基地移転の是非を問う市長選が行われていたのだ。

また、かなり蛇足だが日本ハムファイターズの春季キャンプ地でもある。

だから耳になじみのある場所だった。

それに那覇に戻っても仕方ないということで、名護へ向かった。

 

さて、名護にはオリオンビールの工場がある。

オリオンビールは沖縄へ来てはじめてその存在を知ったローカルビールだ。

味はともかく、沖縄でのその存在感がなんとも魅力的だった。

 

そして、オリオンビール工場へ見学に行くことにした。

無料だし。

 

なお、この日の昼食はモスバーガーだった。もうソーキそばは・・。

いや、ソーキそばがどうこうというより、どんなおいしい物だって普通に3日連続はきつい。

違う味が欲しい。結論、やっぱりモスはおいしい。

 

そしてオリオンビール工場。

入場料をとらないくせに工場の説明が終わればビールを好きなだけ飲ませてくれた。

しかもつまみまで。

 

さすが沖縄。

 

そして酔いを醒ますために名護の町を散策した。

スマートボールでもおいてそうなパチンコ屋さんが一軒あった。

当然パチンカーとしてはチェックするしかない。

中に入って客付き、出方を見る。

 

死んでる・・。

 

やる気はまったく起きない。

せっかく店内に呼び込んでも客に射幸心を起こさせないようなのは話にならない。

すぐに店を出た。当たり前だ。こりゃちょっと観光客は来ない。・・さびれるはずだ。

 

そして夜、せっかくここまで来たので、Barにでも行こうとNを誘った。

しかし、Nは「眠いから」と言って、行かなかった。

仕方ないので単身でBarに乗り込んだ。

 

せっかく沖縄まで来て何でぐーすか寝るかなぁ。

 

Barは洞窟のようなつくりになっていた。お客はほとんどいなかった。

でも、みすぼらしいお店ではない。それなりに魅力的な店だった。

 

そしてバーテンといろいろお話をした。沖縄のこと、基地のことなど、色々だった。

その店には店長と雇われバーテンの二人がいた。

おもしろかったのは、立場が違う2人の意見はまったく違っていたことだ。

 

そして二人ともに説得力がある。

現場というか、実際に暮らしている人にはその自分の立場というものがある。

それから離れることはできないものだ。それを軸に自分の意見を決める。

 

20歳のがきんちょには刺激的だった。

自分にはこれという軸のようなものがないなぁ・・と改めて思った。

前からわかってはいたのだけれど、でも、自分のよって立つ場所って一体なんだろう?

 

まだ何も決めていない学生さんには解けない問題だったのかもしれない。

 

そこではテキーラサンライズや泡盛ベースのカクテルを作ってもらった。

カクテルには少しばかり詳しい。

知り合いの先輩が、下宿の部屋に色んな酒を並べていたのに影響されて、自分も色んな酒をそろえていた。

実家からシェイカーを取り寄せて、カクテルを作って遊んだりしていたし。。

 

勘定は4000円ほどだった。・・・おいしかったけど痛かった。

 

ホテルに帰ればNはテレビを見ていた。

 

4日目(那覇)

 

沖縄本島にいるのは今日が最後。

これから離島に向かう。まずは宮古島。

 

宮古島行きのフェリーにのるために那覇市へ帰らないといけない。

名護から那覇までバスで戻る。とにかく高い。

行きは那覇から恩納村で1回降りてから名護だったので適度に痛かったが、

名護から那覇まで行くとダイレクトに痛い。

どんどん自分のとった整理券の番号に書かれた値段が上がっていく。

 

タクシー並みに上がるっ!

 

というか、整理券をこっそりとり直してやろうかと思ったくらいだ。高い。

 

そして目的のバス停に着いた。値段は2000円を超えていた。

でも、Nは細かいのをもってなかった。こっちも自分の分しかない。

しかもバスには両替機はない。運ちゃんも持ち合わせがない。

一万円が崩せない。

 

どうする、どうする?

