楽しい旅


2004モナコ・南フランスの旅
(プロヴァンスに魅せられて)


 


 

プロヴァンスには神のような太陽が降り注ぎ、
悪魔のミストラルが吹きまくるーと言ったのは
ゴッホだった。

プロヴァンスにはどこか心引かれる魅力があ
ふれている。ゴッホやセザンヌが絵筆をふるっ
たふるさと。古代ローマの数々の遺跡群。肌を
刺すミストラルや雪にも遭遇した。コート・ダジ
ュールからモナコ、プロヴァンスからパリへと
印象派の旅を楽しんだ。

2003年12月28日(日)

成田(09・55)
パリ(14・35)
パリ(15・30)
ニース(17・05)

クオリティー・アクロポール

12月29日(月)

ニース
マントン
エズ
モナコ

メリディアン・ビーチ・プラザ

天使の入江

ニースは雨だった。
パリの乗り継ぎが1時間しかなく、おまけにきつ
い向かい風でエールフランスが30分ほど遅れ
た。荷物が心配だったがなんとか無事だった。

目覚めると雨もあがっていた。南フランスの朝
は遅い。午後8時にやっと明るく朝が明ける。

ホテルから歩いて10分ほどの「プロムナード・
デザングレ」に行ってみる。1830年イギリス
の出資で作られたので、それ以来、イギリス人
の遊歩道と呼ばれている。

まだ、薄暗いが寄せては返す波が心地よい。
「天使の入江」と呼ばれるほど穏やかな保養
地で、青い海の向こうはコルシカ島、そして
遥か先にアフリカ大陸がある。

泳いでいる人がいたのでびっくりした。きょうは
12月29日だが、水温は12,3度あるのだと
いう。波打ち際は柔らかな砂浜ではなく小石の
浜辺なのが意外だった。

遊歩道の片側にはカジノや豪華なホテルが建ち
並んでいる。9時にホテルを出発、丘の上に上
がって行く。有名人の瀟洒な別荘が建ち並び、
「あれがエルトン・ジョンの別荘」とガイドさん。

モンボロン展望台からニースの市街を眺める。
空から見ると天使に見えるという「天使の入江」
の港にはクルーザーがびっしり繋留されている。


シャガールの詩情

 シャガール美術館の中庭にはオリーブの木が
何本か植わっている。柔らかな雰囲気のの中庭
を通って美術館に入ると12枚の大作が目に飛
び込んでくる。

真ん中に「人類の創造」。翼を広げた天使がア
ダムを抱えている。その上には赤い太陽が幻
想的に輝き、そのまわりに聖書の物語に登場
する人物たちが描かれている。

ブルーと赤と黄、そして緑。シャガール特有の
色彩の世界が夢のように広がっている。

その横には「律法の石版を受けるモーゼ」があ
る。黄金に輝く光が天上からまばゆいほどに射
し込み、雲の間から神が両手だけを出してモー
ゼに律法の石版を授けている。左下のシナイ山
の麓では民たちが待ち受けている。

映画「十戒」などでも知られる場面。黄色を基調
にした色がファンタジーのように訴えかけてくる。

「シャガール美術館」は正式には「マルク・シャガ
ール聖書メッセージ国立美術館」という。1966
年、シャガールが国に寄贈した大作17点が中心
になっている。

「創世記」「出エジプト記」「ソロモン雅歌」などす
べてが聖書の物語から構成されている。

最初の展示室の奥には独特の赤を基調にした
「アブラハムと三天使」の大作がある。深い、深
い赤には魂が吸い込まれて行くような所がある。

シャガールはロシア生まれのユダヤ人である。

「まだほんの子供の頃から、聖書に夢中になった。
如何なる時代も大事な詩情の源であるように思っ
たし、今でもそう思う。それ以来ずっと、その反映
を人生と芸術に求めてきた。聖書は自然の響き
のようであり、その秘密を伝えようと試みた」

シャガールの言葉が美術館のパンフレットに書
かれている。

美術館の左手の奥にはコンサ−トホールがあり
ここにも「天地創造」をモチーフにしたステンドグ
ラスがある。ちょっと暗いホールの椅子に腰掛け
ステンドグラスを眺めると、濃いブルーがなにか
メッセージを伝えているようだった。


コクトーが愛した町

骨董市をぶらぶらした後、プロムナード・デザング
レに戻って青い海に面したレストラン「LA CANNE
 A SUCRE」で昼食をとった。

ニース風サラダ、メインはタラとインゲンに濃厚な
ソース、プリンがデザートに出た。

午後はジャン・コクトーが愛したコート・ダジュール
の町、マントン(MENTON)を訪ねた。

昨年(2003年)上野の森美術館で開かれた「ピカ
ソ・クラシック」にはコクトーとピカソ、ディアギレフの
コラボレーションで創りだされたバレエの舞台美術
の素晴らしい作品が何点も展示されていた。

