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九章算術 先秦時代の数学的知識を集大成したものです。
著者は不明です。その成立時代については、
一、二世紀の後漢時代にはかなり多くの学者によって
読まれており、その註解が書かれた三世紀半ばには劉徽
のころまでには現存のものが確立した 関孝和 。 関孝和は江戸時代に活躍した、日本が誇る数学者(和算家)である。 彼はそれまでの算木による代数学を大幅に改良、記号を使う筆算式の 数学を独自につくりだした。それは現代の代数学と同じ方程式の書き方 (記号法)に通じるものでありこれによって和算は飛躍的な発展をみた。  彼はまず連立2元1次方程式の解を求める公式を生みだし、これを多元 に広げて行く過程で今日の行列式の考えにたどりついた。これはヨーロ ッパに先立つこと二百年前である。さらにn次方程式の近似的な解を求め る方法を孝案。これは孝和に約百年遅れてイギリスのホーナーが発表した 方法と同じである。また円に内接する正多角形の辺の長さを求める公式 (角術)を得てこれをホーナーの方法を使って解き11桁まで正しい円周率 を計算している 塵劫記 吉田光由によって著された「塵劫記」は寛永4年(1627)に初版が刊行さ れ、その後さらに幾たびも版が重ねられた。 吉田光由(七兵衛、久庵1589〜1672)は山城国葛野郡嵯峨村の人で、幼少 のころより数学を好み外祖父の角倉素庵に就いて中国新安の程大意の「算 法統宗」を教えられ、学究への道標を得て「割算書」の著者、毛利重能の 門に入って数学を学び「算法統宗」をもとにして「塵劫記」を世に出した。 「塵劫記」は当時としては最高の内容で、光由の門下に学ぶ弟子たちにも 分かりやすく興味のある図解を加え、文章も極めて平易に説明されたので 当時の需要に大いに適した。また数学遊戯の問題などをも多くとり入れ興 味をそそる工夫をこらしたので、その内容が歓迎され数学を全国に普及す ることとなったという。 「塵劫記」は江戸時代の初期には、主として武家が計算の実務を学ぶため の本であったものが、庶民の中にも溶け込み、後には広く算数教科書とし て親しまれることになった。その内容からみて、主眼は数学の普及という ことであったが、新たに登場してきた算盤の算法を理論的に解説した最初 の指導書でもあった。算盤は当時の一般庶民にとっては必要欠くことので きないもので、武士の刀と同様に考えられたものと思われる。 綴術 関以後では、彼の愛弟子の建部賢弘(1664〜1739)の業績は傑出している 。東洋の算学は、計算には優れているが、論理などの面で劣っているとされ ている。こうした中で、建部は研究法を考案したのである。「綴術」と呼ば れるものである。  この名称は、中国から伝わったもののようである。南北朝の祖沖之( 429 〜 500年)の著作『綴術』( 463年頃)がそれである。この本は、日本でも 奈良時代に輸入され、大学寮で教科書とされたが、散逸してしまい、今に伝 わっていない。どうやら円の研究をしたものらしく、円周率を小数点以下7 桁まで計算している。本場の中国でも、科学技術の長官である李淳風( 7世 紀)に「難しすぎて、理解する学者がいない」と言わせたもので、そのため 散逸してしまったのである。  円周率を何桁も計算するだけの単純なものでは、科学技術の専門官にこう いう評価をさせるとは思えない。したがって、何か数値を操作する方法と考 えられるが、本が現存していないので、その方法は謎のままである。  建部の方法が祖沖之の方法と同じものか分からないが、面白いものである ことは確かである。建部の「綴術」は、数列の公式を求めるものである。さ らにこれを進め、無理数や超越数の数値からその公式を求めるということも 行っている。

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2002年07月15日 12時47分36秒


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