 

すると、旅の若者が慌てるのをみかねた運ちゃんは「なら要らないさぁ」・・・・とはいくらなんでも言ってはくれない。

 

当たり前だけど。

 

そしたら乗り合わせた一人のおばあさんがお金をくれようとした。

さすがにそれは断って、両替できる人を探した。その間もバスは停車したまま。

 

バス停の前に中古車販売の店があったので、Nは降りて両替してもらいに行った。

その間もバスは停車したまま。それでも、二人をにらみつけているような乗客はいなかった。

 

人に優しい土地柄だ。

 

そんなこんなで那覇市をふらつく。船に乗るまで時間はある。やはりパチ屋でも覗いておく。

店に入ると驚いた。トリプルクラウンという台ばかり。選ぶ余地がないじゃん。

広い店内に同じ台があるだけ。でも、それなのにお客さんは大勢いる。

 

それだけではない。当時沖スロは本土ではそれほど有名ではなかったから、

コインがやたらとデカイのにも驚いた。そういう話は聞いたことがあったけれど、

でかい。聞くと見るとは大違いだ。

 

でも、コインが大きいっていうのはいかがなものだろう。

たくさん出してる(勝っている)という錯覚を与えるためなのではないかと思った。

 

極めつけはこれだ。不思議な紙が台の横に張ってあるのだ。

 

・・・チャンス回転数 1、3、7、16・・・・

 

「なんじゃ、こりゃ?」純粋に抽選していたらこんなものあるわけない。

「なんだこの台は?」でも、地元の人たちはひたすら台を回している。

おっちゃんやおばちゃんたちは、自分の手をかばうためにおしぼりでボタンを押す。

目押しなんてない。ただひたすら、レバー、ボタン、ボタン、ボタン、レバー、ボタン、ボタン・・を繰り返す。

 

・・? どうやら台のかけもちをいいらしい。

 

なんでもありだな。こりゃ。

 

せっかくなので、少し打つことに。

Nは東京での強さそのままに、BIGから連荘。

8000円ほど勝った。

 

僕はといえば、3本でREGを引くものの、紙に書いてあるチャンス回数には何も起こらず・・。

旅打ちで金を減らしてしまった。

 

4日目(フェリー)

 

那覇の港を出港した船は値段の割には快適だった。

実際、初日に泊まった安宿なんかよりよっぽど寝心地のいいベッドだった。

2段ベッドが3つ列になって並んで、それが向かい合っている。

向かいにはおじさんがのっていた。おじさんは気さくなうちなーだった。

キッチンの器材を扱う商売をしているという話だった。

 

実はこのおじさんには翌日の朝にも世話になる。

 

おじさんからもらったオリオンビールで少しほろ酔い気分になり、船をふらついた。

船は意外と大きい。しかも清潔だ。悪くない。

 

中にはゲームセンターもあった。

そのうちの一台が、なぜか金を入れないのにクレジットがついていた

しかも脱衣麻雀ゲームだった。いくら負けてもクレジットはついたままだった。

どうやらバグっている様子だった。

 

結局最後まで勝ってしまった。

負けると自分の代わりに、先生役の女の人が服を脱いでくれるのだが、彼女は何回脱いだのだろう・・。

何度も何度も負けるが、金は要らないのでひたすらコンティニューする。そして全部クリアー。

 

気持ちが悪くなった。

 

どうやら船酔いしたようだった。

そんなに三半規管は弱い方ではないと思っていたけど、画面を見ていたせいかすっかり酔っていた。

そしてふらつきながらベッドに戻った。

 

やはりNは寝ていた。

 

5日目(宮古島)

 

宮古島には早朝に着いた。

前日は船酔いした状態でベッドに入ったものの、船のゆれに呼吸を合わせるとすんなり眠れた。

だからもっと寝ていたかったけれど仕方ない。宮古島に朝の5時前に着いた。

 

荷物を抱えて下船口から降りてみると、辺りはまだまだ暗い。

周りには何も見えない。八重山の夜明けは本土より少しばかり遅い。

夜明けまではしばらくある。ここで朝まで待つしかないかなと諦めていたら、

一台の軽トラがやってきた。

 

フェリーで向かいにいたおじさんが車に乗ってけと言う。

まさに渡りに船。お言葉に甘えさせてもらった。

 

そして、おじさんに案内してもらったのは深夜でもやっている喫茶店。

中にはたくさんの雑誌や漫画があった。

おそらくこの船の利用者たちのための喫茶店なのだろう。

フェリーターミナルには24時間の待合室なんてないから、ここがその代わりなのだろう。

 

ここは持っていたガイドブックにはない店だった。

昼間に通りかかっても絶対入らないようなお店だ。

さすがにガイドブックも薦められないだろう・・・でも、助かった。

 

朝の5時から9時までは結構時間がある。

この店に来なければ、どこで朝まで時間をつぶしていたのだろう。

コンビにもない。

 

おじさんのおかげで、朝まで漫画を読んで時間をつぶした。

しかもクーラーもきいてるし。

 

おじさん達はモーニングセットをおごってくれた。

そして帰り際に、西表島にあるレストランのオーナーと知り合いだから行ってみろ、とその人の名刺をくれた。

 

沖縄の人はみんな親切なのかもしれないと思った。

 

だいたい都市部に住む人は人間が嫌いなのだと思う。他人を嫌っている。

自分以外の人間、知らないヤツならなおさらだ。

 

地図の前でうろうろしている人を見ても、無関心。駅で倒れている人に対しても無関心。

たまに助ける人はいるが、多くの人は手助けもせずに彼らに対しても一瞥をくれるだけだ。

 

人が多すぎるのだろうか?

