楽しい旅
中欧三都古都ロマン
第1日目 8月21日(水) 成田発12時15分 LH715
ミュンヘン着17時25分LH5356
ミュンヘン発20時40分
ブダペスト着21時55分
旅行に出発する直前のヨーロッパは水浸しだった。なにしろ100年に一度という
大洪水である。テレビから流れる映像は、ドナウ川やエルベ川の流域の都市は
どこも、水の中に沈んでいる、すさまじいものだった。
プラハは世界遺産の旧市街地区の歴史的建物が壊滅的な被害を受けたという
し、動物園ではゾウやゴリラが逃げ出さないように射殺されたという悲しい話が
洪水秘話としてテレビから流れてきた。ブダペストもきょう、明日が危ないと報道
されていた。
「大丈夫なの?」
JTBに聞いてみたが、さっぱり要領を得ない。
正直言って前日まで「物見遊山は失礼だし、止めようか」と、ともちゃん
とふたりで悩んだ末の出発だった。
でも、行ってよかった。ウィーンもブタペストも、一番気がかりだったプラハもぼく
らを大歓迎してくれ、青々とした夏空の下、中世の町並みがとっても美しかった。
第2日目 8月22日(木) ブダペスト

ハンガリーの首都、ブダペストは洪水の傷跡もまったくなかった。静かな美しい
街が朝靄に横たわっている。
きのうホテル「メルキュール・ブダ(MERCURE BUDA)」に着いたのは夜の
11時を過ぎていた。日本との時差はマイナス7時間。成田を出発したのが12時
15分だから、18時間かかったことになる。やっぱりヨーロッパは遠い。
朝6時。カーテンを開けると、ホテルの前の緑の公園がまぶしかった。
「散歩に行ってみようよ」
ふたりで朝のぶらぶら散歩に出た。大きくて、緑の深いとってもきれいな公園。
ワンちゃんたちが楽しそうに遊んでいる。大きなゴールデンレトリバーも小さな
ダックスフンドも人間と同じように自然を満喫している。自由に走って、自由に
戯れている。そんなうらやましい光景が公園のあちこちで見られた。
「ねえ、きのうの飛行機からのブダペストの夜景、とってもきれいだったわね。
感激しちゃった。それにこの公園。最初からいい旅ね。」
9時、ホテルからバスに乗り、市内の観光に出た。

20分程でブダペストの市街を一望できるゲッレールトの丘に着いた。ドナウを
挟んで両側に町並みが広がっている。ひときわ美しいのが国会議事堂。
ドナウの水位は大分下がっていたが、それでもぎりぎりのところで満々と水を
たたえている。ブダ地区とペスト地区を結ぶくさり橋が優美な姿を見せていた。
ドナウ川はドイツ・シュヴァルツヴァルトの黒い森に源を発し、オーストリア、
スロヴァキア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ルーマニア、ブルガリア、モル
ドヴァを流れて黒海に流れている。全長2850キロメートル。この大河がヨ
ーロッパのあちこちで氾濫し、大水害を引き起こしていた。
ぎりぎりのところで、ブダペストは大洪水をまぬかれていた。

ブダの丘にそびえる王宮を見ながら漁夫の砦(とりで)に向かった。白いとん
がり屋根がかわいらしい。ここからのドナウの眺めもすばらしい。みんな写真
をパチパチとっている。
振り返ると回廊が続き、とんがり屋根があって、その向こうにマーチャーシュ教
会の尖塔がそびえている。階段の下にしゃれたテラスのカフェがあって、そこも
絶好の写真ポイントになっていた。

マーチャーシュ教会はガイドブックに「白いレースをまとったような美しい教会」
と書いてあった。ほんとにそんな感じがした。ロマネスク様式とゴシック様式、
一時イスラム寺院になった後、再びキリスト教会と数奇な運命をたどっている
が、内部は美しいフレスコ画の天蓋、ステンドグラスに感嘆した。
午後からツアーはセンテンドレに行く組と自由行動組と二手に分かれた。

バスの車窓から眺めた街並みがあまりに魅力的で、ぼくらは市内を歩いてシ
ナゴーグ、聖イシュトヴァーン大聖堂、オペラ座を回った。ぶらぶらと言うより
ただ、ひたすら歩いたという方が正しいかもしれない。