「私の耳は貝の殻。海の響きを懐かしむ」という有
名な詩は31歳のコクトーがカンヌで作ったものだ。

コート・ダジュールのあちこちにコクトーの作品があ
るが、イタリア国境に近いマントンには市庁舎の中
に有名な「婚礼の間」がある。

椅子に座って深い海の響きに耳を澄ますと、正面
にマントンの漁師と果樹園の女性が描かれている
のが見えた。コクトー独特の渦のような曲線模様が
不思議な印象を与える。

新婦の頭上には燦々と地中海の太陽が輝いてい
る。新郎の目はよく見ると魚だ。

左右や天井にもギリシャ神話のオルフェウスの悲劇
などが描かれている。

町のあちこちにオレンジが実り、ミモザの黄色い花
が咲いている。

コクトーはこの町を殊のほか愛し、1957年から58
年にかけて、「婚礼の間」の内装を手がけ、廃墟に
なっていた海辺の要塞を改造して「MUSEE JEAN
COCTEAU」にした。


鷲の巣村のたたずまい

エズの村は崖の上にちょこんと乗った小さな村である。

村全体の人口は1500人。崖の上の集落に住んで
いる人はわずか80人ほどだという。

コート・ダジュールにはこうした崖の上の村があちこ
ちに見られる。遠くから見るとワシの巣のように見え
るので「鷲の巣村」と言うらしい。

人ひとりが歩けるくらいの細い路地の両側に中世の
たたずまいを残した街並みが続いている。海抜420
メートル。はるか眼下に地中海が広がっている。天
気が良ければ紺碧の空と海があるはずだが、きょう
は残念ながら条件が悪かった。

細い道に沿って両側にある土産物屋をのぞく。ぶら
ぶらと30分ほどで1周して、香水の研究所で石鹸と
入浴剤の「BATH SALT」をおみやげに買った。
どちらも3・5ユーロだった。

たいした土産ではないが、みんな先を争って買い求
めていた。ぼくらは土産物屋で時間をつぶしてしまっ
たが、エズにはいいところがいっぱいあるらしい。

村からさらに高台に上がると熱帯庭園があって、そ
こからの眺めは最高だというし、ニーチェが「ツァラト
ゥストラかく語りき」の構想を練った「ニーチェの道」
もいいとガイドブックに書いてあった。天気が良くて
もうちょっと時間があればと残念だった。


モナコ美しき街

コート・ダジュールは「紺碧海岸(青い海)」と言うの
だろうが、その中でもモナコの美しさは際立っている。

マントンやエズの帰途、高速道路から見えてくるモナ
コの街並の溜息の出るような美しさ。人口はわずか
30000人、面積は皇居の2倍ほどの小さな国だが、
高級ホテルが軒を連ねる究極のリゾート地である。

モンテカルロをぶらぶらしてすれ違う女性が皆高価
な毛皮のコートを着ているのに妙に感心した。

「いまどき銀座で毛皮のコート着てたらおかしいけど
モナコだとぴったりねえ」と、ともちゃんは感激してい
る。見ただけでいかにも高級というのが分かる。毛
皮の品評会のようだ。

山から海に向かってなだらかに傾斜した公園があり、
突き当たったところがカジノ。右手に「オテル・ド・パ
リ」、隣接してブランド街があって、その後が「オテル
・エルミタージュ」、カジノの左手には「カフェ・ド・パリ」
がある。

この日(12月29日)は「ル・メリディアン・ビーチ・プ
ラザ」に泊まった。中心街からちょっと離れているが
新しくていいホテルだった。夕食は「SALON ZEP
HIRE](そよ風の間)というしゃれた部屋で、丸い食
卓で結婚式のようだった。

サーモンのパテ、ローストビーフ、プリン、コーヒー。
赤のプロヴァンス・ワインが22ユーロだった。


12月30日(火)

モナコ
フェラ岬
モナコ

メリディアン・ビーチ・プラザ

モナコといえばグレース・ケリー抜きには語れない。

「裏窓」や「ダイヤルMを回せ」などヒッチコックの映
画で大スターの道を歩んだグレース・ケリーは195
6年レニエ大公と世紀の結婚式を挙げ、モナコ王妃
となった。しかし、1982年、自動車事故で突然の死
を迎えた。ゴルフ場からの帰り道、ヘアピン・カーブ
を曲がり切れなかったのが原因だが、その悲劇は
ダイアナ妃の事故と同じように世界中を悲しませた。