他人にサービスを期待しなくても、公共サービスが充実しているからだろうか?

 

だから誰にも頼らなくても生きていけると錯覚してるのだろうか?

自分ひとりだけで生きていけると思っているのだろうか。・・・・傲慢です。自分自身を含め、反省。

 

話が逸れた。そして、朝が来た。

 

この日はNと話し合ってレンタカーで移動することに決めた。

宮古島は広い。自転車ではきついということになり、少し高いが車を借りた。

前日に結構な額のバス代を払っていたことを考えると、車借りた方がいいということになった。

 

これは正解だった。

 

入間島、来間島という小さな島が2つ宮古島にはある。

この2島へかかる橋の上から見る眺めはまさに最高だった。

景色を見て感動するというのはそんなに数ある経験ではない。

景色だけで人を感動させる力があるのだと感動した。

 

宮古島には川がないらしい。その代わりに懇々と湧き出る水があるらしい。

そんな湧き水で自然のプールができていた。そこでざぶざぶ泳いだ。

泳ぎながら飲めそうなほどきれいな水だった。

でも、実は硬水らしい。飲めないそうだ。

じゃぁ、何を飲んでるんだろう・・・。

 

それから海が余りにもきれいなので、浮かんいでるところを写真にとってもらった。

イメージとしては、死海に浮かぶ姿だったのだけれど、実際に出来上がった写真は溺死体だった。

 

その夜はレンタカーで車中泊をした。宿代を車代に充てるという作戦だ。

襲撃を怖れて繁華街に車を停めて寝ようとした。襲撃から身を守るのだから、窓は閉める。

 

暑かった。

 

バッテリーがあがるので、エアコンはつけられない。

停車するまでエアコンの設定温度を一番下げて、そしてエンジンを切る。

最初は涼しいけれど、すぐに車内の温度は上がる。焼け石に水。

 

襲われるかもしれないけれど、窓を開けることにする。

でも、窓を開けてしばらくすると蚊が入ってきた。

しかも何故だか臭かった。下水が整備されていないからだろうか?

 

いずれにしてもここは駄目だ・・・。

 

よくわからないが、とにかく眠れる環境ではなかった。

港まで行けば襲われないだろうと考えて、港に車を移動させてドアを開けて寝た。

港なら蚊は入ってこないし、風も涼しいだろうと。

 

襲われないだろう・・・というのはもちろん希望的観測だ。

それ以外の2点が何より重要だった。

 

それでもNは暑いと言って車を出て行った。そして港のコンクリートの上で眠った。

でも、そのおかげで少し涼しくなった。人間はかなりの熱を発生させている・・・。

 

6日目(宮古島)

 

残念ながら車中泊はあまり快適なものではない。

暑さのせいで余計に眠れない。寝汗もぐっしょりかいた。

おかげで朝起きたら頭が痒かった。

 

前日泳げそうな浜を見つけると道路わきに車を停めて泳いだ。

だから、泳ぎ終わった後にシャワーを浴びられなかった。

 

結局夕方にシャワーのあるビーチを探し、夕方頃にシャワーを浴びた。

すると、持参していったシャンプーがまったく泡立たない。

明らかに普通の水じゃない。硬水だからだろうか?

でも、合成洗剤なのだし、そんなにたいした影響はあるとは思えなかった。

 

夕方まで放っておいたせいか、もしくは夕方しっかりゆすいでいなかったせいなのか、

はたまた眠っていたときに汗をかいたのか・・・。

 

理由はどうでもいい。いずれにしても頭が痒い。

 

さて、次の目的地の石垣島へ行く船はまだ来ない。明日の朝にやって来る。

宮古島は徒歩で回るには大きすぎるし、レンタカーをもう1日借りるのはちょっと高い。

というわけで、この日はまったくフリーな一日だった。(もちろんこの旅自体がフリーだけれど) 

 

以上の点を鑑み、故に、安宿に泊まりたかった。

Nにそう言うと、「もったいない」とあっさり却下された。

でも、一人だけでも泊まる事にした。

 

だって頭が痒いから。

 

1泊素泊まり3000円のところだった。Nは宿探しに付き合ってくれた。

宿の一階でお茶なんかも一緒に飲んだ。やっぱり泊まることにしたのかなと思ったけど、

Nは泊まらなかった。お金が大事らしい。

 