タクシーは使わない方がいいと言われたためだが、ちょっと疲れた。街並み
は美しいが街路は入り組んでいて,地図の通りに歩いている積もりなのだが
何度も迷ってしまい、オペラ座にやっとたどり着いた。

今は夏でオペラのシーズンではないが、この季節、毎日午後3時と4時の2回
見学ツアーがある。
オペラ座の正面の入り口が開いていたのでそこから中に入ったが、チケットの
売り場が分からない。守衛のおじさんが外だと言うので、また外に出るがなか
なか見つからない。左に回ったり、右に行ったり。やっと見つけたチケット売り
場はオペラ座の右手をぐるっと回ったオペラショップの中にあった。
疲れたので石段にぺたっと座って4時の見学ツアーを待つ。といっても、日本
語はなく英語とスペイン語とドイツ語とフランス語のツアー。「日本の方ですか」
ときれいな日本語を話す美人のガイドさんについて英語のツアーにつく。きれ
いなソプラノで聞き取りやすい英語だが、残念ながらやっぱり分からない。
エリザベート皇妃(シシー)がお忍びで通ったオペラ座は壮麗で華やかだった。
ウィーンのオペラ座と比べると、はるかに美しい。真紅のビロードの椅子、じゅ
うたん、黄金の梁、燦然と輝くシャンデリア、どれもシックで高貴な雰囲気があ
ふれている。ぼくのデジカメFine Pix F401ではよく撮れなかったけれど、
もっといっぱい撮影しておけばよかった。以前使っていたSONYのサイバーシ
ョットはこんなときも失敗はなかったのになあ。

オペラ座の前から地下鉄のM1号線に乗り、デアーク広場でM2号に乗り換え
南駅まで行ってホテルに戻った。M2号の乗り換えが分かりにくくちょっと迷っ
た。改札機の刻印もここでいいのかと思ったらM2号はエスカレーターを降りた
ホームからまた、エスカレーターを降りたところにM2号のホームがあり、そこ
にも刻印機があった。

観光客が抜き打ちの検札で高い罰金をよく取られると脅かされていたので、
刻印した切符を捨て、また新しい切符に刻印した。切符はあらかじめホテル
の売店で余分に買っておいてよかった。
夕食はオプションで民族舞踊のチャールダーシュつき。楽しく盛り上がった。
そのあと、昼間のゲッレールトの丘から今度はブタペストの夜景を見る。

とにかく美しい。王宮やくさり橋がきれいにライトアップされ黒い闇の中に浮か
んでいる。みんな「きれい、きれい」と歓声を上げていた。
F401はここでも映像が流れて大失敗だった。どうもこのデジカメは暗いとこ
ろや動きのあるものは苦手らしい。
第3日目 8月23日(金) ブダペスト〜ヘレンド〜ウィーン
3日目の8月23日は移動日。
ブダペストからウィーンまで、途中ヘレンドに寄ってバスで290キロを移動する。
ヘレンドの村は小さなかわいらしい村だった。しゃれた工房と陶磁器美術館、
それにヘレンド直営のショップがある。
工房を見学させてもらう。職人達が土を練り上げ、半乾きのなったところに細
密な細工をしていた。職人のほとんどはベテランの女性たち。男性にはこうし
た根気のいる仕事は無理なのだろう。

絵付けもヨーロッパの貴族たちを魅了したあの美しいヘレンドの色合いを丹念
に彩色していく。単純な手作業のようで、これも細かな作業だ。思わずうっとり
見とれる。
「顔料が何から出来ているかは企業秘密です」
工房はつい最近出来たらしく、清潔な雰囲気が漂っている。職人達の作業環
境としては、きわめて快適だ。
本店のショップにはたくさんの名品が並んでいる。どれもこれも持って帰りたい
が、観光がてらでは無理である。
「ああ、きれいねえ」「これもすばらしい」
迷いに迷って、イギリスのヴィクトリア女王が大のお気に入りだったという蝶と
牡丹をモチーフにしたお皿を一枚買った。38000フォリント(19000円ほど)
だったが、なかなかしゃれている。