翌朝(12月30日)、そぼ降る雨の中大聖堂に出か
けた。大聖堂の中にあるグレース王妃の墓碑の上
には今も花束が絶えることはない。

大公宮殿は冬は公開されない。それでもそこから
眺めるモンテカルロの街並みは美しい。中庭には
建国の父と言われるフランソワ・グリマルディの像
がある。1297年、修道士に変装したグリマルディ
がモナコの要塞を占拠したのがモナコ公国の始ま
りだという。

 

モンテカルロ・イルミネーション

太陽が顔を出すとコート・ダジュールは青い空と青
い海に一変する。

昼食はモナコから11キロほど出たサン・ジャン・カ
ップ・フェラ(St Jean Cap Ferrat)の漁港にある
レストランだった。エビや貝の入ったピザ風パイ、
ムール貝、サケ、白身魚などが入った銀紙包みの
スパッゲティ、パイシューなどに舌つづみを打ってい
ると、雲がどんどん切れて青空が覗いてきた。

みごとな地中海ブルーだ。

こういう青さを見ていると、コート・ダジュールという
地名が「なるほどな」と思えてくる。

昼食の後、モンテカルロに戻ってのんびり散歩をし
た。カジノの裏の海沿いのプロムナードもいい。

ブランドには興味がないのでのんびり散歩がいい。
双子のかわいい赤ちゃんが日向ぼっこの散歩を
していた。

カジノはさすがに豪華だ。写真はまったくダメ。カメ
ラ、バッグをクロークに預け(無料)、中に入るには
10ユーロの入場料が必要だ。ぼくらは入場料のい
らないカジノの入口の右手のフロアーにあるスロット
マシンで遊んだ。内装をみるだけでも楽しめる。

20ユーロをコインに替え、ガチャガチャやっていた
が10分ほどですぐなくなった。

 カジノのイルミネーションを見たいと思った。

「カフェ・ド・パリ」に入ってレモンティーを頼んだ。ふ
たりで13ユーロ。隣のおばあさんもその隣もミネラ
ル・ウォーターで1時間以上粘っている。店員もい
やな顔ひとつしない。

店の前のテラスも夕暮れを待つ人で一杯になった。

5時15分、カジノがライトアップされ、幻想的な姿を
浮かび上がらせた。青いガス灯がともり、やがて
カジノの前のツリーが点灯された。

「うわあ、きれい。きれい」とともちゃん。

思わず拍手したい気持ちになる。13ユーロで1時
間以上粘った甲斐があった。イルミネーションで
浮かび上がるカジノ、オテル・ド・パリ、広場、とっ
ても美しい夢のような光景だ。

工事中の「オペラハウス」の裏手のプロムナードに
出てみる。モンテカルロの夜景がこれも美しい。
昼の美しさとまた違う美しさだ。

海岸沿いの旧市街に出てみると、クリスマス・ショ
ップが並んでこどもたちの歓声が上がっている。

雪のすべり台をサンタクロースとトナカイが滑り降
りてくる。いろんなお店がいっぱいあってここは子
供たちの天国だった。

12月31日(水)

モナコ
サン・ポール・ド・ヴァンス
マルセイユ
エクス・アン・プロヴァンス
アヴィニョン

メルキュール・シテ・デ・パープ

ニースからサン・ポール

きょうは大晦日(2003年12月31日)だ。去年は
シチリア島でカウントダウンを迎えた。イタリアらし
く賑やかで、明るく、花火が島中から上がった。

きょうはモナコからニース、マルセイユを経てセザ
ンヌのふるさと、プロヴァンスに入る。

モナコの朝は遅い。朝8時ホテルを出たが、まだ
暗かった。ニースで花市をのぞく。

花市は開いたばかりだったが、かわいい花々で
埋まっている。花売りのおねえさんにカメラを向
けるとポーズをとってくれた。美人の花売りさんだ。

市場で黒コショウ(3.8ユーロ),白コショウ(3.8ユー
ロ)、ラベンダー(3.5ユーロ)、サフラン(5ユーロ)
ローズマリー(3.8ユーロ)を買った。ビニールの袋
にいっぱい詰め込んでくれ、とっても新鮮だった。

サン・ポール・ド・ヴァンスはエズと同じ様な鷲の巣
村のひとつだ。小さな山の上に中世の街がひっそ
りと残っている。

バスを降りた駐車場の近くになにげないカフェが
ある。ガイドさんが「このカフェは以前イヴ・モンタ
ンの別荘だったところです」とさりげなく説明す
ると、みんな一斉にカメラを向ける。