Nはそのまま港のほうへ向かっていった。

こっちはとりあえず部屋に行き、大量の洗濯物を洗濯機に放り込んだ。

ヤツらはみんな悪臭を放っていた。汗臭いのとはちょっと違った匂いだ。

たぶんこの暖かさで細菌たちが繁殖したのだろう。

半乾きのまま鞄に詰めて動き回っていたから、格好の生活環境だったのかもしれない。

 

東京からもってきた洗剤が役に立った。必要以上に多めに入れてやった。

部屋に戻ると、シャワーを浴びた。

日焼けに少し沁みたけれど、ここ数日の体の汚れがしっかり落ちていく気がした。

頭もちゃんと洗った。

 

ああ、生き返る・・・。

 

備え付けのテレビをつけると、チャンネル数が極端に少ない。

別系列の局の番組を接いで放映していた。

日テレにフジ・・。しかもCMもない。

 

CMがあるはずの間隔には何故か天気予報を流している。

ケーブルテレビかなにかなのだろうか?

いずれにしても、ここではテレビはあまりおもしろくないものなのかもしれないと思った。

テレビなんか見てもいいことなんかほとんどない。

だから、真につまらないテレビというのはそれ自体悪いものではないかもしれない。

 

つまらないテレビをつけているとやたらと眠たくなってきた。

やっぱり昨日はあまり眠っていなかったのだ。

エアコンの設定温度をMAXまで下げて、カーテンでしっかり遮光し、その上で布団をかぶって眠った。

 

Nは何をしているんだろうかと思った・・・・のかどうかは定かではない。

 

7日目(宮古島⇒石垣⇒西表)

 

朝、快適な眠りで目が覚める。TVゲームの主人公のように、しっかり宿屋で回復させてもらった。

待ち合わせの港に行くと、Nは高校野球を見ていた。港にはきれいな待合所がある。那覇新港は汚い。

 

那覇新港について文句が言いたい。あそこは旅人たちの必要十分条件を満たす場所である。

 

旅人ならば那覇新港。那覇新港なら旅人。

 

そらなのに、那覇新港のベンチはぼろぼろ。しかも汚い売店が二件あるのみ。トイレも汚い・・。

僕はトイレにはうるさい。汚いトイレだと、評価は一気に下がる。

いや、でもそれだけではない。旅人のオアシスであるべき場所に信じられない貼り紙があるのだ。

 

仮眠禁止!

 

話が逸れた。しかし、この宮古島のフェリーターミナルは素晴らしかった。

乗客に快適に船を待ってもらうという目的を果たすための施設だった。

だから、もちろんテレビもあるし、エアコンもきいている。

弁当も売っている。もちろんおむすびだって、パンだって、サーターアンダギーも売っていた。

 

こっちはしっかり体力を回復したけれど、Nは一体どうしていたのだろうか?

すこし心配していたけれど、あいかわらず健康そうだった。

Nの話によると、前日浜辺で眠ったようだった。そして、浜辺で犬と戯れていたと嬉々として喋っていた。

 

犬?

 

・・朝から自分に酔っていた。疲れが溜まった。

 

石垣島への船が定刻にやってきた。宮古島から石垣島へはそれなりに時間がかかる。

そこで、宮古島までのフェリーで出会った自転車くんに再び出会った。

自転車くんは那覇から宮古島へのフェリーで会った旅人だ。

彼は半年ほどかけて北海道から石垣島まで自転車で横断しているらしかった。

なかなかの好青年だった。

 

翌年、沖縄にすっかりハマった僕は再び沖縄に行った。

そして、一人で上述の那覇新港でフェリーを待っていた。

そこで会った青年は、イマイチ君だった。

 

「東京から2万円でここまで来た。」

 

話を聞いてみると、どうやらヒッチハイクやら、さらにはその運転手のご好意によって

沖縄までそれだけの出費でこられたらしかった。

時はまさに猿岩石。(今は亡き)

貧乏旅行というものがある意味『格好イイ』時代だった。

 

僕が飛行機で来たと言うと、何故か勝ち誇った顔をしていた。

自転車君とは違って汚らしい奴だった。

 

また話が逸れた。自転車くんも昨日宮古島にたらしく、浜辺で酒盛りする地元の人に

気に入られて家に招待されたらしかった。旅先で地元の人の宴会に参加するっていう

のは羨ましかった。旅の醍醐味ではないかと思う。

 

船は石垣島へ到着すると、彼は最終目的地の米原キャンプ場へ向かっていった。

こっちの目的地は西表島だった。大型フェリーと離島への船の発着場所は少し離れている。

でかい荷物を提げて、離党桟橋へ向かった。

 

