楽しい旅
2003いまひとたびのイタリア行

ポンペイに立つ
「ポンペイを見たい」。長いことぼくはあの時のことを思っていた。
7年前の元旦、ぼくらはポンペイの遺跡の前に立っていた。ローマ
から列車を乗り継いで出かけたのに、無情にも遺跡の扉は堅く閉
じられ、中に入る事ができなかったのだ。
こんどの旅はそれを叶えてくれる旅だった。ナポリから南イタリア
をひたすら南下して、シチリアのギリシャ遺跡をたどっていく。8日
間の旅はあっという間に過ぎていったが、それも旅行の醍醐味で
ある。
「ああっ、ここだよね」。ポルタ・マリーナ(マリーナ門)に近いポン
ペイ遺跡の入口の前に立って、ぼくはちょっと興奮していた。

あのときと比べ、すっかり変っている。入口の周辺も新しくこぎれ
いに整備され、遺跡沿いの通りには色鮮やかなオレンジなどを
並べた店が建ち並んでいる。
オウム事件の年の1995年、ぼくはイタリアを旅した。暮の29日に
日本を発ち、1月3日に帰国するというあわただしい旅だった。
ローマに着いた30日が土曜日、31日が日曜日、そして元日という
最悪の暦だった。どこも閉まっていて、1月1日をどこで過ごそうか
迷ったすえ、「地球の歩き方」で「ポンペイは無休」とあったのを手掛
かりに、汽車を乗り継いで、ローマからポンペイにやってきた。
それがなんと、正門はがっちり閉められていて、その前で呆然と
立ちすくしたのだった。だから、ぼくはそのときからなんとか
ポンペイを見たいと思っていたのだった。
正門を入る。
石畳の坂道を上がると丸天井のマリーナ門がある。左側は補修
中だったが、2000年前、こちらは歩行者用、右側がちょっと広く
海から魚などを運んだ荷車用だったという。
門をくぐると、目の前にポンペイの遺跡が広がった。圧倒される
思いだ。ぼくはいま2000年前の古代都市にいる。道の両側に
は当時を偲ぶ豪邸が華やかに連なっている。

入口の床にきれいなモザイクのタイルがはめこまれている。真ん
中にイノシシが描かれ、その周りを二匹の犬が追い込んでいる。
デザイン的にも素晴らしいものだ。「イノシシの家」と呼ぶそうだが、
そこに佇むと、ふとモザイクの上で遊ぶこどもたちの楽しそうな笑
い声が聞こえてきたような幻聴に引き込まれるのだった。

「カリゴラの門」の前に立つ。石畳のはるか向こうまで通りが続き、
塔と糸杉の上にヴェスヴィオ(Vesvio)火山がなだらかな稜線を
描いている。もう夕暮れが近く、冬の残照が門を赤く染めている。
「こんな穏やかな山並みがこの街を火山灰で埋め尽くしたのか」
ヴェスヴィオ山(1277メートル)が突然、大爆発を起こしたのは
紀元79年8月24日の正午過ぎだったという。降り積もった火山
灰は6メートルにも達し、2万人の人が生き埋めになった。
石畳の通りを歩く。あちこちに野良犬がいる。遺跡の軒で雨露は
しのげるが、日々の食べ物は観光客の残した残飯を漁るぐらいし
かないのだろう。犬の表情はどこか寂しげで、虚ろだ。
古代都市と野良犬。その取り合わせがなんとも不思議な光景だ。

