楽しい旅

ボルネオ熱帯幻視行

こどもの頃から熱帯に憧れのようなものがあった。
一種熱病である。地図や図鑑を眺めてはいつか
行ってみたいなあと思っていた。恐竜のような形を
したパプアニューギニアやボルネオはこどもの頃
のぼくにとって魔力をもっていた。

「いつか行きたい」とは思っていたが、行けるとは
思わなかった。昭和30年ごろのことである。その
後、「ニューギニア高地人」や「カナダエスキモー」
といったルポが新聞に連載され、一種の探検ブー
ムのようなものが起きた。

地球上にまだ、こんなと ころがあるんだ。
新鮮な驚きがぼくの心に湧き起
こったが、熱帯はまだ遠い存在だった。

そのボルネオに出かけたのは1995年の夏ももう
終わりかけた頃だった。こどもの頃憧れていた熱
帯幻視行、そんな大それた旅ではなく、妻と二人の
気軽な旅である。

それでもぼくは「念願のボルネオだ」と出発前から
興奮気味であった。

ぼくらの乗ったMH−077便は午前10時半、成田を
離陸した。この日は天気もよく窓から外の眺めも快
適だった。

ボルネオ島はインドネシア領が大半だが、マレーシア
そしてブルネイの三つの国がある。

ぼくらが向かった のはマレーシア・サバ州の
コタキナバルである。午後 3時にはもう到着する。
国際空港といえるのか、小さ くてかわいらしい空港。

飛行機を降りるとむっとした熱 気が体を包む。

「うむ、これが熱帯の空気だ」
ひとりでそんなことをつぶやく。

空港にほど近い、シャングリラ・タンジュンアル・リゾート
でチェックインをしていると、ものすごい勢いで雨が降っ
てきた。

もう雨季はとっくに終わっているというのに、こ
としはピナツヴォ火山の大噴火のせいで天候が
不安定なのだと言う。

雨はいっこうに止まない。激しいスコールはさらに勢い
を増し、ヤシの葉で葺いたしゃれたホテルのロビーにま
で雨漏りをさせ、1時間もするとぴたっと止んだ。あとは
真っ青な青空に灼熱の太陽である。

翌日、ぼくらは車を雇ってキナバル山(の麓)に向かった。
ボルネオで一番、いや、東アジアで最高峰。

標高4101 メートル。

本当はこの山に登りたいが、妻もいてこんどの
日程ではちょっと無理。車で2時間ちょっと走り、国立公
園管理事務所の近くから、徒歩のネイチャーウォークを
楽しむ。

ガイドの英語の説明をあまり分からないまま、熱帯雨林の
ジャングルを歩く。観光のアメリカ人やヨーロッパから来た
イタリア人らが早口の説明に大声で笑うが,残念ながらこち
らはちんぷんかんぷんである。

それでもとっても気持ちが良い。これが熱帯なのだ。とうと
うボルネオへ来た。そう思うと、樹間に舞う珍しい鳥やちら
ちら飛ぶ蝶もひとしお愛着が湧いてくる。

ネイチャーウオークのあと、ポーリン温泉に立ち寄った。

この年は終戦からちょうど50年目の節目の年だった。

侵略戦争ざんげの新聞記事があちこちにあふれていた。
ぼくらの出発前にも、このポーリン温泉のことが朝日新聞
に大きく取り上げられていた。

ボルネオ占領の日本軍がサンダカンから数千人の捕虜を
連れ「死の行軍」をした。ポーリン温泉も日本兵のために
捕虜に掘らせ、そこでも多くの捕虜が死んだ。

そんなような中身の記事だったと思う。詳しいことは忘れた。

ポーリンの温泉は穏やかだった。地元の人や観光の欧米人
たちが水着になって、きゃっきゃっと騒ぎながら温泉を楽しん
でいる。

ブロークンの運転手の英語によると「捕虜たちを休ませるた
めに日本兵が温泉を掘った。日本人はえらい」という事のよ
うだ。50年前のことはもう忘却の彼方のようにみんながここ
で露天風呂を浴び、楽しんでいる。

日本兵も捕虜たちも恩讐 を越え、つかの間の
休息を楽しんだのではないか。

夕方、ホテルに戻ったあと街に出かけたが、途中、また、激し
いスコールに遭った。折りたたみの傘を持っていたが、そんな
ものは役にも立たず、ぼくらはビルの陰でひたすら雨が通り過
ぎるのを待った。

翌朝、ぼくらはホテル近くの港から島に出かけた。小さな漁船
をチャーターし、といっても日本円で1000円ほど。漁師のおじ
さんがエンジンを操り、小学生くらいの息子が舳先に乗り込む。

1時間ほどで島に到着。きれいな海岸がずっと続く。人っ子一
人、誰もいない。

「3時半に迎えに来てくれ」と頼む。

「OK」というが,ほんとに来てくれるのかどうか分からない。
ほんとに静かな浜だ。無人島にぼくら二人だけ漂着したような気
分。時折、猿がキーキーと鋭い泣き声を上げる。

誰もいない海でゆっくり泳ぐ。のんびり泳ぐ。ゆらゆらと水に潜る。
そんなことをしながら浜に戻ると、妻が「あれえ」と大声。

吃驚して見ると、浜に置いてあるぼくらの荷物を猿たちが持ってい
こうとしている。あわてて「こらあ」と駆け足で追い払う。

「ぼくらが海に入るとまた、やってくる。でもそれが楽しい。

昼が過ぎてもぼくら以外誰も来ない。だんだん不安になってきた。
強盗にでも襲われたらどうしよう。そんなとき若い中国人のカップ
ルが船で到着した。結局この日一日で島で出会ったのはこの二
人だけだった。約束より大分遅れて迎えの舟がやっと来た。

ボルネオまで来たら、うまいものが食いたい。そう思って街へ出た。
街を抜けてフィッシュマーケットの近くにあるPORT VIEU SEAFOOD
RESTRANTという店に入る。地元の人で大賑わい。いかにもうまそうな
雰囲気が漂っている。

大きな活きたイセエビ、かに、なまカキ、野菜の炒め物、ココナッツ、
ビール4本、ご飯を腹いっぱい食って日本円で4410円だった。
楽しい、楽しい、ボルネオの旅だった。

 

1995年8月17日10時30分  成田発(MH077)
          15時     コタキナバル着

       22日 5時45分  コタキナバル発

              8時10分  クアラルンプール着

             11時35分  クアラルンプール発

       19時15分  成田着 


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