楽しい旅

2001花のソウルぶらぶら旅

春のソウルは花の香りにあふれている。

短い韓国出張の合間をぬって、板門店とソウルの市内をぶらぶら
歩いてみた。韓国はこれまで2度訪れたことがあるが、あまりいい
思い出がなかった。

ところが,今回は春がいま盛りで、自然に溶け込むようなあたたかな
陽光を感じた。グルメ、エステ、ブランドばかりが強調されるが、一味
ちがった韓国もなかなかいい。

板門店を行く

「38度線」とよく言うが、38度線と休戦ラインは違う。

ソウルから北へ60キロ、北緯38度線から南5キロの休戦ラインを見
たいと思った。韓国の人はここに近付くことはできない。観光で訪れる
ことができるのは外国人だけである。

4月19日、朝の9時にホテルを出発。往復で7時間、パスポートを必ず
携行してくれと言われた。市内を抜けて1時間、バスはのんびり走るが
この間,バスガイドがみっちり歴史教育をしてくれる。午前10時ちょうどに、
統一大橋に着く。

ここは米軍のまだ幼い顔をした兵士と、180センチもある韓国兵士が
共同で警備にあたっている。ここでパスポートのチェックを受ける。板門店
観光には前日までに申し込まないと行くことができないが、事前に届け出
た名前とパスポートの名前などをチェックしていく。

10分ほどで終わり、10時13分出発。しばらく行ったところで米軍のバスに
乗り換え、キャンプBONIFASで20分の講義を受ける。

 

ここで「宣誓書」を書かされた。


「訪問者(見学者)宣誓書」にはこんなことが書かれている。

1、板門店の統合警備区域の見物は,敵性地域への立ち入りを伴わない。
  敵の行動(活動)によっては危害を受け,または死亡する可能性があります。

2、国連軍軍人は勤務時間外の服装として、軍種により規定された適切な軍
  服を着用する。訪問者は国連軍の威厳を保持するに適切な私服を着用
  する。
3、訪問者は北朝鮮側にとって、国連軍に対する宣伝材料となりうるような
  身振り、表現などを慎む。

4、訪問者は見学の最初から最後までグループとして行動し、見学案内者
のすべての指示に従うように。いかなる不平、苦情はキャンプ・キテイー
ホークに帰ったあとうかがう、などなど。

休戦ラインの向こう側

板門店はここから3キロ先。

11時10分再びバスに乗り、板門店に向かう。
ここからはのんびりした里山のような風景が続く。なだらかな丘陵、クヌギ、
コナラのような雑木がいっぱいの陽光を浴びている。日本ではこういうとこ
ろは杉の植林地になっているが、杉は見たところ見当たらない。

こんな陽気だと「春の女神」、ギフチョウでも飛び出しそうだ。アゲハ、ツマ
キチョウ、モンシロチョウ、ミヤマセセリなどが後で確認できた。

ここにも小さな村がある。

42世帯、240人が住んでいるという。納税と徴兵の義務が免除されている。

「韓国のPR用の村かあ」

と思っていると、田んぼのはるか向こうに,高い鉄塔と高層マンションなどが
建った立派な村が見える。なんだろうと思ったら、あれは北側のプロパガンダ
村(起正洞村)なのだという。

「どこかからかやってきて,農作業などをしていますが、人は住んでいません。
だから,煙突から煙などがあがることは一度もありません」

休戦ラインの向こう側、このプロパガンダ村の近くにチェコ・ハンガリー軍の
前線基地があったが、共産圏崩壊後、チェコ、ハンガリーが韓国と国交を結
んだため北との関係が悪化、いまはここも無人基地になっているという。

11時25分、板門店(軍事停戦委員会共同警備区域)に着いた。

休戦ライン(非武装地帯)は西は漢江から東は39度線の東海岸まで東西
241キロに及ぶ。南北2キロずつ、6400万坪。200メートルごとに軍事分
界線と書かれた黄色い標識が立っている。

石作りの塔にのぼる。

目の前に、南北が重要な会談を行うCONFERENCE ROOMがある。
こちら側にはブルーの軍服の韓国兵、向こう側にはカーキ色の北朝鮮兵士
が軍事分界線をはさんでにらみ合っている。韓国兵はこの建物に体半分を
隠し体半分を出して警備にあたっている。

 