石畳の上には荷車の往来で磨り減ったわだちの跡が今も残って
いる。車止めや馬車を繋ぎ止める細工などもあって、この街が
どれほどの繁栄を極めていたのか、タイムスリップしたかの
ように鮮やかにそれが浮かんでくる。
ポンペイの時代は典型的な男性社会だったようだ。女性の不倫は
厳しく糾弾されたが、男性を相手にした売春は公認だった。
石畳に男性のシンボルが描かれいる。その小道を入ったところに
「娼婦の館」がある。この付近は興味津々の観光客で溢れ返って
いる。行列に押されるように中に入る。
ひとつひとつ小部屋が仕切られ、粗末な石のベッドがある。館の壁
にはさまざまな性技がフレスコ画で描かれ、それが今でも色鮮やか
に残っている。金髪やら黒い髪の観光客たちはそれを眺めて、ぽっ
と頬を赤らめ、ふうっと深い吐息を吐いたりするのだった。
石臼やらかまどの跡が残るパン屋の路地を抜けてフォロの浴場に
行く。冷水、ぬるま湯、温水などの浴場が完備されており、今の床
暖房のように床の下には温風を通して暖める工夫もされている。
浴場の中ではまさに裸の付き合いで身分の上下もなく、一種の社
交場になっていたらしい。

冬の日は速い。
ポンペイに滞在できたのはわずか1時間半だった。「秘儀荘」(Villa
dei Misteri)や「ヴェッティの家」(Casa dei Vettii)、円形劇場
(Anfiteatro)などほんとはもっと観たいところがいっぱいあったが、
あわただしく駆け抜けてあっという間に、ナポリに戻る時間になって
しまった。
「また、いつか来よう」。夕陽に赤々と染まっていくポンペイに後ろ髪
引かれる思いで「さよなら」「アッリヴェデルチ」(Arrivederchi)と
そっとつぶやいた。
カプリの青
カプリ島の「青の洞窟」に入れるのは宝くじに当たるより難しそうだ。
「青の洞窟が見たくて去年もカプリ島のホテルに泊まったんです。ボ
ートで洞窟の入口まで行ったんですが、それでも入れなかった」

一緒にツアーで旅行した埼玉のご夫婦が残念そうに話していたが、
それほど難しいらしい。旅行会社のパンフレットにも「青の洞窟を見
ないで南イタリアは語れない」と書かれている。洞窟に差し込む太陽
の光りが屈折反射して、幻想的なブルーの世界が広がっているなん
ともいえない写真が載っているが、添乗員の今井さんは「12月に幸
運に恵まれた方は1日だけでした」とニコニコしている。
ナポリのホテル「ホリデー・イン・ナポリ」を朝7時40分に出発する。
それにしてもこの日の朝食は最低だった。午前7時ホテルのレストラ
ンが開くと同時に日本人の団体観光客がどっとなだれこみ、食事の
奪い合い。ぼくはやっとパン二切れとハムを確保するのがやっとだ
った。あとはいくら待っても何もでてこない。
これはいくらなんでも酷すぎますぜ阪急交通社さん。
ぼくらの旅は「とっておき南イタリア・シチリア島8日間」。そのパンフレ
ットには「ナポリでもファーストクラスに2連泊」とうたってあって「スター
ホテルテルミナス」のしゃれた写真が載っている。
「駅の目の前という観光にもショッピングにも最高のロケーションのホ
テル。屋上からナポリの街とナポリ湾が一望できます」と書いてあった
が、実際ぼくらが泊まったのは市場に隣接したビジネスホテルのよう
なホテルだった。
と、バスの中でぶつぶつ言いながらナポリの街を通り過ぎ港に着く。
ガイドのエンツォはイタリア映画に出てくるような男だ。61歳というが
歳より大分老け、それでもステッキ片手にコートをはおり、しゃれた
帽子をかぶって、いかにもナポリの街に溶け込んでいる。
8時半発のカプリ行きのフェリ−に乗り込む。40分ほどの船の旅だが、
これが揺れる、揺れる。まるでジェットコースターのようだ。そのうちビ
ニール袋が配られ、、あっという間に船酔いが始まる。
ナポリがどんどん後ろに遠ざかる。
港を出る頃は厚い雲だったが、だんだん青空が出てきた。カプリは海から
いきなり切り立った断崖があって、その高みからなだらかな斜面が島の
中央部に降りていく。島の中央部からまた空に向かって急峻な頂きが伸び、
そこから緩やかに稜線が海へと落ちていく。
中央部の山懐から海岸線にかけて、ムーア風の白い家が立ち並んで
いる。その昔、イスキア島を所有していたアウグストゥス帝がカプリをす
っかり気に入って島の交換をしたというほどだ。