南に来て、さらに太陽の光線が強くなったように思えた。

 

離島桟橋からは、各離島へ高速フェリーが運行している。

1時間に2本くらいあるから、田舎のJRの駅なんかよりも便数は多いのではないか。

 

僕たちは、そのまま高速フェリーで西表島へ向かった。

離島桟橋の脇にある売店で銛を購入した。

西表島という未開の土地に行けばサバイバルな生活もあるはずだ。

海人(うみんちゅ)になるつもりだった。

 

西表島までの高速フェリーは非常に快適。なにより速い。

高速の名前は伊達ではない。この速さならその名称を許可してもいい。

いや、喜んで許可しよう。

 

西表島に到着。

 

民宿の車が船着場までお客を迎えに来ていた。

僕らは宿を頼んでいなかったが、少し図々しくなっていたのだろう。

頼んで乗せてもらい、目的地の星砂ビーチで下ろしてもらった。

 

思えば遠くへ来たもんだ。

 

気づけば西表島。中学校のときに習う地理では、適当に流していた場所だ。

白地図を渡されたら、うっかり中国領として色を塗っていたかもしれない。

今思えば死刑ものだが、とにかく、遠くへきたもんだ。

 

わざわざこの島に来たのは、僕にとっては海が目的だった。

ちなみにNは牛だった。由布島で牛に乗りたかったらしい。

 

考えてみれば、那覇から南下したら宮古島には泣き叫びたくなるように美しい海が広がっていた。

これまでのたった2つのデータから考えると、西表の海はさらにきれいなはずだった。

『西表島=未開の島』のイメージもそれを後押ししていた。

 

そして星砂ビーチ。・・・星砂・・・名前からしても素晴らしい。

 

ちゃっちゃとテントをレンタルして、そこにテントを張るとすぐにビーチに向かった。

もちろん銛も提げて行った。浜には珊瑚が細かくなってできた砂、いわゆる星砂でいっぱいだった。

 

しかし残念なことに、肝腎の海はなんだか緑がかっていた。

ま、多少海草もあるだろう。そう思って潜ってみると、底には土が堆積していた。

その土に海草がしっかり生えていて草原のようだった。

 

・・・がっかりした。

 

少し贅沢になっていたのかもしれない。僕の家の近所にある○○海岸では、

流れのない少しよどんだ場所に常に赤潮が発生している。特に夏場は。

それを考えれば十分きれいだったはずだけれども、素直に喜べない。

 

気持ちを海人に切り替えよう。銛をせっかく買ったので、漁をすることにした。

今日はテントで寝る。まさに、サバイバル。

 

魚はやはり基本だろう。

 

気を取り直して入り江の奥に入っていった。

奥は岩場で、深さも結構ある。

 

時折、冷たい層が足に当たる。

那覇市国際通りで購入したシュノーケルとブーツが大活躍だ。

 

足元に目をやると、結構な透明度。

もう海草も生えていなかった。

そして、何よりまわりには結構たくさん獲物がいる。

 

銛であちこち突いてまわる。銛を腕力だけで操ろうとしてもイマイチスピードが出ない。

あと、切っ先がぶれる。銛の手元についていた大きいゴムを利用して、銛を撃ってみる。

原始的な水中銃だ。やり始めてすぐに1匹しとめる。小さかったので逃がしてやった。

 

まだまだ大物は獲れるはずだ。

 

しかし、結局ビギナーズラックで最初に捕らえたそいつだけだった。

すると、Nが「獲物がいる。」と言って指を指した。イラブーだった。

食べられることは知っていたので迷うことなく銛で突いた。(美味しんぼで見たことがある)

しかし、惜しくも銛は外れた。

 

いや、惜しくない。むしろ幸運。

 

もしかすっていたら恐ろしいことになっていたはずだ。イラブーは毒を持っている。

実はそれは後で知った。知っていたらついていない。勝てないケンカはしない主義だ。

Nは知っていたのに刺すように言ったのだ。世の中には言っていい冗談と悪い冗談がある。

 

星砂ビーチはプライベートビーチのようになっている。入り江だから外部からは入れない。

浜へ続く道が1本あるだけだ。上には喫茶店兼ペンションが1件ある。

そこの敷地には芝生で覆われたサイトがある。ここでテントを張る。

 

水は自由に使える。あとトイレも。シャワーは有料。そんなに安くはなかったと思う。

食料はこの喫茶店で買って調理するか、それとも喫茶店で注文するかだ。

 