春から秋はプラタナスが茂っていい雰囲気なのだ
ろうが、冬のいまは情緒がない。

それでも小石を敷き詰めた細い道は中世のたた
ずまいを残して、モディリアニをはじめ、多くの芸
術家に愛された村の雰囲気を保っている。

細い路地の両側の家々は16−17世紀に建てら
れた当時そのままだという。コート・ダジュールに
ある「鷲の巣村」の中でもとりわけ美しく、そんな
名前を使ってトイレの消臭剤に「サン・ポール」な
どと言ってCMをやっているのは失礼なことだ。


雨のマルセイユ

マルセイユは雨に煙っていた。旧港沿いの建物
はシックで洒落ていて、数多くのヨットが繋留され
ている。

サン・ポールからマルセイユまで200キロある。
バスで2時間半ほどの距離だ。

港近くのレストランでブイヤベースを食べた。エビ
や貝、魚がたっぷり入っていて、熱々のブイヤベ
ースは冷え切った体をほかほかと温めてくれた。

マスターは立派なひげをはやしていて、とっても
気さくだった。

旧港から丘の上のノートル・ダム・ド・ラ・ギャルド
・バジリカ大聖堂に登っていく。細い道の両側に
車がびっしり駐車している。バンパーとバンパー
の間隔が30センチくらいしかなく、どうやって駐
車させるのだろうと不思議に思う。

わずかな車の間を縫って、バスの運転手はこれ
も鮮やかに丘を登っていく。

眼下にイフ島が見える。デュマの「モンテ・クリス
ト伯」で知られるかっては牢獄だった島だ。

大聖堂からはパノラマのようにマルセイユの街が
見渡せる。雨が激しくなったが、それでもその景
色は素晴らしいものだった。


セザンヌのアトリエ

エクス・アン・プロヴァンスはセザンヌがこよなく愛
した街だった。

ピーター・メイルの「南仏プロヴァンスの12ヶ月」
(河出文庫)にはこう書いてある。

「7号線はフランスで最も美しい景観を誇る目抜き
通りのはずれでエクスの市街に入る。ミラボー大
通りは一年中いつ見てもいいところだが、とりわけ
プラタナスの並木が枝を差し交わして五百ヤードに
及ぶ緑のトンネルを作る春先から秋口にかけてが
素晴らしい。柔らかい木洩れ陽。…」

胸がわくわくするような表現だ。

セザンヌのアトリエはこの街の北の方にある。途中
バスが止まって前方を見ると、セザンヌが幾度とな
く作品の主題に取り上げたサント・ヴィクトワール山
が遠望できた。

ガイドさんが「今の時期、見えるのは稀なんです。き
のうも雨でまったく見えませんでした」と言う。そう言
えばマルセイユは雨だったが、いつの間にか雨が上
がって青空がのぞき始めている。なにかすごいラッ
キーな気分になって、夢中でシャッターを押した。

今度の旅の大いなる楽しみのひとつはサント・ヴィク
トワール山とセザンヌのアトリエに出会えることだった。

 アトリエは100年前のそのままの姿で残っていた。

洒落たレンガ色のドアの横にはつたが絡まっている。

エミール・ベルナールは「そこはオリーブの木が茂り、
奥のほうには幾つかのモミの木もありました。大きな
石の下からカギを取り出し、新しくて静かな家を開き
…なんと日差しの良い所。家の階、作業場は灰色に
塗られ、北側から明かりが取られていました」
と訪れた時の印象を書き残している。

2階のアトリエは北側に大きな一面のガラスの明か
り取りが広がって、その向こうに緑の木々が葉を茂
らせている。天井は4メートルぐらいなのか、かなり
高い。暖をとるための大きなストーブ。

帽子やステッキ、木製の大きなハシゴ。描きかけの
キャンバス。

セザンヌは大キャンバスを床に置き、ハシゴに登っ
て上から画の具合を見たりしたという。

セザンヌは晩年の1902年から亡くなる1906年ま
でこのアトリエで制作に励んだという。毎朝午前6時
には自分の家からこのアトリエにやって来たのだと
いう。この4年間だけで11点の油絵、17点の水彩
のサント・ビクトワール山が描かれている。