40分でマリーナ・グランデ港に着いたが、船酔いは結構きつかったよう
だ。ずっと座っていた人はそうでもなかったが、添乗員に言われて途中
トイレに行った人は立った途端、一遍に船酔いに襲われていた。
「青の洞窟」のボートはやっぱりダメだった。

小さな乗合バスでアナ・カプリに上り、そこからリフトでモンテ・ソラーロ山
に昇ることになった。25人乗りの小さな乗合バスはくねくねした急峻な
島の山道をカーブを切りながら昇っていく。
他の車とどうみてもすれ違えないが、みんな実に巧みに崖と車の間を僅
か数センチ残しただけで、曲芸のようにすり抜けていく。ぼくらはその度
に「ブラボー」と歓声と大拍手。運転手は高い鼻をますます高くして得意
そうな顔をしている。
リフトでさらに15分上がっていく。
目の下にカプリの白い街並み。遠くナポリの街が望め、エトナ山がゆった
りと横たわっている。残念ながら昇るにつれ霧が深くなり、山頂は厚い雲
で覆われ、大展望は望むことができなかった。
冬というのにカプリはオレンジやレモンがたわわに実り、ブーゲンビリアの
紫の花が咲きこぼれていた。

おみやげにかわいらしいハイヒールの形をした小ビンに入ったリキュール
のようなレモン酒を買った。ぶらぶらと路地を歩くとこんな小さな島なのに
世界のブランド店が軒を連ね、高価な毛皮をまとったしゃれた婦人がかわ
いい犬を連れて歩いている。日本とは違ったヨーロッパのリゾートの世界
がそこには広がっていた。
マテラとアルベロベッロ(世界遺産の街)

午前3時にけたたましいクラクションと喧騒で目が覚めた。時差が8時間
あるから、日本時間では午前11時。
何の音だろうと部屋のカーテンを開けて見ると、ホテルに隣接した市場の
賑わいだった。野菜や果物を運び込む車ともうセリでも始まっているのか、
セリ人の大声が聞こえてくる。
すっかり目が覚めてしまったので、ともちゃんと市場の見学に出かけた。
ホテルに隣接しているといっても、早朝の暗い通りを市場の正門までぐる
っと500メートルほど歩く。少し、警戒しながらの早朝散歩だ。
でも、とっても楽しかった。ホテルの朝食には野菜も果物もまったくなかっ
たが、この市場には野菜や果物があふれている。オレンジ、レモン、
ピーマン、ナス、チコリ…。
イチゴに似た小さな野イチゴのようなものがある。
「ボンジョルノ。コーメ シ ディーチェ?」
「プラゴリーナ」。おじさんが気軽に応えてくれる。
「こっちのイチゴは?」
「それはプラゴナ」
「これは?」
「メロナー」。かぼちゃのような形をした青い野菜はメロナーというらしい。
ツアーの合間の束の間の時間も楽しい。きょうは岩穴都市マテラ(Matera)
とメルヘンの世界アルベロベッロ(Alberobello)の2つの世界遺産を訪ねる。
7時40分にホテルをバスで出て、長靴の形をしたイタリアのかかとを目指す。
マテラまで253キロ。途中ドライブインでカプチーノ(1ユーロ)と血のような
赤いオレンジジュース(Arrance Rosse di Scillia 1・5ユーロ)を飲む。

4時間かかってマテラに着いた。
バスを降りて狭い路地に入り、レストランへの階段を下りる。その時視界が
ぱっと開け、まぶしい陽光に照らされた「サッシ」が劇的に登場した。
「わあっ すごい」
思わず声が出る。Sassoとは岩石そのものを指すイタリア語らしい。「サッシ」
とはその複数で、岩をくり抜いて作った洞窟住居のことを言う。凝灰岩で作っ
た白い家があり、その多くには逃れてきたキリスト教の修道士が住み着いて
いたという。岩肌をくり抜いただけの荒涼とした住居もある。