工房の反対側に小さなショップが2店並んでいる。こちらもヘレンド直営の店
と聞いていたが、ここでもお皿などを買った。気に入ったお皿があったが、主
人が「こっちのほうがいい」と勧めるので、それを買った。
帰国してからよくよく眺めていると、うっすらと皿の表面にひびが入っていた。
よく見ないと分からないひびだが、どうやら知っていて勧めた感じだ。せっかく
の旅の想い出にひびが入ってしまった。

国境を越えると景色がちがってくる。
ハンガリー大草原はちょっと寒々とした感じがしたが、オーストリア側に入ると
緑も温かく豊かな感じがしてくる。

夕方、長いバスの移動から解放され、ウィーンの街に入っていく。オペラ座近
くでバスを降り、繁華街ケルントナー通りを歩ってシュテファン大聖堂近くのレ
ストランで夕食を取る。
夕陽を浴びた大聖堂がまぶしい。しゃれた通りの両側にはカフェが軒を連ねて
いる。きょうは金曜日。ハナ金を楽しむ人たちでごった返している。
ハンガリーも共産圏のときのイメージがまったくなく明るかったのが驚きだった
が、ウィーンはほんとに華やかだ。
「これがウィーンだ」
夕食は名物のヴィーナーシュニッツェル、言ってみればウィーン風カツレツ。
大きなカツレツをほおばって飲むビールがうまかった。
第4日目 8月24日(土) ウィーン

きょう(8月24日)は一日ウィーンの観光。
午前中シェーンブルン宮殿に行って、市民公園のヨハンシュトラウス像の前で
写真を撮る。午後からはフリーだが、なにしろ一日でウィーンを見て回ろうとい
うのだから大変だ。
シェーンブルン宮殿も観光客でごった返している。40ある宮殿内の部屋のうち
ぼくらはナポレオンの部屋、皇妃のサロン、フランツ・ヨーゼフの書斎など20室
を見学した。
皇妃マリア・テレジアは16人のこどもを産んだという。美人の皇妃はこどもを産
むたびに太っていき最後は100キロを超す巨漢だったという。フランスのヴェル
サイユ宮殿に嫁いでいった悲劇の皇妃マリー・アントワネットは15番目の末娘。
ことのほか可愛がったという。
そんなことを思いながら宮殿の内部の豪華さに驚嘆する。
でも、ツアーっていうのは時間がない。
宮殿の庭に出て、よく手入れされた花々にホッとする。広い庭園の真中にネプ
チューンの泉があり、その向こうの小高いところにグロリエッテという建物があ
る。そこの登って逆に宮殿を見るとまた、違った素晴らしい景色が広がるとい
うが、噴水まで行って時間切れ。あわてて戻ってきた。
自由時間も見たいところはいっぱいある。

まず、ぼくらはオペラ座にいった。朝一番で伊勢丹に連れていかれたが、ぼく
は買い物で時間をつぶしたくなかったので、その間、オペラ座に行って日本語
の見学ツアーが午後2時と3時からあるのを確認しておいた。
ツアーで一緒の人たちも何人か、2時の見学ツアーを待っていた。
しばらくするとおばさんが「財布がない」と騒ぎ出した。しばらく前、20人ほどの
行列のところに三人くらいの男と女が近づいてきた。地図を広げてなにか話し
掛けていたが、そのうち男と女がなにやら言い争いを始めた。みんなそっちに
注目しているうちに、バッグの中の財布を掏り取ったらしい。
地図を乗せ、バッグのチャックをすばやく開けてまた、チャックを閉めておく。
鮮やかな手口にだれも気付かなかった。感心するやら、あきれるやら。
おばさんはホテルのセーフテーイ・ボックスに大金を置いてきたので現金の
被害はたいした事はなかったらしいが、カード2枚もやられたとしょんぼりして
いた。