セザンヌがスケッチに通った場所には、トロネの小
道、ビベムスの小道、アーク川の小道、ジャ・ドゥ・
ブーファンの小道、ローヴの小道という名前が付け
られている。

もう5時過ぎだ。アトリエを出る頃には夕焼けがき
れいになり、雲が茜色に染まり雲の間から青い空
が覗いていた。


ミストラルの大晦日

プロヴァンス地方には時としてミストラルが襲ってく
る。冬将軍とでも言ったらいいのかもしれないが、
そんなに生易しいものではない。

アヴィニョンに入る頃、それは突然やって来た。風
は耳が引きちぎれるかと思うほど冷たく、ひゅー
ひゅー吠えている。

ピーター・メイルはその体験を「風は屋根瓦を何枚
か引き剥がしてプールに飛ばし、うっかり閉め忘れ
た窓を蝶番からむしり取った。気温は1日のうちに
20度も下がり、たちまち氷点下6度になった。妻
はオーバーを着て炊事をし、私は手袋をしてタイプ
ライターに向かう始末だった。」と述べている。(プ
ロヴァンスの12ヶ月)

その通りだった。あっという間に気温が下がり、エ
クスからアヴィニョンに向かうバスに強い風が吹き
付ける。街路樹が泣いている。

駐車場から法王庁近くのホテルまでほんの数百メ
ートル、みんな凍えながら縮こまって歩いた。

「うわあ、寒い。」
「なに、これ…」

ホテルに着いたのは午後6時半だったが、ちょっと
休憩して夕食は町のレストラン。とっても寒い。

ホームレスの飼っている犬が毛布にもぐって寒さ
をこらえているのがいじらしかった。

ミストラルの大晦日。去年のシチリア島は大騒ぎだ
ったが、アヴィニョンのカウントダウンは町に出て騒
ぐ人など誰もいない静かな静かな大晦日だった。

2004年1月1日(木)

アルル
ポン・デュ・ガール
レ・ボー・ド・プロヴァンス
アヴィニョン

メルキュール・シテ・デ・パープ

 ポン・デュ・ガールの日の出

とっても静かな年明けだった。午前6時頃、ホテル
の窓から外を見ると、レストランなどで夜通しカウン
トダウンのパーティーをしていたのだろうか、若者
たちが三々五々帰っていく。

空を見ると星がきらめいている。風はおさまって、
きょうは寒そうだけれど、天気は良さそうだ。

ホテルの前に出て、法王庁の方を眺めてみる。

夜空が少し明け、空の色がみるみる濃い青色に
変わって行く。

「あっ、ゴッホの青だ」とともちゃんが感動したよう
に叫んだ。ほんとだ。なんてきれいな青色なんだ
ろう。こんな青は今まで見たことがなかった。

ゴッホの「夜のカフェテラス」や「黄色い家」などで
使ったあの神秘的な青色の世界がそこにあった。
その青色はあっという間に消え、時間にしてわず
か5分か10分程度のことだった。

新年のご来光はポン・デュ・ガール(Pont du
Gard)で迎えた。午前8時を過ぎていたが、やっと
山並みが明るくなり始めた。

低い山に挟まれガルドン川の清流に架かっている
この水道橋にやっと朝日が射し始める。時間がま
だ早いので写真を取るのに苦労したが、やはり
これがローマ時代の遺跡と思うとすごく感激する。

建設されたのは紀元50年ごろという。もともとは
全長50キロほどあったが、今残っているのはこ
こにある275メートルだけだ。ローマの遺跡はど
れも美しいが、この水道橋はとりわけ壮麗だ。

古代エルトリア人がいなかったらこうした水道橋
や闘技場、劇場は存在しなかったと言われる。

水道橋のところどころに足場のような出っ張りが
ある。奴隷たちがはつかねずみのくるくる回る車
のようなものを使って石を組み上げて行ったその
名残の跡だ。

ポン・デュ・ガールの写真はよく高台から見下ろし
たものを見る。向かい側の小高い山のビューポイ
ントまで上がればいいのらしいが、どうもそんな時
間がないらしい。山の上に陽が上がって橋全体に
陽光が降り注がないかと思ったが、その前に「出
発ですよー」と言われてしまった。


ゴッホの町アルル

ゴッホが放浪のような旅の後、アルルにやって
来たのは1888年2月のことだ。この町でゴッホ
は数多くの画を描き、ゴーギャンと共同生活をし
耳きり事件を起こし、精神病院に入る。

ゴッホはその2年後の1890年、37歳の生涯を
閉じる。

「跳ね橋」はアルルから3キロほど離れたところ
にある。ゴッホの「跳ね橋」は穏やかないい画だ。

青い空と青い川の流れ。跳ね橋の上には日傘を
さした婦人が一人歩いている。左手には荷車を
引く馬と農夫がいる。川岸には一面の黄色い草
花が群れている。

画のモデルになった橋は1960年に現在の場所
に移設され、当時のままではないが運河に架か
る雰囲気はゴッホの画そのもののだ。

耳きり事件のあとゴッホは精神病院に入れられ、
そこで「療養所の中庭」を描いているが、中庭は
画とそっくりに保存されている。

ゴッホはカギをかけられた小さな部屋に閉じ込
められ、鉄格子の窓からこの中庭を描いたとい
う。冬の日が壁に当たって、庭には黄色い花が
咲き乱れているが、穏やかな光景だけに余計
ゴッホの苦悩が垣間見えるような気がした。