添乗員の今井さんによると、「キリストの情熱」(The Passion of Christ)
という映画の舞台になったという。
「グロッタの家」と呼ばれるサッシに入った。1956年まで使われていたという
この家は狭い空間に高いベッド、家具、ハタ織り機、移動式のトイレ、家畜ス
ペースなどが混在している。質素な空間だが、清潔で禁欲的な空気が漂って
いる。
「おとぎの世界」と最近南イタリアのツアーでは目玉の観光地になっているア
ルベロベッロには夕方着いた。あの独特のとんがり帽子のような「トゥルッリ」
(Trulli)の家々の間に西日が落ちかけていた。

マテラの奇観を見た後、こんどはこのメルヘンのような家並みを見るとほんと
に不思議な気持ちになる。
日が落ちる前になんとか写真を撮りたいぼくは路地に入り、写真のアングル
を考える。狭い路地裏でこどもがサッカーボールを蹴って遊んでいた。ボール
を蹴りながら、「ジャポーネ、ジャポーネ」と人懐こく声をかける。
ともちゃんはイタリア人のおばあさんと写真を一緒にお願いする。にこにこと
とっても気さくだ。
広場を挟んで北側に広がる「アイア・ピッコラ地区」のトゥルッリは素朴な感じ
がして観光客に人気があるようだ。周囲をモルタルで覆った四角い壁の上に
カンネッラと呼ばれる平たい石をうろこのように積み重ねていく。屋根の頂上
にかわいらしい尖塔を築いてある。これがキノコのような独特の家の形を作
っている。
広場の反対側の「モンティ地区」を見下ろせる展望台に行ってみた。
茜色の空がもうとっぷり暮れかかり、わずかに赤く染まった空に飛行機雲が
一条白くすうっと刷毛で刷いたように伸びていた。その光景を見ながらイタリ
ア人のカップルが恋の語らいをしていた。カップルのシルエットもみるみる闇
の中に消えていった。
「モンティ地区」は坂道に沿って瀟洒なトゥルッリの土産物屋が並んでいる。
道の真ん中に赤い絨毯が敷いてあるのもなにか楽しい。

こちらのトゥルッリの円錐形の屋根の部分にはなにやら奇妙なマークが白い
石灰で描かれている。
太陽のなかに「IHS]というマークだとか、旧ソ連の国旗のようなカマとハンマ
ーだとかハートのマークだとか、さまざまである。
アルベロベッロでの夕暮れのショッピングは実に楽しい。
「ボナ・セーラ」と言って冷やかしに店に入り、何も買わないで「グラーチェ」
と言って出てくると、必ず「プレーゴ」(いえいえ、いいいんですよ)と声が返
ってくる。その内の一軒は「ラエラ・陽子」さんというこちらに嫁いだ日本人
のやっているお店だった。

お店を覗き覗き、世界で一番上質だというプーリア産のオリーブオイルを
買った。一瓶23ユーロ、小さな陶器のお土産用のものは10ユーロ。その
他にも、トゥルッリの小さな模型としゃれたレースの敷物を買った。
アルベロベッロはもうすっかり夜だった。
その夜はアルベロベッロから北東に20キロほどのファザーノにある「シェラ
シルバナ(SIERRA SILVANA)に泊まった。「キリストの涙」というワインを
勧められたが、ハーフ・ボトルがないという。涙の一滴でも飲みたかったが、
ちょっと疲れもあったので断念した。
シチリアに渡る