オペラ座を案内してくれたのは母親が日本人というオーストリア女性。
「写真もいいですよ」と親切だ。
パリのオペラ座、ミラノのスカラ座と並ぶ3大歌劇場だが、やはりスケールが
大きい。客席は1750席、立見席は567あるという。立ち見は2ユーロ(250円)
から3.5ユーロというからうらやましい。座席の前には字幕のモニターがついて
いた。
舞台裏の装置の仕掛けも驚くほどの広さで、あのアイーダなどの装置がああ,こ
うやって動いていくのかと妙に感心した。
それでも、ブダペストのオペラ座と比べるとここは戦災で半分近くが失われて、
戦後復旧したこともあって壮麗さという点では今ひとつかなあ。
小沢征爾が芸術監督になって9月からオペラのシーズンが始まる。カラヤンの
胸像が立っていたが、「将来、小沢さんのブロンズが立つかも知れません」と
ガイドさんが笑っていた。
オペラ座からはリング通りの木陰をウィーン美術史美術館まで歩いて行った。
ヨーロッパではどこの国も美術館がすばらしい。
パリのルーブルは「モナリザ」、スペインのプラドは「裸体のマハ・着衣のマハ」、
フィレンツェのウフィツィではボッティチェリの「春」か「ヴィーナスの誕生」いや、
やっぱり「ひわの聖母」がいい。
ウィーンではぼくはラファエロの「草原の聖母」に会いたいと思っていた。

「草原の聖母」は1505年ごろ制作されたという。タテ113センチ、ヨコ88センチ
の画からは崇高な美しさが伝わってくる。ぼくはしばらくその前で佇んでいた。
美術館に1時間ほどいたぼくらは、リングの電車通りを横切って王宮の庭を抜け、
ミヒャエル広場のそばのカフェ「デーメル」で一休みした。きのうの大移動の疲れ
がどっと出てきた。
風格のあるカフェ「デーメル」はケーキの種類の多さに、ともちゃんはにっこりだ。
「メランジュ ツヴァイ ビッテ」と泡立てたミルクがたっぷり入ったコーヒーとケー
キを注文する。ケーキは一個。ふたりで半分ずつ食べたが、十分だった。ウィー
ンのケーキは甘さがたっぷりだ。
「デーメル」はテラスが通りに広がっていて、ちょうど建物の陰になって風が通り
抜けている。後ろに王宮のミヒャエル門が見えている。ぼくらもテラスで休みた
かったが、観光客で一杯で店の中に座った。ちょっと暑かったが、しゃれた店の
雰囲気を味わっているとのんびり、豊かな気持ちになってきた。
「デーメル」を出てごった返すグラーベン通りをぶらぶら歩き、シュテファン大聖
堂を見学して、地下鉄でホテルに戻った。
ホテルへ戻ったぼくらはシャワーを浴び、ちょっとドレス・アップしてまた,地下鉄
に乗ってオペラ座近くまで行った。今晩は楽友協会ホールの「モーツアルト・コン
サート」のチケットをとってあるのだ。
午後8時15分の開演までまだ、ちょっと時間があるので、オペラ座近くのカフェ
「モーツアルト」に立ち寄る。おしゃれをしたかっこうでテラスに座る。
ぼくはコーヒーの中にリキュールを入れ、クリームを浮かべたマリア・テレジアを
ともちゃんはブラックコーヒーにホイップクリームを乗せたアインシュペナーを頼
んだ。ケーキはモーツアルト・ケーキ。これもとっても甘い。

樂友協会ホールはニューイヤー・コンサートでおなじみだが、いつか一度来たい
と思っていた。ホールにはモーツアルト時代の格好をしたウィーンの美女達がプ
ログラムを売っている。一部5ユーロ。あんまり素敵な美女なので写真を撮らせ
てもらう。
ぼくらの席は舞台左の袖のすぐ近く。日本でチケットを買っていったが、JTBでは
扱ってくれなかった。銀座のミキ・ツーリストで頼むと気軽にやってくれた。

ウィーンではあちこちでミニ・コンサートのチケットを売っていたが、会場で見ると
一番いい席は地元の人、観光客の日本人は2階席と3階席がほとんどだった。
だから、ぼくたちみたいないい席は日本で買うのがいいのかもしれない。もっと
も手数料も取られるので、値段はウィーンで買うよりかなり高めだ。
「やっぱり豪華でいいわねえ」
ともちゃんはしばし感激している。地元の人たちもみんなドレス・アップして華やか
な雰囲気だ。ミニ・コンサートだと思っていたが、本格的なコンサート。モーツアル
トの時代にタイム・スリップしたようだった。

