楽しい旅
2002 青島美景悠々旅

青島は緑あふれる街だった。ゲーテ風の洋館の並ぶ静かな住宅街。
花にはちょっと遅かったが、花の季節にはモモ、アカシア、ライラック
などが競うように咲くのだろう。
成田から青島まで3時間、ほんのひとっ飛びだ。空港に着くなり、迎
えのガイドが「パスポートだけはなくさないで下さい」と釘を刺された。
青島はほかの中国の都市と比べると治安はいいが、それでも最近
パスポートの盗難にあう日本人が多いという。
「青島には日本の領事館がありません。パスポートをなくすと、北京
の日本大使館まで行かないと再発行の手続きができません。飛行
機は乗れなくなりますから、汽車で10時間以上かかって北京まで
行くことになって、まず1週間は帰国できません」
思わず胸のパスポートを握りしめる。

でもそんなことは青島の美しい景色を眺めているうちにすぐ忘れて
しまった。とにかく「元」がないとどうしようもない。10000円を替え
てもらうと649元だった。1元が16円ということになる。
チンダオダイナスティーホテル(青島匯泉王朝大飯店)に泊まった
が、ここは観光にはとても便利だった。
ホテルの目の前が美しい匯泉湾の海水浴場。朝散歩をするとジョ
ギングをしたり、ゆっくりと散策する人がたくさんいる。海沿いの道
をぶらぶら歩くと八大関がある。このあたりは八大関景区と呼ばれ
ているところだ。
海に突き出た小さな岬。ウエディングドレス姿の花嫁・花婿が写真
を撮っていた。何かの撮影会かと思っていたら、「前撮り」だという。
結婚の決まった花嫁・花婿が記念に写真集をつくる。それを「前撮
り」と呼ぶそうだ。月給の2倍25000円(1600元ぐらいか)を奮発
して作るそうだ。

岬の岩の上でポーズをとる花嫁は女優のようだ。花婿も負けては
いない。タレントを気取ってカメラに向かってポーズをとっている。
前撮りの花嫁・花婿が10組近くいるのでなかなか壮観だ。
岬の入り口のところに蒋介石の公館だった「花石楼」がある。

1903年に作られたしゃれた洋館。花崗岩で作られているので、
「花石楼」と呼ばれている。ドイツ提督が魚釣りや狩猟の際、休憩
施設として作ったものだ。
アカシアが白い花をほろほろと散らしていた。
小魚山に登って「青島迎賓館」に行った。
山といっても小高い丘だ。昔漁民が網を干していたところという。
「賢潮閣」の階段を上がって楼閣に登るとすばらしい景色が広がっ
ていた。緑滴る青島の街、緑の中にオレンジ色の洋館の屋根が広
がっている。中国と思えない美しい風景だ。
そんな洋館の代表が「青島迎賓館」だろう。玄関の上に「徳式官邸
旧址」とある。徳式というのはドイツ式ということ。1905年に建てら
れ通称「提督楼」と呼ばれていた。

第2次世界大戦のあと1957年には7月12日から8月11日までの
1ヶ月間、毛沢東も滞在していた。「毛沢東主席の間」や江青の間が
あり、毛の居室には毛沢東の写真、執務机、赤いビロードを貼った
椅子、質素なベッドがある。
江青の部屋には衣装タンス、三面鏡、机、ベッド、それに暖炉がつ
いている。

毛滞在中この迎賓館では中国共産党の政治局会議も開かれ、周
恩来、朱徳、劉少奇、ケ小平らが集まって共産党の戦略を練って
いた。
2階にはその後毛沢東に反旗をひるがえし、ソ連に逃亡する途中、
モンゴル上空で墜落死した林彪の部屋もあった。ドイツ時代の名残
のサンルーム、提督の執務室、ジャーマン・グランドピアノなどが残
されている。
翌朝、八大関景区の住宅街を散策してみた。
ホテルから海沿いの道の坂を上がっていくと両側に瀟洒な住宅街
が広がっている。ドイツ占領時代の住宅がそのまま1世紀近く残っ
ている。中国政府も当時の住宅をそのまま保存し、取り壊すことも
なく、この地域の住宅をすべて国で買い上げて使わせているそうだ。
そのへんが日本占領下の歴史的建造物をつぎつぎ壊してきた韓国
とちがうところだろう。
早朝の爽やかな空気を吸いながらぶらぶらと歩く。道路にゴミひと
つ落ちていない。あちこちで箒を持った人たちが掃除をしていた。
どこの住宅もかなりのスペースをとった庭があり、きれいに手入れ
がされている。その上住宅街のあちこちに緑の小公園が点在して
いる。

東京でいえば成城や田園調布をもっと緑豊かにした感じである。
それにしてもここが中国なのだろうか。イメージがまったくちがった。
一軒一軒眺めながら整備された街路を歩く。通りごとに街路樹が
工夫されている。アカシアの街路樹の通りがある。その通りを左に
曲がるとモモの街路樹があった。モモの木は背が低く、枝が横に
張り出している。歩くのにちょっと邪魔だ。
日本だったら、すぐ苦情が出てモモの木はあっという間に切り倒さ
れてしまうだろう。でも4月ごろの花の季節なら、この通りはピンク
の花が一面に咲いて桃源郷のようになるのだろう。
すぐ横の洋館の庭にはバラが豪華に咲き匂っていた。ドイツも
なかなか味なものを残していったものだ。それを受け入れる中国
もやはり鷹揚だ。
住宅街を抜けたあたりに大きな緑の公園がある。「中山公園」。
孫文を記念した公園で市民の憩いの場所になっている。