「海峡を渡ると、海が変る」と書いたのは塩野七生である。(イタリアからの
手紙)
「いや変わるというしかないぐらい、本土の沿岸に打ち寄せるティレニア海
と、シチリア島をかこむ地中海とでは、海の色からしてまったくちがうのだ。
メッシーナの海峡を連絡船が渡り出すと、真下に見える海の色は、これこ
そ紺青というものかと思う色になる。冴えた深いブルー、なめらかなとろけ
ルようなブルーに。その上を、真白い上質のレースのような波頭が、消え
てはまたあらわれる」
なんとうまい表現だろう。そのシチリアへぼくは向かっている。
2002年の大晦日、ぼくらはシチリアに渡った。大晦日の夜は映画「グラン・
ブルー」(Le Grand Bleu)の舞台になった「カポ・タオルミーナ(CAPO
TAORMINA)」で過ごすことになった。
この日はイタリア半島のかかとから爪先へ、そしてメッシーナ海峡を連絡船
で渡り、タオルミーナ(Taormina)まで550キロをひたすらバスに揺られた。
爪先の部分の港町、ヴィラ・サンジョヴァンニ(Villa S・Giovanni)でフェリー
に乗ったのは午後4時50分だった。
塩野さんがいう「海が変る」を味わうにはもう日がとっぷり暮れていた。ロー
マからシチリア島の首都パレルモ(Parelmo)まで汽車があるが、3キロの
海峡を渡るフェリーに汽車もすっぽり入ってしまう。ぼくらのフェリーにはバス
や乗用車が何台も積まれていた。
岸壁を離れるフェリーから眺めると、イタリア半島の街明かりがゆらゆらと
シャンデリアの煌きのように見える。

「とってもきれいな灯ね」とともちゃん。前を見るとシチリアの灯がこれもきれ
いに輝いている。なんだかとってもロマンチックだ。船には犬も何匹か乗って
おり、デッキにいた犬が身を乗り出して、街の灯を見ているのには思わず微
笑ましくなった。
フェリーは20分でメッシーナ(Messina)に着いた。
メッシーナからタオルミーナまでまだ一走りあるが、対岸の街の灯を眺めて
いるうちにあっという間だ。大晦日ということでどこのホテルもライトアップし
て、きらきらとお化粧しとってもおしゃれな雰囲気だ。
「グラン・ブルー」は「カポ・タオルミーナ」と「サン・ドメニコ・パレス」を使って
撮影が行われた。ジャン・レノが演じたエンゾ・マイヨルカとジャン・マルク・
パールが演じたジャック・マイヨール。ふたりの実在した素潜りの世界チャ
ンピオンを軸にした物語だった。
「カポ・タオルミーナ」の海際のテラスでエンゾがシーフード・スパゲッティを食
べている。そこに弟と母親がやってくる。エンゾは母親の作ったスパゲティし
か食べてはいけない事になっているから、さあ大変だ。傍にいたジョアンナ
(ロザンナ・アークエット)がとっさにエンゾのスパゲッティも引き受けて二皿
食べる破目になるユーモラスなシーンは何度思い出しても楽しい。
夜の食事は8時半から始まった。

海際のテラスに面したしゃれたレストランルーム。隣のテーブルにはイタリア
人の家族が座っていた。きょうはみんなおめかしをしてウキウキとしている。

メニューは前菜に続いて「ロブスター(キャビアソースかけ)、マンゴー」「リゾッ
ト(ポルチーニ、クリ、サフラン)」「クレープ(アスパラのクリームソース)」「手
長エビ(ゴマのソース、ハーブレモン)」と続いた。
「グレープフルーツシャーベット」で口直しのあと「牛肉とアンティチョーク(朝
鮮アザミ)、トリフのワイン煮)」「パンナコッタのスフレ」が出た。
「こんな豪華で美味しい料理初めてだなあ」とみんな感嘆している。いいワイン
もたっぷり飲んでご機嫌である。


