楽しい旅

98・99カンボジア「モナリザ」紀行

有森裕子さんは信念の人だ。

バルセロナ、アトランタの二つのオリンピックでのメダルや、
あの「自分で自分をほめたい」という名言は日本中を感動
させたが、ぼくは彼女がもう5年も続けているカンボジアで
の人道支援に心打たれるのだ。

有森さんはハート・オブ・ゴールド(心の金メダル)という運
動をやっており、毎年アンコールワットのまわりでマラソン
大会を開いている。

ぼくがはじめてカンボジアに行ったのは1998年11月の事
だった。タイの国境を越えると、飛行機の窓から眺める大地
はひたすら原野ばかりで、山らしい山もない。

かっては東南 アジア有数の穀倉地帯だったが、あの
ポルポトの支配でい まはこの国土に100年かかっても
除去できないと言われる 地雷が残されており、そのために
被害にあって命を落とした り、手足を失う
人たちが毎年数百人も出ている。



その日はちょうどアンコールワット・マラソンの日だった。

有森さんが車イスを何台も寄贈していた。毎年、毎年そうし
ていると言う。有森さんの運動に共鳴して、大阪のサンケイ
スポーツやボランテイアの人たちが日本から駆けつけ、コー
スの整備や沿道の整理をかってでる。

レースが始まった。5キロ、10キロ、ハーフマラソンとあるが
カンボジアのひとたちがうれしそうに炎天下のマラソンに参加
している。

有森さんはオリンピックの時とは打って変わって楽
しそうに子供たちに声をかけたり、励ましたりしながら走っている。
やがて選手たちがゴールに飛び込んできた。

子供たちの歓声、沿道のひとたちのにぎやかな応援の声。

ひときわ大きな声援が上がった。ぼくは思わず声をのんだ。

義足の選手たちが何人も何人も健常者と同じように、ゴール
目指して走ってくる。足の不自由さなど感じさせず、走ることの
楽しさを実感しているように、その顔は汗と笑顔で輝いている。

世界遺産のアンコール・ワットに囲まれながら走るマラソン大
会。こんなすばらしいランニングコースをぼくは知らない。

でも最初は走ることなどまったく無縁だったカンボジアの人たち
は、なにかふしぎなものでも見ているようだったという。
それがいまでは年に一度のこの大会を皆が楽しみにしている。
ずっと遠くの町や村から何万人ものひとたちが出かけてくる。

有森さんは対人地雷の被害にあった人たちを救済するため、
プノンペンに病院や自立するためのセンターをつくる運動など
を続けている。ポルポトの戦禍で感情を表すことを忘れ、表情
を失っていたカンボジアの人たちが、自由に走れることの喜び
を爆発させて、こんなにもかがやいている。
すごい感動だった。

アンコールワットの朝焼けは美しい。

真っ暗な夜のとばりが少しずつ明るくなり、やがて遺跡の中心
の尖塔がパアッと輝きを見せる。それもほんの一瞬のことだ。



プノンパケンの丘からの日没もすばらしい。

息をきらせて急斜面の丘を上り、遺跡に座り込んでじっとサン
セットを待つ。見渡す限り地平線の彼方まで熱帯雨林。よく見
るとそのジャングルの合間にアンコールワットの尖塔がのぞい
ている。

やがて茜色の日の入り。太陽が赤々と沈むところはこの日はだ
めだったが、真っ赤な空が雲に映えてそれは美しい。

ゆっくりとアンコールワットの遺跡を歩く。

1113年から1145年にかけて建立されたというが、こういう遺
跡を見るたびに人類の偉大さにただただ敬服する。

長く続く第一回廊のレリーフ、ヴィシュヌ神であったり天国と地獄
図であったり、クメール軍の行進であったり微細な浮き彫りに圧
倒される感じだ。

遺跡の近くはとても穏やかで、のんびりと歩く。ただ、道の両側の
林はところどころにドクロマークが掲げられており、トイレ代わりに
立ち入った人が地雷にやられたというから怖い。

4面仏や「7つ頭のナーガの胴体で綱引きする神々」という石仏群
のある南大門を抜け、少し離れたアンコールトムに行く。

翌日はバンテアイ・スレイに出かけた。

マイクロバスに揺られて1時間。とにかくひどい悪路だ。
乾季に少し道路整備をするが、また雨季になると大きな穴が道路
のあちこちにでき、ひどい悪路になる。

バスは右に左に大きくバウンドし、ぼくらはそのたびに座席に
しが みつく。
バンテアイ・スレイの遺跡近くは最近までポルポトの支配地だった
こともあって、観光客は立ち入れなかった。

小さな遺跡だが、ここには「東洋のモナリザ」と呼ばれる女神像が
ある。高さ1メートルほどの像だが、ふくよかで端麗な容姿はアン
コールワットの女神とは趣が違う。昼の太陽に照らし出されるモナ
リザはとりわけ艶かしい。

フランスの作家、マルローがかってこの像を切り出して持ち出そう
としたといわれるが、わかるような気がしないでもない。不思議な
微笑がぼくに向かって今にも何かを語りかけようとしているようだ。

1999年12月、ぼくは再びカンボジアを訪れた。

帰国して間もなく、シドニーオリンピックのマラソン選手を選考する
大阪女子マラソンが開かれた。有森さんはボランテイアの熱烈な
声援を受け「きょうは勝ちます」と言って、スタートした。

スタートして間もなく、ぼくは長居競技場を出て地下鉄で御堂筋に
出た。

やがて選手の姿が見えてきたが、なかなか有森さんの姿はなかった。

やっと目の前を通っていく有森さんはちょっと苦しそうで表情がゆが
んでいた。ぼくは思わず「有森がんばれ」と大きな声で声援を送った。

その途端、彼女はぼくのほうをちらっと見やって、にこっと微笑んだ。
それはあの「東洋のモナリザ」のような微笑だった。

レースが終わったあと、ぼくは有森さんに「残念だったね。でもシドニ
ーは終わったけど、ほんとの人生のマラソンレースが始まるのは今日
からですよ」と声をかけると、彼女はまたあの人懐こい笑顔でニコッと
笑った。これまで見たこともないような爽やかな笑顔だった。

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