まだ朝の8時前だが、きょうは土曜日ということもあって、公園の
入り口前にはこどもたちや家族連れがわいわい騒いでいる。
ちょっと入ってみよう。入場料は五元。
正面の入り口からまっすぐ伸びた道は桜が植えられている。
建て看板の中国語の説明では、毎年四月中旬から五月上旬は
桜の花が見事に咲き、遊びに来る人が潮の如し、公園は花の
海の如しだという。さぞ、きれいなのだろう。
孫文のハス池もあった。日本人が贈ったものだという。
公園のあちこちでこどもたちがスケッチをしている。
ちょっと覗いてみると、画板はスヌーピーのしゃれたもの、色鉛
筆なども日本のものよりよっぽど高級品だ。こどもたちは私服
だが、カラフルでとてもおしゃれだ。
公園の木陰から懐かしい中国民謡のメロディーが聞こえてくる。
近寄ってみると中年のグループが社交ダンスをやっていた。
ワルツやらジルバやら木陰のダンスは熱がこもっている。華や
かな衣装を着た女のひともいて、背筋をしゃんと伸ばして踊っ
ている。ダンス熱はなかなかのものだ。

公園の中を歩いて行くと、こんどは爽やかな鳥の声がにぎや
かに聞こえてきた。鳥かごを持った男の人たちが集まっている。
鳥かごから小鳥を出しては指に止まらせて鳴き声を競っている。
朝はこういう鳥飼いの趣味の人たちが、あちこちの公園で小鳥
の鳴き声を聞かせている。のどかで優雅な趣味だ。
ドイツ時代は植物園だった中山公園の中にはゴンドラリフトも
あり、これに乗って高さ232メートルのテレビ塔に行くことがで
きる。テレビ塔の展望台からは青島の旧市街が一望に望める。
真下に緑あふれる中山公園、なんて緑の多い街なんだろう。
緑の中にオレンジ色の屋根が点在してそのコントラストが実に
鮮やかだ。ずっと向こうに浮山、その奥に撈山がある。
テレビ塔を降りると、空に虹がかかっていた。七色の虹はやが
て太陽を囲むように二重のリングになり幻想的な光景を曇り空
に現出した。
公園に来ている中国の人たちは快活で明るい。そして楽しそう
だ。貧しいというイメージはどこにもない。こざっぱりしてきれいだ。

食事をした「高麗酒家」のウエイトレスの韓(チェ)さんに聞くと、
月給は600元だという。日本円に直せば9000円ぐらいの見当
になる。
吉林省から青島に出稼ぎに来ているという韓さんに「君如何送
俸給在郷」(ふるさとにいくら仕送りしているの)といいかげんな
漢字を並べて聞いてみる。
韓(チェ)さんはちょっとはにかんで「送俸五佰元」とボールペン
で書いてくれた。
また、聞いてみる。
「何人家族在郷」
すると韓さんは「父、媽(母)、妹」と応えた。中国は一人っ子政
策をとっているが、地方では最初に生まれた子供が女の子だと、
もうひとり子供が許されるらしい。
それにしても韓さんは9000円の月給のうち7500円を両親に
仕送りしているのだ。ぼくは「日本もついちょっと前までそうだった
なあ」と、なんだかとっても感激して、韓さんに100元のチップを
渡そうとした。
韓さんはもじもじして「いいです。いいです」と受け取ろうとしない。
そんなやりとりを店の主人がじっと見ている。
ぼくはまた紙に「内緒、秘密」とか書いてチップをやっと渡したが、
韓さんはうれしそうにそれを受け取ると、主人のところに行って
渡しているではないか。やっぱり純なんだなあ。

次の日、小青島に行ってみた。
英語で言えばグリーン島とでもいうのだろうか。1898年ドイツが
占領したとき、この島を青島と呼んだことが地名のいわれになっ
ている。
島には白い灯台があり、「小青島灯塔」の標識がかかっている。
整備された遊歩道に沿って歩くと、海と青島の市街と目の前の
海軍博物館などが広がっている。島は琴の形に似ているそうで
「名琴島」という名前もついているそうだ。

海軍博物館には1958年、毛沢東が65歳の誕生日を迎えた
時、ソ連から贈られた古ぼけた9232式戦闘機のほか、戦車、
ロケット砲、潜水艦などが陳列してある。

狭い潜水艦の中に入ってみる。よくこんな狭い艦内の多くの戦
闘員が入れると思うくらい中の通路は狭く、頭もぶつかりそうだ。
写真は絶対撮影禁止だという。
海軍博物館のあと福音教会に立ち寄ったが、なにかホッとした。
これもドイツ建築の建物で、中はたいして見るべきものもない。
教会には3面に時計が取り付けられているが、教会のなかのハ
シゴのような階段を上がっていくと時計台の裏にでる。

緑あふれる青島。150種類もあるといううまい青島ビール。
ビールに微酔して中華料理をたらふく食べて、悠々たる歴史の
流れる町並みを歩く。楽しい旅であった。
(2002年5月)