バンドの演奏が一層賑やかになる。いよいよカウント・ダウン。
「チンクエ(5)、カートル(4)、トレッ(3) 2…」
年が変った途端大騒ぎだ。クラッカーがあちこちで鳴り、みんな激しく身体を
揺らし踊っている。午前0時を合図にタオルミーナでもメッシーナでも一斉に
花火が上がった。テラスに出てみるとあちこちから鮮やかな花火の競演が見
られた。ぼくらの「カポ・タオルミーナ」も負けていない。
テラスの下からドーン、ドーンと打ち上げる。テラスのすぐ上の夜空が明るくな
り、大輪の花が咲き、崩れた火花が降りかかってくる。
「すごい、すごい」とともちゃんも興奮気味だ。
シチリアのカウント・ダウンそして2003年の年明けは豪華に華麗に始まった。
ギリシャ劇場

ギリシャ劇場に着いた時は雨が降っていた。雲も厚い。しかし、なだらかな山
容を見せるエトナ山の裾野からイオニア海へ落ちる辺りは明るい日が差して
いた。ゆっくりと歩く。なにか幻のようなものにのって紀元前3世紀の時代に戻
っていくようだった。
ぼくはスタンドの最上段に上がってみることにした。黄色い花が咲き乱れている。
最上段にあがり、そこに座る。
そのうち不思議なことに、みるみる雲が切れ青空が覗いてきた。

ギリシャから遠く離れたこのタオルミーナで今から2000年以上前に、この「ギリ
シャ劇場(Teatro Greco)」でどんなギリシャ悲劇(喜劇)が上演されていたの
だろう。観客たちはどんな感慨をもって遠い母国の文化のかぐわしい香りを
かいでいたのだろう。
ギリシャ劇場はギリシャが作りその後紀元2世紀ごろ、ローマによって改築された
という。ローマ時代に好んで使われたのはあのスパルタクスの映画にあるような
剣奴の闘いだったと言われる。
この座っている位置から見るとギリシャ時代、劇場はもっと開放的で、エトナ山や
イオニア海の青い海などがずうっと広がって見えたようだ。
この光景をヘンリー・ニューマンは
「エデンの園にもっとも近い入口のようだ」と書いている。

女性ガイドのマルティーネさんが「ギリシャ人は音響効果も大事に考えていまし
た」と解説する。マルティーネさんは劇場の下の舞台のところに降りていって手
をポーン、ポーンと打つ。それが見事に劇場全体にこだましていく。
ぼくも最上段でやってみるが、あまりうまくいかない。空手を習っているマルティ
ーネさんとちょっとちがうのかなと思ったが、2、3度繰り返すうちにポーンと反
響するようになった。
エトナの噴煙は雲に覆われ見えなかったが、赤いレンガ積みのアーチをとその
後ろに広がる光景にぼくは酔っていた。
神殿の谷

シチリア・南イタリアの旅は早いものでもう残り少なくなってきた。タオルミーナ
からパルレモ(Palermo)に入ったぼくらは夕暮れの町をノルマン王宮、ヌーヴ
ァ門、クアトロカンティ、マラトーナ教会、マッシモ劇場とあわただしく見て100年
も前に建ったふるいホテル、「エクセルシオール・パレス(EXCELSIOR PAL
ACE)」に入った。
「ギリシャ劇場」と並んでシチリアの旅でぼくを限りないロマンの夢に誘ってくれ
たのが、「神殿の谷・アグリジェント(Agrigent)」だった。ナポリからずっと移動
の多い旅だったので、最後の日、パルレモでゆっくりするか、アグリジェント
(OPでひとり1万8000円)にするか、迷ったが1日かけて行ってよかった。
午前7時50分ホテルをバスで出て、途中トイレ休憩はあったが10時23分、
小高い丘の上に「ヘラの神殿」(Tempio di Giunone)が見えてくる。緑の丘
の上に抜けるような青い空に向かってすっくと立つ神殿の円柱。それを見た時
の震えるような感動は忘れられないだろう。