シャワーを浴びて、夕飯を食べる。

旅も後半にさしかかってきていたので、散財するわけにはいかなかった。

この辺は性格だと思う。

旅が終わりに近いからパーといくのか、その逆か。

 

とにかく、セーブすることにした。

ということで、この日も夕食は定番のソーキそば。

沖縄へ来てから何度ソーキそばに世話になったのだろうか。

 

8日目(西表島⇒石垣島)

人生初のテントでの宿泊。シュラフもなにもないから芝生が唯一のクッション。

よくは眠れなかったけれど、恩納村のビーチでのマジ野宿、そして宮古島での車中泊。

それに比べたら、まだマシかもしれない。でも、辛いことは辛い。

 

朝は相変わらず夜露に悩まされた。寝汗もかく。

この頃になるといい加減に二人ともホームシックにかかっていた。

都市での気ままな暮らしを恋しく思うと言う方が適当かもしれない。

エアコンかけて、飲みたいもの飲んで、そして布団かぶって眠る。

そういう贅沢をしたくなってくる。(旅も後半だし)

 

でも、そう考えると東京までの距離を考えると遠いなぁと思われた。

東京に帰るには、まずは石垣島へ高速フェリーで行かないといけない。

それから石垣島空港。スカイメイトでキャンセル待ち。

そこから羽田空港へ。やはり遠い。

 

もうそろそろ帰るか・・・という結論になった。

 

さて、帰るにしても・・だ。せっかく西表島まで来たことだし、色々やることはある。

西表島と言えばジャングルクルーズ。そして由布島。これをとりあえず朝からこなすことにした。

ジャングルクルーズは楽しかった。同じ日本なのに、これほどまでに植生が違うものだと感心した。

マンブローブ林はなんとも奇異に映った。それからジャングル中の探索コースを歩いて滝まで行って、

そして戻ってくると、もう昼だった。

 

それから由布島へ行くためにバスを待った。

由布島は西表島に隣接した島だけれど、西表島自体がデカい。

だから、徒歩では行かれないのだ。

だからバスを待つしかないのだけれど、なかなか来ない。

本数が少ないからだ。

なんで本数が少ないのかと言えば、この島の道路が沿岸を一周していないからだろう。

ちょうどCの字のように、途中でちょん切れている。

一周していれば、常時2台ほどくるくる逆方向に運行させればよい。

でも、とちゅうで途切れているからUターンしてこないといけない。

 

にしても遅い。理屈がある程度わかっても遅いものは遅い。

 

そして由布島。

そもそも由布島へ行きたいといったのはNだった。

水牛に乗ってみたかったらしい。

 

由布島へは浅瀬が続くので、歩いても渡ることができる。

そこを水牛車に乗って行きたいということだった。

何事もかたちから入るNらしい、格好マンなのだろう。

 

しかし、せっかくなので僕も乗ってみることにした。

意外と楽しい。もちろん有料だけれど、これには迷いはなかった。

動物にまたがるというのは良いものだ。あまり体験できるものではないだろう。

 

このときの写真の自分の姿を見るとやけに楽しそうだ。

まだまだ幼さも残る20歳だからしかたない。

途中でNと交代して浅瀬を歩いていった。

浅いから、海水は生暖かい。

そしたらなにか泥のようなものを踏んだ。

 

水牛の糞だ。

 

由布島は、本当に小さな島だ。

植物園があるだけだ。

もちろん、そこを見学してまわった。

閉園時間まで余裕がなかったので大急ぎで見学した。

他にお客はいなかった。

みんなもっと早い時間に来て回ってるいるのだろう。

熱帯の植物をさらりと見て、植物園を後にする。

帰りは水牛に乗らずに浅瀬を走る。

 

バス停のタイムテーブルを見ると、バスは一本しかない。

終バスだ。

時間はまだ5時にもなっていない。

でも終バスだ。

愚痴をいう暇はない。

ただ走る。

 

おかげで終バスには間に合った。

終バスにのって、レストラン前のバス停で降りた。

 

このレストランは宮古島へ行くフェリーで会ったおじさんに紹介してもらったレストランだ。

「仕事でここのオーナーと知り合いになったから、もし西表島に行ったら訪ねてみな。」

そう言われてやって来た。

 

レストランを経営しているくらいだから、夕飯をご馳走してくれたり、泊めてくれたりするかもしれない。

そんな皮算用をして、のこのことやって来た。だって終バスで来たんだから。

 

しかし、なんとレストランは4時で閉まっていた。

レストランに付随する家屋にも、どうやら人はいない。

レストランは、ただ一軒ぽつんとあるだけなので、レストランのほかには何もない。何も。

諦めきれず、レストランの周りをうろうろした。

 

ちょっと待ってくれ。

 

事態は少々深刻だった。バスはもうない。

歩いて移動するには、少々遠い。電灯もない。

 

ていうか、ハブ出るぞ。

 

この場所で野宿するにしても、晩ご飯がない。

しかも寝る場所がない。

浜辺はある。島だから。

でもテントもシュラフも何もない。まさに野宿。

明かりはレストランの駐車場の自動販売機のみ。

まだ時刻は5時過ぎ。これから12時間以上をこの何もないところで過ごさなくてはいけない。

 

浜辺で寝るにしても、ハブがいるんじゃないのか??