ゴッホは病院の院長に自分の描いた画を数点
プレゼントしたというが、院長は患者の画を気
味悪がって、庭の植え込みの仕切り棒などに
使っていたという。ゴッホの画は生前まったく
誰からも評価されなかったのだ。

「夜のカフェテラス」の舞台は当時そのままに
残っている。元日のフォーラム広場は人気が
なく、テラスにも客は誰もいないがカフェは画
そのまま。黄色い壁に「CAFE VAN GOGH」
と書かれている。

夏の一刻、ここにくればカフェのあの壁を残照
が黄色く染め、やがて夜空に星がきらめくのだ
ろうか。にぎわう南国の夜をふと思い浮かべて
みた。

「黄色い家」はすっかり無くなっていた。アルル
駅にほど近いラマルティーヌ広場の一角にそ
れはあったが、第2次世界大戦の時破壊され
たという。

ゴッホの町アルルにはローマ時代の遺跡や中
世の建造物がいくつも残っている。代表的なも
のは円形闘技場でいまでも闘牛がよく行われ
る。ゴッホもしばしば闘牛見物に出かけたそう
だ。ここからアルルの街並みを眺めるのもいい
そうだが、きょうはぴったり門が閉ざされている。

 
アヴィニョン橋の夕暮れ

中世の城砦都市・レ・ボー・ド・プロヴァンスで
昼食をとった。ピーター・メイルが「プロヴァンス
の12ヶ月」で「レ・ボーの谷で作られるオリーブ
油が最高の品質だ」と書いているオリーブ油を
求めた。「コーペラティヴ・オレイコル・ドゥ・ラ・
ヴァレー・デ・ボー」という。13ユーロ。

もうひとつお土産にすばらしいプロヴァンス・キ
ルトを見つけた。こちらは125ユーロだった。

昼食後、この城砦都市を少し歩く。中世そのも
のが残っている感じでどこかに迷い込んだ気
がしてきた。

「Les Baux」とは「断崖に囲まれた台地」とい
う意味。ボウ一族はかって大いなる勢力を誇っ
たがルイ13世に敗れ、その時から400年間
今も時計の針は止まったままだ。

ここからアヴィニョンに戻り、法王庁を見学した。



14世紀法王庁はローマとこのアヴィニョンに二
つ存在した。法王庁の中はバチカンを想像する
と、見るべきものはほとんどないが、その圧倒
的な存在感と周囲の街並みは今に当時の繁栄
ぶりを伝えている。

法王の寝室に残る装飾タイル、あちこちに残る
フレスコ画の断片、法王の控えの間の華麗な
タペストリー。そんなものが辛うじて当時の華
やかだった法王庁を偲ばせる。

法王庁はフランス革命で破壊され、その後も
フレスコ画は剥がされ、古美術や装飾は四散
し、兵舎として使われた時期もあった。

法王庁の広場に出る。

法王クレメンス5世も踏みしめた幾何学模様の
美しい石畳、ふと見上げると窓から誰かがこちら
を見ていたが、よく見るとそれはだまし画だった。

春から初夏、この街をゆっくり歩いてみたい。

法王庁の裏手の公園に上がってみる。展望がす
ばらしい。ローヌ川にかかるサン・ベネゼ橋が手
に取るように見えるし、アルルの旧市街がぐるっ
と見渡せる。

公園を降りてアヴィニョン橋(サン・ベネゼ橋)に
行ってみた。1177年から8年の歳月をかけて
建造されたというが、戦争や川の氾濫で何度か
壊れ、17世紀以降は今のようにローヌ川の途
中までしかかかっていない。

「アヴィニョンの橋の上で みんなが踊る…」とい
う歌で世界中に知られているだけに、橋に上がる
人も多い。通行料は3ユーロ。

もう夕暮れになっているが、そこからのローヌ川
の景色は何ともいえない。ゆったりと静かに流れ
る川面、対岸のもう葉は落ちてしまっているが、
若葉の季節を連想させる穏やかな風景。

南フランスも今日が最後だ。新しい年の最初の
日が暮れていく。思いっきりプロヴァンスの空気
を吸う。冷たいが、甘い想い出が胸一杯に広が
って行く。明日はパリだ。

1月2日(金)