紀元前450年頃建てられ、紀元前406年カルタゴによって破壊されたという。
34本の円柱のうち25本がほぼ完全に残って、後期ドーリア方式の洗練された
神殿の面影を今に伝えている。
バスを降りると、入口からヘラの神殿に向かって長い石畳の道が続いている。
両側の木は桜のような花をポツン、ポツンとつけ、木の下には黄色や白い花
々が可憐な花をつけている。ガイドのリリーさんが「アーモンドです」と説明して
くれた。ほんとに桜の花びらのようだ。

神殿には小高い斜面を登っていく。斜面には樹齢1000年を越すというオリー
ブの古木がしっかりと大地に根を張っていた。幹は大人4、5人でやっと一抱え
といった感じだが、木の上の方はすでに朽ちかけている。それでも幹は悠々と
大地に根を張り、またそこから若い枝を空に向かって伸ばしている。そんなオ
リーブの古木が「ヘラの神殿」の周りには何本かある。
「ヘラの神殿」の前に建つ。ともちゃんが思わずうれしそうにポーズを取った。
柱列が半ば折れ、それでも当時の面影を残して建っている。カルタゴに破壊さ
れ、その後も大地震で壊れ、1787年に修復されたものだ。この神殿は当時、
結婚式に使われたというが、夫との不仲に悩む妻たちがここを訪れ祈りを
捧げる場でもあったという。
ヘラは全能の神ゼウスの妻だが、恋多きゼウスの浮気に悩まされたという
言い伝えもある。ヘラにふさわしい神殿とも言えようか。

「ヘラの神殿」のずっと向こうには地中海が今も昔も変らず広がっていた。
ここから1キロほど離れたところに「コンコルディア神殿」(Tempio della Co
ncordia)がある。
アテネのパルテノン神殿をこの目で見たことはないが、何度もさまざまな本や
写真で見たあの神殿の生き写しがここにあった。正面に6本、横に回って数
えると11本のドーリア式の円柱が優雅に佇んでいる。
円柱は上に行くに従って先が細くなる「ビン形」で、すべての柱の延長が神殿の
上の一点で結ばれる構造になっているという。
これも紀元前430年頃建てられたものだというが、当時この美しい神殿を目
にした人々はどんな思いでこれを見つめ、祈ったのだろうか。

雲がどんどん取れ青空が広がっていく。ここにもオリーブの古木がどっしりと
根を張っているのだった。神殿のそばに大きな轍の跡が残っている。神殿を
建造するとき、切り出した石材を運んだ荷車がここを通ったのだという。
「ヘラクレスの神殿」(Tempio di Ercoie)は今は廃墟のような姿をさらしてい
る。円柱が何本か空に向かってそびえているが、かって「ヘラの神殿」を上回
る壮麗な神殿だったという面影はない。
この空に向かって立つ円柱も1836年、瓦礫に埋まっていたものを復旧した
ものだという。「ゼウスの神殿」(Tempio di Giove Olimpico)には、巨大
なアトラスの像が大地に横たわっているが、本物は考古学博物館に収蔵され、
これはレプリカということだ。

ポンペイでやっと念願が叶って壮大な遺跡をみたぼくらはこのアグリジェント
で古代のギリシャ遺跡と触れ合い、旅の楽しさ、素晴らしさをしみじみと実感
してとっても幸せな気持ちだった。
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2002年 |
成田発(13時30分) |
AZ−7787 |
ホリディ・イン・ナポリ |
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12月29日(日) |
ナポリ(バス) |
カプリ島観光 |
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12月30日(月) |
ナポリ |
ナポリ〜マテラ(253キロ) |
シェラ・シルバナ |
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12月31日(火) |
ファザーノ(バス) |
ファザーノ〜コゼンツァ(280キロ) |
グランドホテル・カポ・タオルミーナ |
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2003年 |
タオルミーナ |
ギリシャ劇場 |
エクセルシオール・パレス |
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1月2日(木) |
アグリジェント |
アグリジェント〜モンレアーレ観光 |
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1月3日(金) |
パレルモ発(11時10分) |
AZ−1762 |
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1月4日(土) |
成田着10時55分ー1時間遅れ) |
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