モーツアルトやヨハンシュトラウスの名曲に酔って、最後は「ラディツキー行進曲」
で会場みんなが小拍手から大拍手、「ブラボー、ブラボー」でみんなスタンディング・
オベーションで大いに盛り上がった。
帰りは午後10時半を回っていたので地下鉄は怖いし、タクシーもどうかと思ったが
心配する事はなかった。運転手はイラン人で「ヒロヒト。サムライ」とか「日本の物価
は高いんだろう」とか「コウベ」とか言いながらホテルまで14ユーロ(1600円)。
1ユーロのチップにご機嫌の人のいい運転手だった。
第5日目 8月25日(日) ウィーン〜チェスキー・クルムロフ〜プラハ

ウィーンの一日を満喫して、5日目の8月25日(日)はまた、大移動だった。ウィー
ンからプラハまで393キロをバスに揺られてひた走る。
11時ごろ、オーストリアとチェコの国境に着いたが、チェコの入管の職員が昼食に
行っているとかで、バスは40分近く足止めになった。日本ではちょっと考えられな
いことだ。
また、しばらく走ってバスは突然中世の町に迷い込んだ。
チェスキー・クルムロフ、世界遺産の町だ。青空に突き出た美しい塔、赤い屋根に
白壁の家。人口12000人の小さな町はヴルタヴァ川に囲まれるように横たわって
いた。13世紀から16世紀ころ繁栄したというが、その後見捨てられたようにひっ
そりと長い眠りについていたという。
世界遺産に指定された1992年まではルネッサンスの街並みは時間が止まった
ように、訪れる人もいなかったそうだ。

バスを降りて町の広場に入っていくと、ヴルタヴァ川が赤茶色の濁流になって、洪
水の爪あとを残していた。大きな樹が根こそぎ倒れていた。建物の1階が壊れて
住民が後片付けをしていた。1週間前の19日まで、観光客は町に入れなかった
そうだ。
石畳の坂道を登っていく。レストランや商店の切れた所から振り返ると、ヴルタヴァ
川越しにチェスキー・クルムロフ城がかわいらしくそびえている。
町の真ん中にスボルノスキー広場があった。広場の建物のところに4つの紋章が
ある。この町を支配したボヘミアのヴィトコヴェッツ家、ロジェンベルク家、エゲン
ベルク家、シュワルテンベルク家のそれぞれの紋章だ。
領主が代わるたびに城もゴシック、ルネッサンス、バロック様式などで修復された
り、増築されたりした。それがそっくり残っているのだ。
チェコ人のガイド、はなさんが城を案内してくれた。

城に入るとすぐセントジョージ礼拝堂がある。18世紀シュワルテンベルク家が家族
の礼拝堂に使ったそうだ。聖母マリアの美しい画があった。古いパイプオルガンが
あり、いまもここでコンサートが開かれるそうだ。
どの部屋もルーベンスが下絵を描いたタペストリー、マイセンのシャンデリア、など
当時を偲ぶ調度品がすばらしい。ギャラリーには40点の画が飾られていた。
「あれ、ウィーンの美術史美術館にあったルーベンスの画じゃないか」
どこかで見た画だなあと思っていたら、ここにあるのはすべてコピーだという。
大広間の窓から街並みを見る。
赤い屋根、尖塔、緑の丘、ヴルタヴァ川、そして青い抜けるような青空。すべてが
一幅の画になっている。名残を惜しみながらチェスキー・クルムロフとお別れした。
また,バスが走る。
道沿いの樹が赤い実をいっぱいつけている。「ナナカマドがいっぱい」とともちゃん。
リンゴもちょっぴり赤く色づいて小さな実をつけている。
プラハに近づくと、両側の家に洪水の跡が痛々しく見られた。窓が壊れ、くっきりと
濁流の跡が刻み込まれている。
7時半をとっくに回ってやっとプラハに着いた。バスの移動は12時間かかったこと
になる。
第6日目 8月26日(月) プラハ