ベルリンの壁が崩壊したあと、ひとつの国がこうして分断されている光景は
世界中どこにもなくなった。緊張しているようだが、表面的にはのどかで穏や
かにも見える。それでも過去、この板門店を舞台にちょっとした偶発的なでき
ごとをきっかけに発砲事件や兵士の衝突・殺人事件など平和が脅かされる
一触即発が何度も起きている。

そんなことがいま目の前で,突然起きるかもしれない。

北の訪問者

ちょうどぼくらがCONFERENCE ROOMに入ろうとしたとき、北側の見学者が
バス何台かでやってきた。服装などはかなりいい。

「こんなにたくさん見学者がくることはめずらしい。きょうはちょっとえらい人か
もしれません」と通訳。団体客はぼくらの正面にそびえる北側の迎賓館のよう
な建物に入り、2階のバルコニーからこちらを眺める。

北側の服装の識別は休戦軍事委員は黄色の腕章、報道関係者は緑色の
腕章、訪問者は上部ポケットに緑色の布片を装着しているという。緑の
腕章をしているのがいるところをみるとどうやら、今日は特別らしい。



ソウルからは60キロだが、平壌からは215キロ。北の見学者はめったにない
のだ。
「あそこにあがることもめったにありません」と、また通訳。

板門店ツアーでは、10歳未満の子供は参加できないとか、服装もジーパン、
サンダル、ミニスカート、Tシャツ、茶髪などは厳しく規制される。北側に向かって
手を振ったり、指を指したり手話などはもちろんダメ。

こうした服装は北側の見学者にかっこうの宣伝材料になるからだという。
じりじりいらいら、こちら側の団体は待っているが、向こう側はのんびりとしていっ
こうに帰らない。南北両方のニアミスは許されないから、どちらかが引き上げない
と、COFERENCE ROOM に入れないのだ。

そのうち、タイムアップ。

時間も正午になり、こんどは午後1時まで米軍兵が休憩時間だという。残念だが、
ぼくらはここを離れることにした。

お昼は最前線基地の陸軍支援団のある下士官食堂。ここにいる下士官と同じ
ものを食べる。バイキングでカレー、スパゲッテイ、肉、ハム、サラダなど10種
類くらい。コーヒー、ジュース、コーラなどもある。味もなかなかだ。

ランチのあとそのあたりをぶらぶらする。
桃やレンギョウ、つつじなどが咲き乱れている。ふと見るとすぐ下にはゴルフ場が
あり「世界でもっとも危険なゴルフ場」とあった。
いつか、緊張した平和から「緊張」という2文字がとれるときがくるのだろうか。

五大古宮

翌日、4月20日(金)も快晴で穏やかだった。

午前8時にホテルを出て、ぼくはソウルの市内をのんびり歩くことにした。春風を
吸って、花の香りを浴びたかった。

ソウルには「五大古宮」がある。景福宮(キョンボックン)、昌徳宮(チャンドックン)
昌慶宮(チャンギョングン)、徳寿宮(トクスグン)、宗廟(チョンミョ)である。午後から
仕事があるので、午後2時までに五大古宮を歩きたかった。

ホテルを出て、まず景福宮へ向かう。

ソウルでは道路を横断するとき、地下の横断道を使うことが多い。地下に潜ると
方向感覚を失い、地上に出ると道に迷いそうになる。ガイドブック片手に歩く。

30分ほどで景福宮に着いた。景福宮は1395年に創建された朝鮮王朝の正宮。
豊臣秀吉の慶長・文禄の役の兵火で全焼した。

その後再建されたが1910年、
日韓併合で再び、楼閣のほとんどが壊され、宮殿の正面に朝鮮総督府の庁舎が
建てられ、本来の景観が失われてしまっていた。1995年旧庁舎は取り壊され、
本来の姿に戻っている。


楼閣の赤い壁、黒い屋根、青々とした松、青い空、楼閣の後ろの北岳山のたた
ずまいがなんとも言えない。

景福宮は観光コースの定番。でも、観光バスではなくじっくり歩きたい。
入場料は大人700ウオン(70円)。3月から9月は午前9時から午後5時まで
入場できる。

ぼくは国宝に指定されている慶会楼や蛾媚山、香遠亭が好きだ。蛾媚山には桜
ツツジ、レンギョウなどが華やかに咲き誇っていた。

景福宮を訪れたら、必ず国立中央博物館に立ち寄って欲しい。

博物館の地下一階に仏教彫刻室があり、金銅弥勒菩薩半跏思惟像がある。

7世紀、日本でいえば飛鳥時代の仏像。京都・太秦の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟
像とそっくりだ。当時、朝鮮半島と日本がいかに密接な関係にあったのか、よくわ
かる。ここを見るだけでも韓国旅行がぐっと楽しくなる。
入場料は700ウオン。