アヴィニョン(9・13)
新幹線(TGV)
パリ(12・00)

ソフィテル・フォーラム・
リーヴ・ゴーシェ

オペラ座(ガルニエ)の華やぎ

アヴィニョンからパリはフランス新幹線TGVで
2時間40分だ。9時13分発のTGVに乗る。

アヴィニョンの駅は超モダンな設計だ。

TGVは快適だが、座席の向きが自由に変え
られないので、進行方向を背にして、景色が
後に飛んでいくのが気になった。

ヴァカンスに行ったこどもたちと楽しく遊んでい
ると窓の外がみるみる一面の雪景色に変わっ
て行く。

「えーっ、パリは大雪なの?」

みんな心配そうな顔になる。

それでも新幹線は20分遅れで12時過ぎパリ・
リヨン駅へ到着した。幸いパリは曇り空だった。

「ニキータ」の撮影に使われ有名になったレスト
ラン「ル・トラン・ブルー」(Le Train Bleu)で
昼食をとる。

天井画の素晴らしさ、シャンデリアの豪華さ、
ツアーの日本人観光客は多いが雰囲気はとて
もいい。

ツアーのガイドではここで食事をして1時半に
観光に出ることになっているが、TGVが遅れた
上、一流レストランとなれば当然食事もゆっくり。

一見豆腐かと思うようなもの(?)に野菜の入っ
た茶碗蒸風。牛肉、ポテト。チーズ、パン。ツア
ーの人がバターを注文したら、さりげないが嫌
な顔をされていた。そうだよなあ、パンにはおい
しいフランス料理自慢のソースがたっぷりある
んだ。最後はデザート。アイスクリーム・カラメル
風。美味しいがちょっと胃にもたれていたので
アルコールはやめ、レモネードにした。すっきり
とした味でこれが正解だった。

出発は随分遅れ2時15分。ノートルダム寺院
シャンゼリゼ、エッフェル塔撮影、三越でのショ
ッピングなどあわただしい半日観光があった。

夜は自由時間になっていたのでオペラ座でバレ
エを観ることにしていた。ガルニエは今日がこと
しの初舞台で残念ながら全幕ものではなく、コン
テンポラリー中心の舞台。バスチーユのほうは
「イワン雷帝」だった。

迷ったがともちゃんの希望も入れ、ガルニエに
行くことに決めた。当然お正月のガルニエは満員
で、ツアーの人たちもガイドさんにあちこち手配し
てもらっていたが買えなかった。ぼくたちはチケッ
トは11月に日本であらかじめ買ってあったので
安心だった。

バレエそのものはとっても退屈で、唯一期待して
いたバランシンの作品もお正月らしい華やかな
衣装で飾っていたが、単調な繰り返しで「おいお
い、オペラ座のレベルはこんなに低いのかい」と
がっくりきた。最近の日本のバレエの方が数段レ
ベルが高いのは何ともこそばゆいものだ。

Kelemenis(ケレメニス)、 Brown(ブラウン)
Preljocaj(プレルジョカージュ) Balanchine
(バランシン)とたっぷり退屈したが、丸天井
のシャガールの「夢の花束」をたっぷり堪能した。

幕間にはホワイエでシャンペンとコーラ(13ユー
ロ)を飲んでゆったりした気分になった。

日本を出発するときうっかりジャケットを入れるの
を忘れてしまった。お正月のガルニエではみんな盛
装だろうと、パリ三越に寄ったとき、わざわざジャ
ケットを大慌てで買った。去年のウィーンの樂友
協会のコンサートではみんな盛装だったということ
もあったのだが、オペラ座はそんな華やいだ雰囲
気もなくまわりはセーター姿も多かった。

でもパリの夜も楽しかった。まだ、クリスマスのイル
ミネーションも残っていて、オペアラ座裏のデパート
「ラファイエット」のイルミネーションは華やかだった。

この季節エッフェル塔も時報ごとにきらきらとイルミ
ネーションで輝き、オペラ座からホテルへの帰り道
タクシーからちょうど見えるのだった。

フランス最後の夜、パリの夜は華麗だった。

1月3日(土)
1月4日(日)

パリ(23・15)
成田(19・00)

オルセーの印象派

今度のツアーは見所もたくさんあったが、最後にち
ょっと得した気分になった。旅行の最終日、エール・
フランスの帰国便はパリ発23時15分で午後7時ま
でまるまる1日自由時間だという。