プラハの水害は思ったほど悲惨ではなかった。町全体が世界遺産に指定され、
中世の街並みが残る旧市街地区は報道では壊滅的な被害、復旧に数年かかる
とあった。物見遊山の観光に胸が痛み、旅行も止めようと思ったほどだったが、
街並みは健在だった。
一階部分が洪水で被害を受け、壊れている家もあった。観光の目玉のカレル橋も
渡れない状態で、橋の脇のレストランの窓からは瓦礫を捨てる住民の姿も見られ
たが、プラハの復興にはやはり観光が必要なのだ。みんなたくましく立ち上がって
ぼくらを温かく迎えてくれていた。うれしかった。
もう旅行もこのプラハでお終いだ。

きょう(8月26日)は一日思い切って百塔の街プラハを楽しみたい。
ヴルタヴァ川の西岸、小高い丘の上にプラハ城がある。14世紀のカレル4世の
時代にほぼ現在と同じ様な城の形が出来上がったという。
1989年のビロード革命の後、大統領に選ばれたハヴェルに対する国民の支持率
は今も70%もあるというが、その大統領公邸の横を通って、マティアス門から城内
に入っていく。門の脇には警備の兵隊がたっているが、ぺちゃくちゃうるさく話してい
る。いいのかなあ。
城内に入り,中庭を抜けると目の前に大統領府、左手に聖ヴィート教会がある。大
聖堂はゴシック様式のすばらしい建物。正面入口の扉の上の薔薇窓のステンドグ
ラスは27000枚近い色ガラスが使われているそうだ。
「朝一番で来るとあの薔薇窓はムラサキに輝き、夕方来ると西日が差して赤く輝き
ます」と、ガイドのSAWAHARAさん。聖堂の横のステンドグラスはアールヌーボー
画家として知られるアルフォンス・ミュシャがデザインした8世紀の建国の模様が美
しく描かれている。教科書の歴史もここから始まるそうだ。
大聖堂から黄金の小路を通り抜ける。

何ということもない石畳の小道だが、昔ここには錬金術師たちが住み着いていたの
が由来になっているらしい。いまはカラフルな土産物屋が軒を連ねている。こんな小
路を抜けるのも有料だが、その中の水色の家が「変身」のカフカが住んでいたところ
と聞くと、思わずシャッターを切ってしまう。
カレル橋が通れないので、その一本隣の橋を通って旧市街に行く。5キロ程の道のり。
プラハの観光の中心はこの旧市街地区に集まっている。
からくり時計で名高い旧市庁舎の前に立つと、左手に聖ミクラーシュ教会、正面にゴ
ルツ・キンスキー宮殿、ティーン聖母教会など歴史的建造物が並んでいる。その前に
観光用の馬車。ボヘミアングラスやガーネットなどみやげ物店も多く、にぎやかだ。

洪水の影響で残念ながら、市庁舎に上がってプラハの街並みを展望することはでき
ない。からくり時計も止まったままだった。
ミクラーシュ教会の華やかな天井画とボヘミアングラスのシャンデリアに酔い、ガー
ネットの土産物屋をウィンドウ・ショッピングして時間はあっという間に過ぎていった。
夕方、カレル橋のたもとに行く。西日の逆光を受けて橋は辛うじて洪水に耐えていた。

1357年に建造されたというから、もう700年もたっている。全長516メートル、幅
9・5メートルの橋の上には聖人の彫像が30並び、中世の美しさをそのまま保って
いる。西日に照らされて影のように黒くなった橋はどこか荘厳な威厳をたたえていた。
ブダペスト、ウィーン、プラハの中央3都世界遺産の旅はあっという間に終わってしま
った。最後の夕食で飲んだチェコのビールはとってもうまく、70歳過ぎの3人の楽隊
のおじいさんの引くヴァイオリンとアコーデオンの楽しいメロディーがどこか、さみしく
哀しい旅の終わりを告げていた。
明日はミュンヘンを経由して帰国の旅だ。
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第7日目 |
プラハ発 |
9時10分 |
LH3233 |
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ミュンヘン着 |
10時00分 |
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ミュンヘン発 |
15時30分 |
LH714 |
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成田着 |
9時45分 |
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