 

ゆっくり見たかったが、時間がない。ぼくは昌徳宮に向かった。
ここは午前10時30分、12時半、14時30分、16時30分の1日4回日本語ガイド
の参観がある。これ以外、個人で入ることはできない。(入場料は2200ウオン)
ぼくは光化門から敦化門に向かって早足で歩いた。景福宮から15分くらいの距離。

ここは一回の観光が一時間半から二時間かかることもあって、景福宮ほど日本の
観光客がいない。でも、ぼくはびっくりした。ソウルの市内にこんなに自然の残った
すばらしいところがあるのか。とっても気に入った。

昌徳宮は1405年、景福宮の離宮として造営された。1592年、文禄・慶長の役で
宮殿の大部分が焼失した。総面積は13万5212坪。

正殿の仁政殿や宣政殿といった宮殿もすばらしいが、ここには李方子さんが生活し
た楽善斎がのこっている。


ウリ王妃

李方子、イ・パンジャ、日本名では「まさこ」という。
ソウルの人たちにウリ王妃と慕わ れた。

方子さんは明治34年(1901年)、皇族の梨本宮守正の長女に生まれた。亡くなった
皇太后さまとはいとこ同士で昭和天皇が皇太子時代、
お妃候補にあげられたことも あった。

朝鮮王朝の最後の皇太子、李垠(イ・ウン)殿下と大正9年(1920年)「政略結婚」さ
せられた。だが、ふたりがソウルに戻ったのは昭和38年(1963年)だった。

方子さんの葬儀は1989年5月8日行われたが、沿道には最後の王妃に別れを惜し
む市民が詰め掛けた。日韓の恩讐を越えた「ウリ(我々の)」王妃だった。

そんなこともあって、この楽善斎にぼくはなにか感慨があった。

質素なそれでいて小奇麗な木造の家屋。

ぼくは前庭の植え込みを歩いてみた。春の草の間に紫のスミレがいっぱい咲いている。
純白と真紅のツツジ、ちょっと離れたところでエゾノウワミズザクラがかれんな白い花を
枝いっぱいにつけていた。

方子さんはこの庭でどんな思いで日韓ふたつの祖国へ思いをはせていたのだろうか。

 だが、産経新聞の黒田特派員によると、この楽善斎は最近になって作り替えられたも
のだという。人工風に復元された王朝風の建物のコピーなのだという。朝鮮総督府跡も
そうだが,韓国の歴史の見直し政策はやむをえないことだが、そんなことには関わりなく 、
花たちは方子さんが散策した当時そのままに花をつけている。

ぼくはそこからぶらぶらと秘苑(後苑)の方に歩いていった。ここは団体行動だけで個人
の勝手な行動はいけませんと言われたが、ぼくは団体から離れて勝手に秘苑の方に
歩いて行った。


新緑が美しい。楓のまだ芽吹いたばかりの小さな葉が青々と風にそよいでいる。秋の
紅葉はどんなに見事なのだろう。春風に乗ってぼくの心はどんどん洗われるようだった。

昌徳宮を出て、こんどは昌慶宮に向かった。てくてく歩いて20分。
地図を見ると昌徳宮のすぐ東隣だが、意外と距離がある。朝からずうっと歩いてちょっと
疲れた。ぼくはそれでも意地を張って歩いたが、あんまり勧められない。

バスを使ったり、タクシーを捕まえることをお勧めする。タクシーは最初の2キロは1300
ウオン、日本円で換算すればわずか130円だ。


昌徳宮の入場料は700ウオン。ここも広大な敷地に緑が美しい。でも、ここを訪れたら
隣接の宗廟(チョンミョ)にも行って欲しい。

世界遺産にも登録されているこの聖地は、 明治神宮と靖国神社をあわせたような
静けさにつつまれ、韓国の人たちの崇敬を集 めていた。

 

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