「うれしいな。オルセーに行きたい!」とともちゃん。

コート・ダジュール、プロヴァンスと印象派の旅をして
きたのだから、最後はやはりオルセーしかない。

以前来たときはほんとの駆け足だったが、こんどは
いくらでも時間は取れる。朝ホテルを早めに出て、
10時の開館の30分前9時半に到着した。それでも
もう行列が出来ている。ちょっと寒いが、待っている
間、退屈しのぎに数えてみるとぼくらは先頭から186
番目だった。でも、10時にはすごい行列がオルセー
を取り巻いているので、早めは大正解。

10時過ぎ入場。真っ先にエスカレーターで最上階の
印象派の展示室に上がる。まだ観光客もあまりいな
い静かな雰囲気で印象派を見る。

でもここでちょっとした失敗をしてしまった。

フランス人がオーディオガイドで画を鑑賞しているの
を見て、止めればいいのに借りてしまったのだ。オー
ディオ・ガイドは日本語もあり、1階でパスポートを預
けて借りる。確かに便利だが、ひとつひとつの作品
の解説が丁寧すぎて、時間がかかる。もっと自分の
目で観て、オルセーを楽しんだ方がいい。

そのうち鑑賞者でごった返してきた。ルノアールや
セザンヌ、ゴッホと鑑賞しているうち、ともちゃんと離
れ離れになってしまった。広い館内でこんなにごった
返した人波の中では探すのはむつかしい。

心配になってあちこち探し歩いたが見つからない。画
の鑑賞どころではなくなってしまった。1時間ほどして
やっと出会えたが、はらはらひやひやだった。

オルセーでこの1点と言ったら何を挙げるのだろう。

ルノアールの「ピアノを弾く少女」もいいし、ゴッホの
「オーヴェール・シュル・オワーズの教会」や「自画像」
などの圧倒的な存在感のある画もいい。

いや、地上階にあるミレーの「落穂拾い」も捨てがた
いし、マネの「オランピア」や「草上の昼食」も魅力的だ。

 

やっぱりオルセーはいい。また、来たいなあ。


モンマルトルの丘で

「モンマルトルに行ってお昼を食べよう」。

オルセーでちょっと疲れた。オルセーからふと見る
とセーヌの対岸にルーブルがあり、そのずっと向こ
うにモンマルトルの丘がよく見えた。

モンマルトルはパリの香りをいっぱい漂わせている。
似顔絵描きたちが観光客相手にたくさんのイーゼル
を並べている。そのど真ん中にあるレストラン「CHEZ 
EUGENE]で軽い食事をとった。

ホットワインと紅茶、サンドイッチクラブにオニオンス
ープで12・5ユーロ。ちょっと寒いがテラス席でのん
びりテルトル広場の雑踏を眺めている。

ホットワインはワインの暖かいやつだが、これがとて
もうまく体がほかほか温まってくる。
パンもとってもうまい。

こうやって眺めていると、なんだかとっても幸せな気
持ちになってくる。

ルノアールはキャンバスを抱え毎日ここに上がって
は、オルセーにある「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を
描いた。印象派、エコール・ド・パリなどさまざまな画
家たちがモンマルトルに集った。

のんびりとモンマルトルの丘を散歩する。無名画家た
ちの画を冷やかし、ひょっとしたらここから100年後
のゴッホがでてくるかもしれないと思ったりした。

サクレ・クール寺院の階段から眺めるパリの街は冬
空に透き通って、どこまでも美しかった。

モンマルトルからタクシーで下って、マドレーヌ教会に
寄った。モンマルトルの丘の上からパリの街を見下ろ
すように建っているサクレ・クールは白亜のモスクの
ようだが、マドレーヌ教会も教会というよりギリシャの
神殿のような感じがする。

ナポレオンが建て、今の教会になったのはずっと後
のことだ。マドレーヌ教会からはコンコルド広場が見
え、すぐ近くはヴァンドーム広場の美しいたたずまい
からオペラ座への通りが続いている。

お土産を買いたいと思った。ガイドブックに「絶品の
チョコレート」と推奨してあった「ジャン=ポール・エ
ヴァン」がマドレーヌ教会の近くにある。

ちょっと気取っていて、値段も高い。トリュフを一箱
買った(24ユーロ)。日本では最近取り上げられる
ことが多いが、特別美味しいものでもなかった。
日本で売られているのはひょっとしたらパリの味
ではなく、日本人好みに甘さを変えているのかも
しれない。

日が傾くとパリは寒い。ミストラルほどではないが、
冷たい風が吹いてきた。ビルの間はとっても寒い。

「ラファイエット」にもう一度立ち寄り、休憩する。
店内の豪華なイルミネーションが思いっきり華やかだ。

パリとももうお別れだ。
外に出ると昼間とはまた違って、灯がともったパリの
街はまた、別の華やぎを見せていた。


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