 

少々ぐったりして浜辺を徘徊していた。

もう旅も終わりに近いというのに、真剣に野宿をすることになるのは痛かった。

浜辺は恩納村ビーチと違って整備されていなかった。

色んなごみが浜辺に打ち上げられていた。

 

ああ。もう最悪。

 

そしたら、一台の乗用車が駐車場に入ってきた。

どうやらレストランが営業中だと勘違いしてやって来たらしい。

 

チャンス!

 

このチャンスを逃してはいけない。そう思って走った。

そして、立ち去ろうとする車の運転席に直接話しかけた。

 

「すいません、港まで送ってください。」

 

この旅行ではヒッチハイクを何回かやってみたが成功した試しはなかった。

冷静に考えてみよう。若い男2人をあえて乗せたいだろうか・・・。

いや、乗せる理由はないだろう。僕は乗せない。臭くなりそうだ。

 

若い女の子2人だったらどうだろうか・・。

下心のあるなしに関わらず、かわいそうだから乗せてあげようかなとなるのではないか。

僕なら乗せない。若い男2人は全く哀れを誘わないのだ・・。

 

でも、絶対に乗せたくはないかというと、そうでもないはずだ。

あえて乗せはしないけれど、あえて拒む理由もないのではないか。

それなりに礼儀正しいし、髪の毛も黒い。ピアスもしていない。

いたってまじめそうな若者だ。

直接頼まれたら、「ま、別に構わないよ。」となるはずだ。

だから今回は、直接頼んだ。

ヒッチハイクではない。少々反則気味か。

 

とにかく助かった。この方々は岡山から旅行に来ているらしく、

レンタカーを借りてドライブしているとのことだった。

しかも大手饅頭まで頂いた。かなり嬉しかった。

サービスのつもりで饒舌にいろいろ話したが、

むこうにすれば実はうざかったかもしれない。

 

もう、とにかく感謝。

 

予想外の寄り道となってしまったが、結局終フェリーには乗ることができた。

その日のうちに石垣島へ到着した。東京へ少し近づいた気がした。

最後のトラブルですっかり疲れてしまった。

もう明日帰ろうということになった。そうと決まれば、今日が最後の夜。

夕飯には金を使うことにした。

離党桟橋近くの琉球料理屋でなんとか御膳を頼んだ。

コンビニ弁当もソーキそばも今宵は要らない。

 

そして宿は、結局明日帰るんだから、必要ないということになった。

その浮いたお金で色々できるじゃないか、と。

それから民謡の聴けるバーへ行った。

 

バーの名前は芭蕉布。

できるだけ朝まで粘って、それからそのまま空港へ行くはずだった。

しかし、予定は完璧なはずだったが、またしても狂った。

どうもこの日は予定が狂う日らしい。

 

ビール一杯で1000円するのだ。

 

これは少々ありえない。さらにボトルキープは10000円とも書いてあった。

けれども、この店はそもそも明朗会計。

それに、ガイドブックにも載っているのだからぼったくりバーのはずはないのだ。

 

けれど、何度も言うが当時はまだ20歳と21歳。まだまだ子ども。

 

急に恐ろしくなってきた。

「これはうわさのぼったくりバーという代物ではないのか・・・。」

居心地が悪くなってきた。

「いくら取られるんだろうか・・・」とそればかり心配になった。

歌などはほとんど耳に入らない。

しかも、知っている民謡なんてのはあまりなかった。

気になるのは、目の前に置いてある湿ったお菓子の金額ばかりであった。

「テーブルチャージは一体いくらだ?」

そう考えると目の前のビールをくいっと飲み干せるわけがない。

しばらく一杯のビールでちびちびと時間を稼いでいた。

 

だけど、いくらなんでもそれ一杯でいるわけにもいかなかった。

そして、それ以上頼むのもどうかということになって、結局店を出ることにした。

お値段は3000円だった。テーブルチャージは2000円だった。

これは民謡代だから、至極妥当な金額だと思う。

しかし、安宿の料金と同じくらい払ったのに、気づけば夜遅くに外にいる。

この選択を激しく悔いた。

 

仕方ないので野宿をすることにした。

 

結局野宿かよ・・・

 

場所は、大型フェリー発着場所の前の広場だ。

芝生があるので寝られるだろうとの読みだったが、またしてもはずれた。

 

蚊だ。

 

蚊に襲われて街中へ逃げ帰ってきた。

繁華街をうろつくしかない。

すると一角にベンチを見つけた。

缶ジュースを買い、そこでただぼんやりしていた。

 

石垣島のホステスさんは、外国の人が多い。色んな時間のすごし方があるんだな・・。

はぁ、にしても何やってるんだよ・・。

 

しばらくぼんやりしていると、2人のおじさんがNに話しかけてきていた。

どうも酔っ払っているようだった。それなりに楽しそうにしゃべっていた。

酔っ払いの相手はしたくなかったので、Nに任せていた。

 

そうしたら、2人から飲みのお誘いがあった。

Nは、行こうと言う。

警戒心はすぐにはとれないが、男二人だし、断る理由はない。

のこのこと付いていった。そこは普通の居酒屋で、お酒をご馳走になった。

話によると、2人は漁師さんということだった。漁師さんは海の男といった感じだった。

これまでどんな獲物を釣り上げたかとか話してくれた。

おごってくれたからとかそういうことではなくて、こういう人は好きだ。

 

話は少し逸れる。

人間の仕事を大きく分けると、肉体労働⇔デスクワークがある。

そして人間の性質として体育会系(陽)⇔文科系(陰)という図式が成り立つと思うのだ。

そうすると、デスクワーク+体育会系というタイプの分類ができる。

このての連中は基本的に苦手だ。

ちなみにこの漁師さんは肉体労働+体育会系だ。

こういう人は他人に親切で、基本的に陽だ。

その人の外へ向かうエネルギーが健全なかたちで発散されているからだろう。

話を戻そう。

 

しばらく飲むと、片方がうちに連れて行ってやると言う。

警戒心もすっかりなくなり、酔っていたのかもしれないが。

とにかくご好意に甘えることにした。

いまさら行くところもない。

 

家まで行ってみると、なかなか立派な家に住んでいた。

リビングにはパイナップルがおいてあって、「お土産にあげる。持って帰りな。」と言うと、寝室へ消えていった。

こいつはアンタじゃなくて、奥さんが買ってきてた物だろ。

勝手にそんなこと言って大丈夫なのか?

 

しかし、冷静にそんなつっこみを入れられるはずもなく、

リビングで寝入ってしまった。

 

静かで安全な場所は人間にとって必須だ。

この日は、衣も食もあったがひどく落ち着かなかった。

「住」がなかった。やはり、この3つは基本だ。

 

朝起きると、お礼の手紙をしたためてテーブルの上に置いた。

偉くなったら、いつか恩返ししたいものだと思った。

そして、小ぶりのパイナップルを一つずついただいて、空港へ向かった。

 

このパイナップルは、非常においしかった。これまでで食べた中で一番だ。

単純にうまかった。甘さが段違いだ。パイナップルは沖縄に限ると思った。

完熟したのを現地で買って、そして現地で食べる。それが一番おいしいんじゃないか。

普段食ってるのは、バナナと同じように早めに収穫して、植物ホルモンかけて熟させてるんじゃないか?

 

今でもそう信じてる。

 

あとがき

兎にも角にも、沖縄旅行はこんな感じだった。

行った先が外国だろうが国内だろうが、あのときに友人と旅行すれば楽しい。

振り返ってて、楽しかったなぁ・・とすっかり回想に耽ってしまう自分に気がつく。

まだまだ若者の部類に入る。これは間違いない。記憶の中に生きるにはまだまだ早い。

でも、振り返る暇はないけれど、思い出すだけでくすりと笑える思い出は大事だろう。

 

あれから、沖縄好きになってしまった。

それまでは沖縄と言えば、戦争や基地のイメージしかなかった。

かわいそうな地域。

そんな無責任な認識が正直大部分を占めていたと思う。

でも、無責任な憐憫なんかいらない。

 

そう思うべきなんだという意識に縛られてしか沖縄を見ていなかった。

確かにそこは知るべきことだ。

学ばなければいけない。

でも、それが沖縄のすべてではない。

沖縄は、もっと魅力的な場所だ。

 

島。

太陽。

海。

おじー、おばー。

三線。

そして、沖縄時間。

 

使い古された言葉だけれど、やっぱりリフレッシュしてくれる場所だ。

re 再び fresh 新鮮 にしてくれる。

疲れた心を癒してくれる。